アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 15

三日目 マーク・トウェインと「赤毛のアン」

マーク・トウェインの屋敷はとてもユニークな建造物だった。
内部の写真撮影が禁止されていたので、ここでは紹介できない。
温室や伝声管や、凝った壁紙など楽しい作りになっていた。
本がたくさんあり、松本先生の話によると、
マーク・トウェインは独学で勉強して、蔵書にはテニスンの詩集や当時の有名な作家たちの本を取り揃えていたと言う。

なんと「赤毛のアン」も読んでいて、マーク・トウェインはモンゴメリーに絶賛の手紙を送っている。それには、アンのことを次のように言っている。

the dearest and most moving and most delightful child since the immortal Alice
 
直訳すると、
「かの不滅のアリス以来、最も愛らしく最も感動的で最もゆかいな子」
とでもいう意味だろうか。この言葉は「赤毛のアン」のキャッチコピーとして使われるようになったほどだという。(ウィキペディアより)
ここでも「赤毛のアン」と「マーク・トウェイン」のつながりが出てきた。

屋根のあるところに、馬車がやってきて、右側の入口に人が入っていくようになっている。奥に見えている建物はなんと、馬屋。何頭飼育していたのかは聞いていない。

同じ敷地内にある、マーク・トウェインの資料館。これも地下もある大きなもの。

マーク・トウェインは新型の輪転機の開発に援助をし、その事業が失敗したため、この屋敷を売ることになった。そのあと海外での講演や作家活動でその借金は返すことはできたそうだ。上の写真の左側にある黒い機械がその輪転機らしい。

このレゴで作られた人物が、マーク・トウェイン。右側にショップが見える。

ショップには本を始め、マーク・トウェインにかかわる様々なグッズがあった。ここでも「トム・ソーヤの冒険」や「ハックルベリー・フィン」の本があったのに、日本で買えるからと買わなかった。残念なことをした。

受付のあるロビーの壁には、マーク・トウェインが言ったという警句がいくつか書かれていた。 マーク・トウェインはユーモアのある警句でアメリカ人の好みだそうだ。 写真は、「TRAVEL  IS  FATAL  TO  PREJUDICE 」と書かれている。
「旅は偏見にとって致命的」、つまり「旅をすることによって、自分の偏見をなくしていくことができる」という意味らしい。
原文はもう少し長く、「Travel is fatal to prejudice, bigotry, and narrow-mindedness.」
「旅は偏見、頑固、偏狭をなくさせる」と言う意味だそうだ。なかなか含蓄のある言葉だ。

受付付近に、マーク・トウェインの作品の登場人物の群像があった。
トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンがマーク・トウェインの近くにいる。

日本に帰ってきてから「トム・ソーヤーの冒険」を読み直してみた。子どものころに読んでいたのか(自分でも自信がない)大まかな筋は、わかっていた。時代背景などを考えながら読むと、とてもおもしろかった。今でも、十分に少年向きの本になると思う。

でもこの本の訳者あとがきを読むと、マーク・トウェインはこの「トム・ソーヤの冒険」を子ども向けに書いたのではないらしい。
翻訳者の土屋京子さんは次のように書いている。

「アメリカの友人たちに、「トム・ソーヤーの原文って難しいんだね」という話をしたら、「アメリカじゃマーク・トウェインなんてインテリが読むものよ」という答えが返ってきたり、「中学の時に読んだけど、あちこち辞書で調べながらよんだっけ」という答えが返ってきたり。アメリカ人にとっても、マーク・トウェインは難しいらしい」

「今回、翻訳者としてThe Adventures of Tom Sawyer の原文と向き合ってみたら、「痛快ないたずら小僧の物語」だけでない側面が見えてきた。主人公トム・ソーヤーは12歳かそこらの少年であるが、その冒険を語るマーク・トウェインの筆致は完全に大人に向けたもので、読み手の知性を試すがごとき格調高い文章なのである」

なるほど、では「ハックルベリー・フィンの冒険」はどんな本なのだろう。私は「トム・ソーヤの冒険」は読んでいたが、「ハックルベリー・フィンの冒険」は実は読んでいなかった。

 

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 8

二日目 ボストン市内観光その7       

オーチャードハウスと若草物語

上の写真は絵葉書から(写真撮影が禁止されているので)。
柱に付けられた白い半円のテーブル。オルコットのお父さんのブロンソンが作ってくれたもの。ここで、オルコットは「若草物語」を執筆したという。案内してくれたガイドさんの説明では、家族の生活を支えるために作品を書きつづけ、時間を短縮するために、右手だけでなく左手もつかって書き続けたそうだ。

上の写真は岩波少年文庫の「若草物語」。2013年の発行だから新しい翻訳。
この本のカバーにルイザ・メイ・オルコットについての解説がある。

「アメリカ、ペンシルベニア州に生まれ、「文学の街」として知られるマサチューセッツ州のコンコードで育つ。父は先進的な幼児教育をしたり、「理想郷」の建設を志したりした教育者・思想家。ルイザは、苦しい家計を助けるために、10代から教師などをして働き、そのかたわら小説や脚本を書いた。1854年、「花物語」が出版され、小説家としてデビュー。1868年に出版した自伝的な「若草物語」は、たちまち大評判になり、以後、児童文学の古典として今も、世界中で読み継がれている。」

「若草物語」の原題は「LITTLE WOMEN」。
これは姉妹のお父さんが「幼くても、ひとりの人間として、自分に責任を持って生きるように」と言う願いから、娘達に目標として与えた言葉からきている、ということはよく知られている。
では日本語訳の「若草物語」はどこからきたのだろうか。

岩波少年文庫の「若草物語」の訳者あとがきで、海都洋子さんは次のように言っている。

「1906年、原作が書かれてから38年目に、「アルカット著、北田秋圃抄訳・画」として、「小婦人(しょうふじん)」という署名で、日本に初めて紹介された・・・それから100年以上、日本だけでも、この物語は何十回も訳し直され読み続けられてきました。書名も「四少女」「四人の姉妹」などいくつかあります。いちばん有名な「若草物語」になったのは、
1933年にアメリカで映画化されて翌年日本で公開される際につけられたタイトルが、あまりにもぴったりだったので、以後、この「若草物語」が多く使われるようになったのだと言われています。」(白黒写真がその映画の一場面。インターネットより引用している)

このツアーの目的の一つ、「あしながおじさん」とどこでつながっているのだろう?

松本先生の名古屋での講座での様子を紹介した時にもふれたが、「あしながおじさん」の主人公のジュディは熱心に「若草物語」を読んでいるのである。岩波少年文庫の「あしながおじさん」から、その部分を抜き出してみると、

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・・・・・あたしは、「マザーグース」も、「ディヴィド・カパフィールド」も、「アイヴァンホー」も、「シンデレラ」も、「青ひげ」も、「ロビンソン・クルーソー」も、「ジェイン・エア」も、「不思議の国のアリス」も、ラドヤード・キプリングの作品すら一字も読んだことがなかったんです。・・・・・・・略・・・・・ 
 でも今、あたしはその全部を知っていますし、そのほかのことだってたくさん知っています。それでも、みんなに追いつくには、まだまだ時間が必要なのはおわかりでしょう。・・・・略・・・読んで、読んで読みまくるんです。一冊じゃたりません。いっぺんに四冊読んでいます。今読んでいるのはテニソンの詩集と「虚栄の市」とキプリングの「高原の平和」と、それから、どうか笑わないでくださいね。「若草物語」です。こないだ、この大学で「若草物語」を読まずに大きくなった女の子は、あたしだけだということを発見しました。だれにもいっていません。(そんなことがばれたら、変わり者のレッテルを貼られてしまうこと、まちがいなし。)あたしはこっそり出かけて、先月のお小遣いで、その本を1ドル12セントで買ってきました。これからは、誰かがライムのピクルスの話(若草物語に出てくる話)をしても、あたしはすぐになんのことかわかります。・・・・・

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「あしながおじさん」が出版されたのが1912年。今から約100年前。100年前の女子大生が読む本がどんなものかよくわかる。そのなかで、「若草物語」は読んでいて当たり前ということも、よくわかる。そして「あしながおじさん」の作者、ジーン・ウェブスターが「若草物語」を読んでいたことも類推される。当時の必読の本だったのだ。

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では「赤毛のアン」と「若草物語」の関係は?

「赤毛のアン」は1908年の出版。
左がその初版本の復刻版。カナダで買ってきたもの。
「赤毛のアン」が出版された時、カナダ、アメリカ、イギリス、オーストラリアの新聞雑誌に60をこえる書評が載ったそうだ。そのなかでもロンドンの政治・文芸の論評誌「ザ・スペクテイター」の「赤毛のアンはオルコットの直系の子孫」という書評に大いに喜んだと言われている。
「赤毛のアン」の作者モンゴメリーも少女時代にオルコットの書いた「若草物語」を愛読していたことが、モンゴメリーの日記からわかるそうだ。

それほど「若草物語」の影響は大きいのだろう。

左の写真は売店で買った冊子「オーチャードハウス 『若草物語』の家ー『若草物語』とオルコット家の人々」からとったもの。
ルイザ・メイ・オルコットの執筆しているところ。
一番最初の絵葉書にあった半円のテーブルはまだない。書き物机で原稿を書いている。

ルイザは1888年3月1日に病床の父親を見舞いに行っている。父親は3月4日に亡くなり、ルイザはその2日後に、父親の後を追うように亡くなっている。
彼女は南北戦争中に病院で看護師として働いていた。その時に水銀中毒になり、その後もその後遺症で健康状態は悪かったと言う。満55才でこの世を去っている。

                   *

「若草物語」のオーチャードハウスの見学の後、私たちはソローに関係する場所を訪れるために移動する。

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 2

二日目 ボストン市内観光その1

朝食のレストラン。1階のロビー横、エレベーターからすぐのところにあり、レストランのそばにはスターバックスがあった。
日本のホテルのモーニングのようにバライティな食品が並んでいるのではなく、パンやシリアルなどの基本的なものが多かった。また野菜も少なく、コンチネンタルブレックファーストとでもいうものだろうか。

今日はこのツアーの中でも一番ハードな日。時差ボケの頭で、身体はついていっても、頭の働きがついていかない。

6時半ごろから朝食を食べ、8時にバスに乗る。バスに乗って市内観光をしながら、
ロングフェロー邸、ハーバード大学に行く。昼食の後、若草物語の舞台であるコンコードへの移動。そしてボストンに戻ってきてボストン美術館の見学ともりだくさん。

このビルが、1907年、モンゴメリーさんが32才の時、「赤毛のアン」の原稿を持ってきた「L・C・ペイジ社」。この会社が出版を引き受けたことにより、「赤毛のアン』は世界的に有名になった。バスの中から撮影する。ボストン・コモン(アメリカ最古の都市公園)のそば。

上の写真は旧州議事堂。1713年に完成したもの。ここのバルコニーで「独立宣言」が高々と読み上げられた。1776年7月18日のこと。今は高層ビルに囲まれているがその美しさは歴史を表している。

バスに乗ってやってきたのが、ロングフェロー邸。
この屋敷にロングフェローは、1837年から1882年まで住んだそうだ。
また、ロングフェローが住む前に、ジョージ・ワシントンが1775年から1776年のあいだの住まいにしていたという、歴史的な建物。国立史跡に指定されている。国立公園直属のバークレンジャーさんが案内してくれた。

 

上の写真の左端に写っているのが、バークレンジャーさん。お名前をわすれてしまった・・・。 レンジャーという名前のように、西部劇のテレビに出てくるような制服姿。笑顔の素敵な、アメリカ女性(だと思う)。
見学は正門からではなく、裏側にあるビジターセンターより入った。

屋敷の入り口の庭にある立て札には

House Built by Major John Vassall
        Headquartered of
             General
    George Washington
        1775 = 1776
—————————————-
             Home of 
    Henry Wadsworth
        Longgellow
  1837 – 1882

と書かれている。1759年にイングランド出身のヘンリー・ヴァッサルー(Major と書かれているので大佐、中佐、少佐?)が建てたもの
独立戦争中にジョージ・ワシントンが司令部として使い、ここに滞在している。
独立戦争後、この家の持ち主は、クレーギー家にうつった。
1830年、ロングフェローは、この家の2室を借りて下宿する。その部屋の一つがワシントンが司令部として使った部屋と言われている。その部屋が下の写真。

上の写真が正門。2階の右側の部屋が、ワシントン時代に司令部として使われ、ロングフェローの下宿部屋になったそうだ
上の右側の写真は、正門のドアを開けたところにある玄関口と二階に上る階段。
ワシントンはこの階段を心配そうな顔をして昇ったり、降りたりしていたと伝えられている。

ロングフェローと言う名前は聞いたことはあるがどんな作品を書いたのかというと、私は恥ずかしながら全く知らなかった。
左がロングフェローの胸像。イギリスのウェストミンスター寺院にアメリカの詩人としてはじめてその胸像が置かれているそうだ。それぐらい有名な詩人なのだ。

日本に帰ってから、図書館でロングフェローの代表作と言われている「エヴァンジェリン」を借りてきた。
ツアーのバスの中で、松本先生の解説があったが、アメリカ独立前の悲恋の話。1847年の作品である。この文庫本の解説には、
「エヴァンジェリンは、18世紀の半ばから末葉にかけて、イギリスとフランスが新大陸の植民地に、勢力を争った時代の物語である。アカディーAcadieの國と云うのは、今のノヴァ・スコシア Nova Scotia であった。フランス系の移民村の、日光と仰がれたエヴァンジェリンは、結婚の間際に、生き別れとなった其夫を跡を尋ねて、廣い今の合衆国のあちらこちらを漂(さす)らったのであった・・・」

エヴァンジェリンと恋人ギャプリエルが再会した時は、ギャブリエルは死をむかえる直前であった。
この悲恋の物語は大きな反響を起こし、全世界に知られるようになった。この作品によってロングフェローの名声が確立されたともいわれている。私はこの本のほとんどを声に出して読んだ。そのほうが実感できるとおもって。
イギリス軍が村を焼き払い、家族をバラバラにしたという歴史的実話をもとにしている。あらためてアメリカ独立の背景を考えさせれる、インパクトのある哀詩である。文学の世界は、文学の中に閉じこもるのではなく、外の世界に大きな影響力を発揮するという実例だと思った。

「赤毛のアン」とロングフェローとはどういう関係があるのだろう。 松本侑子さん訳の「赤毛のアン」の注にこうここれている。

第31章 (1)小川と河が出会うところ(P361) ‥‥アメリカの詩人、ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩『乙女』の一節から引用したもの。小川と河の合流点とは、何なのか。そしてモンゴメリは、なぜこの一節を第31章のタイトルに引用したのか。  『乙女』の詩では、「小川と河が出会うところ」という一節の次には、「女らしさと少女らしさがかけ抜けていく!」と続いている。つまり合流点とは、少女と女性の合流点である。本章(8)参照。

これを読んであらためて31章を読むと、章の題名に「小川と河」と書かれているが、本文には「小川」も「河」も出てこない。何かを象徴していることが想像できるが、それに答えたのが松本先生の解釈だ。

松本侑子さんのホームページに、「モンゴメリーについてのデジタルライブラリー」がリンクされている。そこにはこの詩の全文がのっているが、上の注に関係のある部分を引用すると、

Where the brook and river meet,
 Womanhood an childhood fleet !

また、第7巻「虹の谷のアン」(1919年刊行)の題辞にロングフェローの詩「失われし青春」の一説が引用されている。

And the thoughts of youth are long, long thoughts
若き日の想いは、遠い遠い想い(松本侑子訳)

「赤毛のアン」の作者のモンゴメリーさんが、ロングフェローをはじめ沢山の詩や小説を読んでいたことが想像される。また、それほどロングフェローの作品がアメリカで読まれ、愛されていたことも想像できる。ロングフェローについての興味が湧いてきた。

*松本侑子さんの「モンゴメリー デシタルライブラリー」は以下にリンクされている。

http://office-matsumoto.world.coocan.jp/mel01.htm

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 1

1日目 関空・成田そして アメリカ・ボストン

今年も松本侑子さんと行く文学ツアーに参加した。

関空から成田空港までは、ピーチに乗っていく。
生憎の雨やら機内トラブルで出発が1時間ほどおくれてしまった。

ピーチには、昨年沖縄に行くときに乗ったことがあるが、座席が狭い。とりわけ前後の間が狭い。
私たちでこれくらい狭いのだから、身体の大きい外国人だったらどうなのだろう、とかこれでハワイまで行くという話もあるそうだとか、座席の狭さで話題が盛り上がる。

成田に到着後、国際線ターミナルへバスに乗って移動。

今回は大きなトランク二つは事前に宅配してあるので、手荷物だけの移動なので楽だった。
国際線は北と南のターミナルがあり、さて集合場所とトランク受取の場所はどうなっているのかなあとおもっていたら、予想通りに反対方向を歩いていた。おやおや、いつもそうだ。

ボーイング787、さすが国際線の飛行機だ。大きくて広い。長さ、幅とも60mはある。約200人乗り。航続距離は16000Kmほどあるので東京・ニューヨークをひとっ飛びする。最高速度はマッハ0.8ぐらい。時速1200Kmをこえる。こんなすごい飛行機でも13時間かかる。アメリカは遠い。JALなのでなんとなくリラックス。

機内食2回。途中でスナックのサービスがあったが寝てしまっていた。 朝は何とモスバーガーのライスバーガー。私の好物なので、ありがたく完食させていただいた。

飛行機からの夕暮れはいいものだ。
左はボストン着陸前のフライトマップ。昼夜境界線によって日本が夜であることがわかる。
日本は朝を迎え、ボストンは日が暮れてくる。時差は13時間。日本のほうが早い。

13時間のフライトで見た映画は、日本語の字幕のあるものを選んだ。3本みることができた。
1.ライフ・・・火星から採取した土壌を回収した国際宇宙ステーション。その土壌から生命体が発見され、凄まじい勢いで細胞分裂をし進化していく。隔離しようとする宇宙ステーション乗組員の計画はすべて失敗し死んでいく。残った二人のうち一人が犠牲となってその生命体と共に深宇宙に飛び出し地球に危機が及ばないようにする。残った一人は地球に戻り人類に警告を発する・・・・これだけでもハラハラ・ドキドキなのに、最後にとんでもない結果が。未来からの警鐘だが、後味の悪い映画だった。

2.ローガン・・・Xメン、ウルヴァリンの最新作。舞台は2029年、もうウルヴァリンのようなXメン、ミュータントはいない。遺伝子操作によってミュータントは誕生しない世界になっていた。しかし新しいミュータントが開発されていたのだ。それも戦士として。ウルヴァリンと同じように全身骨格がマダンマチウムに変えられている女の子とその仲間の子どもたちを国境越えさせようとするウルヴァリンの戦いがはじまる。
最後のシーンを何回かリピートして見た。大きな画面でないと見逃しているところがあるかもしれない。、、、、ウルヴァリンは本当に?

3.イップマン 継承・・・ドニー・イェン主演のカンフー映画。これまで「イップマン 序章」「イップマン 葉問」に続く三作目。私はこれまでの映画はすべて飛行機で見てきたが、今回も飛行機の中で。マイク・タイソンとの勝負は迫力があった。
実在の人物をモデルにしているらしいが、ブルース・リーの師匠だった人だそうだ。
ドニー・イェンの演技、格闘シーンが美しい。4作目が計画されているらしいが期待と不安が半分。

アメリカ、ボストンに到着。 午後7時をすぎているのにこの明るさ。

入国審査、たいへんな行列。こっちにならべと言われて並ぶと、ここはクローズするからこっちへと行ったり来たり。アメリカの入国審査は厳しい。フライトアテンダントのような人たちも時間をかけて質問され、それにに答えていた。

夫婦連れは二人で審査できるので二人で係官の前に。
滞在目的は?、滞在日数は?、何か申告するものはあるか?と英語で聞かれる。
sightseeing,  6days, No とマニュアル通りに答える。これで終了とおもっていたら、
Who is this lady?  と妻の方に顔を向ける。
えっ? 一瞬考えて My wife.
うなづいてパスポートにスタンプをポンポンと押した。
ふーっ、これで終了。

1日目のホテルは Sheraton Boston Hotel 。
このホテルに連泊する。もう午後8時ちかいのにまだ明るい。
近くのスーパーにお散歩。グループで行くはずだったか、エレベーターが止まってくれないので集合時間に遅れた。やっときたエレベーターでロビーに行くと、沢山の宿泊客がロビーのエレベーター前に並んでいる。なるほどこのためか、しかたがない、ブラブラと店を探しながら歩く。

大きなスーパーだ。ここでビールを買う。
6本10ドルというから、そんなものかな。

上の写真がスーパーのレジ。妻が店員さんと何かはなしている。
どうもパスポートを持っているか?と聞いているようだ。
ないというと、誕生日を聞いてくる。えっ?! バースデー?
成人チェックのようだ。
へーっ、若く見られてるんだ、と笑いが浮かぶが・・・・。
翌日添乗員さんに報告すると「うーん、おちょくられたのかな。それともマニュアル通りにしたのかな?」という返事。外国人向けのチエックかな、とこのへんで納得しておくことにした。

ホテルの部屋から見える空も暗くなってきた。
月が出ている。これから満月に向かう月だ。

ホテルに戻って夕食。
この日はホテルで各自に夕食なので、日本から持ってきたカップヌードルをとりだす。

あれーっ。日本から持ってきた電気ポットのプラグがあわない。アメリカは日本と同じ2穴で120ボルトだからと安心していたら、このポットはドバイのモールにある電気器具iショップで買ったものだった。2穴なのはアメリカと同じなのだが、穴の大きさと幅が違っていた。変換プラグを装着して収納しておくべきだったと反省。

部屋にあるコーヒーメーカーを使ってお湯を沸かしてカップヌードルをつくる。工夫すればなんとかなるものだ。アメリカで飲むアメリカのビールは美味しかった。

明日のお天気を心配しながら眠ることにした。

 

 

映画「赤毛のアン」

最新の映画「赤毛のアン」の上映が始まった。 私は「赤毛のアン」の翻訳者の松本侑子さんのブログでこの映画のことは知っていた。
日曜日にさっそく見てきた。大阪では3館でしか上映していなようなので、なんばパークスの映画館に行った。

この場面を見るだけで、「赤毛のアン」ファンの人達にとっては、物語のいつの時かわかるだろう。

そう、アンがマシューと一緒に馬車に乗ってグリーンゲーブルズに行くところ。
カナダ・プリンスエドワード島の自然の美しさが、これでもか~というぐらいに画面いっぱいに広がる。
私は松本侑子さんのツアーで、プリンスエドワード島に行ったが、「これも見た、あれも見た」、と自分が映画の中に入ったような感覚になった。

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これはプリンスエドワード島のツアーで私が写真に撮った「グリーンゲーブルズ」。映画の「グリーンゲーブルズ」は、これとはちがっていた。ちょっと残念な気もするが、リアリティを追求すればそれもそうだろう。下の写真がパンフレットからとった「グリーンゲーブルズ」。

私が一番気に入った場面がここの場面。

松本侑子さんがご自分のツイッターで、この映画「赤毛のアン」のことを何回か紹介されている。 そこにはこんなふうに説明がある。

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この場面は『赤毛のアン』第24章でアンが、16世紀の詩人パーシーの「妖精の女王」を暗誦する場面。映画のアンは「さあ、ついておいで 小さな妖精たち」と原詩通りに語っています。『アン』に出てくる膨大な英米文学は『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』(松本侑子著・集英社)をご覧下さい。

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「赤毛のアン」の原文では、詩の内容までは書かれていない。

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We’re going to have six choruses and Dianna is to sing a solo. I’m in two dialogues – The Society for the Suppression of Gossip and The Fairy Queen.

・・・私たちは六曲、合唱するの。ダイアナはソロで歌うことになっているのよ。
私は対話劇(ダイアローグ)に二つでるの。「ゴシップ撲滅協会」と「妖精の女王」よ。・・・(松本侑子訳)

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集英社文庫「赤毛のアン」(松本侑子訳)の解説から抜き出してみると、
「1878年以降、暗唱用の詩集に入れられ、学校で暗唱された。内容は妖精の女王マブと妖精たちが人間に近づいていたずらしたり、草むらで踊ったりする様子が詠われる。スコットランド等に伝わる妖精伝説にちなんでいる。」

このとき、アンが着ているドレスが例の「パフスリーブドレス」。
映画の字幕では「ちょうちん袖」となっているが、やはりパフスリーブのほうがいいと思い、妻に聞いてみた。「ちょうちん袖、とふつうに言っていたよ」という。

さて、この映画でもう一つ興味をひいたのが帽子。

写真はアンとダイアナが走っているところだが、ピクニックの場面ではほとんどの女の子が同じような帽子をかぶり、走る時は帽子を押さえて走っていた。へーっ、走る時は帽子を押さえていたんだ、と新発見した気分。帽子に紐がついていてそれを結ぶのかな、とかピンで落ちないようにするのかな、と思ったりしていたが、なんのことはない、手でおさえて走っていたんだ。

左の写真の帽子。これも松本侑子さんのツイッターによると、

「この帽子! 3人ともタモシャンター帽! スコットランドの伝統装束で(エジンバラの土産物屋で売ってます)、『赤毛のアン』ではスコットラント系カナダ人のアンがかぶってますよ。これも従来の翻訳では訳されていないので、集英社文庫『赤毛のアン』で読んで下さいね。映画がますます楽しみです。」

「赤毛のアン」の本では、
第19章にでてくる。

「正直なところ、アンは、微かに胸の痛みを覚えずにはいられなかった。自分は質素な黒のタモシャンター帽と、マリラお手製のまっすぐな袖の不格好な灰色のコートを着ているのにひきかえ、ダイアナは毛皮の帽子と小粋なジャケットなのだ。しかしすぐにアンは気をとり直した。私には想像力があるんだから、それで補えばいいんだわ」

巻末の解説を見ると、「上にボタンがついた、ベレー帽に似たウール製の大きなふちなし帽子。スコットランドの詩人、ロバート・バーンズ(1759〜96)による同名の詩「シャンターのタム」(タモシャンター)の主人公の農夫、タムがかぶっていたことに由来し、スコットランド人がかぶる(後略)」とある。

この映画の原題は「L.M Montgomery’s Anne of Green Gables」である。
「モンゴメリーのグリーンゲーブルズのアン」というように、原作の雰囲気がよく伝わってくる。
マリラがストーブをオーブンとして使ってケーキを焼いているところや、アンが乳搾りをし、ニワトリに餌をやるなど、原作で描かれている生活が丁寧に画面で表現されている。
私としては、続編が出たら、じゃがいもの種芋を切っているアンを登場させてほしいなあ、と思う。

「赤毛のアン」の映画は、30年ほど前の、ミーガン・フォローズの映画が有名。私もビデオで何回か見た。
ミーガン・フォローズのアンは、原作のアンよりも美人、というのが私の印象だったが、そのミーガン・フォローズさんが最近のテレビドラマの「クイーン・メアリー」で出ていたのでびっくりした。それはさておいて、どちらの映画もマリラとマシューがとてもいい。この二人を抜きにしては、アンの映画は作れないだろう。左が30年前の映画のマリラとマシュー。右が今上映中のマシューとマリラ。

主人公のアンを演じたエラ・バレンタインさんのことは、映画を見てくださいとしか言えない。原作に忠実に演じている。公式ブログもあるので、ご覧いただきたい。

今回の映画は原作の完全映画化ではない。映画用に脚色されているところもあったが、5月の季節にふさわしい映画だった。これからプリンスエドワード島を訪れる人、訪れたい人は必見の映画だと思う。

 

松本侑子さんのホームページ(ここからブログ、ツイッターにリンクできる)

http://office-matsumoto.world.coocan.jp/index.htm

*映画の写真はパンフレットより。
*ミーガン・フォローズさんの写真は「スクリーンプレイ 赤毛のアン」より。