愛蘭土紀行 その11

聖マーク教会

ここは昨日行って、外観だけ見た「聖マーク教会」。
C.S.ルイスが洗礼を受けた教会。
この教会についても、現地ガイドのナオコさんのブログに詳しく書かれている。
そこから引用してみると

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1873~1878年建立の聖マーク教会。ビクトリア時代の英国の著名な建築家、ウィリアム・バターフィールド(William Butterfield)設計。ロンドン一高い塔を持つAll Saints Margaret Streetや、オックスフォードの Keble Collegeを手がけたバターフィールドが、アイルランドでの唯一手がけた建造物です

ルイスを洗礼した祖父のトーマス・ロバート・ハミルトン牧師(Rev. Thomas Robert Hamilton)は、聖マーク教会の初代牧師でした。ルイスの両親が結婚式を挙げたのもこの教会ですし、少年時代のルイスが家族とともに礼拝に参列したのもここ、ルイス一家とは切っても切り離せない縁の深い場所です。

http://naokoguide.com/blog-entry-2224.html

この日は日曜日だったので、朝のミサがすんだあと、中を見学させてもらった。
紫のお手製のショールを羽織っているのは、松本侑子さん。

教会の天井は布でおおわれている。
白く見えるところがリネン。リネン産業で豊かだった時にこの教会が建てられたそうだ。
ところでリネンってどんな布だったのだろう?
ウィキペディアによると、

リネン: linen)または亜麻布(あまぬの)とは、亜麻繊維を原料とした織物の総称。フランス語ではリンネル (linière) 。広義で麻繊維に含まれ、麻特有のカラッとした風合いがある。中近東では肌着として使われてきており、エジプトのミイラを巻くのにも使われた。

また、リネンはその材質からシーツなどの寝具を指すこともある。「リネン室」とは、宿泊設備のある建物で、慣例的にシーツ、枕カバーなどを保管する部屋をこう呼ぶことも多いが、現代では必ずしもシーツ類にリネン製品が使われているわけではない・・・(後略)。

日本では北海道で栽培されていたが、化学繊維の台頭で1960年以降衰退していったそうだ。海外旅行で教会を訪れたことは何回かあったが、天井の内張りが布のリネンというのははじめてだった。清潔そうで明るい雰囲気だった。

左はC.S.ルイスが洗礼を受けた洗礼盤。今でも使われているそうだが、私はキリスト教徒ではないので、これがどのように使われているのかよくわからない。

この他にルイス兄弟が寄贈したステンドグラスが美しかった。

私達が見学していたとき、女性の司祭さんがやってこられて色々と説明してくださった。なんと前日まで日本の広島のミサに行っていたというのだからびっくり。日本とアイルランドとのつながりがあっておどろいた。

ナオコさんのブログにアスランについて書かれているところがあった。キリスト教と「ナルニア国物語」とこの「聖マーク教会」は深いつながりがあることがよくわかるので、ここで紹介しておく。

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『ナルニア国物語』に詳しい方はご存知かと思いますが、物語に登場するライオンのアスランは、物語をキリスト教的視点で捕えた場合、神(イエス・キリスト)と見立てられます。14歳でキリスト教の信仰を捨て無神論者となったルイスは、31歳で再び信心し、その後は信徒伝道者としてさまざまなキリスト教関連の著作を著しています。
一度は信仰に挫折したものの、ルイスのキリスト教徒としての人生はこの聖マーク教会から始まったのです。それを思うと聖マークの象徴であるライオンがアスラン(=神)として物語に登場するのは合点がいき、ルイス自身のパーソナルな体験や想いがそこに込められている思えてなりません。
要するにここが、キリスト教徒としてのC.S.ルイスの原点なのでした。

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聖マーク教会の見学を終えて再びバスに乗る。
牛、羊の群れが牧草のあちこちで気持ちよさそうにしていた。


次は「ナルニア国」を思わせるサイレントバレー山岳公園に向かう。

 

 

 

 

愛蘭土紀行 その5

聖マーク教会からキャンベル・カレッジへ

私達がいるのはアイルランド島の北部にある北アイルランド。ここはイギリス領。真ん中にネイ湖という大きな湖がある。
通貨はポンド。ちなみにツアーの後半に行くアイルランド共和国はEUに加盟しているので貨幣はユーロ。
ベルファストは北アイルランドの首府。
アイルランド島という一つの島は、イギリス領の北アイルランドとアイルランド共和国にわかれている。その歴史はひとくちでは説明できない。カトリックとプロテスタントの宗教上の対立もあり、複雑な歴史がある。それは機会に応じてブログに書ける範囲で書いてみたいと思う。

私達は首都のベルファストに二泊し、C.S.ルイスに関係するところを観光。
上の地図の真ん中にCity Hall がある。東側にC.S.ルイス・スクエア、The Seacher’s Statue 探求者の像、があり、そこを見学をした。

C.S.ルイスのアイルランドでの生活については、現地ガイドのナオコさんが書かれたブログに詳しく紹介されている。

http://naokoguide.com/blog-entry-2223.html

ルイス広場をあとにして、聖マーク教会に向かう。
この日は教会が空いていないので、外からの写真撮影のみ。 明日、ミサのあとに見学させてもらう予定だそうだ。

教会の中にある建物の玄関ドアのノブがライオンの顔。多分ルイスがナルニア国物語を書くときのインスピレーションに関係するのでは、と現地ガイドさんの説明。
現地ガイドのナオコさんのブログから、この時代のルイスの様子を引用する。

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C.S.ルイスは1898年11月29日、弁護士の父と牧師の娘であった母との間に生まれました。
その頃のベルファーストは、造船とリネンを中心に産業革命の恩恵を受けて栄えていた時代。ルイスの父方の祖父はダブリンから産業革命の波に乗ってベルファーストへやって来て、造船関係のビジネスをおこして成功しました。ルイスの生まれる前年にベルファーストは町から市へと昇格、ルイスが生まれた年にシティーホールの建設が始まっています。
そんな活気に溢れた時代のベルファーストで、ルイスはアッパークラスのお坊ちゃんとして生まれ育ったのでした。

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次に向かったのは、ルイスが通ったという名門男子校のキャンベル・カレッジ Campbell College バスの中からの写真なので、少しぶれてしまった。

ガイドさんの予定では、入口付近に駐車してカメラ撮影だけ、と思っていたそうだが、バスの運転手さんが何か行けそうとずんずん入っていったらここまで来てしまった。聞いてみると、大学のイベントがあったので構内に入ることはできたらしい。それを聞いて安心した。
大学にイノシシ、というのは何か意味があるのだろうか?
イノシシも犬と同じようにあしをくずすんだとわかり、なんとなくうれしくなった。

それにしても立派というか学び舎という名前にふさわしい雰囲気がある。あしながおじさんを書いたジーン・ウェブスターの通ったヴァッサー大学を見たときもそんなふうに感じたことを思い出した。

 

ナルニア国物語の第1巻に登場する外灯。そのモデルがこれでは?という説があるらしい。このあといくつかの場所で古風な外灯を見たが、どれもそれらしいデザインで、決め手はないようだ。

次はルイスのお母さん、フローレンス・オーガスタ・ハミルトンが通ったクイーンズ・カレッジに向かう。