小泉八雲旧居

ここは松江城のそばにある、「小泉八雲旧居」。

小泉八雲といえば「怪談」の作者としてたいへん有名。
ラフカディオ・ハーンの文学者としての功績はよく知られている。しかし最大の功績は「西洋人としては珍しいほど日本に対する偏見がなかったこと。好意的な眼で当時の日本を広く世界に紹介したこと」と言われている。
その小泉八雲の旧居を訪れた。

入口前の案内には次のように書かれている。

小泉八雲旧居(ヘルン旧居)
怪談「雪女」「耳なし芳一」でなじみの深い、明治の文豪・小泉八雲。英語教師として松江に赴任した八雲は、セツ夫人と結婚した後、かねてからの念願であった「武家屋敷」を求めて借りて暮らしました。当時のこの屋敷は旧松江藩士根岸家の持ち家で、あるじ干夫は簸川郡(ひかわぐん 現在の出雲市)の郡長に任命され、任地におり、たまたま空き家であったのです。部屋をぐるりと取り囲む庭は、干夫の先代根岸小石の手によるもの。自然の山水を絡めたこの庭は、八雲の名著「知られざる日本の面影」のなかでも、あますことなく、その魅力が描かれています。さあ、どうかみなさまも松江時代のヘルン先生の世界を心ゆくまでお偲びください。

門を入って、左側に高浜虚子の俳句を刻んだ石があった。

「くはれもす八雲旧居の秋の蚊に」

高浜虚子が昭和7年(1932年)に、山陰を訪れたときの句だそうだ。
高浜虚子はこの小泉八雲旧居を訪れたそうだが、本当に蚊に食われたのだろうか?

 

どうして「ヘルン先生」というのだろうと思っていた。ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)の Hearn を当時の人達はヘルンと読んだことからきているらしい。

入り口でもらったパンフレットにこの家の見方が説明されていた。

小泉八雲旧居は、八雲の居間、書斎、セツ夫人の部屋などをぐるっと取り囲む庭が、観覧の対象です。八雲はこの屋敷全部を借りて住んでいましたが、公開は一部です。
ここは住宅の構造を見るだけでなく、八雲自身になって作品「知られぬ日本の面影」の舞台となっている庭を見ていただきたいと思います。日本全国各地に著名人、文化人の旧居はたくさん残っていますが、住居に付随する庭が重要な作品の対象になっている例は、他にありません。・・・略・・・西洋人である小泉八雲が日本の庭をどのように見たのかということが重要なのです。

小さな庭だけれど、とても丁寧に手が入れられていることがわかる。

小泉八雲の机。ここで仕事をしていたという。 小泉八雲は16歳のときに左目を事故で失明し、右目も強度の近視であったため、原稿を書くのに苦労したそうだ。この机は、松江で特別注文して作ったもの。机は通常より背が高く、メガネを掛けなかった八雲は、原稿に目を擦り付けるようにして仕事をしたと伝えられている。

落ち着いた雰囲気の日本家屋だ。 風通しも良く、静かな生活が想像できる。
季節の折々の変化を楽しんだのだろう。楽しめるという心が、ラフカディオ・ハーンの感性ゆえのものだろうと思う。

庭で手入れをする人の姿が見えた。 こういった人たちがこの旧居・庭を、小泉八雲がいた、もとの姿で保存しているのだろう。

小泉八雲旧居のとなりに、「小泉八雲記念館」がある。
ここは写真撮影禁止だったので、ここでは紹介できない。
もう一度訪れることがあれば、資料を集めてみようと思う。
その時までに、小泉八雲の作品を読んでおこう。そしてラフカディオ・ハーンの作品を英語で読めればなあと思う。