顔見世興行 in 先斗町歌舞練場

京都の顔見世興行に行ってきた。

顔見世興行をウィキペディアで調べてみると、次のような解説があった。

「顔見世(かおみせ)は、歌舞伎で、1年に1回、役者の交代のあと、新規の顔ぶれで行う最初の興行のことである。江戸時代、劇場の役者の雇用契約は満1箇年であり、11月から翌年10月までが1期間であった。したがって役者の顔ぶれは11月に変わり、その一座を観客にみせ、発表するのが顔見世であった。
歌舞伎興行において最も重要な年中行事とされる。
現在も11月(歌舞伎座)か12月(10月(御園座)のところもある)に全国の劇場(芝居小屋)で行われるが、なかでも京都南座の12月顔見世公演は、最も歴史が古いことで有名で、劇場正面には役者の名前が勘亭流で書かれた「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ、京都の年末の風物詩となっている。(まねきが掲げられるのは、南座と御園座で、歌舞伎座は掲げられない。)」

その南座が工事のため、今回は場所が変わった。

「先斗町歌舞練場」である。私はここは今まで一回も行ったことのないところ。
京阪三条まで行き、三条大橋を渡ってすぐのところだった。

顔見世といえば「まねき」、とウィキペディアにも書いてあったが、本来は下の写真のように役者の名前を書いた木の看板がずらりと並ぶ。(番付からコピーしたもの)

ところが今回は場所が変わったので、下の写真のような「まねき」となった。

さて演目は三部構成になっていた。 私が見たのは最終の午後5時45分開演のもの。「引窓」と「京鹿子娘道成寺」の二つだった。

「引窓」は番付によると、「寛延2年(1794年)に竹田出雲、三好松洛、並木千柳が合作した9段の世話物双蝶々曲輪日記」の8段目です。十五夜の前日の田舎家を舞台に、実と義理の親子が繰り広げる人情劇で、引窓が効果的に使われています」とある。

二階からのぞいた姿が、月の光で一階にある手水鉢に写る。天井の引窓をしめて闇にして、その姿が写らなくする。あるいは引窓を開いて満月の月明かりが差し込むのを夜明けを見立てるなどの効果をねらっている。と言う仕掛けになっているが、現代の明るい舞台では、その事を知っていないとわかりにくい人も多いと思う。

歌舞伎は江戸時代の生活がタイムマシンのように凝縮されていると、故中尾健二先生(大阪教育大)が言われていたが、この引窓もその一つだろう。

片岡仁左衛門さん、片岡孝太郎さん、坂東彌十郎さんの演技が、しみじみとした親子の情愛をかもしだしていた。
今の時代から見たら、犯人を見逃すわけだから、ちょっとまってその脚本、となるかもしれない。が、時は江戸時代。江戸時代の身分制度が生み出す圧力と義理人情がこういった作品を生み出したのかもしれない。

二つ目は「京鹿子娘道成寺」。

番付には「宝暦3年(1753年)に初世中村富次郎が初演した長唄舞踊です。能「道成寺」を素材にしていますが、小唄をつなぎ合わせた組曲で、満開の桜のもと、桜の着物を着た美しい女方が、様々な女心を衣装を変えて踊る華麗さが見どころです。雀右衛門の襲名披露狂言です。」とある。

1時間近くを踊り続けるのだからその体力も気力も大変のものと思う。
鞠をつく踊りでは、膝を曲げて子ども仕草で踊るわけだが、まわりのお客さんから「あれはしんどいわ〜」という声が出る。

番付にもあるように、この演目は五代目中村雀右衛門さんの襲名披露をかねている。

襲名披露の口上は、お昼の部にあった。口上を見ることはできなかったが、さぞかし華やかなものだっただろうと想像する。

番付に南座からの「口上」がのっていた。

 乍憚ら(はばかりながら)口上

行く水の流れは絶えず鴨の川。四条上がって先斗町。歌舞練場に場所を移し。今年も引き継ぐ芝居の伝統。酉年吉例顔見世の、幕開き飾るは源の。旧恩忘れぬ実盛が。心気を砕き物語る。母様の敵と挑む太郎吉に。再会約す手孕村。契りし婿を尋ね来て。戸無瀬が走れば小浪もと。心も逸る東海道。願うは白無垢新枕。此処で出会うが百年目。梅、松、桜の兄弟が。引き合う車意趣遺恨。心の表と裏腹に。拗ねて甘えた伊左衛門。夕霧洩らす衷情と。勘当解けた歓びに。春も其処まで郭文章。花の吉原仲ノ町。今評判の江戸の華。傘の謂れを朗々と。今より語って三升傘。浜の真砂は尽きるとも。尽きぬ親子の情愛に。真心厚き十次兵衛が。縄は切っても切れぬ縁。生けるを放す放生会。供養の鐘に怨みあり。請われて踊る白拍子が。顕す蛇体の本性を。歌舞伎の花と押し戻す。目出度う退散祝い幕。
 東西の名優花形打ち揃い。雀右衛門の庵看板(まねき)も新しく。當狂言家の芸。集めて贈る華舞台。御見物衆の満足と。相変わらずのご贔屓を。力と頼み本年も。得たりや大入り満員と。何卒賑々しく御光来の程。偏にお願い申し上げまする。
                           南座 敬白
平成28年師走

「道成寺」といえば清姫の怨念凄まじく、蛇に姿を変えるのは誰もが知っている話。
ここでこの蛇を退散させるのが、市川海老蔵演ずる大館左馬五郎(おおだてさまごろう)。青竹と長い刀を腰に差し、大音声とともに登場する。まあその姿の勇壮なこと。歌舞伎ならではの装束。市川海老蔵ならではの睨みは、この世の悪を全て追い払ってくれるような迫力だった。海老蔵さん一家の安泰と活躍を祈るとともに、この世の中が平和であることを願わずにはいられない演目だった。

先斗町歌舞練場は初めての場所だったが、なかなか見やすい劇場だった。歌舞伎を見に来ている人も松竹座に比べて和服姿が多く、さすが京都とおもう顔見世興行だった。

 

 

 

 

七月大歌舞 in 松竹座 2

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午後の部の演目は、
1.伊賀越道中双六 沼津(いがごえどうちゅうすごろく ぬまづ)
  坂田藤十郎、中村扇雀、中村翫雀など

2.身替座禅(みがわりざぜん)
  片岡仁左衛門、中村橋之助、中村翫雀など

3.真景累ゲ淵 豊志賀の死(しんけいかさねがふち とよしがのし)
  中村時蔵、中村梅枝、尾上菊之助など

4.女伊達(おんなだて)
  片岡孝太郎、中村萬太郎、中村国生など

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「沼津』は、日本三大仇討ちの一つ、荒木又右衛門らによる「伊賀上野鍵屋の辻の仇討ち」を題材にしたもの。
ちなみに、日本三大仇討ちの後二つは、「曽我兄弟の仇討」と「忠臣蔵」のこと。
少年の頃、頭に紙で作った手裏剣3本を手ぬぐいでとめ、おもちゃの刀で「荒木又右衛門の36人斬りだ」という遊びがはやった。
36人斬り、というのは紙芝居かラジオの講談で聞いたのかよく覚えていないが、ちゃんばら全盛の時代だった。
この36人斬りというのは伝説で、本当はそんなにも斬ってはいないらしい。

さてこの「沼津」は本筋からはなれたサイドストーリー。「菅原伝授手習鑑」と同じように、主人筋の義理人情に絡みこまれた親子兄弟姉妹の悲劇をテーマにしている。

坂田藤十郎さん演ずる男盛りの呉服屋十兵衛と中村翫雀さんが演ずる年老いた雲助の平作とのやりとりがおもしろい。実際の年齢とは逆の役どころが、見ていて思わず笑いが出る。舞台から客席へと降りてきて、「80歳になった顔が見てみたい」などとアドリブか用意されていたギャグかわからないが、軽口が舞台の雰囲気を明るくし、それがこの演目の後半の悲劇につながっていくだけに、深みのある構成になっている。
番付の「喜劇から悲劇へ」と題したコラムを亀岡典子さんが書かれている。
「喜劇と悲劇は、人生において紙一重である。
さっきまでささやかな幸せにあふれていた人生が、あるときふいに思いもかけない不幸に見舞われる。もちろん、その逆もあり、悲しみのどん底にいても必ずその隣に希望はある。人生は複雑なものだが、だからこそ人は生きていける。
「沼津」は、人生のそういう瞬間を切り取った珠玉の人間ドラマといえよう」

二つ目の「身替座禅」は狂言の「花子」を題材にしたもので、明治43年の初演だそうた。常磐津と長唄の掛け合いによる舞踏劇は、歌舞伎を知らない外国人も喜ぶという演目という。どこの国でも、どの時代でも男のアホさ加減は一緒ということだろう。
これは片岡仁左衛門さんにぴったりのはまり役と思う。上品で憎めない役どころが似合っている。山の神の玉の井を中村翫雀さん。これも味があって見るからにたのしい。過去に「身替座禅」を見たことがあるが、それぞれに役者さんの持ち味があり、演じている人も楽しんでやっているのだろうな、と思う。

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外は暑い。こんな暑い日にぴったりなのが「怪談」。
三つ目は、「真景累ゲ淵 豊志賀の死」。
三遊亭円朝の怪談噺「真景累ヶ淵」の一部を脚色したもの。
富本節の師匠・豊志賀を中村時蔵さん、弟子の新吉を尾上菊之助さんが演じている。
菊之介さんの優男で色男ぶりがこの怪談の雰囲気を一層盛り上げる。

番付に菊之介さんの弁として、「最初は師匠を慕っていたのが、師匠の愛がだんだん重たくなって逃げ出してしまう。人間の愛とは何なのかと考えさせられる作品ですね。お客様に少しひんやりしていただけるように勤めたいと思います。」が紹介されている。
多少どころか、十分に寒気がする舞台だった。照明や舞台配置が工夫されていて、三遊亭円朝の怪談噺の世界に引き込まれてしまった。

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さて最後は、 女伊達。 女伊達(おんなだて)という言葉を初めて知った。 番付にはこう説明されている。 「江戸時代、侠客とよばれる人々の中には、義理と人情に篤く、また、正義を貫く者も多く、そのためには、庶民の憧憬の対象ともなりました。歌舞伎でも活躍する花川戸助六(はなかわどのすけろく)や幡随院長兵衛はその代表例ですが、その多くは男性でした。そうした中、少数ながら、女性の「女伊達」と呼ばれる人々が存在しました。大坂の豪商の娘で、後に奴の小万と呼ばれた人物もそのひとり、本作は、この人物をモデルにしたとも言われています」 また、「長唄の舞踊です。変化舞踊は歌舞伎舞踊のジャンルの一つで、一人の演者が異なった役柄を早変わりで踊り分けるもの。長らく上演が途絶えていたものを、昭和33年(1958年)に復活したもの」だそうだ。
女伊達の木崎のお秀を片岡孝太郎さん、男伊達の淀川の千蔵を中村萬太郎さん、中之島鳴平を中村国生さんが演じている。
怪談噺のあとだけに、三人の華やかな踊りに会場の雰囲気もなごやかになる。
最後に立ち回りがあり、指の先まで神経の行き届いた踊りに拍手が巻き起こった。

さて、今回の七月大歌舞伎は、人間国宝の坂田藤十郎さんの渋い演技、病気回復の片岡仁左衛門さんの硬軟を使い分けた熱演、尾上菊之助さんの怪談噺に大坂の暑さを忘れる舞台だった。題材を狂言や文楽にもとめたもの、怪談噺に素材をとったもの、三大仇討ちという古典、昭和の新作、そしてオアシスのような華やかな舞踊と内容の濃い、バラエティ豊かなものだった。
歌舞伎、文楽、狂言、落語などなど、大切にしたい文化がここ大坂にはある。

行方不明になっていた倉敷の児童が見つかったという報道があった。無事だったということで、本当に良かった。ご本人もご家族も人の世の明と暗を見た思いだったろう。無事で本当に良かった。