あの日のオルガン

アイルランド紀行 番外編 

飛行機の中で見た映画。
時間がなかったので最後まで見れていない。日本に帰ってきてから原作を読むことにした。

私は学童疎開があったことは知っている。小学生の子ども達が戦争の被害、とりわけ空襲から逃れるために、親戚や知り合いへの縁故疎開、そして学校あげて農村に疎開したという事実。
学童だから小学生以上、と単純に考えていて、それ以外の子どもたちのことは考えつかなかった。
この本には、保育所がすっくりと疎開した事実が納められている。
そうか、学校に上がらない子どもたちは戦争中どうしていたのだろうか、幼稚園や保育所は開いていたのだろうか、閉鎖されていたのだろうか、と考えると知らないことばかりだった。

この映画は今年(2019年)の2月頃に上映されたらしい。私はそのことすら知らなかった。
そしてまだレンタルビデオにはなっていない。
この本、「あの日のオルガン」は36年前の本で、その時は「君たちは忘れない』という書名で出版されている。初版は1982年11月に草土文化から出版されている。映画化に伴って「あの日のオルガン」と書名を変えて、加筆・修正され、新装版となって出版された。(2018年7月30日 第1刷発行と奥付がある)。

上の写真はこの本からの引用。
1945年(昭和20年)2月発行の「アサヒグラフ」1104号の記事。

「ここは大日本愛育会の『疎開保育所』です。妙楽寺というお寺に、可愛い幼児たち40人が保母、保健婦、栄養士たち8人と一緒に元気に疎開生活をしています。・・・」という説明がついている。

当時の状況を本から引用すると、
「幼稚園が公立私立を問わず閉鎖されたのは1944年(昭和19年)4月のことである。・・・・4月に幼稚園が閉鎖され、8月に小学校生徒(3年生から6年生)までの集団疎開が実施されたというのに、保育所は閉鎖どころか、「戦時託児所」と名を変えて増加した。閉鎖された幼稚園を借り、子どもたちの去った小学校の教室を使い、お寺や教会のホールを借りて、増加し続けた。・・・・・・・・・
1945年3月10日、被災者100万人といわれる東京大空襲によって、すべての保育施設が廃止・休止に追い込まれるまで、この恐るべき状態に終止符が打たれることはなかった。・・・・・・・・・
東京都が政府の『幼老者、妊婦等の疎開実施要項』の閣議決定により、満4歳から就学直前までの子どもたちを対象に『疎開保育所設置要項』を定め、長野・群馬・埼玉・山梨の各県6ヶ所に、疎開保育所を開所したのは1945年6月末。敗戦の実に二ヶ月前なのである。」

こういった状況の中で、東京都の保育所集団疎開に先立つこと七ヶ月、1944年11月に幼児疎開を決行したのが、戸越保育所と愛育隣保館であった。
それがこの「あの日のオルガン」の本と映画の背景である。

戦争からの疎開は日本だけではない。
「ナルニア国物語」の第1巻は疎開からはじまっている。ロンドンの空襲から逃れるために4人の子どもたちが疎開したことから物語は進んでいく。これは日本でいう縁故疎開なのだろう。なんの気なしに読んでいたところだが、「ナルニア国物語」の背景には戦争・子どもたちの疎開があったことにあらためて気づいた。

アイルランドからの帰りの飛行機でこの映画を発見したことは、何かの縁なのかもしれない。

当時の保育士さんたちは戦後それぞれの道に戻って活動をしている。
本を読んでいて不思議に思ったのは多くの保育士さんがあの「疎開保育所」のことについて、
「おぼえてないわねえ」「もう忘れた。だめ、ほーんと、ぜんぜんおぼえていない」
と言うのである。
保育されていた幼児たちもそうである。
なぜ? あんなに大変だったことを覚えていないなんて・・・?

最後まで読んでわかったことがある。戦争が終わってからの生活のほうがずっと大変だったのだ。疎開していた生活よりもずっと厳しい現実がまっていたのだ。
子どもたちもそうである。まして4歳ぐらいの記憶はほとんどの人は薄れてしまっているのが現実だろう。疎開当時の厳しい生活をうわまわる大変な時代を生きてこなければなかったのであろう。

戦争、疎開、平和、「ナルニア国物語」を読んで考えさせられることは多いし、発見も多い。この「あの日のオルガン」はDVDでレンタルになれば、見たい映画である。

レンタルビデオが発売された。

ネットで「あの日のオルガン」がレンタルされることがわかった。 4月3日とあった。春休み中なので人も多いだろうと思い、少し間をおいてから借りに行くことにした。

緊急時代宣言が出される前に借りることができてよかった。

私は映画館で見ていないし、飛行機でも途中までしか見ていない。初めて見るような気持ちだった。
またDVDなので、本編だけでなくメーキングや予告編もついていたので、制作背景がよくわかった。
メイキングの最初に、トーキーのような古い映画を思わせる画面が映される。

「太平洋戦争末期、
 20代を中心とした若手保母たちが、
 子どものいのちを守るため、
 53人の園児を連れ、
 まだ誰もやったことのなかった
 集団疎開を敢行した。」

そのあと、当時の園児たちと保母さんの白黒写真。
そしてその集団写真がカラーにかわっていく。メーキングの始まりだ。

映画の内容は、ほぼ原作の本で語られているとおり。
疎開した土地での協力体制は不十分でしかない。それは学童疎開の時の同じだと思う。食料の不足、衛生面での不安、そして子どもたちの関係も地元の子どもたちからの偏見といじめ。
映画の中で、かえで先生(戸田恵梨香さん)はなげく。「子どもたちの文化的な生活はどうなるの」
子どもたちの文化的な生活を守るどころではなかった、大人もただ生きるために必死な疎開生活が描かれる。

映画の最後にテロップがながれる。
「1945年3月10日の東京大空襲で
 亡くなった10万人の中には
 多くの未就学児が含まれていた

 保母たちは53人の幼い命を救った」

「疎開保育園に参加した保母と
 かつての子どもたちの交流は
 今も続いている。」

 実際に疎開保育園を経験した保母さんの写真も出る。
 「おつかれさまでした」と思わず言ってしまいそう。

映画は暗い時代での物語だが、みっちゃん先生(大原櫻子さん)のオルガンがそんな時代を生き抜いた子どもたちと保母さんをはげます。

今、新型コロナでくらいムードに覆われている日本。
ユーチューブでは「民衆の歌」の大合唱の動画がながされている。
日本のいろんなところで、いろんな人がつながろうとしている。
インターネットが果たす役割だ。
「あの日のオルガン」の時代と少し進歩したところかもしれない。
「民衆の歌」は映画・ミュージカル「レ・ミゼラブル」で歌われている歌。
新型コロナに負けるな、医療従事者のみなさんありがとう、さまざまなメッセージがこめられている動画だ。大原櫻子さんもその中で歌っている。

https://www.youtube.com/watch?v=0Eax4cw6QFA

歌や音楽、オーケストラやミュージカル、演劇や歌舞伎などの芸術は人の心を温め豊かにする。日本には補助金カットで苦しんでいる芸術関係が多い。こんなときにこそドイツのように芸術・文化にお金を注がなくてはならないと思う。

 この「あの日のオルガン」はおすすめできる映画だ。
本編とともにメーキングもぜひ見てほしいビデオだと思う。
そしてユーチューブの「民衆の歌」も、ぜひ見てほしいと思う。

 

 

 

レ・ミゼラブル 2015

IMG_7335ここは梅田の芸術劇場。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」の大阪での上演があるので見に行った。

新築になったフェスティバルホールでこのミュージカルを見たのは2年前の2013年の9月だった。あの時は、もう二度と見られないかもしれないと思っていたが、実は名古屋の公演にも行ってしまった! 今回は3回めとなった。
いい演劇というものは見るたびに新しい発見と感動がある。

梅田芸術劇場の1階ロビーに大きく展示されていたコゼットのパネル。90✕180のベニア4枚をならべたぐらいの大きさ。多くの人がこの前で写真を撮っていた。
このコゼットの絵は、ヴィクトル・ユーゴー原作「レ・ミゼラブル」の挿絵から取られたもの。挿絵を描いたのはエミール・バヤール Emile Bayard (1837-1891)。彼はこのコゼットの絵で日本では有名になったそうだ。

IMG_7337

今回は1階席の後ろのほうだったので、役者さんの全体像がほぼ目の高さで見ることができた。 音響もよく、迫力のある歌声を聞くことができた。 何よりもいいのは、生の演奏で歌っているということ。 楽団の人が、公演前も、途中の休憩時間も入念に音のチェックをしていた。
クラシックコンサートに行く機会が最近ないので、余計に音の重量感を感じた演奏だった。

IMG_7339

今回は前回の時と全く違うキャストだった。 歌声で劇中人物の個性を表すのだから、その苦労や練習などは私には想像の域を超えている。 この公演ではジャベール警部の苦悩やアンジョルラスのリーダーシップがよく伝わってきた。
役者さんについては、公式ホームページに載っているのでそれを参照されたい。http://www.umegei.com/lesmiserables2015/cast.html

列にはいれよ 我らの味方に 砦の向こうに 世界がある
戦え それが自由への道

レ・ミゼラブルといえば「民衆の歌」。
ネットで検索すれば必ずヒットする名曲。
https://www.youtube.com/watch?v=o2PEvW14ZY8

レ・ミゼラブルの歴史的背景は、1832年6月5日から6日にかけておこった「6月暴動」を背景にしている。舞台の最終場面のように、市民からの応援や支援もなく鎮圧される。この鎮圧によって七月革命以来の実力的闘争は鎮圧されたと言われている。

そこから200年近くが経った現在。
少しはましな社会になったのかもしれない。
しかしこの地球上で戦争のない時代はなかったといわれているのも事実。

戦う者の歌が聴こえるか? 鼓動があのドラムと 響き合えば 
新たに熱い 生命がはじまる 明日が来たとき そうさ明日が!

このミュージカルに登場する学生のように、多くの血がながされた。そしてその流された血の上に、私達の生活がある。権利がある。
明日を信じて生きていくために、このような演劇やミュージカルが作られて残っていくのだろう。
日本の歌舞伎や文楽も同じようなものだろうと思う。
何度見ても、深く考えてしまう、内容のあるミュージカルだった。