三角点を探る旅 29

8月9日、長崎に原爆が落とされた日。
今年は戦争や憲法について考えることが多い。

那覇市の四等三角点

那覇四等三角点

モノレールの「奥武山公園駅(おうのやまこうえん)」に戻る。
電子基準点のあった公園のモノレールの線の反対側に、奥武山公園がある。
この公園の端に四等三角点のマークが地図にあった。

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奥武山公園1

奥武山公園の入り口にあるマップ。
地域によっては、こういった案内地図に三角点のマークがのっている場合がある。
期待してみたが、残念ながら三角点のマークはなかった。
公園の案内地図と、国土地理院の地図とを見比べながら三角点を探すことになる。
どうやら、少年野球場の片隅にありそうだ。

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少年野球場があった。少年ではなく、立派な大人たちが野球を楽しんでいた。
どうもこのあたりらしい。

那覇四等三角点2

 

那覇四等三角点3

すぐに見つけられると思ったが、草が茂っていると、なかなか見つけられないことが多い。 草がなかったら、直ぐに目に入るのに・・・・という経験が何度かある。

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「四等三角点」だ。そう書かれている部分を拡大してみよう。 IMG_2128

「四等」と「三」という文字が読める。 「三角点」と言う文字はふつう、南側に彫られている。

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これは「国土地理院」の「国」と思われる。「国地院」と略されているそうだが、ここでは確認できなかった。通常は西側に彫られている。
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少しわかりにくいが、「基本」の「基」と思われる。通常は東側に彫られている。 IMG_2134

北側には六桁の文字が彫られているそうだが、ここでは「056」と読み取れそうな数字があった。
地中に埋まっている三角点の標石の文字を確認するのは、ここのように大半が埋まっているとなかなか大変。でも三角点の周りを石で囲んであるのは、保存のためにもありがたいと思う。

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目を上げてみると、モノレールが走っていた。このモノレールは県庁方面に動いている。 さて、次は水準点を探そう。

那覇市三角点4

奥武山公園駅から県庁方面行きのモノレールに乗る。
モノレールの窓から、先ほどの奥武山公園が見える。
あれだ、あれだ、あそこの木の根本に「四等三角点」があったのだ。
電車の窓からiPhoneで写真を撮る。
あわてて写真を撮っている私の姿は、周りからどんなふうに見えたのだろう?

 

 

 

剱岳に三角点を

◉小説「剱岳 <点の記>」や映画「剱岳 <点の記>」で、剱岳には三等三角点を設置する計画だったけれどもできず、四等三角点を設置したことを知った。
しかし柴崎芳太郎測量官の測量登山100年を記念する記念行事の一貫として、2004年8月24日、剱岳に三等三角点が国土地理院の手によって設置された。この企画の中心となった山田 明さんの著書「剱岳に三角点を」で詳しく知ることが出来た。

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この企画のすごかったのは、三等三角点の標石(約63キロ)を運ぶのに高校生たちに協力してもらったことだ。
標石は富山西高校から4人、北陸工業専門学校・新潟工科専門学校から24人、国土交通大学測量部研修生4人、その他地元の測量協会やマスコミを含めて55人の担ぎ手たちによって、室堂から雷鳥沢キャンプ場まで運ばれた。この標石は、100年前に柴崎測量官がいた明治時代のもので、旧字体のものを用意したというからこれもすごい。
IMG_20130819_0007 三角点の標石の全貌を見ることはめったにない。普段はその頭部だけが地上に出ている。三等三角点の大きさは、規格では、標石の高さは79cm、標石頂部の1辺の長さは15cm、標石頂部の高さは18cm、重さ65kgとなっている。この標石の下に盤石が置かれている。今回のプロジェクトでは、盤石は現在使われている軽量のものを使ったそうだ。
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高校生を始め55人のボランティアで雷鳥沢キャンプ場に運ばれた標石は、ここからヘリコプターによつて剱岳山頂に運び上げられた。
標石は8月24日、国土地理院の人達によって山頂に設置された。この本によると伊藤係長の手によって埋設された標石をネパールの石工さんが周りに石を埋め、石を積んで固定したそうだ。(本の表紙の写真)
このネパールの石工さんは山田さんたちの下見の時から同行し、標石の埋設方法を考えていたそうだ。
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三角点が設置されたら、いよいよ剱岳の観測。そのためには多くの機材を山頂に持って上がらなくてはならない。ここは国土地理院の人たちが手作業で山をよじ登る。いやーすごいなあ。
IMG_20130819_0003 国土地理院のHPによると、
「この標石は、7月下旬には同キャンプ場から業者によって剱岳山頂にへリで運ばれました。埋設については、環境省、文化庁、林野庁などの手続きを行い、8月24日、悪天候のなか、工事を行い、無事完了しました。

また翌日、周囲の三等三角点「別山」、同「西千人」の3点において、GPS同時観測を実施し、位置及び標高等のデータの取得を行いました。さらに設置した三角点とともに、同岳の最高点の高さも水準測量により測定しました。なお三角点の選点は、柴崎芳太郎測量官の冠字※「景」を使い、また同氏が意図していた剱岳三角点番号(27)を用いることにしています。」
ここでのデータをもとに解析し、10月24日に剱岳の最高地点の標高は2999mと発表された。
100年前、柴崎芳太郎測量官が4等三角点を設置して測った標高が2998m。わずか1mの誤差にあらためてその正確さに驚いた人が多かったに違いない。
この三等三角点の標石を運んだ高校生たちは一生の思い出になったと思う。
子どもや友人と剱岳に登って、「この三角点は私が運んだんだよ…」。あー、そんなふうに言ってみたいなあ。

この本を読んで多くのことを知ったが、特筆すべきは寺田寅彦さんが測手(そくて)について大変好意的に書かれているということだった。インターネットの青空文庫にあったので、早速読んでみた。全文を紹介したいが、スペースも限られているのでURLを書いておく。
寺田寅彦「地図を眺めて」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2508_10272.html
こんなにもいい本が、地元の図書館にも大阪市の図書館にもなかった。
私は自分で買ったが、多くの人に読んでほしいと思うので、地元の図書館にリクエストしようと思っている。

*写真は全て「剱岳に三角点を!」からとっている。