桂米左独演会 2018

久々の雨模様。
ここは繁昌亭。久々の桂米左さんの独演会。

雨が降っているのに、傘をさした人が次々に繁昌亭に入っていく。 満席のようだ。

米左さんの独演会に来るのは3回目。
米左さんは大阪市出身の落語家。ウィキペディアによると大阪市立豊崎中学校、都島工業高校出身だとか。
生粋の大阪人、浪速っ子だ。高校を卒業して桂米朝さんに入門したそうだ。

入り口でもらったパンフレットに米左さんの「ごあいさつ」がある。

「・・・独演会は三席するというのが米朝一門の形です。師匠米朝が長年この形でやっておりましたので弟子も独演会は三席というのを踏襲しております。
 ですが昔は独演会というと本当に独演で、助演も入れず一人で五席、六席とやっていたそうです。・・・けどはっきりと言います。一晩で五席、六席・・・ようしません、また迷惑かと思います。
 自身が三席で助演に空気を変えてもらうというのが一番いい形ではないかなと思います。
 今日は「天王寺詣り」「質屋蔵」「軒付け」の三席でお付き合いを願います。助演で空気を変えてもらうのが、米左が最も信頼している後輩、大名跡襲名後進境著しい桂文三さん、露払いは米團治門下の慶次朗さん。この夏には名前の通り慶事があるそうです。本日のご来場感謝でございます。最後までごゆっくりお楽しみください。」

「開口一番」の桂慶次朗さんの師匠は桂米團治さんで、桂米朝さんの息子。かつての小米朝さん。2008年に五代目桂米團治を襲名している。

 慶次朗さんの噺は「桃太郎」。
子どもを寝かしつけるためにお父さんが桃太郎の話しをしてやる。
子どもは話が終わっても目を大きく開いていて,一向に眠る気配がない。そして「おとうさん、桃太郎という話は世界中で一番良く出来た話なんだ」と言う。お父さんがえっ?という顔をすると、
「そもそも昔むかしあるところにという出だしは、日本どこでも通じるようになっていて、これは普遍的なんだ・・・」と、とうとうと桃太郎の道徳的な意義を説明するという話。

この話は私が子どもの時にラジオで聞いたことを覚えている。話を聞いて「へーっ、そんな意味があるのか・・・」と、子ども心に感心したことを思い出す。

天王寺詣り

この噺は笑福亭一門のお家芸の一つだそうで、米左さんも「うちの一門の噺ではありませんが……」というようなことを言っていた。
 大阪生まれの人、四天王寺さんを知っている人、四天王寺にお参りしたことがある人には「うん、うん。そう、そう」と頷きながら聞いてしまう話だ。
四天王寺の名所旧跡のガイドのような話がいっぱいで、知っている人にはたまらないと思うが、時代もかわり、「のぞきからくり」も今はない。私も遠い昔に一度だけ見たようなおぼろげな記憶があるだけ。

私はこの噺のサゲ・おちがよくわからなかった。
妻に聞いてみると、さっとネットで調べてくれた。その内容を私の理解でまとめてみる。
・ 噺の展開は、死んだ犬の供養のためについた「引導鐘(いんどうがね)」の場面。そのときに「ああ、無下性(無礙性、むげっしょう)にはどつけんもんでんなあ」と言って終わる。

・ 無下性(無礙性)というのは、仏教用語で「手加減しない、思い切り」という意味らしい。私はこういう言葉があることは知らなかった。
この噺の前半に、犬が近所の子どもに棒で叩かれて死んでしまうところがある。ここで『無礙性にはどつけんもんでんなあ』という説明がある。ここにつながることがわかった。

 私にはへぇー?というサゲだが、多くの人が笑っていた。無礙性という言葉を知っている人なんだなあと思う。
 落語はある意味タイムマシンの役割がある。昔の大阪の生活や言葉を教えてくれる。でも私にも何か説明がないとわからない噺があるのだなあと、思った次第。

お楽しみ

桂文三(かつらぶんざ)さんの「お楽しみ」は「動物園」として知られている噺。

ところで「桂文三」という名跡があることは知らなかった。調べてみると90年絶えていた由緒あるものらしい。五代目桂文三さんは五代目桂文枝さんのお弟子さんで、「桂つく枝」だった人。2009年に「桂文三」を襲名しているそうだ。
「ごあいさつ」に「最も信頼している後輩」とあるから、よほど仲が良いのだろう。

この「動物園」は、移動動物園で虎の皮をかぶってのアルバイトをする怠け者の噺。これもラジオで聞いて笑ったことを思い出す。ラジオは耳から聞いてその場面を想像するのだが、舞台で噺家さんが身振り手振りでその状況を説明するのを見るのも、また楽しかった。この噺はどこまでアドリブが許されるのだろう?と思うほど、自由奔放な芸だった。
最後の場面。サゲのところで「心配せんでもええ、園長の長谷川や」というところの長谷川は、文三さんの師匠の五代目桂文枝さんの本名から来ている。これも師匠あっての話だなあと、あとから笑ってしまう。

質屋蔵 軒付け

どちらも米左さんの話芸の真骨頂発揮の演目だった。はぎれのよい、滑舌の良さが噺の展開を面白くし、ぐいぐいの噺に引き込んでくれた。

「質屋蔵」では、「繻子の帯」が質屋への怨念につながっているところまでの展開が面白かった。六円の帯代のために苦労するおかみさん、そして苦労の挙句に病に倒れる。おかみさんの実家に舞い戻った妹が、病に倒れたおかみさんの看病をしてくれる。その妹へ形見にしたかった繻子の帯は質屋に入れたまま、そして「思えば恨めしいあの質屋」。ああここで質屋への怨念につながるのかと大きく頷いてしまう。
熊五郎のわびを入れる話、蔵の見張りでドタバタした出来事、そして帯と羽織の相撲と展開がおもしろい。最後に菅原道真の登場。太宰府へ流されたことと、質流れにかけたさげでおわる。

「軒付け」は江戸時代に大阪ではやったという浄瑠璃をテーマにしたもの。
軒付けというのは、浄瑠璃の練習を兼ねて家の前で語ることだそうだ。上手に語れば相応のもてなしがあるが、下手なら追い返される。
 ここで米左さんの邦楽囃子望月流名取の声がさえる。浄瑠璃の節回しが会場に広がるわけだ。大阪の伝統芸能の、いや日本の伝統芸能の文楽の世界が垣間見える。落語がさまざまな芸能を吸収していることがよくわかる。
 初めて聞く演目なのでどんな落ちがあるのかなあと思っていた。
おばあさんが「じょうずだね」というと、「適当なことを言うな」と怒る軒付けの仲間。おばあさんが言う。「食べている味噌の味がかわらない」と返事で終了。
 なるほど、下手な浄瑠璃は「味噌がくさる」という、前段のフリがここできいてくるわけだ。

独演会の翌日、図書館で左のような本を見つけた。

この本によると日本全国にいる落語家の数は約820人あまり。
江戸時代には落語家は200人を超えるぐらいだというから、800人というのはびっくりの数だ。

東京に約550人、関西に約270人と言われている。
女性の落語家も増えてきているそうだ。

落語の稽古は口伝で、台本のようなものはない。師匠や兄弟子から教わるが、ネタによっては別門の師匠のところに行き、習うこともあるそうだ。今回の独演会の「天王寺詣り」などがそうなのだろう。
お願いに行けば時間を作って教えてくれるそうだ。しかも無料で。それは自分たちもそうやって落語を教わってきたからだと言う。
20分、30分の噺、人情噺となると1時間にも及ぶ話もある。そういった噺を徹底的に暗記をし、振りを付け、話芸を磨くのにどれほどの時間をかけたのだろうと思う。慶次朗さん、文三さん、米左さん、客席を笑いに包み込む話芸の裏には、果てしない努力があるに違いない、とあらためて思った。

 

 

 

 

12月天神寄席

落語はミステリアス

知り合いから繁昌亭での天神寄席へのお誘いがあったので、久しぶりに年末の寄席見物を楽しむことにした。

お天気もよく、師走も押し迫っているのにそれほど寒くもない。
季節の挨拶代わりに「今年は年末感、というものがまったくありませんね!」という言葉を繰り返す。

天神寄席というのは、入り口でもらったパンフレットによると、

「12月天神寄席 落語はミステリアス

本日のご来場、厚くお礼申し上げます。「天満天神繁昌亭」の毎月25日の夜席は、この敷地をご提供いただいています大阪天満宮への謝意を込めて、《天神寄席》と銘打ったテーマ落語会を開催しております。
今月のテーマは、〈落語はミステリアス〉です。落語といえば滑稽噺や人情噺・怪談噺なとが思い浮かびますが、実は、ミステリー風の噺も少なくありません。本日は、それらのうちから、五席を選びお楽しみいただきます。
落語の合間の鼎談ゲストには、中学生の頃から落語に親しんでいらしたというミステリー作家・有栖川有栖さんをお招きしました。私、桂春之輔は、存在そのものが落語会のミステリーと揶揄されておりますが、いつもの進行役・高島幸次先生には、本日の鼎談がミステリアスにならないようにお願いしたいと思っています。気ぜわしくなりがちな年の瀬ですが、楽しい一夜をお楽しみいただければと存じます。

 平成28年12月25日 上方落語協会副会長 桂春之輔

とある。

演目は最初の三つが、

桂壱之輔さんの「ろくろ首」

桂九雀さんの「移植屋さん」

桂文喬さんの「算段の平兵衛」

ろくろ首はよく聞く話だが、二つ目の「移植屋さん」は新作落語。作者は久坂部羊作さんという方で、会場にも来られていて、後の鼎談のときに紹介があった。
臓器移植が背後にテーマとしてあるのだが、「奥の手を移植すると、シャツが着にくい」とか、「逃げ足を移植すると、ズボンが履きにくい」など、日本語の言葉遊びがあって、そこはさすが落語、といわせる内容だった。

「算段の平兵衛」も私は初めて聞く話だが、桂文喬さんの熱演で、死んだ庄屋さんが殺されるたびにその手段がえげつなくなるという、ホラーとミステリアスの演目だった。話のオチも大阪弁だからわかるというもので、思わずニヤリ。

中入のあとの「鼎談」は、ミステリー作家の有栖川有栖さん、大阪大学招聘教授の高島幸次さん、そして桂春之輔さんの三人によるもの。
普段は開演中の写真撮影はお断りだが、有栖川さんの紹介のときだけ解禁となった。それが上の写真。
私はミステリーはあまり読まないので、有栖川さんの作品は全く読んだことはない。しかしお話を聞いているうちに大阪市東住吉区の生まれで、大阪育ちとわかったので興味が湧いた。会場の参加者からの推薦の本の紹介もあったがよく聞こえなかったのが残念。
今回の天神寄席には、有栖川さん目あての方が多く客席に来ていたようだ。大阪大学の高島さんが「普段の客層とはチヨットちがいますね。年代もお若い方、女性の方が多いようで、、、」というようなことを言っていた。なるほど、写真のように有栖川さんは私の予想よりもぐっとお若い方で、ミステリー小説講座のようなものも開催されているらしく、そこの生徒さんたちも来ていた。
春之助さんから、「スイミングスクールに通えば、泳げない人もみな泳げるようになるように、先生の講座に参加すればだれもがミステリー作家になれますか?」と言う質問に、有栖川さんの答えがなるほどと思った。
「スイミングスクールでだれも泳げるようになるように、文章教室などで勉強すれば書けようになります。でも、スイミングスクールの生徒さんのだれもがオリンピックに出るわけでないように、ミステリーもそうです。アイデア、展開などそこはその人の持っているものが大事になります」
なるほど、有栖川さんは小学校のときに推理小説を書き始め、中学生で落語の台本をラジオ番組に応募したという。そういう持っているものがプロにつながるのかと納得。有栖川さんはミステリー落語の台本を書いてみたいとおっしゃっていた。来年には何らかの作品ができあがるそうなのでちょっと楽しみ。

鼎談の後の「猫の忠信」は、題名からわかるように「義経千本桜の狐忠信」がベースにある。

狐忠信は狐の子どもと鼓の皮だが、猫の忠信は猫と三味線。文楽や歌舞伎が庶民に広く受け入れられていたからこそ、落語が生きてきたという時代背景がよくわかる。

オチは猫の鳴き声「ニャアウ」。これも考えオチなのかなあ。

トリの桂米左さんの「足上がり」は桂米朝師匠が得意とした芝居噺らしい。
「足上がり」と言う言葉は、現在では使われていない言葉で「解雇される」「くびになる」という意味だが、私も知らなかった言葉。話の中でその意味が説明されているのでオチがわかるという流れになっていた。
噺のなかで四谷怪談の芝居が演じられるわけだが、落語にはいろんな分野が吸収されているなあとつくづく思う。今の落語家の人たちも日本舞踊や狂言や浄瑠璃など、いろんな古典芸能を習っているということが桂花團治さんの前フリのなかにあった。
私も小中学生のとき、ラジオで落語を聞いて知った知識もたくさんあったことを思い出す。

なんとなんと、古典芸能だけではなかった。 英語落語だ。 英語落語があることは知っていたが、見たことも聞いたこともない。 これは面白そうだ。

寄席が終わっのが9時近かった。天神橋筋で夕食でもと思ったら、ほとんどのお店がラストオーダーが終わり店じまいを始めていた。
えーっ、そんなに早くしめるの。年末だからかなあ。
こんなところで年の瀬を感じた繁昌亭の天神寄席だった。

 

 

落語 桂米左(かつらよねざ)独演会

IMG_0130

久々に繁昌亭の寄席に行く。
6時半開演。4月も中旬を過ぎると、午後6時を過ぎてもまだ明るい。
以前お茶を楽しんだ「繁昌亭のごまの和田萬」「ごまカフェ」「ペンションLee」はもうない。そこはたこ焼き屋さんに変わっていた。繁昌亭は繁盛してても、周りのお店は知らぬ間にかわっていく。前回来た時に夕食を食べたレストランも改装中だった。

IMG_20160420_0001

桂米左さんは、大阪市の小中高を卒業、つまり大阪市出身の落語家だ。

ほぼ満員で、ふだんから桂米左さんの落語にきている人が多いような雰囲気の会場だった。

入り口でもらったパンフレットを読んで、ふーんとうなる。

「本日はお忙しい中、桂米左独演会にお越し下さいまして有り難うございます。
 さて今日(4月19日のこと)は師匠米朝の月命日でございます。昨年3月19日に他界してから早いもので、一年と一ヶ月。この間に米朝追善と銘打ち、各地で会が催されました。また二月には松竹座で米朝十八番の内「地獄八景亡者戯」が芝居で上演されました。・・ちなみに米左は「はてなの茶碗」の茶金さんの役・・・。どの公演も大入りで亡くなってからでもお客さんを呼ぶ師匠に、改めて畏敬の念を抱きました。・・・・(以下略)・・・・」

そうか、桂米朝さんが亡くなってもう一年が経つのか、時間の経つのは早いものだと月並みなことを思っていると、桂米左さんの落語のまくらのなかで、桂枝雀さんが亡くなったのは4月19日、という話があった。なんとも縁を感じる日に繁昌亭にきたものだ、と思う。

IMG_20160420_0002

桂そうばさんの演目は「手水廻し(ちょうずまわし)」。
大坂は昔、朝に顔を洗うことを「手水をつかう」「手水を廻す」と言ったそうだ。
手水ーちょうず、という言葉も落語の世界でしか聞かない言葉になってきたようだ。
 話の中身は、大阪からずっと「離れた村に泊まった大阪の商人が、朝に顔を洗いたいと思って「手水を廻して」と言った言葉がもとになっての大騒動。
そうばさんは福岡出身の人で、桂ざこばさんを師匠にする人。
最初に、関西の言葉はわかりにくかった、という話があったが、そうばさん自身の語り口はとても良くわかるものだった。

桂歌之助さんは「壺算」。
それぞれの家に水をためておく壺があったころの時代の話。
水道が当たり前のように各家庭にある現代では、設定そのものが未経験の話。
歌之助さんは、頭のなかで計算しながら、でもわからない納得出来ない、そういう壺屋さんの番頭さんが困っている姿を大熱演。見ている私たちは大いに楽しんだ。

桂米左さんによる独演会三つの演目、どれも米朝さんにゆかりのもの。桂米朝一門の独演会は三つの話をすることになっているそうだ。

天狗裁き

これは私の好きな演目の一つ。
話がどんどん大ききなるところと、おかみさん、友達、大家さん、お奉行、そして天狗が「して、その夢は?」とたずねていくタイミングと言い回しが笑いをもりあげる。盛り上げ方が話し手によって少しづつちがってくるのが落語の面白さ。
私も舞台やテープで「天狗裁き」を見たりきいたりしたことがあるが、さげがわかっていながら、そのさげをまっている自分がいておもしろかった。
「おまえさん、どんな夢をみていたんだい?」
桂米左さんのおかみさんは、私の期待通りだった。

この「天狗裁き』は近年、東京でも米朝流の演り方になっているという。さすが桂米朝師匠。

百年目

「百年目」はパンフレットによると、「師匠が一番難しいと言っていた『百年目』をお聴き頂きます。初演の時はこのネタに見事にやられました・・・(略)・・・師匠の足元にも及ばぬ『百年目』ですが少しでも近づけるように頑張ります」とある。

そんなに難しいものなのかなあと思いながら、
ネットで調べてみると、ウィキペディアにはこうあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

百年目』(ひゃくねんめ)は、落語の演目。元々は上方落語の演目で、のちに東京に移植された。一説には東西とも同じ原話があり偶然に作られたという。3代目桂米朝2代目桂小文治2代目桂小南6代目三遊亭圓生ら大看板が得意とした。

鴻池の犬』『菊江の仏壇』などと同じ、船場の商家を舞台にした大ネタである。かなりの技量と体力が演じ手に求められ、米朝も独演会でしくじった事がある。大旦那、番頭、丁稚、手代、幇間、芸者など多くの登場人物を描きわけ、さらに踊りの素養があらねばならない。力の配分が難しい噺である。米朝の大旦那は圓生演じる大旦那より一回り大きい。