2018年初笑い−繁昌亭

1月7日日曜日。
今年も天満宮そばにある繁昌亭で初笑い。

演目は
真田小僧・・・月亭八織(つきていはおり)
鉄砲勇助・・・桂勢朝(かつらせいちょう)
生まれ変わり・・・桂三歩(かつらさんぽ)
尻餅・・・笑福亭仁嬌(しょうふくていにきょう)
中入り
悋気の独楽・・・桂文喬(かつらぶんきょう)
熱血学園・・・桂勢朝(かつらせいちょう)

私は月亭八織さん、桂勢朝さんの落語は聞いたことがなかった。

◯月亭八織さんは名前からわかるように、月亭八方師匠のお弟子さん。関西落語会では20人ほどの女性の落語家がいるそうで、そのうちの1人。
 噺は、小遣いをねだる子どもと父親との掛け合い。子どもの巧みな話し方で、小遣いを父親からどんどん引き出していくとい話だが、どうして「真田小僧」というのかがわからなかった。調べてみると、今日聞いた噺は前半で、後半にその話が出てくる。母親がうちの子どもは知恵があると父親にいうと、「あんなのは知恵者ではない。真田幸村の子どものころは・・・」と真田三代記の一説をしゃべりだす、という展開があり、噺が広がっていく。ネットで「真田小僧」と検索するとヒットするの調べてみるのもおもしろいと思う。

◯桂勢朝さんの落語は初めて聞いた。師匠は桂米朝さん。伊勢市出身なので勢朝という芸名がついたそうだ。歯切れのいい喋り、大きな声、元気いっぱいだ。
鉄砲勇助という日本一の嘘つき名人の噺。北海道の寒さを極端に表現するのだが、それが滑稽無糖というもので、私も子どもの時に何回かラジオで聞いたことがある演目だった。なぜ鉄砲?というのだろう。これも調べてみると、昔の上方の言葉で「鉄砲を言う」というと、「嘘をつく」と言う意味だったそうだ。それで千三(せんみつ・・千に三つしか本当のことを言わない)の勇助が鉄砲勇助、ということらしい。

◯桂三歩さんの「生まれ変わり」は、桂三枝(現在の桂文枝さん)作の創作落語。三歩さんは桂文枝さんのお弟子さんで、噺のまくらで桂三枝師匠への失敗談をよく聞く。今回の「生まれ変わり」は初めて聞く落語だが、おもしろかった。話の展開が、「ああ、桂三枝さんの作品だ・・・」と何となく思えるようなものだったし、桂三歩さんの語り口がぴったりだったからだ。これからも桂三枝さんの創作落語を演じてほしいと思った。

◯笑福亭仁嬌さんの師匠は笑福亭仁鶴さん。桂三歩さんと同じ年。今年で還暦を迎える。芸は歳を重ねるほど味が出るもんだと思わせる語りだった。餅をつく音を丸めた手をもう一方の手でたたいて出すのだが、何回も続けて、同じ音をだすのも練習がいっただろうなあと思いながら見た。最後のおちが「あとの二臼はしろむしで・・・」となるのだが、はて「しろむし・・・白蒸」というのがわかるだろうか? 最近餅つきの風景は見なくなったし、体験しても餅をつくまでの段取りを経験するわけだはないから、「しろむし」という言葉も聞かなくなったと思う。米を蒸したが、まだ餅つきをしていない状態のものだが、正確にわからなくても、噺の流れで何となくわかった人も多かったと思う。

中入りの休憩時間を使って抽選会。桂三歩さんが大活躍。
入り口でもらったパフレットに書かれた抽選番号が169、なんか当たりそうと思ったがまったくのハズレ。二階席の人も当たっていたが、舞台前の人達が多く当たっていて、ちょつと不満。

さて中入り後の演目は、
◯悋気の独楽(りんきのこま)。桂文喬さんの噺はよく聞くので、安心していられる。「悋気の独楽」も何回か聞いたことがある有名な噺。おめかけさんの家から1人帰ってきた丁稚さんの、独楽を回すところが見せ所。「心棒と辛抱」をかけた噺だが、落語は日本語の勉強になるなあ、と思わせる噺。

◯桂勢朝さんの「熱血学園」も創作落語。小佐田定雄さんの作で、何年か前に作ってもらったそうだが、本当に熱血の落語だった。歌あり、雄叫びあり、大きな動きありで、桂勢朝さんも汗びっしょりの演技だった。若い?からできるパフォーマンスだなあ。おちは予想通りだったが、創作落語の面白さは十分に伝わってきた。
幕が閉まる時に、何人もの人がおひねりをもって駆けつけてきたのにびっくり。
熱いファンがいてるんだ。

落語を終わって繁昌亭の前は、落語家さん達が私たちを見送ってくれる。
これが繁昌亭のよいところ。

すぐそばの商店街の居酒屋さんで夕食。
お正月というのに多くの店が開いていた。次の日が祝日だからだろうか。
入った居酒屋さんもほぼ満員。
途中で電気が消えてお店の中は真っ暗、停電だ、どうした?
「ブレイカーを☓☓☓・・」という声が聞こえる。
お店の中のお客さんは慌てることなく、電気がつくのを待っている。
「電気の使いすぎだな」
「電子レンジとトースターを同時に使ったかも」
そうこうしているうちに電気がつく。
停電がうそのように食事が再開される。
2018年はこんな年なのかもしれない。
何か事件があっても、動ずることなく、日常生活が続いていく。

良い年でありますように。