日本語表記の歴史 1

ある時、友人から「ハングルには日本語の『ん』にはないようだ」ということを聞いた。私はハングルには詳しくはないので、ハングルというよりも「日本語の『ん』はいつ頃からあるのだろう?」という疑問が先にわいてきた。

図書館で調べてみると、日本語の歴史に関してたくさんの本があることにびっくりした。左の本がそのうちの一つ。
山口謠司(やまぐち ようじ)さんの本が多く見つかった。

・日本人が忘れてしまった日本語の謎 (日文選書)
・「ひらがな」の誕生 (KADOKAWA )
・日本語の奇跡ー「あいうえと」と「いろは」の発明 (新潮社)
・日本語にとってカタカナとは何か (河出書房新書)
・てんてんー日本語究極の謎にせまる (角川選書)
・んー日本語最後の謎に挑む (新潮社)

こんなにまとまって日本語の歴史について本を読んだことはなかった。

これらの本を読んで、空海(弘法大師)の果たした役割がよくわかる。また漢字が伝わるまで、現在日本とよばれているところに住んでいた人たちが、自分たちの考えや気持ちを伝えるための文字がなかったこと、そして伝わってきた漢字を使いながら現在の日本語へと発展させていった、時間をかけたすごい努力に感心した。

左の本の「仮名の発生」という章が大変興味を引いた。

私達は(私だけかもしれないが)、「いつ、どこで、だれが」ひらがな・カタカナを発明したのだろう?と簡単に思いがちで、クイズの答えのように「はい、西暦〇〇年、〇〇県のどこそこの〇〇という人が作ったんですよ!」と回答があるだろうと思う。

ところがそんな命題は成立しないと強調されるのが左の本の著者の今野真二さん。

「誰が作ったのかという問いそのものが、仮に誰という答えを得たとしても、それが正解であると証明できない問いであることはいうまでもなく、また答えの推測もできないような問いであることは明らかなことだ。いったいどういうことがわかれば答えられるのだろうか。この問いは修辞的な問いとしてしかなりたたないのではないだろうか。・・・略・・・言語は一定の社会集団に共有されて使われる。だから言語に関して誰かが何かを決めるということはまず考えない。この語は誰が作ったのか、この漢字は誰が作ったかは、いずれの問いにも何らかの条件下でなければ問い自体が有効ではないし、もちろん答えを得ることは難しい。」

こんな調子で私の安易な考えを蹴飛ばしていく。

カタカナが漢字の一部からできていることは、小学校のときにならった。ほとんどの人がそうだと思う。
でもそれがどうしてわかるのか。どんな証拠があるのか。
そんな当たり前と思っていたことを丁寧にこの本は説明している。

「ウ冠の漢字はたくさんあるのに、なぜ『宇』とわかるのかといえば、『干』(宇という字のウ冠の下の文字のこと)という字形の片仮名の「ウ」があるからだ。これでもわかりにくい言い方かもしれない。
片仮名の「ウ」が書かれていることが予想される箇所に「干」と書いてあることがあるので、「干」もカタカタの「ウ」であることがわかる、ということだ。
「干」は単独でも「ウ」という発音をもっているが、「漢字の部分を採ったもの」が片仮名だから、「干」は部分でならなければならない。となると、「宇」から採られた、ということになる。
片仮名の「ウ」は、10世紀から12世紀頃までは、いかにも「宇」から採りました、という漢字で、3画目は短く書かれている。しかし室町以降は3画目が長くなっていることが指摘されている。」

上の「宇」から「ウ」までの字形の変化をみると、その事がよく分かる。(この字形の変化は、「見て読んでよくわかる! 日本語の歴史① 古代から平安時代 書き残された古代の日本語(筑摩書房)」から引用した。

このような「ひらがな、カタカナの五十音図」と「元の漢字」の表は、国語の教科書などにものっていたような気がするが、一つ一つ元の漢字を特定していく調査と証拠がためのために、何人もの研究者の努力があったとは、今まで気が付かなかった。

いわゆる「五十音図」とよばれるものは、平安時代に遡ることができるそうだが、私の小学校の教室に貼ってあったあの「五十音図」の歴史は新しいそうだ。「カタカタの五十音図」は明治30年(1900年)の文部省小学校令から、「ひらがなの50音図」は戦後になってから、昭和22年(1947年)からだとは知らなかった。
時代をさかのぼってもう少し調べてみたい。

 

 

 

 

分数の計算②

分数の歴史

分数の歴史はどこまで遡れるのだろう。 改めて考えてみると、私にはわからないので調べてみた。

参考になったのが上の二冊。 「岩波科学の本9 数は生きている」と「ちくま学芸文庫 初等数学史」である。
そこにアーメスのパピルスの説明があった。

「数は生きている」からの引用が上の写真。

「初等数学史」からの引用が上の写真。分数の具体例が書いてある。

上の写真はウィキペディアからの引用。 実物はこんな感じなのだろう。
33cm✕5mぐらいの巻物状だったらしい。

この「アーメスのパピルス」というのは1858年にテーベで発見されたもので、イギリス人の学者のリンドが手に入れて研究したため、「リンド・パピルス」ともよばれている。紀元前1700年ごろに書かれた数学書だそうだ。
紀元前1700年といえば日本ではまだコメも伝わっていない縄文時代だ。
今から約4000年!!前から分数は使われていたことがわかる。

エジプト人は単位分数の和が連続量を表す最終的な表し方であると考えていたらしい。今の分数の計算方法とは違っている。詳しいことは「数は生きている」を見てほしい。

もちろんエジプト人すべてがこの分数を使っていたということではない。ごく一部の専門家が知っていて、使っていたと思われる。

 

分数の文化圏と小数の文化圏

左の本「水道方式入門 小数・分数編」によると、「中国・古代バビロニアでは、小数が主として使われていました。
・・・中国においては、古代から一貫して小数のほうが流通していたのです。中国の文化圏に属する日本でも、したがって、小数が主に使用されてきました。・・・ところが、一方、古代ギリシアのようなところでは、小数は使われず、もっぱ分数のみが使用されていました。それを引き継いだ、古代ローマやヨーロッパが、分数を主に使っていたのはそのためでした。ヨーロッパが今日のような10進小数の便利さを主張したのは、やっと16世紀のシモン・ステヴィンであったのです。ヨーロッパでは、小数のことを10進分数(decimal fraction)というので、小数という独自の用語すらないことをおもいだしてください。」

へーっ、そうなんか。と目からウロコのような感じ。では分数はどのようにして使われていたのだろう。分数の基本となる互除法について次のような説明がある。

「互除法は、古代ギリシアで、実際に用いられた測定法だったのです。小さな都市国家に分かれ、貴族民主主義の発達していたギリシアの社会では、市場で2つの商品の量を比較する場合、法定単位で測るというようなことはありませんでした。
 Aという商人がa という長さの布を、Bという商人がb という長さの布を持ってきたりすると、片一方がもう一方のいくつ分持っているかを測り、それで余りが出れば、その余りで他方の布の長さを測り、それで余りが出れば、その余りで他方の布の長さを測り、・・・というように、対等に測り合って、代金の比率を求めたのでした。」

分数文化圏として、ギリシア、ローマ、ヨーロッパがあり、小数文化圏として中国・日本があることがわかった。私たち日本人は、文化として小数になじんでいるため、分数の考え方や使い方になかなかなじめないことが、歴史的によく分かる。

 

 1/3 を 三分の一と分母から読むのは日本だけ?

日本に分数が伝わったのは中国の「九章算術」という本によってらしい。
この本は奈良時代に伝わってきたようだ。ここには分数の問題もあったそうだ。
養老令には「三分之一」という言葉があったり、その他の法律にも「三分之二」「四分之三」などの言葉が記されているそうだ。
奈良時代・平安時代から分数の読み方として「分母を先に言う」という言い方が定着していたようだ。

岩波新書の「日本語(下)」に分数のことが書いてあった。

「・・・このように順序を乱して書く例は、実は日本語にもある。例の分数である。三分の二を2/3と書く。小学生のころ、うっかり分子を先に書いて分母をあとで書くと、先生に叱られたもので、これは、日本でこの分数を読むときに、「三分の二」というように、分母を先に分子をあとに言うせいである。英語では two thirds と言うから、分子を先に書いて、分母を後にしても差し支えない。
 これを思うと、日本もこういったものを、「二の三分」とでも言っておけば、そんな無理なことをしなくてもよかったんだと思う。・・・・」

明治維新になって、今の分数の書き方が日本の学校に入ってきた。そのときには、分数をどう読むか議論があったかもしれない。
たぶん長年の伝統から、分母を先に言って、下に書き、分子を上に書く、という方式になったのだろう。

インターネットでざっと調べてみると、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語は、two thirds のように分子を先に言い、後から分母を言う読み方をしている。分数の文化圏なのだろう。
ミャンマー語は日本と同じように、分母、分子の順に読んでいるようだ。
日本語のように分母を先に読んでいる言語は多数派でないような気がするが、これ以上のことはわからない。

日本が小数文化圏であるため、分数に馴染んでいないこと、そして中国式読み方と西洋式表記法のぶつかりあいが、ますます分数の学習を難しくさせているのかもしれない。