アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 17

四日目 ヴァッサー大学

朝食を取って周りを散歩。アメリカの道路。車がビュンビュンと走る。エンジン音、風切音も大きい。写真には写っていないが、大型車ばかりだ。下の写真の奥にハドソン川が流れているが、この信号ではちょっと横断しにくいので、あきらめる。

目的地のヴァッサー大学へバスで行くが、地図で見るとかなり近いところにある。 だからこのモーテルに泊まったのだろう。

ここは「あしながおじさん」の作者、ジーン・ウェブスターが通った大学。
松本先生のお知り合いの大学の先生(日本人の女性)に、この日は休みの日なのに、校内を案内をしていただいた。感謝、感謝。

ジーン・ウェブスターについては、光文社古典新訳文庫「あしながおじさん」(土屋京子訳)にこのように書かれている。

Jeon Webster  1876〜1916
米国ニューヨーク州出身の小説家。母は文豪マーク・トウェインの姪で、父はマーク・トウェインのビジネスパートナー。寄宿学校時代に18歳でアリスからジーンに改名。名門女子大ヴァッサー・カレッジに進み、経済学と英文学を専攻する。在学中、新聞に「女子大生のおしゃべりコラム」を連載して好評を博すと、卒業後、その文体を活かした初の小説『パティ大学に行く』を出版。一方、社会改革にも深い関心を持ち、イタリアの貧困問題を取り上げた小説『小麦姫』も執筆している。1912年には『あしながおじさん』が雑誌に連載され、同年これが書籍化されると一躍ベストセラーとなった。その後も「あしながおじさん」の戯曲化、続編「ディア・エイミー」の執筆など精力的に活動を続けたが、長女出産の翌日、産褥熱により39歳で死去。

学生たちの寮がこの上の階にある。
現在は男女共学の大学になっているが、ジーン・ウェブスターが通っていた頃は女子大。
廊下が写真で見るように幅が広い。2mはありそうな広い廊下。どうしてだろうか?
それは裾の広いドレスを着た女子大生が並んで歩けるようになっているからだそうだ。

「若草物語」の映画で、4姉妹が、大きくすその広がったロングスカートをはいていたが、たぶんそういったスカートやドレスを着ていたのだろう。100年前の大学の廊下を歩いている女子大生を想像してみると、「あしながおじさん」の世界に入っていったような気になる。

ここが面会室。女子大だから父親以外の男性は寮の中には入れなかった。
「あしながおじさん」の小説では、ジャーヴィス・ペンドルトンが帽子とステッキと手袋という正装でジュデイを待っていたところ。

キャンパスの中にある教会。さすがキリスト教の国だ。
「あしながおじさん」のジュデイが聞いた礼拝堂の鐘は、この教会がモデルかもしれない。
「1月20日
・・・あら、やだ! 礼拝堂の鐘が鳴っています。礼拝のあと、委員会に出なくてはなりません。きょうはとっても楽しい手紙を書こうと思っていたのに、ごめんなさい。
さようなら(ドイツ語)
だいすきなおじさまへ(フランス語)
おだいじに(ラテン語)・・・・」
のように。

ここはシェークスピアに登場してくる植物を栽培してあるところらしい。 ひとつひとつの植物に、名前とシェークスピアの作品を引用した立て札がある。たとえば、

 LAVENDER
  ”Here’s flowers for you:
  Hot lavender, mints, savoury,
  marjoram…”
         - The Winter’s Tale, Ⅳ,4

日時計があった。日時計マニアとしてはたまらない。何の説明もないが、こういった風景にはぴつたりな日時計だ。大阪より緯度が高いのがわかる。

なんとも、美しいキャンパス、大学の建物。古いものと新しいものがバランス良く同居している。

大学は夏休みなので講義はない。真ん中にみえる学生は演劇の練習に来ているらしく、オーディションに通ると、ブロードウェイのショーに出ることができるというのでがんばっているそうだ。

歴史を感じさせる大木。「London plane tree Platanus x acerifolia」と表示があった。日本でいうならプラタナスの木なのだろう。
ヴァッサー大学は1861年に創立されたリベラル・アーツ・カレッジで、著名女子大学群セブンシスターズの一校。
大山捨松がこのヴァッサー大学を卒業している。大山捨松はアメリカの大学を卒業した最初の日本人女性。
一時在籍していた人では、ジャクリーン・ケネディ、ジェーン・フォンダ、アン・ハサウェイ。すごい大学ということがわかる。
ジーン・ウェブスターはこの大学を卒業し、ここでの経験を「あしながおじさん」執筆に生かしたと言われている。

 

 

 

 

日の出とRyugu(りゅうぐう)

IMG_8456

10月16日の朝日。 二上山のほぼ中央から太陽が登ってきた。
私の家の隣の人が、毎朝ウオーキングで近くの池の周りを回っている。
「今日の朝日は二上山の間から登ってきたよ」、
と聞いたのでさっそく次の日に写真を撮りに出かけた。いい天気だった。
その時に撮った写真が上の写真。

MG_4201

この写真は9月の秋分の日の写真。 同じ位置から日の出を撮っている。この写真と比べると、わずか一月の間に太陽の日の出の位置が南の方向にずっと動いていることが分かる。

昔の人は、この太陽の動きによって季節の移り変わりを実感し、予測していったのだろう。
太陽の影によって1日の時間の流れを把握しようとした1つが、日時計だと思う。
前回のブログで作った日時計のお昼前の写真がこれ。

IMG_8683 IMG_8673 IMG_8674

IMG_8677 IMG_8678

江戸時代には、携帯用の日時計があったそうだ。

明石天文科学館の展示には、全世界から集めた日時計のコレクションが展示されていた。
昔の時代の人達も、時間、時刻を知りたかったし、そのための工夫をしてきたのだろうと思う。

RYUGUをめざす
        「はやぶさ2」

さてこの大宇宙を日本のロケットが打ち上げた探査機が目的地に向かって飛び続けている。そのひとつが「はやぶさ2」。
「はやぶさ2」のめざす小惑星「1999JÙ3」の名称が決まった。
JAXAのホームページに詳しく載せられている。

***********************************

小惑星探査機「はやぶさ2」の目指す小惑星1999 JU3の名称決定について

                              平成27年10月5日

                    国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構

 小惑星探査機「はやぶさ2」が目指す小惑星1999 JU3の名称が「Ryugu」に決定しました。

 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、平成27(2015)年7月22日から8月31日までの期間、この小惑星の名称案を募集しました。ご応募いただいた名称案は有識者による選考委員会で選考させていただき、次の通り候補を選定しました。

1.選考結果

「Ryugu」

2.選定理由

  • 「浦島太郎」の物語で、浦島太郎が玉手箱を持ち帰るということが、「はやぶさ2」が小惑星のサンプルが入ったカプセルを持ち帰ることと重なること。
  • 小惑星1999 JU3は水を含む岩石があると期待されており、水を想起させる名称案であること。
  • 既存の小惑星の名称に類似するものが無く、神話由来の名称案の中で多くの提案があった名称であること。
  • 「Ryugu」は「神話由来の名称が望ましい」とする国際天文学連合の定めたルールに合致し、また、第三者商標権等の観点でも大きな懸念はないと判断したため。

3.応募状況

応募総数 7,336件(確定値)  「Ryugu」提案者数は30件 (類似した提案として、「Ryugujo」 5件、「Ryuuguu」5件、「Ryuguu」1件、「Ryugujyo」1件、「Ryugujou」1件、「Ryugu-zyo」1件)

4.選考委員会 メンバー

委員長 高柳 雄一 多摩六都科学館 館長
委員 渡部 潤一 国立天文台 副台長
委員 月尾 嘉男 東京大学 名誉教授
委員 津田 雄一 はやぶさ2プロジェクトマネージャ
JAXA宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 准教授
委員 吉川 真 はやぶさ2ミッションマネージャ
JAXA宇宙科学研究所 宇宙機応用工学研究系 准教授

 

5.選定後、決定までの経緯

 選考された名称案は、小惑星1999 JU3の名称提案権をもつ米国のLINEAR(リニア)チームに伝えられ、リニアチームから名称決定権を持つ国際天文学連合に提案されていました。
 小惑星の名称は、通常、審査に3ヶ月程度かかります。今回、小惑星1999 JU3の名称「Ryugu」は異例の早さで審査を終え、太陽系内小惑星の名称を管理するMinor Planet Centerの小惑星リストに「Ryugu」として名称が掲載されました。

***********************************

「Ryugu」は「りゅうぐう」と読む。
玉手箱を手にして、地球に戻ってくる「はやぶさ2」の姿が見られるのは2020年末と予定されている。
そのための地球スイングバイが12月3日19時7分ごろ(日本標準時)に実施される。このスイングバイで「はやぶさ2」はスピードを上げ、進路を「Ryugu」に向ける。この時に日本から「はやぶさ2」が観測できるかも。でもとても暗いから私が持っている双眼鏡では無理。その日のテレビや新聞、インターネットに写真が載るかもしれない。これもたのしみのひとつ。
*スイングバイの詳しい説明はJAXAのホームページを参照されたい。

http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20151014/

ryugu1

 

左の写真は、JAXAのホームページにあった「Ryugu」と「イトカワ」の大きさ比べ。

こんな小さな小惑星をめざして飛んでいるんだと、あらためて驚いてしまう。

「はやぶさ2」の前に地球を飛び立って、観測の機会を待ち続けている探査機がいる。その最終ミッションもこの12月7日の予定。JAXAも忙しいだろうなあ。詳しくは次の機会に。

 

 

明石天文科学館の日時計

IMG_8148

明石の天文科学館には立派な日時計がある。 これを見るのが楽しみだった。 秋分の日の午後12時の日時計の影を見たかったのだ。

写真のそれぞれに12時の時の影が写っている。
上から 
ガイア日時計
凹型日時計
赤道環型日時計
多面体日時計
コマ型日時計
そして人間日時計

IMG_8186 IMG_8189 IMG_8191 IMG_8192 IMG_8193 IMG_8178

この日の均時差は7分だったので、正午の時報の時の影は12時7分をさしていた。 係の人の説明によると、日時計自身は製作はそれほど難しくはないのだが、その設置がたいへんだった。ということだった。緯度と経度を正確に測り、水平・垂直に気を配るということだろうと思う。私自身もペーパークラフトだが日時計を幾つか作った経験があるので、それはよくわかる。

IMG_8152

人間日時計を見ると、冬は影が長くなり、夏は短いことが体験できるようになっている。 この4階はキッズルームになっていて、日時計広場が外にあるように設計されている。 私は、この秋分の日にはたくさんの日時計マニアが訪れるのではないか、と予想していたが、ごく普通のお客さんたちだけだった。

IMG_8218

この明石天文科学館キッズルームにある日時計広場から外に出ることができる。 そこにあるのが、「柿本神社」。あの「柿本人麻呂」を祀ってある神社。 私は社会の歴史で柿本人麻呂(人麿)とならったが、百人一首では「柿本人丸」となっている。 それは、日本ではもともと音、読みがあり、文字が導入されてから音に合う文字が決められたり、作られたりしていった。だから「かきのもとひとまる(まろ)」という音があって、それにあう文字として「人麿」や「人丸」となったということだろう。 とにかく百人一首3番の「足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝ん」の作者の柿本人丸(人麿)である。学芸の神、安産の神(ひとまるーひとうまるー人生まる)、火防の神(火止まる)などご利益の多い神社のようだ。
400年以上の歴史のある神社ということだ。
ということは、135度子午線の上にこの神社は400年以上前からあるということになるということに気づいてびっくり。

IMG_8200 IMG_8196

神社の入口から明石天文科学館を見ると、ここにも日時計が。 水平日時計とかかれている。どなたかからの奉納の日時計のようだ。

さすが子午線135度の町だと感心するしだい。

 

 

 

子午線の町 明石

IMG_8281

この写真は9月22日の日の出。秋分の日の前日。右の山は二上山。
秋分のは真東から日が昇り、真西に日が沈むといわれている。
本当なら23日の日の出をとっておきたかったが、お天気が心配だったので(朝日は山にかかる雲に影響されることが多いので)、前日に撮っておいたもの。
秋分の日には、前から行きたかった明石の天文台に行った。
IMG_8098

IMG_20150928_0002

IMG_20150928_0008

明石は「東経135度の子午線が通る町」として有名。ところで子午線という言葉はどこから来たのだろう。
入場の時にもらったパンフレットに説明がある。
「古い時代、方位や時刻を十二支で表し、真北を子(子丑寅卯辰・・の子)、真南を午と呼びました。つまり子午線とは真北と真南を結ぶ線のことで、いわゆる経線のことなのです。」とある。

IMG_20150928_0008 - バージョン 2

さらに子午線と時刻についての説明がある。
「太陽が真南にある時を正午とすると、日本各地の時刻(地方時)は図のように経度によって異なります。交通や通信が発達してくると、地方時(太陽が南中した時の時刻を12時とすると、その土地々々によって南中する時刻が違ってくる)を使っていては大変不便なことから、明治21年1月1日から東経135度子午線上の地方時を、日本全国で使うことになるました。これが日本標準時です。明石市立天文科学館は、東経135度の子午線の真上に1960年(昭和35年)に建てられた「時と宇宙の博物館」です。高さ54mの高塔は、そのまま日本標準時子午線の標識であります。登頂には直径6.2mの大時計があり、いつも正確な時刻をしらせています。」

天文科学館のパノラマ展示によると、135度の子午線の上には、明石の天文科学館以外にも幾つかの記念碑などがある。

IMG_8249

このうちの幾つかを見て回った。
これは館内にある135度の子午線の表示。IMG_8247

これは郵便局の駐車場にある135度の線。郵便局の床にも線を引いているのかな?と思ってしまう。 IMG_8252

郵便局の前、道路にそって角柱の標識がある。その中に収められているのが「日本中央標準時東経百三十五度子午線通過標」というもの。 IMG_8250 IMG_8254

覆いの一部が透明になっていて、中に保存されているものが見えるようになっている。

そばにある説明を読むと、
「この標識柱は、神明国道(現国道2号)が開通した際に、天文測量(1928年測量)で定められた子午線を示す標識として、1933年(昭和8年)に建立されました。
鉄筋コンクリート石張造で、トンボの標識(天文科学館北側)同様、当時としては、斬新なデザインでした。
・・・・・
本標識は、平成19年3月に明石市指定文化財に指定されました。現在、調査のため覆いの一部を透明板にしています。」

下の写真は、子午線交番と「日本標準時子午線通過地の標柱」

IMG_8266

 

IMG_8265

IMG_8260

標柱の横にある掲示板にはこのような説明があった。
「明治17年(1881年)、ワシントンでの万国子午線会議において、世界の標準時についての取り決めが行なわれました。 日本では、この決定にもとづいて、明治21年(1888年)1月1日から東経135度子午線上の時刻を日本標準時として使用することになりました。 当時、一般市民は日本標準時子午線が明石郡内を通過していることをよく知りませんでしたが、この事の重要性に気づいた明石郡小学校の先生方が、自分たちの給料を割いて建設費を負担し、明治43年(1910年)にこの「子午線通過地標柱」設置しました。」
学校の先生達の意気込みが伝わってくるかのような、立派な標柱だった。

そして最後の写真は、近くの駅(山陽電鉄人丸前駅)の構内を横切る、北緯135度子午線の表示。

IMG_8273 IMG_8279

IMG_8271 IMG_8258

マンホールのフタも子午線の町明石をデザインしたものがあった。 次は天文科学館の施設で見たものを書いてみたい。

 

 

 

 

日時計 その8

月刊たくさんのふしぎ
 ーコマ形日時計から水平型日時計ー

IMG_20141004_0003

日時計の本を調べていると、子ども向けの雑誌「月刊たくさんのふしぎ」に日時計特集があるのを見つけた。

絵本作家の安藤光雄さんのもの。安藤さんはこういった本を沢山出版している。

この日時計特集は、一見簡単で、よくわかるようにできているが、その実なかみは深い。

実際にハサミをつかいながら模型を作っていくのだから作業は楽しい。しかし理屈を考えていくと、、、。

 

IMG_2835 IMG_2836

 地球の様々な場所での太陽の影を考えていく。緯度によって太陽の高さとその影はどのように変化していくかをイメージできるように工夫されている。

私も本の付録をコピーして作っていった。ここで紹介されているコマ形日時計は、昨年の9月18日のブログにも書いたが、今回はこの本を元に、もう少し詳しい説明を試みてみよう。

IMG_20150110_0001 IMG_20150110_0002

 上の図は、9月8日のブログで紹介したキャノンのホームページにあったもの。
地球は1日24時間で自転をしている。地球の側から見れば24時間で360度太陽が動いているようにみえる。だから360÷24=15で、1時間に15度太陽が動き、その影が地表にできる。
緯度によって太陽の高度が違ってくるので、太陽の影を作る棒と時計盤の角度を考える必要が出てくる。それが上の図の右。

この本では、北極点に棒を立てた時の影の動きを考えている。
IMG_4330北極点に棒を立てたら、棒の周りを一周する太陽の影が観測できる。1時間毎に太陽の影は動き、24時間で一周する。それは日時計と全く同じと考えることができる。
地球上の各地ではどうなるかを考えてみよう。緯度の違いによって、太陽の当たる角度が違うので、影の長さも変わってくる。

IMG_4314 上の図の左は夏。北極や北半球に太陽光線がタップリとあたっている。右が冬。北極は白夜。この図では日本の位置で比べていないので、地球儀を置いてみる。

IMG_4324 IMG_4326

左の地球儀は夏。日本上空の高い高度に太陽がある。右の地球儀は冬。太陽の高度も低く影も長いことが想像できる。

 日時計1本にはこのように書いてある。 「コマ型日時計は、地面に置くときに置き方を工夫するだけで、地球のどこでも、使うことができます。日時計の心棒を地球の自転の心棒の向きと同じにになるように置けばよいのです。そうすれば、北極に置いた時と同じように、その影は1時間に15度ずつ、規則正しく動いていきます。・・・まず、コマ形日時計の文字盤の12時( 正午)の線が、まっすぐ北を向くように置きます。それから日時計の心棒が、地面に対してその場所の緯度と同じ角度だけ傾くようにすればよいのです。」

(図の説明の文字と青色の矢印は私が書き入れている。)

日時計3

コマ形日時計を扱いにくいので、これを水平型の日時計に作り変える。 これはコマ形の文字盤を水平の文字盤に投影することでできる。

コマ形日時計が扱いにくいというのは、コマ形日時計の心棒が作る影が、季節によって変わるからである。
具体的にいうと、春分の日、秋分の日を境にして心棒が作る影が文字盤の裏から表に、表から裏に変わるからである。
その変わり目付近の日には、影が読み取りにくくなるからである。

 

IMG_20150114_0001

水平型日時計で使う影を作る日影板は左のようにつくる。

・コンパスで円をかく。直径は何センチでも良いが3〜4cmをこの本では使っている。
・円の中心を通る直線STを引く。
・自分の場所の緯度と等しくなるように直線SNを引く。
角NTS、角TOSは直角。

この三角形が、この土地で使う日時計の日影板となる。

 

IMG_4299

これはどういうことをしているかというと、左の写真の三角のものを作ったわけである。

三角形の直線OTに円盤を挟めばコマ形日時計になるというわけだ。
この円盤上に写った直線ONの影がその時の時刻を表す。その線を下の水平文字盤に投影したのが、水平型日時計。

 

緯度によってこの三角形の形が変わる。下の写真は60度、35度、30度のもの。

IMG_4301

次に水平型に文字盤を投影させることを考える。 

IMG_4195 IMG_4196 

 

IMG_4192

 

 

 

投影の仕方は、 コマ形日時計の文字盤に当たる円盤を作る。 この円盤の半径は、日影板のOTと等しい。
上の写真のように、傾いた円盤を水平板に垂直になるように移動したと考える。
それをさらに平らに伸ばしたのが、左の図。
コマ形日時計の文字盤と水平型日時計の文字盤を同一平面上に置いたわけである。(注意 上・左の写真には水平型日時計の文字盤に線が入っているが、この段階ではまだ線が入っていない)

この本にある説明の図は、次のよう書かれている。

IMG_20141004_0001

 説明を読んでみよう。
「コマ形日時計のOTの線を伸ばし、日影板のTSと同じ長さのところにSの点をつける。これで文字盤の縦の長さが決まる。
横の長さは自由だが、ここでは約10cmにした。
コマ形日時計の線を伸ばし、文字盤のWEの線とぶつかったところに点を書き、これらの点とSを結びと、水平型日時計の目盛りができる。
水平型日時計の6時と18時の線は、図のようにSを通ってWEに平行になるように書けばよい。
 16時、17時の点が紙からはみ出そうになった時は、図のように別の四角い紙を使い、まず16、17、18の点を写す。今度はその紙を縦にして、図のように18の点と18の点を結ぶ線を書く。この線に平行に17、16から線を引くと17、16の点がきまる。」

後半の下線を引いてあるところは(実際の本にはアンダーラインはない)私が大切だと思うところ。

IMG_4227 IMG_4228   

IMG_4230

この3枚の写真のように、補助の紙を使い、18時・17時・16時の点を写し取る。
つぎにこの補助の紙を、線WEの延長上に写し取った16・17・18が並ぶように回転して動かす。
そして補助の紙にある18と文字盤の18を結ぶ。(文字盤の18時の線は、Sを通ってWEの線に平行な線を引くことによって決まっている)
この18ー18の線に平行に、補助の紙上にある17と16を通る平行線を引き、文字盤上の17と16を決める。そしてその17とS、16とSを結ぶと、文字盤の17時と16時の線になるというわけである。

IMG_20150114_0005

 水平型日時計の文字盤を大きくすれば、上の図のように、16時と17時の線は引くことができる。しかし18時の線は無理である。この本のやり方は、そこをうまく解決する方法である。
この水平型日時計の文字盤の線は、コマ形日時計の文字盤のように15度きざみの線ではない。線だけでなく緯度によって文字盤の大きさは違ってくる。

IMG_4278

コマ形日時計と水平型日時計の仕組みを知るために作ってみたのが上の写真。
コマ形日時計の文字盤を水平面に投影したのが水平型日時計。 これを壁に投影すると壁型日時計になるのはわかると思う。 そして補助に使った紙というのは、日影板の大きさと全く同じ大きさのものであったこともこの写真でわかる。

月刊「たくさんのふしぎ」ー地球は日時計ーは、薄い冊子だが、中身は大変深いものである。コマ形日時計から水平型日時計への進化についてわかりやすく解説した優れた本だと思う。