アイルランド独立戦争

カルチャー講座も第5回目となった。 今回のテーマは「第1次世界大戦とアイルランド独立」。
「アイルランド独立」については恥ずかしながら知識がなかったので、とても良い勉強の機会となった。独立戦争について私なりに理解できたことをまとめておこう。

アイルランドの独立については、知ればしるほど大変なことに気づく。現在のアイルランドにまだまだ、様々な影響を与えている。
「アイルランドはケルトの国、妖精の国」などという甘いイメージに染まっていた私にショックを与えてくれた映画が左の映画。講義の中で紹介のあった、映画「マイケル・コリンズ」だ。(写真はYahoo の映画紹介から引用)。
この映画で、アイルランド独立戦争時代のことがわかった(ような気がする)。アイルランド独立に向けての血のにじむような(実際多くの人が犠牲になった)努力と情熱と、戦いがあったことがよくわかる映画だった。

アイルランド独立への道
1171年 イギリスによるアイルランド征服               1649年 クロムウェルの侵略                     1690年 ボイン川の戦い(イギリス側の勝利、イギリスの圧力強化)   1798年 ウルフトーンの乱 3万人の死者といわれている。       1801年 連合法によりイギリスに併合される。             1829年 ダニエル・オコンネルによる「カトリック解放法」                         

ダブリン市内にある「ダニエル・オコンネルの像」。私が見たときには、オコンネルの頭に白い鳩がとまっていた。
アイルランドのカトリック教徒は、公職から締め出されていて、国会議員や大臣、裁判官などの国の重要な地位につくことは許されていなかった。これと戦ったのがダニエル・オコンネルであった。カトリック教徒解放法によって、ほとんどの公職がカトリック教徒にも認められるようになった。しかし民族問題としてのアイルランド問題が解決したわけではなかった。

1914年 第一次世界大戦起こる
1916年 イースター蜂起                       
1919年〜1921年 アイルランド独立戦争              
1921年 英愛条約 (北部6州を切り離して独立)           
1922年〜23年 アイルランド内戦                  
1968年〜98年 北アイルランド紛争

アイルランド独立への機運が高まっていくのだが、1914年に第一次世界大戦がはじまる。アイルランドの独立のために、という考えで多くのアイルランド人がイギリス軍に参入していった。その数は30万人といわれ、戦士したアイルランド人は約5万人になったと山下直子さんの講義での説明があった。
丁度そのときにイースター蜂起、アイルランド独立戦争が起きた。

上の写真は、イースター蜂起のときに作られた「アイルランド共和国宣言」。この写真はトリニティ・カレッジの図書館に展示されていたもの。イースター蜂起100周年を記念してアイルランド政府は多くの国の言語で翻訳したそうだ。アイルランド大使館のHPに日本語訳があることを山下直子さんから紹介があった。

 https://www.dfa.ie/irish-embassy/japan/news-and-events/2016/the-1916-proclamation-in-japanese/

イースター蜂起、アイルランド独立戦争を経て、1921年にイギリス・アイルランド条約が結ばれる。しかし全島独立ではなく、北アイルランド6州を除くものだったので、そのあと「全島独立を目指すために批准反対側」と「条約をこれからの戦いの一里塚としての批准を目指す側」との内戦が起きる。
この内戦のなかで「マイケル・コリンズ」は暗殺されてしまう。内戦では独立戦争時よりも多くの死者が出たという。内戦は比較的早く収まったといわれているが、後遺症は長く、深く、アイルランドの人たちに残っていると想像される。

第一次世界大戦へイギリス兵として出兵したアイルランド人は、アイルランド独立のあとに故郷に帰ってくる。アイルランド独立のために、と戦いに出たのに、敵国イギリスに協力したとレッテルを貼られ、忘れられた英雄となった。
また、南極探検で有名なスコット隊を協力したトム・クリーンは、勲章をもらったことを家族にも話さなかったという。それはイギリス海軍に協力したことを知られなかったからだという。知られるといわゆる愛国主義者から家族を含めて攻撃されることが予想されたからそうだ。
上の戦没者慰霊庭園は1939年に完成し、第一次世界大戦でなくなった約5万人の慰霊のために作られたのに、公開されたのは1988年だという。あいだに第二次世界大戦があったことも関係があったのかもしれないが、公開までに約50年の歳月がかかっている。それもイギリスに味方をした人を英雄視するのはいかがなものかな、というタブー意識によるものだろうと山下直子さんは說明された。

アイルランド独立を目指していながら、どうして内部分裂とテロと破壊になっていくのかと不思議に思うが、世界の歴史には同じようことが多く起こっている。日本でも明治維新、戊辰戦争などで多くの若者が命を失っている。会津出身の年配の知り合いは、お酒を飲むたびに会津藩の無念さを口に出していた。

長く続いた北アイルランド紛争は話し合いでの紛争解決となった。
現在、新型コロナウイルスの中での総選挙で、内戦の敵味方だったフィネーゲル党とフィナフォーレ党の連立内閣となった。
マスコミは「内戦政治の終焉」と報道され、任期の半分を交代して首相をつとめるそうだ。執務室にマイケル・コリンズの写真と、デ・ヴァレラの写真が並んで飾られるのかとマスコミの話題となっている、というのは山下直子さんの解説。

連立内閣の出現、北アイルランドでのカトリック教徒とプロテスタント教徒の人口の逆転、イギリスのEU離脱によるアイルランド島内の国境や貿易の課題など、アイルランドの統一が少し近づいたのでは、という観測も生まれているそうだ。

歴史と伝統のある国、圧政と抑圧に戦ってきた国、そして豊かな自然とおいしい食べ物と文学者を多く輩出してきた国、さらに妖精の国アイルランド。
日本のほぼ反対側にある国のことがますます知りたくなってきた。

*参考にした資料「アイルランド史」(山川出版)、「図説アイルランドの歴史」(河出書房新社)

 

 

タラの丘 HILL OF TARA

アイルランド・カルチャー講座 第4回

アイルランド・カルチャー講座も4回目、後半に入ってきた。
アイルランドで行ってみたいところといえば、「風と共に去りぬ」の「タラの丘」。
多くの人がそう思っていると思う。
山下直子さんのお話によると、日本人の観光客が圧倒的に多いそうだ。

タラの丘はダブリンから北西36キロメートルのところにある。
ここには4〜5世紀ごろの土の砦が残っている。ケルトの人たちがやってくる前からこの地は聖なる場所としてあったらしい。


聖パトリックの像の写真を取り、サンザシ(英語名はホーソン)の樹の下を通り抜ける。サンザシは赤い実がたくさんついていた。

広い、草原のような丘。みわたす限りの草原、という雰囲気。
丸く盛り上がっているのは古墳らしい。古墳の中には新石器時代にさかのぼるものもあると山下直子さんは說明されていた。日本の古墳時代のずっと前から、ここで文化が栄えていたのだ。

この石柱は王の中の王が戴冠式を行ったと伝えられている。「運命の石 Lia Fail (リアフォール)または Stone of Destiny 」と言われ、「真実の王が触ると、唸りをあげる」という伝説があるそうだ。私は触ったけれど何もなかった(残念!)。ツアーの男性の添乗員さんに触るように促すと、「いやー、私が触って王になったら、みなさんと一緒に日本に帰れませんから遠慮します」と笑って答えてくれたことを思い出す。

土曜日の講座の後の追加のユーチューブで、山下直子さんは石柱には豊穣のシンボルとしての意味があることをおっしゃっていた。アイルランドでは大地は女性を表すそうだ。
近くの泉の紹介もあった。私は行っていないけれど、タラの丘周辺には7つの泉があるそうだ。また石柱の近くには泉が多いという、これもまた豊穣のシンボルとしての伝説が広がる背景にもなったのだと思う。

現在のタラの丘の紹介がビデオであった。 フェンスで囲まれているのにびっくり。
なにか修理中なのか、ひよっとしたら「新型コロナ感染予防」のため、観光客などが触らないようにしているのかもしれない、と山下直子さんの説明にあった。こんなところまで「新型コロナ」の影響があるのかと驚いてしまった。

山下直子さんの講義によると、「風と共に去りぬ』を書いたマーガレット・ミッチェルは、父方がスコットランドで母方がアイルランド出身だそうだ。曽祖父が農園主で作中のタラ農場のモデルとなっている。祖母がアイルランド移民と結婚し、南北線層の話をよく聞いていたらしい。それもこの作品に反映されているそうだ。物語の設定として、30年アメリカにいてもアイルランド訛りの抜けない父親、タラという地名をつけるなど、こてこてのアイルランド人が思い浮かぶようになっているらしい。

「愛蘭土紀行1」で司馬遼太郎さんは次のように書いている。
「・・・アイルランド人の形質や気質について・・・形質としては『アイリッシュ・ブルーの大きな目』(映画『ブルックリン』のシアーシャ・ローナンの青い目がそうだと思う)、民族性としては「アイルランド人が卑怯者だということはきいたことはない」、・・・さらには『アイルランド人はたとえ敗北に直面しようとも敗北を認めない。
 スカーレットは、百敗する。南軍が破れ、家も町も焼かれ、最初の夫も二度目の夫も戦いでうばわれ、三度目の夫のレッドバトラーも失踪した。すべてを失いながら、さいごに、昂然と顔をあげる。 『タラへ帰ろう。ー』 それは、彼女が父からゆずりうけた農場の名というだけではなかったろう。アイルランド人としての不撓の血が流れていることをわすれるな、ということをその地名をとなえることによって暗喩したのちがいない。再生への祈りでもあったはずである。」

アイルランド人の「土地への愛着」、土地を奪われてきた歴史的背景が、小説「風と共に去りぬ」にある、と山下直子さんはいう。
360度見渡せるタラの丘に立つと、スカーレット・オハラの気持ちが何となくわかるような気がする。草原のような大地と吹き抜ける風、広い空の下にいると、「よし、がんばろう」という気力がわいてくる。

「風と共に去りぬ」の続編として、「スカーレット」(アレクサンドラ・リプリー作、森瑤子訳)が紹介された。(左の写真はアマゾンのホームベージより)
私はこの本を読んでいないので、内容については触れることはできない。
しかし山下直子さんのお話で、アイルランドの西海岸側の町や史跡が写真とともに紹介されて、とても興味深かった。
行ったこともないところなので、機会があればと思っていると、この講座の質問に答えるユーチューブで、「司馬遼太郎さんのアイルランドツアーがあれば行ってみたい」という参加者からの意見が紹介された。「今はないけれど、皆様のご希望を聞いて・・・」という旅行社からの返答もあり、これは期待が・・・・。
ますますこの講座が面白くなってきた。

 

 

 

牛とジャガイモと移民

山下直子さんのアイルランドカルチャー講座。
今回のテーマは「牛とジャガイモと移民」

アイルランドの国土の50パーンとが牧草地で、人口が490万人いる中で、牛が700万頭、羊が400万頭、馬が10万頭いるというのだから、酪農の国ということがよくわかる。

この写真はダブリンの南にあるウィックロー山脈のそばを通っているときに撮したもの。いろんな色の牛がのんびりと寝転んでいる。

山下直子さんのお話によると、こんなにたくさんいる牛の90%は国外に肉として輸出されているそうだ。
しかしアイルランドの人は昔から肉食だったそうだ。肉の消費量として、世界平均は6.5キログラム。日本もそれぐらい。しかしアイルランドの消費量は19キログラムというから日本のおよそ3倍の肉を食べていることになる。

夕食に出たお肉の塊。骨付きだ。見た瞬間周りの日本人は「おーっ、大きい」という感じの声を出した。 私も「これは全部食べ切れないかも・・・」と思う。

これがその結果。おいしいのだが、、、食べきれない・・・・・。

私達ツアーの団体は二階のレストランでの夕食。窓から中庭を見ると、アイルランドの人たちが楽しそうにテーブルを囲んで食事を待っている。ゆっくりと時間をかけて食べるのだろうなあ。

広い牧草地でのんびりと草をはんでいる牛たち。
アイルランドの牛は「グラスフッド牛(草を食べている牛のこと)として知られている。この牛がアイルランドにやってきたのは6000年前のことだそうだ。ケルト人がやってきたのは2500年前といわれるから、ケルトの人たちがやってくる前からアイルランドにいたわけだ。
日本に牛や馬が、中国大陸から朝鮮半島を経て入ってきたのは、弥生時代のことだと言われている。しかしそれもはっきりとした証拠がないそうだ。魏志倭人伝には「(倭国には)牛馬虎豹羊・・・はいない」、と書かれているそうだがこれも真偽を巡っては諸説あるそうだ。ただ弥生時代の地層から牛や馬の骨が発見されているから、いたことは確かだろう。それが自然にいたのか、家畜としていたのか、まだまだわからないそうだ。
 アイルランドでは紀元前から馬による競技が行われていたそうだから、牛や馬は日本にくらべるとずっと昔からいた事になる。わたしが全く知らなかったことだ。

山下直子さんの講義では「牛」のあとに「じゃがいも」の歴史があったが、ジャガイモのことは次回のプログに回して、「移民」のことを書いておこうと思う。

ジャガイモ飢饉以前からアイルランドからはたくさんの人が移民としてアイルランドを出ている。移民先はイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで、その数は1000万人になるという。
アメリカの歴代大統領で、ケネディはアイルランド系とよく知られているが、それ以外にレーガン、クリントン、オバマなど約半数はアイルランドに関係があるそうだ。

上の写真はアニー・ムーアという女の子。二人の弟をつれて船でアメリカに移民したという。そしてニューヨークのエリス島に移民局が開局され、移民でやってきた最初の人物が彼女だといわれている。

上の写真は私が2017年に松本侑子先生企画の「若草物語とあしながおじさんの旅」で、ニューヨークに行ったときのもの。自由の女神像の見学はなかったが、サキスフォンを吹いている男性がいたので写真をとった。そのときにエリス島が後ろにあった。左に自由の女神像が見える。右のお城のような屋根が見える島がエリス島。ここに移民局があり、今はそれが博物館として残っている。

上の地図のような位置関係で写真を撮った。

エリス島の移民局は、アメリカの海外からの移民受け入れの入り口となった。

私はエリス島の見学をしていないので、中の様子はわからない。家のある本を調べていると上のような挿絵を発見した。 登録室の様子だそうだ。健康診断を受け、「運賃はどうやって支払ったのか? 親戚のところにいけるか? 無政府主義者か?」などの質問を受け、許可を待ったと書かれていた。
1850年から1948年の約100年間で、多い順に移民の数をしめすと、(1)ドイツ 606万4653人、(2)ユダヤ人 500万人、(3)イタリア 475万2835人、(4)アイルランド 459万7429人、(5)ロシア 330万人、(6)ポーランド290万5859人、(7)チェコ 100万人、(8)ノルウェー 80万人、(9)ハンガリー 66万2068人、(10)フランス 62万4561人になっているそうだ。(「Hopes, Love and Dreams in NewYork」NHK出版 より) 
アイルランドは4番めに多い。この中にアニー・ムーアの家族がいたのだろう。移民が許可されても、アメリカでの生活は楽でなかったことは想像される。
アニー・ムーアもその中のひとりだったそうだ。

しかし現在では全世界に散らばったアイルランド人のネットワークは8000万人になるという。アイリッシュネットワークだ。音楽、ダンス、アイルランド語が広がっている。アイルランドの中での自国文化の再評価が始まっていると山下直子さんはいう。移民が負の歴史に終わるのではなく、財産とする、という価値観の転換が起こっているのだろう。ただ私としては、リバーダンスの公演が大阪であっあのだが、新型コロナウィルスのため行くことができなかった。それがとても残念だ。