「浮世の画家」

カズオ・イシグロ作「浮世の画家」

今年になってカズオ・イシグロさんの本を2冊読んだ。
読んだ後、DVDやビデオで映像化されたものを見た。
ノーベル賞で話題になってからカズオ・イシグロさんには興味があった。ノーベル賞受賞前に「わたしを離さないで」の小説とビデオを見ていたので(この感想はブログに書いた)、他の作品も読もうと思っていたが、なかなかそのきっかけがなかった。

NHKで「浮世の画家を描く」という番組を見たのがきっかけとなった。
ここでは「浮世の画家」に出てくる3枚の絵を、現代の画家に「再現」する様子が紹介されていた。
それを作家の小野正嗣さん(「浮世の画家」の翻訳本に解説を書いている)がロンドンにいるカズオ・イシグロさんに見てもらい、インタビューをするという番組だった。

NHKは再現された3枚の絵を使い、渡辺謙を主役とした「浮世の画家」を映像化した。それもテレビで放送されたので私は録画した。
「再現」された3枚の絵、現代の画家による絵が私の読んでみようという刺激を与えた。渡辺謙の映像を見る前に、原作を読んでおこうと思い図書館で本を借りた。

本の裏表紙にある紹介によると、

「戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家の小野。多くの弟子に囲まれ、大いに尊敬を集める地位にあったが、終戦を迎えたとたん周囲の目は冷たくなった。弟子や義理の息子からはそしりを受け、末娘の縁談は進まない。小野は引退し、屋敷に籠りがちに。自分の画業のせいなのか・・・。老画家は過去を回想しながら、みずからが貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れるー ウィトプレッド賞に輝く著者の出世作」

とある。
戦争と芸術、芸術の果たす役割とは、を考える作品だろうと私は予想した。

「浮世の画家」は、主人公小野の語りで話が進んでいく。章立ては、
・1948年10月 P9〜P143
・1949年4月  P147〜P190
・1949年11月 P193〜P289
・1950年6月  P293〜P306
の5つなっていて、分量も章によってかなり違う。
約2年間の思い出を小野の語りによって展開していく。

1つ目の絵は宮﨑優さん作の絵。
この絵は小野の師匠に当たるモリさんの絵を「再現』している。
本文には次のような叙述がある。

「・・・あるときその部屋に行ってみると、ひとりのひざまずいている女を格別に低い視点から描いている絵が置いてあった。あまりにもロー・アングルからの肖像なので、畳の高さから女を見上げているような感じであった。」(P204)

2つ目の絵は福井欧夏さんの描く絵。
本文には次のような文がある。

「二、三分後、彼が戻ってきたとき、わたしは壁にかかった絵のひとつを指さして言った。『まぎれもなく黒田さんの画風だね』
すると青年は笑い出し、お茶盆をまだ両手に持ったまま、気まずそうな顔を絵に向けてから言った。ー
『先生のレベルには及びも付きません』
「黒田さんの絵ではないとでも』
『わたしの習作にすぎません。・・・略・・・(P164)」

愛弟子だった黒田の家に行ったときに見た絵、それは黒田本人の絵ではなく弟子の絵だった、しかし小野にとっては黒田の画風そのものだった絵。
それが上の写真の美人画。

三枚目の絵は近藤智美さんの絵。主人公の小野が師匠と決別するきっかけとなった絵を「再現」されている。
絵の右側には「独善」という赤い文字。左の写真はまだその文字が書かれる前の段階の絵。小野はこんなふうに説明している。
「・・・多くのことを学びました。歓楽の世界を見つめることも、そこにはかない美しさを発見することも、ずいぶん勉強になりました。でも、もうほかの方向に進む時期が来ているような気がします。先生、現在のような苦難の時代にあって芸術に携わる者は、夜明けの光と共にあえなく消えてしまうああいった享楽的なものよりも、もっと実態のあるものを尊重するよう頭を切り替えるべきだ、というのが僕の信念です・・・先生、僕の良心は、僕がいつまでも『浮世の画家』でいることを許さないのです。(P267)」

近藤さんの書かれた絵は、カズオ・イシグロさんが「私の頭にあったのはこの絵です」といわしめたほどのリアルな絵だった。

カズオ・イシグロさんの文章から絵を実体化した画家たちの力量に感服する。
そういった意味で、原作を読んでから映像化されたものを見たことは、私にとっては大変有意義なものになった。

小野自身の戦争責任へのこだわりが、作品のあちこちにあらわれている。
しかし娘の節子はこう言う。

「・・・お父さまはすばらしい絵を描いたわ。だから、もちろん他の絵描きさんのあいだではとても影響力を持つようになった。でも、お父さまのお仕事は、わたしたちが問題にしているような、あの大きな事柄とはほとんど関係がなかったでしょ。お父さまは画家にすぎなかったんですから。大きな過ちを犯したなんて、もう考えてはだめよ。(P287)」

この小説で謎のように跡を引くのが、小野と娘との会話のずれ。小野の一人称で語られる小説だから、小野の記憶が話の展開の中心になっている。どこまでが事実で、どこが小野の記憶違いゆえのずれか、最後までそれが続く。この小説の特徴かも知れない。カズオ・イシグロさんの小説の特徴なのかもしれない。

「浮世の画家」、オリジナルの題名は「An  Artist  of  Floating  World 」

日本語で「浮世」と書かれた文字を見るといろんなことを想像する。

浮世・・・享楽的な色ごとや遊郭
浮世・・・今の世の中
浮世・・・憂き世
浮世・・・つらくはかない世の中

では英語で「Floating  World 」とアルファベットで書かれている言葉は、どんなイメージを抱かせるのだろう。

インターネットで調べてみると、

Floating World・・・浮世、浮き世、憂き世、憂世 (Weblioより)
floating world ・・・「浮世」の直訳が一般化したもの (英辞郎)
floating world ・・・ 浮世 (小学館プログレッシブ英和中辞典)

pictures of the floating world で「浮世絵」と訳されている。

カズオ・イシグロさんが An Artist of  The  Floating  World  に込めた意味は多義的だと考えられる。

日本語の「浮世の画家」がイメージする言葉と、その小説を味わえるのは日本語を母国語とする私たちだけだと思う。1986年に出版された本だが、私にとってはそんなに古い本だと思えなかった。

カズオ・イシグロさんの小説も、渡辺謙さんの演じる「浮き世の画家」も大変意味のある作品だと思った。
(参考にしたホームページ 日曜美術館 浮き世の画家を描く〜カズオ・イシグロの小説に挑む現代作家)