ブリューゲルのバベルの塔

ここは地下鉄肥後橋から徒歩10分ほど。科学館の直ぐ側にある国立国際美術館。

ここでブリューゲルの「バベルの塔」の展示が行われている。

今日は平日の火曜日なのに、予想以上に沢山の人が来ている。
写真に写っているテントは、土曜、日曜、祝日には入りきれずに、このテントの下で待つということだろうか。今日は火曜日なのでそういった列はなかった。そばの広場には科学館へ見学に来た、いくつかの小学生の団体がいた。

一生に一度は見たい名画、ついに大阪へ!、
というキャッチコピーは、私をその気にさせた。

チケット売り場のそばには、写真のように拡大したバベルの塔の絵がその場の雰囲気をもりあげる。

入口のそばのパネルに、大友克洋さんの「INSIDE BABEL」の絵があった。 これもこの展覧会の呼び物のひとつ。 テレビでもこの「INSIDE BABEL」についての大友さんご本人のお話が放映されていた。 バベルの塔の内部を想像して描く、というのは大友さんでしかできない発想であり、描画力だと思う。

ガラスの上から撮しているいるので、まわりの電灯などの光が反射しているので、写真としてはうまく写っていないが、その緻密さはわかると思う。
このような精密画を描く人の集中力には恐れ入るしかない。私には・・・ない。

館内は残念ながら写真撮影は禁止。

ここは数少ない撮影可能のポイント。
BABELの塔が実際の建物と比べてどれくらいの高さかを実感するというところ。

小さな子どもがその前に立っているところを写真に取れるようになっている。

通天閣が108メートル、東京タワーが333メートル、バベルの塔が510メートル(推定)という高さ比べ。

現代では500メートル級の建物はたくさんあるし、私たちも体験することはできるが、この絵が書かれた16世紀の人たちにとっては、想像を超えた高さに違いない。それが塔の上部に雲がかかっていることで表されているのではないかと思う。

「ブリューゲルのバベルの塔」の人気はものすごく、平日というのに館内はほぼ満員状態。「バベルの塔」の前には列が並び、係の人が30分待ちです、と言っている。
私は双眼鏡を持ってきていたので、離れたところからじっくりと観察?、いや鑑賞。
何人かの人が私と同じように双眼鏡やオペラグラスを取り出している姿が目に入った。人気のある作品を見るのには、双眼鏡などのようなアイテムは欠かせない。

上の写真はこの「バベルの塔」を保管する、オランダのロッテルダムにある美術館、ポイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館。(インターネットのHPより)。

ブリューゲルという人はどういう人だったのだろう。またこのバベルの塔はどういう時代背景のもとに書かれたのだろう。多くの人の関心は、バベルの塔の細密性にあって、テレビでもこの美術館でも何倍にも拡大したバベルの塔が展示され、ミクロの視点・マクロの視点に興味が集まっているかのように思える。

岩波書店のPR雑誌「図書」の8月号と9月号に宮田光雄さんの「ブリューゲルと宗教改革」という文が掲載された。 私にはブリューゲルについて知る、勉強になったものだ。そこからブリューゲルのいた時代の部分を引用すると、

「ブリューゲルの描いた当時の政治的・宗教的状況を改めてふり返ってみよう。
ネーデルラントの地に住む多くは、16世紀の20年代以降、宗教改革の運動に強く引き寄せられていた。当初はルター派の影響下にあったが、やがて一部は再洗礼派に結びつき、1540年代初めにはジュネーヴからカルヴァンの教理も入ってきた。
 これにたいして、すでに1516年にスペイン王位を継承したカール5世の下には、ネーデルラントが王国の属領として加わってきた。よく知られているように、このカール5世こそ、1521年にウォルムスで開かれた帝国議会においてルターを喚問して帝国外追放の処分をくだし、みずからカトリック教会の<擁護者>たることを公に宣言した皇帝だった。
 彼は、この間に1533年にはネーデルラントにスペイン軍を駐屯させ、1550年にはルター派からカルヴィン派にいたるまで包括的な異端追放のための宗教法令を公布した。
 1556年にカール5世の後継者となったスペイン国王フェーリべ2世は、いっそう頑なに同じ姿勢を貫くことをためらわなかった。彼は、王国の財政的基盤を支えていたネーデルラントの地に重税を課し、繁栄していた都市の特権を奪い、プロテスタント諸派を厳しく弾圧した。
 こうしてネーデルラントにおいては、いまや国民的な独立のためだけではなく、信教の自由をめぐって激しい反対闘争が展開されることになった。当初は穏健な大貴族の指揮下に始められたが、やがて運動の主導権は下級貴族やカルヴィン派市民の手に移っていった。こうした頑強な抵抗を根絶するため、ついに1568年にはロンバルデイアに駐留していたアルバ公指揮下のスペイン精鋭部隊がアルプスの山を超えてネーデルラントに送られてきた。その支配下に徹底した異端裁判と血なまぐさい恐怖政治が敷かれることになる。
 ブリューゲルの最晩年は、こうした時期と重なっていたのだ。彼が民衆抵抗の側に心を寄せていたことは、その多くの絵画の中で宗教的抵抗のシンボルを表現していることから明らかだろう。・・・略・・・。」

なるほど、この時代は宗教改革、異端裁判・恐怖政治の時代だったのだ。
このことをぬきにしては、ブリューゲルやボスの絵は理解できないことは予想できる。しかし、私にはこの「宗教改革」がなかなか理解できない。
ポルトガルやドイツで見た、教会の絵や彫刻にあるカトリックとプロテスタントの戦い、スペインでのキリスト教とイスラム教の戦いの歴史は、知識としては理解できるがそこに生きてきた人たちの姿が私にはリアルにつかめなかった。
しかし、この文章とブリューゲルやボスの絵を見た時は、すこし実感にそって理解できる気がしてきた。

上はブリューゲルのもう一つの「バベルの塔」。
今回日本に来たバベルの塔は、ロッテルダムのポイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館にあるもので「小バベル」(60✕75cm)と呼ばれ、もう一つはウィーン美術史美術館にあるもので「大バベル」(114✕155cm)と呼ばれている。日本に来ている「バベルの塔」のほうが後に描かれたものらしい。この大バベルをとりあげて、宮田光雄さんはこのように説明している。

「ブリューゲルが好んで描いたバベルの塔についても、このような時代状況において見れば、いっそう新しい解釈ができるかもしれない。聖書物語におけるバベルの塔によって引き起こされた<言語の混乱>は、まさに教会分裂によって新しいアクチュアリティ(現実性)を生み出していたのだから。ウィーン美術史美術館に飾られている、もっとも大きな「バベルの塔」(1563年)」を取り上げてみよう。
 地平線の上に高く聳え、塔の頂を雲間から突き出す巨大な建造物は、まさに神に反逆する人間の高慢さと愚かさをまざまざと象徴している。同時に、この塔の下には豆粒に見える多くの人間の姿が描かれている。そこからは、この支配者による壮大な工事のために動員された貧しい民衆の限りない労苦の続いてきたことがわかる。・・・(略)・・・。 
 そればかりではない。このバベルの塔は、その壮大さにもかかわらず奇妙に歪んでいるように見える。塔の立地条件の悪さそのものが原因となっているのだ。たしかに、このバベルの塔は、頑丈な巨大な岩を削って、その上に建てられている。福音書の記事によれば、イエスは砂上の楼閣ではなく<岩>の上に建てることこそ確実な人間の生き方であると教えている。しかし、他方では、<岩>というのはイエスが使徒ペテロに名づけた別称でもある。中世以来の伝統として、カトリック教会の権威は、このペテロを初代教皇とする使徒伝承にもとづくものと主張されてきた。この絵に描かれた塔が傾き始めている姿には、プロテスタントを異端者として迫害するカトリック教会の強大に見える体制も、その崩壊がけっして遠くないことが暗示されているのではないだろうか(若桑みどり『絵画を読む』NHKブックス)。・・・・略・・・
 ブリューゲルは、1569年9月に壮年期の只中(39ー44歳)で亡くなった。詳しい病状は知られていない。彼が自分の死を予感したとき、手許にあった若干の絵を焼却しておくように妻に依頼している。明らかに、それらの絵画が当時の政治的状況にたいして批判的すぎると考えて、自分の死後に家族に難が及ぶのを危惧したからであろう。・・・(略)・・・」

こういった文章を読むと、「バベルの塔」や版画の「大魚は小魚を喰う」を見るとき、ブリューゲルの覚悟が見えてくるような気がする。
芸術家、表現活動に携わっている人たちの心意気が感じられるような気になる。

これは数少ない撮影ポイントの「タラ夫くん」。

タラ夫くんは、版画「大魚は小魚を喰う」に出て来る魚人間(上の写真は「図書8月号」より)。今の資本主義社会の時代にも通じる物欲への批判だけではなく、ブラックユーモアというか、諦めを乗り越える何かがあるかのような感じがする。

バベルの塔の精密画、マクロとミクロの視点を確認するとともに、時代を越えるメッセージが本物にはある、そのことが確信できる「ブリューゲル展」だった。

上は「ブリューゲル展」で買ったカタログについていた実物大「バベルの塔」。
部屋の壁に貼ってみた。左に電気のスイッチがある。「図書」をセロテープで貼り付けてみて、大きさがわかるようにした。60✕75cmというのはこれくらいのおおきさなのだ。この中に塔の中には1000人以上の人間、船、田畑にいる動物、港で働く人などが描き込まれている。その意志の強さと集中力にあらためて感動する。
いつか「大バベルの塔」を見に行きたいものだ。

 

 

 

 

命は描けるか

出版社が出しているPR雑誌は、おもしろいものが多い。

左の雑誌は岩波書店が出している「図書」。一時期定期購読をしたくらいに、私の気に入ったものの中の一つだ。
最近は大きな書店に行くと、無料で配布されているので、本を買ったついでに手にとることが多い。
8月号に私の大変興味を引いた記事があった。
それが今回の表題にしている「命は描けるか」という記事だ。
著者は画家として紹介されている舘野鴻(たての ひろし)さん。

「私は虫の絵本を描いている。と言っても虫を擬人化して物語を語らせているわけではない。虫がどう生きているか、ということを淡々と描いているだけの絵本である。」という書き出しから始まる。

舘野さんの絵本を調べてみると、図書館に「しでむし」「つちはんみょう」「ぎふちょう」の3冊あることがわかり、さっそく借りることにした。3冊とも偕成社の本。

この「しでむし」という本を仕上げるまでに3年以上かかったそうだ。
実際に自分で確かめ、取材、スケッチ、そして作品に書き上げるまではそれは苦労したことが想像される。
3冊の絵本を見て、原画はどれぐらいの大きさなのだろう?と思った。
精密に描かれた絵本は、子ども向けの絵本というよりも、大人がじっくりとみる絵本だという思いがする。

この本の解説で、舘野さんは「死んで土にかえる、といいますが、まさに死体を土にかえす仕事をしている一員が、このヨツボシモンシデムシです」と書いている。

この「しでむし」について舘野さんは「図書」8月号にこんなことを書いている。

「しでむし」のヨツボシモンシデムシは、ネズミなどの小型脊椎動物の死体を糧に安全に子育てをし、十数匹の子どもたちはほぼすべてが成虫になれる。しかし、死体という食料資源は競争率が高く、成虫が死体にありつき繁殖できる確率はきわめて低い。ヨツボシモンシデムシは動物の死体と共にあり、死体がないと種を存続することができない。誰かが死んでくれなければ困るのだ。
 人の世界では、今も疫病、飢饉、自然災害、戦争などで死が身近にある人たちがいる。私たちの国でも、2011年の大震災で多くの犠牲者が出たばかりだ。そのとき私たちは、生きることに対して真摯に向き合ったはずだ。しかし、その気持を今も持っているだろうか。死がそこにあると意識することで、ようやく今自らが生きているということに気付きはしないか。

生物の死が生につながる、とよく言うが、そのことを突きつけてくる絵本だ。

この「ぎふちょう」の解説によると、
ぎふちょうの寿命は1年。
そのうち約10ヶ月の間、蛹で眠っているそうだ。活動するのは成虫での10日前後、卵から孵化して50日前後の、あわせて2ヶ月という。気配を消して1年の大半を過ごすぎふちょうの生活スタイルは大昔から変わらないといわれている。耐えるような生き方を貫くことが、ぎふちょうの戦いなのかもしれない、と書かれている。

ギフチョウについて「図書」8月号にはこんな記述がある。

「ギフチョウは生涯にわたり、アリという天敵に狙われ続け、辛うじて蛹になっても、地べたで休眠している10ヶ月の間にネズミや鳥に喰われ、春に舞い飛ぶこの美しい蝶はその危機をくぐり抜けた幸運な者たちなのだ。」

 絶滅の危機が心配されているギフチョウ。人気も高く、研究対象としても多くの成果があげられているそうだ。ただ一部の採集者によって、個体数が減少し、絶滅した地域もあるそうだ。ギフチョウにとって最大の天敵は、私たち人間ではないか、と舘野さんはこの本の解説で言っている。

「つちはんみょう」を絵本にしようと思って10年、というのが舘野さんのこの虫にかける情熱。

この「つちはんみょう」の絵本は私にとっては衝撃的だった。「図書」には、「『つちはんみょう』の主役のヒメツチハンミョウでは、メスの産んだ約4000個の卵から孵った幼虫のうち、運よくヒメハナバチに寄生して成虫にまでなれるのはほんの数匹。他の赤ちゃん皆死んでいる」と書かれている。

この本のあとがきで舘野さんはこのように書いている。

 最初は死にゆくおびただしい数の1齢幼虫の姿を描こうと思っていましたが、その生き様を見続けるうちに、決死の旅を生き抜いた1齢幼虫の力強い生命力を描きたいと思うようになりました。しかし、その幼虫たちもさらに激しい運命にさらされる。物語の最後には、安全を保証されたヒメハナバチの育房の中で、1齢幼虫たちが殺し合う姿が描かれます。飼育下で実際に起こったこの行動は、私に多くのことを考えさせました。
 主役のつちはんみょうは目立たず不格好、見た目も生態もへんてこです。でも彼らにとってそれが普通、どんな姿でも、奇跡の末にうまれた命です。それはつちはんみょうだけでなく、私たちを含めたどの生き物も同じ、そして、死んでいったたくさんの命の上にいま私たちがいる。

この3冊のどの本を見ても、考えさせられることが多かった。
絵本の中にある絵も紹介したいが、絵本という特性上それはしないことにした。
実際にそれぞれの人が、自分の手にとって、じっくりと見る価値のある本だと思う。

「図書」8月号で舘野さんは最後に次のように綴っている。

「命は描けない。命は静止しているものではなく、状態であり、関係の中で、いつも運動し変化しているものであるから。姿を平面に描いてもそれは命ではない。
 私にできるのは、断片を誠実に描くことくらい。その静止した断片の連なりが絵本であり、ページという静止と静止の狭間に、永遠に描くことのできない命のようなものが忍び込んでくれたらと願うのだ。」

絵も文学も、歌も、詩も、映画も、すべて静止と静止の狭間の中に命を吹き込もうとする営みかもしれない。人間ができることはそれだけかもしれない。その継続が命の尊さを確認しながら、平和への歩みになることを願うばかりだ。
8月6日、広島に原爆が落とされた日。そんなことを考えた。