タワー三兄弟 通天閣

まってました、通天閣。
普段と違う角度からの写真。「通天閣」と言う文字がはっきりと見える所からの写真。HITACHI、日立の文字がある面からの写真が多いので、通天閣をメインに。

名古屋テレビ塔、別府タワーと「タワー三兄弟」の写真を撮ってきたが、やっと「通天閣」の写真を撮りに行くことができた。

以前にも書いたように、名古屋テレビ塔、通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーの6つのタワーは同じ人物が設計している。それは建築構造家の内藤多仲さんである。本当はタワー六兄弟なのだが、私が最近行ったタワーが名古屋、別府そして大阪なので、私が勝手にタワー3兄弟と言ってるにすぎない。なかでも通天閣は最近耐震工事をしているので、興味があった。

通天閣は人気がある。開館9時前から人が並んでいる。 入り口が変わった。以前はそばのエレベーター塔から入ったが、今は地下に入り口ができた。地下から以前のエレベーターにつながっているわけだ。

ここから展望台までのエレベーターに乗る。つまり二回エレベーターにのるわけだ。
「チケット売り場」の看板が石原裕次郎風の「チケットを売る男」となっているのがおもしろい。
エレベーターでついたところが5階の展望台で地上87.5m。
ここにゆうめいなビリケンさんがまつられている。

このビリケンさんは三代目とか。ビリケンさんのことは稿を改めて書くことにする。

ここからの眺めはすばらしい。お天気が悪かったのが残念。 階段で4階の展望台へ行く。 5階と4階から見た風景は次のように見えた。

ハルカス、美術館、動物園を通天閣の上から見ると、こんなふうに見えるのか。

これは一心寺。 四天王寺はビルの影ではっきりと見えない。

エレベーターで降りずに、階段で降りることにした。 名古屋のテレビ塔のように外が見えなかったのが残念だった。300段以上あるようだ。

180段目で51mまできた。120段目で地上40m、もう少しだ。
この何段目というのは出口から数えてということだろう。

さあ出口が見えてきた。三階のはずだ。

初代通天閣のジオラマがあった。

入り口でもらったパンフレットに「通天閣の今と昔」が紹介されていた。

☆明治45年(1912)パリの凱旋門をエッフェル塔を模倣した「初代通天閣」が誕生。  明治36年に(1903)に開催されな第5回国内勧業博覧会の会場跡地に、明治45年(1912)ルナパークと一緒に初代通天閣が建てられた。形はフランス・パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分をのせたようなもの。ルナパークとこの通天閣は赤いロープウェイで結ばれて、まさに「新世界」として人々を魅了した。  当時の通天閣の高さは75m。もちろんその当時の日本一の高さ。入場料5銭で楽しめたルナパークは大賑わいだった。 しかし残念なことに、昭和18年(1943)足元の映画館が炎上し、解体することになり、初代通天閣は姿を消した。

☆昭和31年(1956)地元の声をきっかけに「2代目通天閣」が誕生。  現在の2代目通天閣が再建されたのは昭和31年(1956)初代が姿を消してから13年後のことだった。 通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようと地元の声をきっかけに、昭和29年(1954)新世界連合会役員により創立事務所を設置。翌年昭和30年(1955)、地元の人々からの出費によって、通天閣観光株式会社がスタート。2代目誕生へとつながった。1957年に完成した。(パンフレットは大阪弁で書かれていたので、共通語にちかづけて書き直している)

ここ三階にはジオラマやルナパークの資料や、当時の映像が紹介されていた。
階段を降りて二階にさがると、展望台へのエレベーター乗り場、お土産物屋さんがいっぱいのコーナーになっている。

通天閣は免震構造

左の本の中に、通天閣の免震構造について書かれているのを発見した。

「2015年、鉄骨塔の展望塔としては世界初といわれる免震構造を実現されました。

 通天閣の耐震補強工事のすごいところは、建物の外見を変えずに免震構造を実現させたことです。塔の上部を生かしたまま、4本の支柱部分を切断して免震ゴムを挿入する工法を考案し、最小限の工事で大規模地震にそなえ、地面から伝わるゆれを小さくするようにしました。

4本の支柱で市道をまたいでいるという立地条件もあり、工事は展望台などの営業がつづけられたまま9ヶ月間おこなわれました。」

 

本にかかれている説明を再掲すると、
①つなぎ梁(4本の支柱を繋いで脚元がぐらつかないようにする)を新設。コンクリートで補強。
②オイルダンパーを新設。免震ゴムを新設。
③上部をコンクリートで補強。受け材を設置。梁を新設。
④既存の梁をカットしてジャバラエキスパンションでつなげる。既存の柱をカット。
⑤免震層などを隠す意匠パネルを設置。

左の写真で、エレベーター塔と本塔をつなぐ通路に、ジャバラエキスパンションがあることがよくわかる。

左の写真で、
4本の足を補強するために、コンクリートで補強したり、受け材の設置、梁の新設、意匠パネルのことがわかる。

この工事は2014年10月から2015年6月まで行われ、総工費約6億円といわれている。
阪神淡路大震災級の地震が直下型でおきても、また風速80メートルの強風にも耐えられるように作られている。
しかも営業を続けながら工事を実施したことには驚くばかり。こんなことは世界のどこにもなかった工事だそうだ。

通天閣の4本の足の天井部分の絵、耐震工事の時にこの絵も再現された。そこにあるのが免震装置のオイルダンパー。知る人が見たらわかるけれど、説明がないとわからない。もっと大々的に宣伝すればいいのにと思う。

ありました。免震構造についての表示が。 これは地上から二階までのエレベーターの中にはってあった。でもパンフレットに詳しく書けばいいのになあと思う。
タワー三兄弟のなかで、免震構造はこの通天閣だけだ。

お土産物を見て、帰りのエレベーター前に来ると、「ローマの休日」をもじった「オオサカの休日」という映画の看板と、ビリケンさんの顔をした真実の口のレプリカ。また映画「哀愁」のパロディ、ビリー・ケン主演「改修ーまたのおこしを・・・」の看板が見送ってくれる。

通天閣最頂上部の特別屋外展望台「展望パラダイス」に登りたかったが、お天気が悪いので登らなかった。地上94.5mからの展望はまたの機会とすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

タワー三兄弟 別府タワー

名前は知っていた別府タワー。いい機会だから昇ることにした。
別府タワーのエレベーターに次のような紹介が書かれていた。

「別府タワーは、高層建築の世界的権威 故内藤多仲博士の設計による。
名古屋テレビ塔、大阪通天閣に次いで1957年(昭和32年)5月10日,さっぽろテレビ塔や東京タワーより一足早く日本で3番目に完成し、”別府っ子”の自慢の一つとなった。
全長90m、
展望台55m」

設計者の内藤多仲(ないとうたちゅう)博士のことは、関東大震災でも倒れなかったビルを設計した人、と以前に本かなにかで知ったことがある。

展望台は360度別府の町、海を望むことができる。別府タワーの建設途中の写真も展示されていた。
パネルに「泉都の宝 別府タワーの軌跡」という紹介文があった。
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別府タワーの完成は昭和32年5月10日。昭和という時代が一番元気に輝きはじめる頃である。
「別府温泉観光産業大博覧会」の目玉施設として建設が構想され、当時の地元財界人らが設立した「別府観光協会」が2億8000万円を投じて建造した。
途中資金繰りの都合で糀が遅れ、完成は博覧会開幕に間に合わなかった。
また、実際はタワーが建てばお客が来るという安易なものではなく、別府タワーの宣伝隊を仕立て、北陸、関東、関西と派手でなおかつ地道な全国行脚を行った結果、修学旅行シーズンには1日4000食を出すなど、年間90万人の利用客でにぎわう一大観光スポットに上りつめた。
またタワー完成時の従業員募集では、数千人の希望者が当時の別府駅前通まで列を作った。
眼下に広がる街の様子こそ変化し続けるが、360度のこの視界だけはどこもなく、そしてこのタワーが生きている限り手に入れられるものである。
建設から50年を迎えた別府タワーは、国の「登録有形文化財」に指定され、これからも泉都のランドマークとして人々に愛され、時代を見続けて行く。

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ガラスの向こうに別府市内、海が広がっている。この展望台もなんとなくノスタルジックな雰囲気を感じさせる。
この展望台の売店で、もう少し詳しい資料やパンフレットがないかと探した。お店の人にもたずねたが、おいてある観光パンフレットしかないということだった。
もうちょっと宣伝用にも、子ども用にも、読みやすそうなパンフレットがほしいなあと思った。

内藤多仲(ないとうたちゅう)博士の構造設計による観光タワーは、6つあることが知られている。
上の写真の一覧表のように、
名古屋のテレビ塔、通天閣、そしてこの別府タワーが建設され、その後に
さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーと約10年間に6つのタワーがつくられている。別府タワーはタワー3兄弟の三男坊なのだ。
私は「さっぽろテレビ塔」と「博多ポートタワー」には行ったことはない。機会を見つけて、この6兄弟を制覇してみたいものだ。

「別府タワー」はもともと「観光センターテレビ塔」として完成しているので、建設当時にはテレビ放送用のアンテナがあったらしいが、今はない。

ビルの部分
1階 カフェ、イベントスペース
2階 タイホーレジャーグループ本社
4階 カラオケ店

タワーの部分
16階 展望ラウンジバー
17階 展望台

http://bepputower.co.jp/

1階からのエレベーターで展望台に上がったが、4階のカラオケ店で降りる人が多かった。
また、帰りのエレベーターでは展望ラウンジバーから乗ってくる人もいた。
市民に根付いていることがよくわかる。

上の写真は別府タワーのビルの部分。

別府タワーは、別府の町によく似合っていると思う。大阪の通天閣、名古屋のテレビ塔、それぞれ立地の環境が違っているが、その町には欠かせないものになっているのだろうと思う。