「子」のつく名前 その2

今日は5月5日。立夏。
春分点を太陽黄経0度とすると、90度が夏至、180度が秋分、270度が冬至。春分と夏至の中間、太陽黄経45度の今日を立夏と言う。春分、秋分と同じように年によってその日は違う。これは地球の公転周期が1日で割り切れる数でないからだ。

そして「こどもの日」。子つながりで、日本人の名前の「子」について考える第2弾。そんなたいしたことではないが、NHKテレビで特集があったので紹介する。

その番組が「人名探求バラエティ 日本人のおなまえっ!」
4月20日の放送で、私がこのブログで紹介した人が登場した。
それは左の本の著者のお一人、
井藤伸比古さんだった。

以前に「子」のつく名前について、この本を元にしてブログに書いたことがある。

http://wp.me/p4yMRK-54E

今回の番組では、さらに新しい史実を説明されていたので、ここでも紹介してみたい。

「子」のつく名前は最初は女性に限られていなかったことは、小野妹子のように歴史でならったことからよく知られている。

そして、武家や皇室のようないわゆる上流階級の女性に多く付けられていたことも、前回のブログで紹介した。
明治維新によって、名前に「子」がつけられることが一般化したことも、知られるようになった。
では、その「火付け役」となったのは誰だったのか、というのが今回のテレビ番組だった。

明治のアイドルたちが広めた

1890年当時、「子」のつく日本の女性の名前は、約1%だった。
そんなとき、10バーセント以上が「子」のつく名前というグループがあった。

明治23年(1890年)に、浅草に凌雲閣(りょううんかく)という高さ52m、エレベーター付きのタワーができた。
このエレベーターがよく故障し、なんとか最上階まで人を導く手段として考えられたのが「全国美人写真100人展」。100枚の美女の写真を階段に張り巡らし、最上階で日本一の美女を決める投票をしたそうだ。
この美女集団は当時の芸子さんたちだった。明治時代のアイドルと言ってよい。
凌雲閣の入場券が、日本一の美女を決める投票券にもなっていたから、自分の好きな写真を一位にするために、何回も昇った人たちがいたという。今のAKBの選挙のルーツはここにあったともいえそう。
芸子さん100人のうち、「子」のつく人は15人いたそうだ。
「子」のつく名前の火付け役になった考えられる、というのが井藤先生の解説。

いけてる女たちの活躍

津田塾大学の創立者、女子教育の先駆者といわれている「津田梅子」。
「キミシニタモウコトナカレ」「みだれ髪」で有名な「与謝野晶子」。
この二人が番組で紹介されたが、二人とも本名は「梅子」、「晶子」ではなかった。
「津田うめ」であり、「与謝野志よう」(しよう⇒しょう、と読む)であった。
自分で「梅子」「晶子」と名乗ったのである。それは「尊称」「愛称」「敬称」として使われていた「子」を、自分で選び取ったからだろうと思う。

こういった女性たちの活躍が、自分の子どもに「子」をつける流れを加速した、というのが井藤先生の二つ目の解説。
司会の古舘伊知郎さんによれば、「子のつく名前は、女性が社会で輝くシンボルとなった。子は輝く名前だった」ということだ。

時代を反映する女性の名前

番組では時代を追って、女性の名前の変化がとりあげられた。

①昭和の時代を反映した、和子さん、昭子さん。
 昭和2年(1927年)のベストスリーは、
 和子さん、昭子さん、久子さん。
 元号の「昭和」がきっちりと反映されている。

②戦争中は「勝子さん」
 昭和17年(1942年)のベストエイトに「勝子さん」が登場する。

③戦後に「美」が登場
 昭和25年(1950年)のベストテンに「恵美子さん」「由美子さん」が
 登場する。「美」がつく名前がはじめて登場した。

④「子」のつかない名前、「明美」さん登場
 昭和32年(1957年)にはじめて「子」の付かない名前「明美さん」が
 登場し、年を追うごとにその数は増えていった。

⑤「明美さん」トップに
 昭和40年(1965年)、東京オリンピックの年に「明美さん」が女性の名前で
 一番多くなる。「真由美さん」「由美さん」「直美さん」がつづく。

⑥女性の名前ベステテンから「子」が消える
 昭和61年(1986年)、「子」のつく名前がベストテンからなくなる。
 以後その状態が続き、2015年に「莉子ちゃん」が登場し、「子」のつく名前
 復活と話題になった。

自分の子どもたちにどんな名前を付けるのか、その時代の若者の考え方や社会状況が影響していることがよくわかってくる。
使っていい漢字には制限があるが、多様な名前を持った子どもが増えているのは、時代の多様化と社会の自由な雰囲気がそうさせているのかも知れない。
そんな子どもたちが大人になって、自分の子どもへの名付けを考える時、あらためて自分の名前について考え、未来を切り開く自分の子どもの名前を考えるのだろうと思う。その考え方は、もう私の考え方の範疇を超えているだろう。

 

 

「子」のつく名前

「子」のつく名前

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最近、女の人の名前で「子」のついた人が減ってきているという感じがする人は多いと思う。
子どもの名前ベスト10などの報道を見ても、「子」のついた名前は見当たらない。
女性の芸能人の名前もそうだ。
思いつく「子」のつく人といえば「フーテンの寅さん」の「倍賞千恵子さん。でも少し古いかなあ。

最近話題になっているNHKの朝ドラにしても「あさが来た」の「波留さん」「宮崎あおいさん」、いま放送中の「とと姉ちゃん」では「高畑充希さん」、妹役の鞠ちゃんは「相楽樹さん」、美子ちゃんは「根岸姫奈さん」。

「子」のつく人はいない。

私が小中学校の時のクラスの女の子は、ほとんどが「子」のつく子だったと思う。(何%かと言われると自信がない、ただ女の子の名前には「子」がついているものだ、という印象が残っている)

さて、このことを調べた本がこれ。

「子」のつく名前の誕生 (仮説社)
(橋本淳治・井藤伸比古 著 /板倉聖宣 監修)

128ページの本だが、読み応えのある内容で、資料もバッチリ。

詳しい内容は読んで確かめてもらうことをおすすめすることにして、私が興味を引いたことを書いておこう。

1900年ごろからふえる「子」のつく名前

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このグラフは、「1877〜1988年の日本各地10校の小学校卒業者名簿4万人を調べた結果」から描かれたもの。
1900年(明治22年)頃から増え始め、1945年(昭和20年)頃をピークに、それ以後凸凹はあるが減ってきている、と読み取れそうだ。

私は以前に、「子」のつく名前は貴族や皇族に限られていたが、明治維新になってだれもが「子」のつく名前をつけることができるようになった、という説明を聞いたか、読んだかした記憶がある。

でもどうもそんなに単純ではないようだ。もしそうなら、明治維新以後に生まれた子どもにすぐに「子」のつく名前が出てくるはずだ。しかしそうではない。時間のずれがあるように思える。

さて、そこで現在では多くの人の記憶にも残っていない「子」の事実がある。

「子」の三つの使われ方

私たちは◯◯子と、人の名前の一部として、言い方を変えれば、セットとして「子」があると思っている。 しかし、明治時代はそうではなかった。
戦後の法律で生きている私たちとちがって、明治時代の感覚として、子」の表記には、

1.敬称である「子」をつけて表記している場合。
2.自分で「子」の字をつけて名乗っている場合。
3.本名に「子」の字がついている場合。
  つまり自分の娘に「子」の字をつけた場合。

の三つの場合が混同されていると、この本には書かれている。

IMG_20160508_0001 - バージョン 2

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上の資料は、作家の宇野千代さん(1897年生まれ、旧姓藤村)さんが1921年に懸賞小説で一等を受賞した時の、「時事新報」(1921年・大正10年1月21日)の新聞記事。
見出しには、「千代子女史」とあり、受賞者の一覧表には「千代」。インタビュー部分は「千代子氏」、写真には「千代子」となっている。
つまり、「子女史」「子氏」「子」は、敬称として使われている。
このように、「子」のつかない名前の女性に「子」を付けて呼ぶことが、少なからずあったのである。「子」は女性へ愛称・敬称といってもよい。
とこの本には書かれている。

他の例としては、「子」のつかない女性へ手紙を書く時には、宛名には「〇〇子」とことさらに「子」つけて書くのが礼儀だったそうだ。

ラフカディオ・ハーンはこう言った

あのラフカディオ・ハーン、小泉八雲が日本女性の名前について書いている。

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日本女性の多くは、「まつ」とか「うめ」というように二音で呼ばれる。最近では、上流階級でさえ、それが流行である。(中略) 女性の名前には習慣的に敬称として「お」が前に、「さん」が後ろにつけられる。たとえば「お松さん/お梅さん」というように。ただし、名前が「きくえ(菊江)」のように三音の場合には、「お」をつけない。「きくえさん」と呼んで「おきくえさん」とは言わない。
 最近では、上流階級の婦人の呼び名には、昔とちがって「お」はつけない。その代わりに「子」がつけられる。つまり、農民の娘なら「お富さん」というところを、上流階級なら「富子」となるのである。そして、もし普通の女性が、自分自身の名前を「節子/貞子」などと書いたらみんなに笑われるだろう。というのも、「子」という接尾語はLadyに相当し、「節子/貞子」と名乗れば、自分で「節さま(the Lady Setsu)/貞さま(the Lady Sada)と言っていることになるからである。(後略)

(Japanese Female Names 1900年)

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1900年頃の外国人から見た日本人女性の名前についての受けとめ方がよくわかる。「子」という名前は、上流階級の名前であり、広く世間では使うのに抵抗がまだまだあったようだ。

「子」付けて良し

明治天皇の歌集を編集した、宮中につとめる歌人である大口鯛二(おおぐちたいじ)は、1899年『女学講義』と言う本に「婦人の名の下につくる子の字の説」という文章を載せている。
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自他共に、「子」の字を添えて苦しからず。されど、今日やんごとなき御辺りの女性の名には必ず「子」を添えさせるれば、尊称のごとく聞こゆるをもって、身分なき者が「何子」と名のるのは僭越のごとく思う人もあれど、決して然らず。男子の名に「彦/雄/麿」などいうと同じ意味で添えたるものなれば、上下貴賎を通じて何人が自己の名とし、またわが子の名に命ずとも、すこしも憚るところなしと知るべし。

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つまり、自分の名前にも、子どもの名前にも「子」をつけて名乗って良いといっているのである。

そして現代のように「子」と付く名前が一般化してくると、「子」という言葉にあった「尊称」「敬称」「愛称」という意味合いは薄れていく。
そして現在はだれもそんなことを考えなくなっている。

女性の名前は多様化しているのである。

さて女性の名前の研究は、どんな意味があるのだろう。
著者の井藤さんもずっとそのことが気になっていたそうだ。
後押ししてくれたのが、監修された板倉聖宣さん。
「明治維新からの日本の近代は、明るかったのか、暗かったか、いろいろな議論がある。<人民が抑圧されていた暗い時代>だったのか、<新しい時代に人々が胸膨らませていた時代>だったのか。そういうことがこの研究で浮かび上がってくる。今までの近代史は、政治史とか経済史とか一部の人だけの歴史だった。この研究結果は、まさに日本人全員の近代史だ」

自分や子どもの名前にかける思いが、グラフにあらわれていると井藤さんはいいたいのだろう。

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巻末に付けられている37ベージにも及ぶ年表がおもしろい。
内容を紹介したいが、自分で読む人のために遠慮しておこう。

この本の面白いところは、資料の大切さを伝えているところである。

一次資料、二次資料、同時代資料ということも知ったし、その違いも説明されていてたいへん勉強になった。

これから研究活動をしようと考えている人や大学生にとっては一読の価値があると思う。

たとえば、

井藤さんはこの冊子を作る元になった研究会に、こんな資料を出された。

若松賤子(「小公子」の訳者)
与謝野晶子(歌人)
松井須磨子(俳優)
野上弥生子(小説家)
宮本百合子(小説家)

これら名前に「子」のつく人たちの活躍が、広く世間に自分や自分の子どもに「子」のつく名前をつけることを促進する働きをしたのではないか、と言う理由をつけて。

板倉さんは「これは全部ウソです」と言って、みんなびっくりした。

とこの本に書かれている。
このあとに一次資料の大切さの話があるのだが、これ以上書くと、これから読む人の興味が削がれると思うのでここまで。
資料から学ぶとはどういうことか、そんなことを私でも、少し知ることができる内容だった。また名前にはその時代背景と願いが込められているということが、データーとしてわかる本だったと思う。