ここは最近注目されている「さかい利晶の杜(さかいりしょうのもり)」。
ホームページには、2015年3月20日の開館以来、今年2016年1月4日で40万人をこしたと書いてある。一年を待たずに40万人というのは多い。
http://www.sakai-rishonomori.com/
堺観光ガイドには次のような紹介がある。
堺が生んだ茶の湯の大成者「千利休」と、日本近代文学を切り拓いた歌人「与謝野晶子」の生涯や人物像などを通じて、堺の歴史・文化の魅力を発信する文化観光施設です。
千利休と茶の湯を歴史文化から解き明かす「千利休茶の湯館」、歌人与謝野晶子の作品世界とその生き方に触れる「与謝野晶子記念館」、堺観光の基点となる「観光案内展示室」などがあります。
千家茶道由来の地である千利休屋敷跡に面した「茶の湯体験施設」では、表千家・裏千家・武者小路千家のお点前により椅子席でお抹茶とお菓子を味わっていただく立礼呈茶や、茶道三千家の指導のもとお客様自身がお茶を点てる茶室お点前体験などを楽しんでいただけます。
また、千利休がつくった茶室で唯一現存する国宝の茶室「待庵」の創建当初の姿を復元した「さかい待庵」があり、外観の見学だけではなく、その室内まで入ることもできます。
*アクセス*
最寄りのバス停は「宿院」
阪堺線「宿院」より徒歩1分
南海本線「堺」より徒歩10分、バスて約3〜5分
南海高野線「堺東」よりバスで6分
玄関ホールには、堺の昔の町家の模型が置かれている。沢山の人達が観光や研修に来ているようだ。 ジオラマを見て懐かしそうに話している人達も多い。
最初は千利休に関するコーナー。
お茶の歴史がよくわかる。
千利休の御茶会のお菓子と食事の再現があった。
鮒のなます、くしあわび
飯、ミソヤキ汁
お菓子は、
フノヤキとシイタケ
と説明があった。
ミソヤキ汁とは「豆腐と細かく切った大根とが入っている汁の料理」。フノヤキとは「小麦のふすまで作った一種の小餅」だそうだ。美味しかったのかなあ、と思うのは素人かな?
私の興味を引いたのは、雪駄。その説明は、
「雪駄は利休の作意であったと伝わる履き物です。堺の地誌『堺鑑』(1684年刊)には「千利休作意トシテ雪ノ比茶湯ノ時、露地入ノ為ニ草履ノ裡ニ牛革ヲ付サセ用ル也」と記されています。
「作意」というのは、茶道でいうと、
「茶事で、その人独特の自然な工夫を凝らすこと。また、その工夫。作分 (さくぶん) 。」(デジタル大辞典)
つまり裏に牛の革を貼り付けた雪駄を考案したのは、千利休ということになる。
牛の革を貼り付けた雪駄、というと中尾健二さん(大阪教育大学教授、リバティ大阪館長)の話を思い出す。
中尾さんは江戸時代の被差別民衆の産業について、よく講演されていた。そのなかでも「雪駄づくり」についての話はとても興味深かった。
貧困と悲惨だけの歴史ではなく、差別の中でもたくましく、創意工夫をしながら産業を担って生きてきた被差別民衆の歴史は、これまでの私の歴史観を変えるものだった。
中尾さんがご健在だったら、この展示を見てニッコリ笑っただろうなと思いながら写真を撮った。
二階では、丁度企画展として「与謝野晶子ーその限りなく挑戦の生涯ー」が開かれていた。
与謝野晶子は堺が誇る歴史上の人物。
でも私自身はそれほど深く走らない。せいぜい「みだれ髪」「君死にたまふことなかれ」「与謝野鉄幹」、そして源氏物語の口語訳、ぐらい。
そんな与謝野晶子のことがもっと知ることができたのがこの「利晶の杜」。
たとえばこんなパネル展示があった。その一部を紹介すると、
「君死にたもうことなかれ」
「真に深く愛することは、真に深く生きることである」
「父の愛も母の愛も、その尊さにおいては対等のものだ」
「人において最も貴いものは、想うこと考えることである」
「親は何よりも自らの実行をもって、それとなくわが子を導くべきです」
「想像は過去と現在とを材料にしながら、新しい未来を発明する能力です」
私の興味を引いたのは、与謝野晶子の和歌を自分で屏風にかいたもの。
この中に知っている歌があった。
君もコクリコ われもコクリコ」

品書きに、「けし餅」とあった。
堺の名産である「けし餅」はこんなふうにして、売られていたのだ。
以前このブログで紹介した「けし餅」の「小島屋」も「本家小島」もこの「利晶の杜」のすぐそばにある。