ドイツグリム紀行5(2日目の4)

ヴェツラーからマールブルグへ

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ここはヴェツラーの大聖堂。正面から見るととても壮大な建物。 しかし実は未完成の部分があるのだ。

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正面の入口から建物の奥を覗いてみると、内側には部屋などの装飾が見えない。
かわりに空間が見える。なんかおもしろい。

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というのは工事用のネットから左側には建物がないのだ。

さらに私にとってびっくりするものを発見した。「これが実物なんだな」「こんなふうに壁にとりつけられているのだ!」という感激のものがこれ。

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そう、この大聖堂の壁に日時計が二つ取り付けられているのを発見した。
今までの海外旅行で、このような日時計を見たのは初めてだった。北緯50度の白夜のある国の日時計、もう少し観察する時間がほしいなあ、でも移動の時間だ、、、。

バスに乗って約1時間。
グリム兄弟が大学時代を過ごした、マールブルクへ向かう。

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エリザベート教会。巨大な教会だ。ツインタワーのような塔がある。
この二つの塔の高さは80メートルをこえている。
入り口の台座の石の大きくて立派なこと。1340年に完成したというから700年以上前のものなのだ。

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礼拝堂の天井までの高さは約20㍍。そして名前の由来となった聖女エリザベートの像がある。1470年に制作されたものらしい。このエリザベート教会そのものを左手に持って立っている姿はなんなく微笑ましい。

ここで知ったのは、キリスト教の旧教と新教のこと。
宗教改革で知られているマルチン・ルターはドイツ生まれの人だった。
簡単に、私の理解した新教の歴史を書いておこう。

◯1517年、ルターはローマ教会に抗議してヴィッテンベルグ市の教会に95ヶ条の論題をだす。免罪符への批判は大きな反響を呼び、ローマ教皇に反対するドイツ諸侯の支持を得る。
◯1521年、ルターは教皇より破門され、カトリックと完全に絶縁。
◯ルターはザクセン選帝侯フリードリヒ3世にかくまわれ、その間に新約聖書のドイツ語訳を完成させる。それはグーテンベルクの活版印刷により広く広まるようになる。これまで聖書を読むことができなかった一般の人が聖書を読むことができるようになり、ルターの主張を理解してもらいやすくなる。
◯1529年、神聖ローマ帝国皇帝カール5世はルター派を禁止する。このあとルター派はプロテスタント(抗議するもの)と言われるようになった。
◯ドイツを取り巻く外圧、フランスのフランソワ1世、ローマ教皇、そしてオスマン・トルコの侵略の危機などにより、アウグスブルグの宗教和議がむすばれる。その結果、諸侯にルター派かカトリック派かの選択する権利が与えられる。

ルター派の信仰の自由が認められたが、選択する権利は諸侯にあり一般庶民にはなかった。またプロテスタントの一派、カルヴァン派の信仰は認められなかった。

諸侯によってカトリックを信じるか、プロテスタントを信じるかが決められたということは、教会にとっては一大事だった。
この「エリザベート教会」はカトリックの教会だったが、「マールブルク」支配する領主はプロテスタントを選んだため、プロテスタントの教会となったのだ!

カトリック教会だったエリザベート教会は、巡礼地として栄えていた。が、宗教改革によってプロテスタントの教会になった後は、マールブルクからの巡礼者追放のため、聖遺物は教会から移された。現在は、聖女エリザベートの聖遺物はウィーンにある聖エリザベート修道院、そしてストックホルムとコシツェの市立博物館に収められているそうだ。マールブルクに残っているのは空になった棺とその覆いのみというから、宗教改革の結果というのはこういう形で現れてくるのかと初めて知った。
(1500年はじめといえば、日本では室町幕府がほろび、戦国時代に入った頃)

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カトリック教会だったことは、次のようなことからわかると、ガイドさんからの説明があった。

エリザベート教会のように、
十字架にはイエス・キリストの姿がある。
プロテスタントの教会は、十字架のみとなっている。
また華麗なステンドグラスはゴチック建築の典型的な建築様式でカトリック教会の多くにステンドグラスがある。
プロテスタントの教会は簡素、質素な建築様式となっている。

そして聖職者と呼ばれる人たち。
カトリックでは司教、司祭とよばれている。
プロテスタントは万人祭司という教理によって、牧師がその役目を担っているが、カトリックの意味の聖職者ではない。
プロテスタントの教理は、聖書を重要視し、神>聖書>教会・信者の集まりという権威の順番になる。一方カトリックは、神>教会>聖書>信者という順番になるそうだ。

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グリム兄弟が育ったハーナウは、プロテスタントのカルヴァン派、ユグノーと呼ばれる人たちが多い街だった。
グリム兄弟の父はプロテスタントの牧師で、ヤコブもヴィルヘルムもプロテスタントの信者だった。
プロテスタントの信者だった二人が、プロテスタントの教会がある町、マールブルクへやってきた。
私たちはマールブルクの町にある、グリム兄弟の足跡をこれからたどってみることになる。

 

 

ドイツグリム紀行4(2日目の3)

「若きウェルテルの悩み」の街
         ヴェツラー

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シュタイナウからバスに乗り、北西へ2時間ほど。ヴェツラーに着いたのは午後1時をまわっていた。
まずは腹ごしらえ。ドイツといえば、ソーセージ。

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前菜の野菜サラダからデザート、コーヒー(オプション)まで、ゆっくりと楽しめた。
ソーセージには三つのソースがあり、それぞれの味を試すことができた。ソーセージはおもったよりもあっさりとしていて、脂っこいという予想がはずれた。

この日はとても天気が良く、暑いくらいだった。ビールも飲みたかったがここはディナーのためにがまん。

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日中の陽射しが眩しいくらい。 中高生ぐらいの半袖・半ズボンの子どもたちが、グループで歩いている。 ドイツの学校は9月始まりだから、新学期早々の社会見学?、フィールドワーク?

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上の地図はヴェツラーの町のパンフレットから。

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左の写真は地図の「イェルーザレムの家」。
イェルーザレムと言うのはゲーテ作「若きウェルテルの悩み」のモデルとなった人物の一人。

「若きウェルテルの悩み」について、松本侑子さんの資料を見てみよう。

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1772年の夏、大学を出たゲーテは法律家見習いとしてフランクフルト北のヴェツラーを訪れる。
そこでシャルロッテと出逢い、恋に落ちるが、彼女には許嫁(いいなずけ)がいた。相手は知的で誠実な紳士で、ゲーテは諦めようと苦しみ、ヴェツラーを去る。

その後、たまたま、ゲーテの親友が人妻に恋をして自殺する事件が起きる。この二つを素に25歳のゲーテは4週間で「若きウェルテルの悩み」を執筆、人気作家となった。
日本は鎖国中で紹介されなかったが、中国ではすぐに訳され、欧州各国と同様、知的な青年たちに「煩悩」旋風を巻き起こした。

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そのゲーテの親友、イェルーザレムの家がこの木組みの大きな家だったのだ。

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そしてここが「若きウェルテルの悩み」の主人公の一人、ロッテのモデルとなったシャルロッテの家である。 ゲーテが働いていたという法律事務所から歩いて10分ぐらいのところだ。 ゲーテは毎日のように、シャルロッテの家を訪ねたと言う。

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img_5488岩波文庫「若きウェルテルの悩み」の後書き・解説に紹介されていたロッテの家が左の絵。
そして下の写真は、私が撮ったロッテの家の入口付近の写真。

250年近い歴史があるのに、ほとんどそのままの姿で保存されていることにおどろく。

img_20160928_0002ロッテ(シャルロッテ)とウェルテル(ゲーテ)が初めて出会うところ。
岩波文庫からその場面を引用してみると、

「・・・すると、今まで見たことのないほどうっとりするような光景が目に映った。そこの控えの間に、上は11から下は2つまでの子供たちが6人、姿のうつくしい中背の娘のまわりに集まっていた。この娘は簡素な白い服をきて、腕と胸に淡い紅色の飾り紐をつけていた。そして、黒いパンをかかえて、まわりの小さな子供たちに、それぞれの年と食欲に応じて切って分けてやっていた。そのさまはいかにもやさしく、・・・(略)・・・、私は何気ない挨拶をしたが、心はすっかりその姿、その声音、その挙手に奪われてしまった。・・・・」

ヴェツラーの町のパンフレットからこの写真はとっている。ロッテハウスにこの写真のもととなった絵が飾られていたが、撮影禁止のため、室内の様子をカメラに収めることはできなかった。

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この旅行をきっかけにもう一度「若きウェルテルの悩み」を読んだ。

岩波文庫の表紙にはロッテがピアノを弾いている挿絵がのっている。
実際のロッテハウスにもピアノが置かれていた。ここでロッテがウェルテルのためにピアノを弾いてやったのかと思いながらロッテの屋敷を歩くと、なんとなくロマンチックな気持ちになった。

私は学生時代にこの「若きウェルテルの悩み」を読んだ。読み直すと、やはり青年のときに、青春時代にこの本を読んでおいてよかったとあらためて思った。

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ゲーテに関しては、最後の日に、ゲーテの生誕した家「ゲーテハウス」を訪れるので、そのときにもう少し書いてみることにしよう。
ヴェツラーの中心にあるドーム、大聖堂(写真中央)に向かうことになる。