ハイジとドレミの旅 4

シュピリさんの通った学校を訪ねて

ここは「アルプスの少女ハイジ」の作者ヨハンナ・シュピリさんが通った学校。
現在はヨハンナ博物館となっている。

机などが置かれ、当時の雰囲気を伝えている。改修もあり、ここに置かれているのがシュピリさんが使った机というわけではない。

二回にも展示があり、これはヨハンナ・シュピリさんが執筆に使ったといわれている机。

世界中で翻訳されている「アルプスの少女ハイジ」。そのいくつかが展示されていた。もちろん日本語の本もあった。

この本はここで買ったハイジの絵本。
絵・マルグリット・ロリー 文・ユルグ・ウィンクラー 訳・シュトラッサー・節子 ホーテンホイズラー出発社 シュテファ・スイス と書かれている。

私達が知っているのはジブリのハイジ。スイスの絵本のハイジはちょっと印象が違う。スイスの旅でいろんなハイジを見ることができたのが面白かった。
ハイジの髪の色もいろいろだった。ただ共通しているのはもじゃもじゃ頭だということ。ガイドさんが「山の子をあらわしているんでしょうね」と言っていたがどうだろう。

正面の大きな木の右にある家が、ヨハンナ・シュピリさんの家だった。かつての家よりも右側に増築がされているそうだ。もちろん今は他の人のものになっている。

家の正面。指差す壁に掲示板のようなものがある。
そこに「ヨハンナ・シュピリさんが住んでいた」という内容のものが書かれているそうだ。

ここで買ったハイジの本に、ヨハンナ・シュピリさんの年表がのっていた。そこから一部省略しながら引用すると、
「1827年6月12日、チューリッヒ州ヒルツェルに生まれる。本名はヨハンナ・ルイーゼ・ホイサー。父ヨハン・ヤコブ・ホイサー(外科医及び精神科医)と母メタ・シュヴァイアー(ヒルツェルの牧師の娘で、賛美歌の作者及び『ハウスクロニク』の著者)の6児の4人目として誕生・・・・。」

ヨハンナ・シュピリさんの家の近くにある教会。

教会の敷地内にはヨハンナさんの家族のお墓があった。

松本侑子さんは「私の青春文学紀行」にヒルツェルことをこのように書いている。 「ヒルツェルは、丘に古い木組みの家々が集まり、すそ野にかけて緑のまき場がなだらかに広がり、ぽつんぽつんとリンゴの木が植わっている。農村の平和な静けさに守られ、はるか遠くには白い雪を頂くアルプスを望む。
 青空に屹然とそびえる高い山を見上げていると、人間をこえた崇高なものを思わずにはいられない。もし土地に精霊が宿るなら、それは父母のもと、この村で少女時代をすごしたヨハンナにすこやかな体と清い心を授けたにちがいない。」

私達はお昼を「ハイジの家」の近くのレストランで食べるため、この美しいヒルツェルを出発した。

 

 

 

 

 

ハイジとドレミの旅 3

ヨハンナ・シュピリさん縁の地を訪ねて

一日目のホテルのレストラン。
ここはどこかといえば、

スイス・チューリッヒ。チューリッヒはここにある。地図にある小さな写真は一枚目の写真のホテルのレストラン。私達の泊まったホテルはこの写真のところにある。こうしてみるとスイスはヨーロッパの真ん中にあるのだなあと感じる。

ここは「アルプスの少女ハイジ」の作者、ヨハンナ・シュピリ(Johanna Spyri、1827年6月12日 – 1901年7月7日)さんのお墓があるジールフェルト(Sihlfeld)墓地。私達の泊まったホテルから歩いて行けるところにある。いいかえればこの墓地のそばのホテルに泊まったということだ。

ここがシュピリさんの眠るお墓。バラの花がさき、花々にはハチなどの昆虫が蜜を求めて飛び回っていた。手入れも行き届いている。

徒歩でホテルに戻る。サイレンの音、ここチューリッヒの救急車だ。

スイスの郵便は黄色。黄色ボックスが郵便ポスト。
国によって色が違うのが面白い。

これは地下水、湧き水の湧き出しているところ。スイスには写真のような湧き水を利用した噴水が多いらしい。スイスの暑い夏には涼を求める、一つの方法なのかもしれない。

バスに乗ってヨハンナ・シュピリさんの生まれ故郷であるヒルツェルへ向かう。

 

お天気も良く、スイスってこんなところなんだなあ、と一人で納得しそうな景色。

この風景の中で、アルプスの少女ハイジを書いたヨハンナ・シュピリは育ったのだ。このあとシュピリさんの通った学校(今は記念館)や教会、生家を訪れた。