愛蘭土紀行 21

ケルズの書とマジック・ツリーハウス

「ケルズの書」について調べていたとき、以前にこの話を聞いたことがあるなあ、読んだことがあるなあ、という気持ちになってきた。
アニメの「ブレンダンとケルズの秘密 The Secret of Kells 」を見たときも、インクになる木の実を探しに行くとか、自然物を使ってインクを作っている、という説明があったときも、「あれ?このことは知っていたなあ・・・」と思った。
どこでその知識を仕入れたんだろう?と思い巡らしていると、「そうだ。マジック・ツリーハウスでアニーとジャックが島のお坊さんが本を作っているところに行く話があったなあ。そこにバイキングが攻めてきて・・・そうか、あの本か!」と思い出したのが左の本。

Magic Tree House シリーズの第15巻、「Viking Ships at Sunrise」だ。

第15巻は「失われた書物シリーズ」の第3話で、アニーとジャックは中世のアイルランドに行く。
そこで出会った修道士がパトリック。パトリックといえばアイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックを連想させる。こんなふうにしてアメリカの子どもたちはキリスト教のことや歴史を学んでいくのだなあと思う。

上の場面は、アニーとジャックが島の修道院でどのように本を作っているのかをMichaelに尋ねているところ。

 Brother Michael showed them the cover of his book.
It was decorated with gleaming red and blue jewels.

   Then he turned the pages.
 Each was covered with fancy writing and delicate paintings in
green, gold, and blue.

マジック・ツリーハウスの作者、Mary Pope Osborne さんはきっと「ケルズの書」のことを思い浮かべながらこの部分を書いたにちがいないと思う。

How do you make a book like that?” asked Annie.
“I write on sheepskin and use goose quill pens,”
said Brother Michael.

“My paints are made of earth and plants.”

 

ほんのインクは鉱石や植物から作られていることが説明されている。これはアニメ「ブレンダンとケルズの秘密」や「ケルズの書を読み解く」にかかれている部分と同じだ。マジック・ツリーハウスのシリーズは作者がよく調べて書かれていることでも有名だ。少年少女向けの本だが、歴史や科学や自然のことがしらずしらずに学ぶようになっている。
マジック・ツリーハウス第15巻の巻末には、バイキングは略奪を繰り返したが、当時の最新の技術を持っていたこと、文明を広げていったことも書かれている。両面を知らせるという意図が感じられた。
アンとジャックはマスターライブラリアンとして活躍している。本好きのジャックが見たら大喜びしたに違いないのが、ここ。

 

 

トリニティ・カレッジにはアイルランドとイギリスで発行された本が500万冊納められているそうだ。
大学には6つの図書館があり、その中でも最も古い15世紀から19世紀の書物が保管されているのが、ここオールド・ライブラリー。BB

「ケルズの書」が展示されているのが1階。階段を上がって2階に左のような入り口があり、LONG ROOM と書かれている。
その中が上の写真だ。
みんな思わず息を呑み、カメラ、スマホをだして写真を取り始める。

 

これはアイルランド最古といわれているアイリッシュ・ハープで、ブライアン・ボルー・ハープ(Brian Boru Harp )とよばれている。
説明文によると柳とオークの木からつくられているそうで、弦は29弦(オリジナルは30弦と書かれていた。ちなみに現代のハープの主流は34弦)だそうだ。
ハープはアイルランドにとって欠かせないシンボル。アイルランドの国章にもなっている。そして日本でもおなじみのギネスビールのロゴもハープ。
本物のハープを見て、結構大きなものなのだなあと思う。

吟遊詩人達がこのハープを持って各地を移動して演奏していたのだろうか。

 

 

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 26

番外編

25回の連載で書けなかったことをここで書いておこうと思う。

アメリカの郵便ポスト

アメリカの郵便ポストは青い。国によってポストの色は違うのだ。

文学史年表

こんな機会だからと年表を作ってみた。
画面では読みにくいが、クリックすると拡大する(はず)。
エマソン、ホーソン、ソロー、ルイーザ・メイ・オルコット、マーク・トウェイン、ロングフェロー、ハリエット・ビーチャ・ストウ、ジーン・ウェブスター、ルーシー・モンゴメリーの9人だ。
全員が江戸時代、明治時代の人たちだ。また南北戦争を経験している。
1862年の奴隷解放宣言後に生まれたのは、ジーン・ウェブスターとルーシー・モンゴメリーだけ。
ルイーザ・メイ・オルコットの少女時代にエマソン、ホーソン、ソローが大人だったこともわかる。

南北戦争の前後に、今回のツアーに関係する人たちが作品を書いている。
ロングフェローの「ポール・リビアの騎行」と南北戦争が重なっているのは、そういう時代背景があったのかと考えさせられる。

ルイーザ・メイ・オルコットの書いた「若草物語」を、ジーン・ウェブスターやルーシー・モンゴメリーが 少女時代に読んだことが想像できる。また「若草物語」に「アンクル・トムの小屋」が登場するのもうなずける。

ジーン・ウェブスターが「あしながおじさん」を書く前に世界旅行をし、日本にも立ち寄ったのは、明治時代だったこともこの年表から確かだ。
まだまだ私の知らないことが読み取れるのかもしれないが、私の力ではここまで。

旅の後で読んだ本

たまたま図書館で目に入った本。この本の著者のパトリシア・マキサックさんのあとがきを紹介する。

「この物語の中のできごとは、テネシー州ナッシュビルで育ったわたしの子供時代にほんとうにあったことです。
 ナッシュビルには、1950年代のたいていの南部の町と同じように、人種差別法がありました。ホテル、レストラン、教会、遊園地には、ジム・クロー法という法律によって人種を差別する看板が出され、アフリカ系アメリカ人を排除していました。さらに、バスがわれたり、公園にある水飲み場も別などという侮辱に耐えねばなりませんでした。しかし、1950年代の後半、ナッシュビル公共図書館運営委員会は、すべての図書館は人種に関係なく、だれでも使えることを議決しました。街の中心にある図書館は、ジム・クロー法の看板をとりはずし、黒人でも敬意をもって迎えられる場所となりました。
 たいていのアフリカ系アメリカ人の親たちは、子どもが人種差別を受けても対処できる年齢になるまでは、共同体の外に1人で出ていく危険を許さなかったものです。わたしの場合には、12歳になってやっと、1人で図書館に行かせてくれました。本書のパトリシアとおなじょうに、そのころのわたしはどんな状況でも乗り越えられるだけの愛と自尊心を身につけていました。図書館へ行く途中で、わたしはあらゆる形の人種偏見や差別に向かい合わなければなりませんでした。でも、図書館は、どんな苦労をしてでも訪れる価値のある、たいせつな場所でした。・・・・後略」

ボストンで見た公共図書館、ハーバード大学の図書館、ヴァッサー大学での図書館、どの図書館も市民に開放されていて、建物自体も魅力ある図書館。図書館の果たしてきた役割の素晴らしさに気付かされる。
それにしてもジム・クロー法は1964年まで存続していたと言う。奴隷解放宣言は1862年に出されている。100年以上も実質的な人種差別は続いていたのだ。
法律的な差別がなくなって60年ほどしかたっていない。アメリカの取り組みはまだまだ始まったばかりだし、それは全世界に共通なことであることに気づいた本だった。

これはアメリカのネイティブアメリカン本人が書いた本。

原題は The Absolutely True Daily of a   Part-Time Indian

訳者あとがきから紹介すると、
「これは、北米先住民のスポーケン族の保留地で生まれ育ち、生き抜いていくためにさまざまな冒険をせざるをえなかった少年の、ホントにホントで、ちょっぴりフィクションの自伝的物語です。(ちなみに後のホーンブック賞を受けたときのスピーチでは、78パーセントが事実だとアレクシーは言っています。)

訳者のさくまゆみこさんは、面白くて食事も忘れて一気に読んだ、というようなことも書いている。ホントかな?よくそういう本の宣伝があるが?と疑り深く読み始めた。ホントに一気に読んでしまった。電車のなか、喫茶店の待ち時間、ずっと読み続けてしまった。たしかにこの本はおもしろい。
ネイティブアメリカンの現実については、私は全く知らなかった。自分の世界を切り開くアーノルドの語りと行動は魅力的で、読む人が元気になってくる本だ。
少数民族の現実とそこで「がんばる」若者。闘う人間の姿と闘うことができるようになった現代のアメリカ、そのことが共感できるようになった現在の世界に、未来への希望を感じる本だった。

見のがした絵

左はメトロポリタン美術館にある「デラウェア川を渡るワシントン」(エマヌエル・ロッツェ作)。
見るのを忘れていた絵。

忘れていたと言っても、実際は、あまりにも見るものが多く、時間がないというなかで、日本に帰ってから、この絵はメトロポリタン美術館にあったのか、と気づいた絵。(絵はウィキペディアより)
ボストン美術館で見たワシントンの絵と、同じテーマの絵だ。

1776年12月25日、ワシントンが軍隊を率いてデラウェア川を渡る場面が、モチーフとなっている。このデラウェア川を渡ったり、トレントの戦いに勝利するきっかけをつくったワシントンの決断は有名なのだろう。

この戦いのことが頭にひっかかっていたのは、「マジック・ツリーハウス」の22巻、Revolulionary  War  on  Wednesday  (日本語版では11巻「戦場にひびく歌声」の中の第2話「託された手紙」)を読んでいたからだ。

左の写真がペーパーバック版の表紙。メトロポリタン美術館の絵を参考にしてこの表紙が書かれていることがよくわかる。主人公のアニーとジャックがワシントンのそばにいる兵士たちに置きかわっているが、全体の構図はそのままだ。
アメリカに行ったらこの絵が見ることができるかも、と本を読んでいる時は思っていたが、どこにあるのかまでは調べていなかった。もう少し事前に調べていれば、いつもそう思う。

ブログを書きながら、あれも見ておくべきだった、これも聞いておくべきだったと後悔するのも、旅の楽しみだろう。
来年は「ハイジ」と「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台スイス方面へ。
「ハイジ」の本を買って、勉強しょう。これもいつも思うこと、、、。
若草物語とあしながおじさんの旅もこのへんで中締め。

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 21

五日目 セントラルパーク

朝食は8階。受付のあるところ。朝食はごく控えめに。オムレツがおいしかった。
今日は終日フリーの日。午前中はオプションのセントラルパークとメトロポリタン美術館の見学に参加。
歩いて地下鉄の乗り場に向かう。初めてのニューヨーク地下鉄体験。添乗員さんが回数券を先に買っていたので、それを利用させてもらう。

地下鉄は思ったほど人は多くなかった。めざすはダコタハウス。

The Dakota,  Dakota Apartments
マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドにある高級集合住宅。
1980年12月8日、ここに住んでいたジョン・レノンが玄関前で射殺された場所として有名になった。
犯人のチャップマンは、現在も服役中とか。

入居基準が厳しく、これまでにビリー・ジョエル、マドンナ、など有名な人物が入居を拒否されていることでも有名らしい。

1972年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に選ばれ、1976年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されていることでも見ておく価値のある建物である。

セントラルパークは地図を見てわかるように大きい。1811年に開発計画がたてられ、1876年にほぼ現在の形に完成している。
南北4km、東西800mの都市公園。

野鳥が水を飲みに来る都会のオアシスである。

セントラルパークには沢山の記念物がある。ここはストロベリー・フィールズ。
ビートルズのジョン・レノンの記念に捧げられた造園された区画。写真はメモリアルモザイクのイマジン。

モザイクのイマジンの周りには世界中から来たのではないかと思うぐらい、多様な人達が集まってくる。ギターでイマジンを奏でる人もいた。ビートルズの人気の凄さがわかる。

セントラルパークはマンハッタン島にある。マンハッタン島は一枚の岩盤でできた島。マンハッタン片岩と言う雲母の結晶片岩。強度は高い。だから高層ビルが立ち並んでも平気なんだ。

噴水に池、シャボン玉に喜ぶ小さな子どもたち。なんとも和やかな光景。

これはアデルセンの像。何を読んでいるのだろう?

「The Ugly Duckling 」、日本でもおなじみの「みにくいアヒルの子」だった。

続いて見えてきたのは、ルイス・キャロル作の「不思議の国のアリス」の像。
小さな子どもたちがこの象の上に乗って遊んでいた。

私は「セントラルパーク」に来るのをそれなりに楽しみにしていた。
というのは、「マジック・ツリーハウス」の第36巻「Blizzard of the Blue Moon」(日本語版は第22巻「ユニコーン奇跡の救出」)の舞台がニューヨークで、セントラルパークが最初に出てくるからだ。
左がその本。ペーパーバックで読んだが、表紙の左にある高層の建物が「エンパイア・ステート・ビルディング」。小説の舞台は1938年。
エンパイア・ステート・ビルディングは1931年4月11日が竣工の日だから歴史的事実とあっている。
この「マジック・ツリーハウス」はアメリカの歴史を子どもの視点で学ぶのに大変すぐれた本だ。

この本の挿絵には、
◯セントラルパークから見えるエンパイア・ステート・ビルディング、
◯犬のBaltoの像(ウィキペディアによる説明は以下の通り。「1925の冬、アラスカ北端のノーム市にジフテリアが発生し、血清を市に運ぶ必要があった。しかし低気圧の接近のため風速40mの猛吹雪がアメリカからアラスカの陸路を断っていた。救助隊は200頭のイヌぞりチームを作って16頭1チームで100kmをリレーする方法で、全行程1,100kmを輸送し、市民を伝染の危機から救った。困難を極めたこの行程の、最も困難であり、最も長距離の区間を走りぬいたのはリーダー犬トーゴーのチームであったが、そのチームから血清を受け継ぎ、最後の区間を輸送したチームのリーダー犬がシベリアン・ハスキー(犬種、アラスカンー・マラミュートという説もある)のバルトである。その功績を称え、現在ニューヨークのセントラルパークにバルトの銅像がある。)
◯気象観測所になっているBelvedere Castle(ベルベデーレ城)などを自分の目で見たかったけれど、時間的な余裕がなかったし、自分たちの歩いている場所がはじめてではわからない。セントラルパークは広い。ジャックとアニーが迷子になるのも当然だと思った。

「マジック・ツリーハウス」の本には、古い地下鉄の挿絵があった。
この小説の舞台は1938年。世界恐慌のあと、アメリカの「ルーズベルト恐慌」の年だった。当時の人達の様子がこのマジック・ツリーハウスでも書かれている。地下鉄に乗る人達の様子からも、不安げな雰囲気が伝わってくる。改札の方法も本と現在では違っていて、おもしろかった。

さあ、急ぎ足でやってきたのが、「メトロポリタン美術館」。