青島・蘇州の旅 10

青島ビール工場

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青島ビールの歴史をウィキペディアから見てみると、

「青島は1898年よりドイツの租借地となり、租借地経営の一環としての産業振興策としてビール生産の技術移転を行った。 1903年ドイツの投資家がこの地でのビール製造を開始を期して「日耳曼啤酒公司青島股份公司」(ゲルマンビール会社 青島株式会社)を興す。ドイツのビール醸造技術を採用した。
1914年、第一次世界大戦で日本がドイツ権益であった青島を占領(青島攻略戦)し、戦後の講和条約である1919年のヴェルサイユ条約でドイツから青島の租借権等を引き継ぐことを認められる。これらの諸権益の引き継ぎを受け、その一つであった青島ビールも日本の大日本麦酒が買収し経営を行うこととなった。大日本麦酒は設備を拡大して、この工場で札幌ビールと朝日ビールの製造も行なった[1]。なおその後、1922年の山東還付条約によって山東半島に係る日本側の諸権益は中華民国に返還されるが、青島ビールの経営は引き続き大日本麦酒が行った。
1945年の日本の敗戦によって青島ビールの経営権は中国側に完全に接収され、中華民国及び中華人民共和国の国営企業による経営が行われた。 1993年には中国の国営企業として初めて香港H株市場に上場する。その後、改革開放路線の進展に伴い、民営化された。」

「青島の水がよかったから」、と言うのは現地ガイドさんの説明。
ビールを通して知る歴史もあっていいなと思う。

ここは日本でいう工場見学の形式で、歴史を紹介している。

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昔の製造ラインやホップも実際に植えてあり、勉強になる。

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現在の生産ラインの紹介などがあり、大人でも楽しめるものだった。

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楽しみはビールの試飲。まずはろ過していない段階で一杯いただける。

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最後に出荷段階のビールもここで試飲できる。青島ビールは日本のビールに比べてアルコールの度数が低い。その分のどごしすっきりで、口あたりも軽い。
日本でも青島ビールを楽しむことはできるが、やっぱり現地の名産は現地で飲むにまするものはない。

青島ビールラベル

桟橋

青島ビールについているラベルにある白い建物のようなもの。
実はそれは、桟橋にあった八角のあずまや「回瀾閣」である。
青島の名物、桟橋と青島ビールは切っても切れない関係のようだ。

ビール工場の見学を終えて、バスで昼食のレストランに向かう。
窓からは古い中国の街の様子が見える。

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この三輪車はよく見かける。町中でも農村でも。荷物を載せて活躍している。

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アパートのビルも少し年代を感じる。露天の様子は昔の中国の映画のよう。
青島の市内に入ってくると、見違えるような近代都市。

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市内のホテルにて昼食。私たちは団体用の部屋を借りきっての食事だったが、レストランは中国人で満員だった。下の写真はその広い会場の様子。

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私たちはここで昼食を食べて、青島空港に向かう。

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青島空港。日本から飛び立った飛行機はここに着陸した。
今回はその青島空港の国内便を利用して、蘇州に向かう。

 

 

青島・蘇州の旅 9

青島 小魚山公園と桟橋

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青島のホテル・ウェスティンの朝食も、今日の夕食のことを考えてごく軽く。 ここのモーニングビュッフェは品揃えが多い。さすが一流ホテルのレストラン。

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バスに乗って向かうは小魚山公園、ドイツ風の町並みの見学と青島ビール工場。

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朝の通勤風景は大阪と変わらない。車も人も走る。

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ここが小魚山公園(しょうぎょざんこうえん)。JTBのホームページには、

青島市の中心部の小高い丘の上に位置する小さな公園。緑豊かな園内には覧潮閣や碧波亭、壁画廊、展望台といった建物が点在しており、閣楼に登ると青島の異国情緒あふれる町並みと美しい海岸の眺めを楽しむことができる。

とある。かつて漁師が小魚を干していたことからこの名前があるらしい。

小魚山公園2

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ここはヨーロッパか?と思うような風景が広がっている。
見える町並みはドイツ軍が占領していた時のものだという。
「青島日本人会」というホームページに青島・ドイツ・日本の関係が説明されている。http://www.qingdaojs.org/qd-nihonjinkai/qdinfo/basic.html

青島の歴史についておさらい

 1891年、時の清朝は、国防上の理由から、それまで一漁村に過ぎなかった青島に桟橋など軍事施設を建設、兵を駐屯させたのが青島の発展の始まりとされています。それ以前は、現在の市の中心部より郊外の即墨市、膠州、膠南などのほうが栄えていました。
 青島市の概要こうして始まった青島の歴史ですが、1898年ドイツの租借地になり、ドイツは青島を中心とする膠州湾一帯を99年間の期限で租借、軍港、鉄道、鉱山開発などを展開、山東半島一帯に影響力を行使しました。と同時にここを模範的な植民地とすべく、ドイツ風の建築や上下水道の整備など、都市建設を行いました。青島のシンボルになっている青島ビールも1903年、ドイツ統治下で誕生しました。
 その後第一次世界大戦が勃発するや、1914年、当時、日英同盟を結んでいた日本は、連合国の一員としてドイツに宣戦布告、青島攻略に乗り出します。1ヶ月余りの先頭の末、青島駐屯のドイツ軍を降伏させ、青島を支配下に置き、1919年のベルサイユ条約により青島におけるドイツの権益を引き継ぐことが認められます。ドイツの降伏により青島ビールも日本資本下(大日本ビール)に置かれることとなります。
 この決定に反発した中国の民衆は1919年5月4日、北京の天安門で大規模な抗議活動を起こし、山東省における日本の権益の中国への返還を要求、これが日本製品排斥運動や半日運動につながります。5月4日に発生したということで
「五四運動」と呼ばれます。青島市で発生した訳ではありませんが、当時のスローガンは「还我青岛!(青島を返せ!)」であったそうです。現在の青島市庁舎前の「五四広場」はこの運動を記念して名付けられています。
 やがて日本は1922年に青島を中国(北洋政府)に返還しますが、その後も青島に影響を維持し続けます。1938年、日中戦争が勃発すると、日本は再び青島を占領下に置きます。終戦前は4万人を超える日本人が青島に住んでおり、総領事館もあり、日本人学校も複数設置されていました。俳優の三国連太郎、中村八大なども戦前青島に住んでいました。
 1945年、日本の敗戦とともに、青島は国民党政府の支配下に入ります。当時、青島には米軍西太平洋艦隊の司令部が置かれ、国民党主席の蒋介石が度々青島八大関の「花石楼」に滞在していたそうです。
 1949年、人民解放軍が青島に入城して青島が「解放」、改革開放政策の導入に伴い、1984年に開放都市となりました。
 2008年には北京オリンピック・ヨット競技の会場になっています。

なるほど。中学・高校の歴史で習ったのかもしれないが、ほとんど初めて知る事実がいっぱいある。近い国との関係をもう少し知っておかねば、と思う。

このドイツ人が建てた住居は、今は中国人の住まいとなっている。そのほとんどは一軒の建物を数家族によってシェアされて使われているらしい。それでも青島の住宅状況はおいつかず、いまも高層マンションがどんどん作られていると説明があった。

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ここは公園近くにある迎賓館。 1905年にドイツ総督の官邸として建てられたもの。建物も内部の装飾も当時のものが残っており、歴史的・文化的に貴重のものらしい。したがって写真撮影は禁止。外観のみの写真となった。

中国人の観光客も多く、日本の京都や奈良の感じなのかもしれない。毛沢東や蒋介石も来たとガイドさんの説明。中国人らしい車椅子の観光客の人もいたが、スロープやエレベーターもなかったようだ。詳しいことはわからなかった。

続いて向かったのは桟橋。

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インターネットで調べてみると、

1891年、清政府が軍需物資の供給のため、埠頭を建設した。全長200米、幅10米、中国唯一の海上軍需物資供給線となった。ここが出発点で、ドイツ軍の青島占領で長さが350米に伸ばされ、1931年には国民党政府により440米に改修され、桟橋南端に半円形の防波堤を増設し、そこに「回瀾閣」という八角亭を建設したそうだ。

私たちは桟橋には行かず、対岸から眺めるだけ。
このあと飛行機で蘇州に行くという時間的制約もあるからだと思う。

ここは有名観光地のようだ。たくさんの外国人もきている。この桟橋に向かい合うように古い戦艦を海上博物館にしたものもあった。

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なによりも私たちの目を引いたのは新婚カップルの写真撮影。上の桟橋の写真の下に見えている白い衣装はウエディングドレスを着た花嫁さん。

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中国ではこういった結婚式用の写真アルバムにかなり力を入れているらしい。日本の北海道に来て雪景色の中の花嫁姿を写真に撮るのも人気らしい。
バスに乗って青島ビール工場に出発する。