アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 16

三日目 「ハックルベリー・フィンの冒険」

「ハックルベリー・フィンの冒険」の本を買った。「トムソーヤの冒険」と同じ土屋京子さんの訳本が一番新しそうなのでその本にした。

読んでおもしろかった。ハラハラしドキドキする感覚、久しぶりに本を読みながら味わった。
少年時代、特に男の子だった人にはたまらなく魅力的な本だと思った。

早稲田大学の石原剛さんの解説も、私にとってはわかりやすいものだった。

また、この「ハックルベリー・フィンの冒険」の最初に、マーク・トウェイン自身が南部訛りについて書いている。

「本書においては、幾種類もの訛がつかわれている。すなわち、ミズーリ州の黒人訛。アメリカ南西部僻地の最も極端な訛。パイク郡のごくふつうの訛、およびその四つのバリエーション。これらは行き当たりばったりでかき分けたものではなく、当てずっぽうで書いたものでもない。それぞれの訛に精通する著者自身の確かな薀蓄を傾けて、念入りにかき分けたものである。・・・」
英語で生活をしていない私には、その区別がよくわからない。訳者あとがきで、土屋さんが例文をあげてその違いを説明している。それを見ても、明確な違いがわかるわけではないが、英語の訛り、南部訛りというものを文字で書くとこうなるのか、ということがわかって勉強になった。こういった解説や説明は本当にありがたいと思う。

ハリエット・ビーチャー・ストウの「アンクル・トムの小屋」、マーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」の勉強を終えて、今日の課題はほぼ終了。

マーク・トウェインの屋敷と資料館の見学を終えて、バスに乗り、今日の宿舎のあるポーキプシーへと向かう。 途中、バスの中から大きな虹が見えた。
地面の端から端まで、はっきりと見えるような大きな虹だった。

ここはモーテル。 Holiday Inn Express Poughkeepsie
アメリカの旅行中に、よくこういうモーテルに泊まりました、と松本先生の話。
日本のビジネスホテルという感じ。ベッドも2つ(簡易ベッドではない)、バス・トイレ、冷蔵庫もあり、ゆっくりと休める。中庭にはプールもあった。
車社会のアメリカにとっては、必要な宿泊施設なのだろう。

ロビーには歓迎の文字、小さなマーケット?もある。
のぞいてみるとスナックなどのお菓子が並んでいた。

コンプリメンタリー ブレックファストというのは、無料の朝食ということ。
宿泊代に朝食代が含まれているということだろう。

こんな具合にビュッフェ形式でほしいものが取れるようになっている。

今日の夕食は日本式のお弁当。ホテル到着が午後8時をすぎていたため。
お味噌汁つきの天ぷら定食。アメリカ風のお寿司も。なんかおもしろい。

外に出ると月が煌々と光っていた。星は?と探したが、モーテルや街灯の光であまり見えなかった。残念ながら夜空の星は写真に撮れなかった。

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 12

三日目 ハリエット・ビーチャー・ストウ

目的地はハートフォード。ボストンからバスで2時間半ほどの道のり。
「アンクル・トムの小屋」の作者、ハリエット・ビーチャー・ストウさんの家に向かう。

この女性が「アンクル・トムの小屋」の作者、ハリエット・ビーチャー・ストウさん。

「アンクル・トムの小屋」の作者はストー夫人、というのが常識的な答え方。しかしこの地に来てみて、どこにもMrs.Stowe という表示はない。すべて Harriet Beecher Stowe

である。あらためてゆっくり考えてみると、それはそうだろう。わざわざ夫の姓を全面に出して「ストウ夫人」と言う必要はない。「アンクル・トムの小屋」が書かれたころは、まだ女性の参政権も認められていない時代だった。女性の権利が十分に認められていなかったからかもしれない。日本でいうなら、藤原道綱母とか紫式部というようなものだろうか。
日本に帰ってきて、「アンクル・トムの小屋」の翻訳本さがしてみると、図書館で見つけた本には、著者名として「ストウ夫人」と書いてある本はなかった。

屋敷の案内は若い女性がしてくれた。ボランティアの人かもしれない。
「アンクル・トムの小屋」は、1851年〜52年にかけてハリエット・ビーチャー・ストウが、THE NATIONAL ERA という新聞に連載していたものが53年に本になって出版された。そして大ベストセラーになったという。ネットで調べてみると雑誌「ナショナル エラ(国民時代)」とか機関誌とかの説明があり、本のようなイメージだが、実際は写真のような新聞のような大きな印刷物。ベットに置くと下のような感じ。

部屋の壁一面に貼ってあるのは、「アンクル・トムの小屋」を絵にしたもの。日本流で言えば漫画版の「アンクル・トムの小屋」。舞台でも演じられ、各国で翻訳されたという。その当時の著作権についての考え方はわからないが、ハリエット・ビーチャー・ストウは、「アンクル・トムの小屋」がどのように使われても、広まるならかまわないという姿勢だったようだ。

世界各国で翻訳された「アンクル・トムの小屋」の本が展示されていた。日本語の本も展示されていた。

1862年、南北戦争中に、ハリエット・ビーチャー・ストウにあったリンカーン大統領が言った言葉として伝わっているのが上の言葉。
「あなたのような小柄な方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね。」という意味か。「アンクル・トムの小屋」という作品が、南北戦争、奴隷解放につながっていったということだろう。写真の上部にはリンカーン大統領の顔がある。

沢山の蔵書の中に、ルイーザ・メイ・オルコットの書いた「Jo’s Boys 」(第四若草物語)があることを松本先生が発見。

ハリエット・ビーチャー・ストウは1811年〜1896年。
ルイーザ・メイ・オルコットは1832年〜1888年。どちらも南北戦争をはさんで活動をしている。そして「Jo’s Boys」 は1886年出版だから、ハリエット・ビーチャー・ストウは、若草物語やこの作品を読んでいたに違いない。

これはヨーロッパに行った時に、奴隷反対の署名がこれほど集まった、というもの。しかも全て女性からの署名。女性に参政権がなかった時代だったのだ。

派手な装飾もない落ち着いた部屋。ハリエット・ビーチャー・ストウの人柄が伝わってくるかのよう。

ここは台所。現代のシステムキッチンの基礎を作ったのが、ハリエット・ビーチャー・ストウとその姉によるものだそうだ。家庭料理は使用人や奴隷に任せず、自分たちでつくる、そして作りやすい台所、という考え方のようだ。奴隷解放の視点が読み取れそう。

ここは「ハリエット・ビーチャー・ストウ ビジターセンター」。「アンクル・トムの小屋」関わる展示や書籍が販売されていた。

このビジターセンターで『アンクル・トムの小屋」の英語版の本を買う。

先にハリエット・ビーチャー・ストウは、ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語」を読んでいたと推定されると書いたが、その逆のことがわかっている。

「若草物語」に「アンクル・トムの小屋」のことが出てくるのである。このことは次のブログに書く予定。