ジャガイモの花

ジャガイモに花が咲いた(5月3日見つける)

駐車場のそばの畑にジャガイモが植えられている。
花が咲いているではないか。

 

これぐらいの広さの畑なのだが、上の写真に赤い丸で囲んだところのジャガイモに花がついているの

花にも種類があるようだ。

畑のオーナーさんの話にきいてみると、オーナーさんの経験ではジャガイモに花が咲くが、全部のジャガイモiではないこと、また実がなることもあるが、めったにないということだ。
じゃがいもの花と実? おもしろそうなのでもう少しきいてみると、ジャガイモの実は青い小さなトマトのようだと言っていた。
少し調べてみようと思った。

以前に「赤毛のアン」を訪ねるカナダツアーに行った時、ブログにじゃがいもについて調べたことを書いたが、もう少し本を探してみると、左の「ジャガイモの花と実」というその名もズバリの本があった。

表紙には「ジャガイモの実」と「種」の写真もあり、私の関心に応えてくれるピッタリの本だった。
この本の表紙にあるジャガイモ畑は北海道の美瑛だそうだ。一度いってみたいものだ。

ジャガイモの原産地は南アメリカ大陸で、2000年以上前からジャガイモを畑に植え、栽培し、食料にしていたと考えられている。
コロンブスのアメリカ大陸「発見」を機会に全世界に広まっていったわけだが、歴史的な経過については以前のブログ(カナダ赤毛のアンツアー33)に書いた。

ジャガイモの実は左の図のような形をしているらしい。
この「ジャガイモの花と実」の本の表紙にはそこカラー写真がのせられている。
ネットで調べてみると、「ジャガイモの実」で検索すると結構いろんなジャガイモの実の写真が発見できる。

疑問になってくるのは、そのジャガイモの実には種があるのだろうか。

花が咲き、実ができるのなら、その実には種ができているだろうか。
種ができている実があるに違いないとおもう。種ができるのなら、その種からジャガイモが育つのだろうか?

といった疑問がわいてくるのは当然だと思う。

ところで、現在の私たちがジャガイモを育てるときは、種イモをつかう。種をまくのではない。そして私たちが食べている部分は根ではない。茎である。「地下茎(ちかけい)」という言葉を習ったのは、小学生だっただろうか。中学生だっただろうか。
とにかくジャガイモは茎、サツマイモは根っこを食べていると習った。

種イモから育ったジャガイモはクローンだから、性質は同じだと予想できる。性質が同じだと、病気や害虫によって大打撃を受けることがあることは歴史が証明している。アイルランドでは多数の人が死に、アメリカ大陸などへの移民となった。ケネディ家も、ロナルド・レーガンもアイルランドからの移民の子孫だと言われている。

さて、ジャガイモの実から取れた種は、品種改良に利用されているそうだ。

1930年頃に、南アメリカに野生のジャガイモを見つける探検隊がだされたそうた。ロシア、アメリカ、スウェーデン、ドイツ、イギリスなどが探検隊を出し、ロシアの探検隊は150種類もの野生のジャガイモを発見したと伝えられている。

上の図のように種から育ったジャガイモは、親のジャガイモと遺伝形質が違っているため、多様なジャガイモになっている。
野生のジャガイモは、現在の栽培種のジャガイモと違い、花にはたくさんの花粉があるので、さまざまな性質を持ったジャガイモがとれたそうだ。
多様なジャガイモから、病気に強いもの、害虫に強いもの、味の良いもの、多量にイモが取れるもの・・・というように改良がなされていくわけだ。

日本には1595年頃に伝わったといわれている。豊臣秀吉が死んだ頃の時代だ。 オランダ商戦が持ってきたので「ジャガタラいも」「ジャガイモ」と呼ばれるようになったという。 飢饉の時の食料として広まったといわれている。 本格的に日本中に広まって栽培されるようになったのは、明治になってからで、アメリカ人などが持ってきた新しいじゃがいもの品種によって、ということだ。

花が咲いたあと、実がなるかどうか、気にかけて見ていくことにしよう。

 

 

 

 

 

カナダ・赤毛のアンツアー 35

アンのジャガイモ料理

さてさて、ジャガイモの歴史までさかのぼってしまった。
ところで、アンはどんな料理を作ったのか? 興味が出てきたので、調べてみるとこんな本があった。

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ここに「おじゃがのクリーム煮」が紹介されていた。

レシピを紹介しよう。(4人分)

ジャガイモ・・・・4個
ベーコンの薄切り・・2枚
玉ねぎ・・・・1/2個
バター・・・・大さじ4(約56g)
小麦粉(薄力粉)・・・大さじ4
固形スープの素・・・・1個
水・・・・1カップ
牛乳・・・2カップ
塩・コショウ・・・・少々
生クリーム・・・・大さじ4

 

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ジャガイモは皮をむいて5mmぐらいの厚さに輪切りをし、水に晒す(10分ほど)。

ベーコンと玉ねぎはみじん切りにする。

水にさらしたジャガイモはさっとゆでておく。

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左の写真は、

小麦粉(薄力粉)大さじ4
バター 大さじ4(約56グラム)
牛乳 2カップ
固形スープ1個を水1カップにとかしたもの。

 

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レシピでは厚手の鍋となっているが、炒め用のフライパンで私は調理をした。
バターを溶かしてベーコンと玉ねぎを炒める。 

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薄力粉をふりいれて、焦がさないように2,3分炒める。 固形スープを水に溶かしたものを少しずつ加えて、ダマにならないようにヘラで混ぜる。

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 IMG_1501牛乳を加えて熱する。 トロリとするまでゆっくりと加熱する。
トロリとしてきたら、ジャガイモを加えて煮ていく。
ジャガイモが柔らかくなってきたら、塩・コショウで味をつける。
生クリームを加えて、煮立つ直前に火を止める。

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温めておいた器に、クリーム煮を盛りつける。

クリーム煮の表面に、家で育てているハーブを散らして彩りをつけたのが写真の完成品。

お味はなんとも素朴だが体にジャガイモの栄養が染みわたるような美味しさ。

アンのつくった料理だよと娘にいうと、「シチューみたい」と完食していた。

冬の寒い季節にピッタリの料理だと思う。でもクーラーの効いた部屋での温かいクリーム煮も食欲をそそるものだった。

 

 

 

カナダ・赤毛のアンツアー 34

アンの食べたジャガイモの種類は?   

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前回は専門的な本「ジャガイモとインカ帝国」を紹介したが、同じ著者の岩波新書で出版されている「ジャガイモのきた道-文明・飢餓・戦争」を紹介しよう。
大変読みやすく、私はこの一冊でジャガイモの歴史がほぼわかったような気がした。

ここでジャガイモの栽培化について説明されていることが、たいへんわかりやすかった。

「ジャガイモに限らず、わたしたちが日常食べている「栽培植物」はすべて人間が作り出したものであるということだ。ただし、ここでいう栽培植物とは単に栽培されている植物という意味ではない。栽培植物とは、栽培の過程で植物を人間にとって都合よく改変した結果、野生の植物とはすっかりちがったものになっている植物のことである。それは「作物」ともよばれるが、栽培植物はまさしく人間によって作られた植物なのである。」

このあとに例として野生の植物は種子が熟すと地面に落ちたり、風に飛ばされるが、それは人間にとっては都合が良くないので、栽培植物は種子は脱落しない、と説明がある。そういえば稲も小麦もたわわに実った実は人間が刈り取るまでしっかりと茎についている。また、野生のイモは小さいが、人間がより大きなイモを選択してきたことも説明されている。
「こうして、このような努力を何百年、あるいは何千年とつづけることで、人間は野生とは大きく異なった栽培植物を生みだしたのである。このように動植物を人間が自分たちの都合のよいように変えることを一般に「ドメスティケーション」とよぶ。日本語では動物の場合が「家畜化」、植物では「栽培化」と訳されている」

たとえば、家のまわりの田圃の稲も大きくなり、花が咲いて特有の匂いがしている。見渡すかぎりの稲の背の高さはほとんど同じだ。これが栽培化の結果なのだろう。

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左の本「ジャガイモの歴史」(アンドルー・F・スミス著 武田 円訳 原書房)によると、
「通説によれば、南北アメリカ大陸に人類が定住したのは1万6千年前、アメリカ先住民の祖先がベーリング海峡を渡ってきたのがはじまりで、その後人類はアメリカ大陸西海岸をすみやかに南下し、約1万4千年前にはチリ南部のモンテベルデに到達したといわれている。こうした初期のアメリカ先住民は狩猟採集民族で、食用に適したさまざまな野生植物を食べて生きていた。その中で南アメリカのほぼ全域、中央アメリカ、そして北アメリカ南西部にまたがる広大な地域に存在していたジャガイモは235の種類があった。現在品種化されているすべての食用植物の中で、ジャガイモほど数多くの野生種の祖先を誇る植物は他にない」
「アンデス山中に平らな土地や肥沃な土壌はほとんどないが、アンデスの農民たちは山の斜面にテラス状の段々畑を作り、灌漑用水路を建設し、およそ70の植物を栽培化(野生植物を人間に有益な作物になるように改変すること)した - これは、ヨーロッパ、もしくはアジア全域で栽培化された植物の数にほぼ等しい。そのうち25種類が塊茎(かいけい - 地下茎の養分を蓄えて肥大した部分、いわゆるイモ)植物ないしは根菜作物で、ピリッと辛いアニュス、ラディッシュに似ているマカ、色鮮やかなオカ、ウルコ、そして7種類のジャガイモの仲間(そのひとつがもっとも重要なジャガイモSolanum tuberosum )などがあった。根菜植物の多くは現在も南米で栽培され市場にも出回っている。しかし、唯一 S.tuberosum -(普通ジャガイモ)-だけが名もない端役から一転、世界的なスターの座に踊り出たのだった」

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「ジャガイモのきた道」には、「植物学的にいうと、ジャガイモはトマトやタバコ、トウガラシなどと同じナス科の植物であり、ソラヌム(Solanum)属に属している。このソラヌム属の植物はきわめて多く、1500種も知られているが、このうちの約150種がイモ(塊茎)をつける、いわゆるジャガイモの仲間である。ただし、ジャガイモの仲間とはいっても、これらのほとんどが野生種であり、栽培種は7種しか知られていない。また、この7種の栽培種のうち世界中で広く栽培されているのは1種だけであり、残りの栽培種はいずれもアンデス高地に分布が限られている」 (上の図は「ジャガイモのきた道」から)

この1種というのが トゥべローサム種(S.tuberosum) なのである。

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左の本「ジャガイモ伝播考 ベルトルト・ラウハァー著 福屋正修訳 博品社)」によると、
「ポテトの変異能力は驚くべきものだ。品種が次々と飛躍的に増加している。文化が、言い換えれば、耕作することが、ほとんど毎日のように新品種を作り出している。今日では約1,000種が知られているが、例えば、フランスでは、1815年には60種であったのだが、1855年には493種、1862年には528種というように、変異の度合いは明らかに耕作の拡大とともに増え、これとともに質も改良された。・・・(略)・・・変異の多様性にもまして素晴らしい特徴は、気候、高度、土壌に対するこの植物の適応性だ。高度12,000フィート、あるいは、14,000フィートの高地にさえ見られるが、海岸地方でもよく育つ。砂質土壌にも、穀物の育たない高地にも生存できる。塊茎の保存は容易で、しかも長期間もつ」(この本の序文の日付は1937年7月1日)。
プリンスエドワード島のように緯度の高い寒冷な気候で、しかも赤い砂岩の土壌で栽培されているのは、ジャガイモの特性を活かしているからだとわかる。

上の本には「今日では約1,000種」と書いてあるのは、その文章の前に書いてあるように「品種」のことである。「ジャガイモのきた道」には次のような文がある。

「ここで注意していただきたいのは、『種』というのは植物学でいうスピーシスのことであり、このスピーシスそれぞれから多くの『品種』が生み出されていることだ。」

「男爵」も「メークイン」も品種名であり、植物学的にはどちらも四倍体のソラヌム・トゥべローサムに属するということだ。世界各地で作られているジャガイモ品種のもとをたどれば、アンデスで生まれたトゥべローサム種の一種に由来するということになる。
日本の米に例を取れば、イネには20種の野生イネがあり、栽培化されたのが2種で、アジア栽培イネとアフリカ栽培イネである。アジア栽培イネにジャポニカ種(日本型)とインディカ種(インド型)の二系統にわかれ、私たちが食べている米はこのジャポニカ種であり、そこから「品種改良」により、農林一号、コシヒカリ、あきたこまち、ササニシキなどの多様な品種ができあがったのと同じことだと分かる。

最近「インカのめざめ」という品種をみることがあるが、これは説明を見ると、

「南米アンデス地域の2倍体在来種で独特の食味を有する Solanum phureja とアメリカ品種「Katahdin」の半数体を交配して育成された2倍体系統です。
4倍体の普通栽培種(S.tuberosum)とは異なる2倍体品種です」

とある。上の図2-2を見るとS.phureja (2X) があることがわかる。
トゥべローサム(S.tuberosum) 種以外の栽培種をもとにした品種改良が進んでいることが分かる。

アンの食べていたジャガイモも、このトゥべローサム(S.tuberosum) 種から品種改良されたものだったにちがいない。

ジャガイモ以外に南北アメリカからヨーロッパに運ばれた野菜類は多い。
ジャガイモ、さつまいも、とうもろこし、トウガラシ、ズッキーニ、ピーマン、カボチャ、トマト、インゲン豆、ピーナツ、ひまわり、イチゴ、パイナップル、アセロラ、カカオ、アボガド、パッションフルーツ、グァバ、そしてタバコ。

アンをはじめ現代の私たちの食卓は、ベーリング海峡を渡った南北アメリカの先住民族の何百年、何千年もの栽培化の努力がなかったら、これほど彩り豊かなものにならなかっただろう。感謝、感謝。

 

 

 

 

カナダ・赤毛のアンツアー 33

カナダのジャガイモ生産のトップと言われているプリンス・エドワード島。ジャガイモはいつごろ、どこから伝わってきたのだろう。 そんな疑問がわいて何冊かの本を読んでみた。

まずは写真がとてもきれいな「たくさんのふしぎ」。ここには原産地の南アメリカでの様子が写真で紹介されている。

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「たくさんのふしぎ」と同じ著者の山本紀夫さんの本が多くあった。この「ジャガイモとインカ帝国」が一番専門的な本だった。

ジャガイモと人間の歴史は、紀元前一万年前頃にさかのぼる。
人類が南アメリカに渡り、アンデス地方に移動してきたのが約1万年前。
この頃の人類は狩猟を主にして生活してきた。そして食用に適しているさまざまな野生植物を採取してきた。
そのなかに現在のジャガイモの原生種があったと考えられている。
アンデスの人たちが数千年の時間をかけて、野生種から今のジャガイモに栽培化してきたのだ。

私の読んだ本をもとに、年表を作ってみた。

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1万年前  南アメリカに人類が到着

8000年前 ジャガイモの栽培化がはじまる。

1250年頃 クスコ王国成立

1438年  タワンティン・スウユ(インカ帝国の正式名)成立

(1492年 コロンブス アメリカに到着)

1497年  最初のヨーロッパ人がカナダ(ニューファンドランド沖)に到着

(1522年 マゼラン 世界一周)

1532年  インカ帝国、スペインに征服される。

1570年頃 ジャガイモがスペインに渡る。

1590年頃 イギリス・アイルランドにジャガイモが伝わる

1600年頃 フランスにジャガイモが伝わる。

1665年  フランス・パリにジャガイモがすがたをあらわす。

1618〜48 30年戦争(ドイツ国内の新旧の宗教対立に、皇帝・旧教徒にスペイン、新      教徒側にデンマーク・スウェーデン・フランスが参戦)

1641年頃 (江戸時代)オランダ人によって日本にジャガイモが伝わる。

1655〜58 ポーランド・スウェーデン戦争

1656〜58 ロシア・スウェーデン戦争

1672〜74 第三次英蘭戦争

1699年  イングランド、アイルランド全域でジャガイモが栽培される。

1672〜78 蘭仏戦争

1701〜14 スペイン継承戦争・ヨーロッパ全域に飢餓が広がる。
        ドイツにジャガイモが広がる。

1733〜35 ポーランド王位継承戦争

1736〜39 ロシア、オスマン朝と戦争

1740〜48 オーストリア継承戦争      
      この年の飢餓をきっかけにプロイセンのフレデリック大王はじゃがいも      の栽培を奨励。

1756〜63 七年戦争(オーストリアがフランス・ロシアの援助を得て、プロセインと      その同盟国のイギリスとの戦争)
      ジャガイモがプロイセン、ポーランドに広がる。

1768〜74 露土戦争(ロシア・トルコ)

1770年  フランスに食糧飢饉 これよりフランスにジャガイモが広がる。  

1778〜79 バイエルン継承戦争

1782〜87 天明の大飢饉 甲斐の国では九州より種イモをとりよせジャガイモを栽培     し、 飢餓食とする。

1795年  ナポレオン戦争   ジャガイモ、ロシアに広がる

1845年頃 アイルランドにジャガイモの伝染病ひろがり、大飢饉となる。
     (アイルランドからアメリカ・カナダへの移民が増える。ケネディ大統領      の祖先もこの時期に移民をしている)

1860年頃 イギリス労働者階級の象徴的な食べ物としてジャガイモが定着            ホット・ポテトの登場

1871年  明治政府は北海道開拓の指導者としてケプロンを招聘し、新しいジャガイ      モの品種を栽培。これ以後北海道のジャガイモ生産は飛躍的に伸びる。

 1885年  ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」の絵を描く 
      オランダにジャガイモが定着

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ジャガイモがヨーロッパに伝わった頃は、ヨーロッパの各地で長い期間戦争が続いていた。そして小氷期といわれる寒冷な時代。戦争と飢餓、この二つがジャガイモをヨーロッパ全土に広げたとも言えそうだ。日本の場合も、江戸時代の大飢饉を通して、東日本にジャガイモ、西日本にさつまいもが広がったようだ。

ジャガイモの全世界への広がりを見てみよう。下の地図は「たくさんのふしぎ」からとったもの。 

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地図を見ると、ヨーロッパと北アメリカの東部は以外に近く感じる。ヨーロッパからの移民たちがカナダにジャガイモを伝えたことが予想される。

カナダの歴史を調べようと本を見ていると、なんと家にあった松本侑子さんの本、「だれもしらない赤毛のアン」にカナダの歴史が要領よく書かれていた。

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その本を元に、簡単にカナダ・プリンスエドワード島の歴史を見てみよう。

ケルト伝説やバイキング伝説として紀元前から北アメリカへヨーロッパ人が来ていたという言い伝えがあるが、あくまでも歴史的な事実を元にすると、上の年表のように1497年である。
それまでは先住民族のミクマック族が約2000年前からプリンスエドワード島に暮らしている。

17世紀になると本格的にフランスからの移民が始まり、カナダはフランス領土となった。1663年フランス人は島に居留地を建設した。

フランス領のカナダにイギリスも入植してきて、経済的・宗教的にフランスとイギリスは対立関係に入っていった。
ヨーロッパの王位継承戦争を反映し、カナダでも戦争が起きる。
1756年からの七年戦争で、イギリス・プロイセン軍がフランスに勝利。
1763年のパリ講和条約によりカナダ・アメリカはイギリス領となる。
    プリンスエドワード島の州都がシャーロットタウンと命名される。

1776年 アメリカ合衆国建国。アメリカから大量にカナダに移民。
    カナダ領内にイギリス系住民が増加する。

1864年 プリンスエドワード島にてカナダ各地の植民地統合を話し合う会議が開かれ    る。

1867年  英領北アメリカ法によりカナダ連邦結成
    (自治が認められたが、外交権及び憲法改廃権は英国に帰属。これ以降、カ     ナダにある植民地は段階的にカナダ連邦加盟。この時プリンスエドワード     島は連邦に加盟しなかったが、1990年に加盟。)

1926年 バルフォア宣言により、英国から<外交権>を獲得
1931年 ウエストミンスター憲章により<カナダの独立>が承認
1982年 「1982年カナダ憲法」により、英国から<憲法改廃権>を完全移管。名実と    もに独立国家となる。

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「赤毛のアン」の作者モンゴメリさんの父方の初代モンゴメリは、1769年にイギリスのスコットランドからプリンスエドワード島植民地に移住した。
1775年に、母方のマクニール初代がスコットランド西部のアーガイル州地方からプリンスエドワード島に移ってきている。
1763年にカナダはイギリス領になっているので、かなり早い時期にイギリスから移住してきたことが分かる。この時期にはすでにジャガイモが生産されていたと考えられる。
松本侑子さんの本によると、イギリスから移住してきた人たちがジャガイモを伝えたそうだ。

アンデスの高地で寒冷な地域でも栽培できるジャガイモは、プリンスエドワード島の土壌と気候に適合し、最初に書いたようにカナダのジャガイモ生産の25%から30%を生産するようになった。

アンデスからイギリス・アイルランドに伝わってから、100年から150年かけて北アメリカ・カナダにジャガイモが伝わってきたようだ。「貧者のパン」といわれているじゃがいも、飢饉に飢えた人々、貧しい労働者、開拓者、カナダやアメリカに移住してきた人々、アフリカやアジアの多くの人々の命を育んできたことが分かる。

 

 

カナダ・赤毛のアンツアー 31

アンとジャガイモ

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この写真は 松本侑子さんの「赤毛のアンのプリンス・エドワード島紀行」からとったもの。私たちがプリンスエドワード島に行ったのは、初春だからこれからジャガイモが植えられる時だった。収穫の様子を知りたかったので、さがしてみるとちゃんと松本侑子さんの本にあった。

プリンスエドワード島の名産物ジャガイモは、「赤毛のアン」ではどのように書かれているのか気になって調べてみた。

「赤毛のアン」「アンの青春」「アンの愛情」の3冊を調べてみた。 

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第4章

“I never in all my life saw or heard anything to equal her,” muttered Marilla, beating a retreat down to the cellar after potatoes. “She is kind of interesting as Matthew says. I can feel already that I’m wondering what on earth she’ll say next. She’ll be casting a spell over me, too. She’s cast it over Matthew. That look he gave me when he went out said everything he said or hinted last night over again. I wish he was like other men and would talk things out. A body could answer back then and argue him into reason. But what’s to be done with a man who just LOOKS?”

(訳は松本侑子さんの本から。)
「こんな子は、金輪際、知らないね」マニラはつぶやきながら、馬鈴薯を取りに地下貯蔵庫へ退却した。「マシューの言うように、確かに面白い子ではあるがね。私ときたら、今ではあの子が次に何を言い出すか、心待ちにしている有り様だ。どうやら私にも、魔法をかけるつもりかね。マシューはすっかりかけられてしまったけどね。朝、畑に出かけた時の兄さんのあの顔つきといったら、ゆうべ兄さんが口にしたり言葉にしないまでもほのめかしたことを、今度は顔つきでしてみせるんだから、引き取りたいってね。兄さんもせめて、世間並みの男くらいには胸の内を口にしてくれると、こちらも言いかえしたり、理にかなうように説きふせることもできるけど、顔つきでしかものを言わない男なんて、どう対応すればいいのかね」

第16章

“No. The sitting room will do for you and your company. But there’s a bottle half full of raspberry cordial that was left over from the church social the other night. It’s on the second shelf of the sitting-room closet and you and Diana can have it if you like, and a cooky to eat with it along in the afternoon, for I daresay Matthew’ll be late coming in to tea since he’s hauling potatoes to the vessel.”

「いいや、あんた方は居間だよ、でも、先だっての晩、教会の集まりに出した木苺水が瓶に半分残っているよ。今の戸棚の二段めにあるから、よかったらダイアナとお飲み。おやつにクッキーと一緒に食べてもいいよ。というのも、マシューはお茶には遅れるだろうからね。船にじゃが芋を積みに出ているんだよ』

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“How is your mother?” inquired Anne politely, just as if she had not seen Mrs. Barry picking apples that morning in excellent health and spirits.
“She is very well, thank you. I suppose Mr. Cuthbert is hauling potatoes to the LILY SANDS this afternoon, is he?” said Diana, who had ridden down to Mr. Harmon Andrews’s that morning in Matthew’s cart.
“Yes. Our potato crop is very good this year. I hope your father’s crop is good too.”

「お母様は、ご機嫌いかが?」アンは澄ましてたずねた。まるで今朝、パリー夫人が元気溌剌として林檎をもいでいたところなど、見なかったというように。
「おかげさまで、とても元気ですわ。そういえばカスパートさんは、今日はリリー・サンズ号にお芋を積みにお出かけでしたわね』ダイアナも言った。彼女の方は、朝方、マシューの荷車にのせてもらって、ハーモン・アンドリュースさんのところまで行ってきたのだが。
「ええ。そうですの。今年はお芋の収穫がとてもいいんですの。お宅のお父様のお芋も、良い出来だといいですね」

 

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第16章

“Then I’ll have peas and beans and creamed potatoes and a lettuce salad, for vegetables,” resumed Anne,

「野菜料理にはエンドウ豆といんげん豆、ジャガイモのクリーム煮、レタス・サラダをお出しするわ」アンが話をもどした。

第17章

Then the girls tripped out to the kitchen, which was filled with appetizing odors emanating from the oven, where the chickens were already sizzling splendidly. Anne prepared the potatoes and Diana got the peas and beans ready. Then, while Diana shut herself into the pantry to compound the lettuce salad, 

アンとダイアナが軽やかな足どりで台所へ行くと、オーヴンではローストチキンがこんがり焼けてじゅうじゅう音をたて、おいしそうな匂いがたちこめていた。
アンはジャガ芋を下ごしらえした。ダイアナはグリーンピースとインゲン豆の支度にとりかかり、それから配膳室に閉じこもって、レタス・サラダの材料をまぜにかかった。

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“Yes,” said Anne, mashing the potatoes with the air of one expected to do her duty.

『入れたわよ」アンは、その義務を果たすよう期待されている人のような悲壮なそぶりでジャガ芋をつぶしていた。

 

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第4章

“Wait till next year,” comforted Priscilla. “Then we’ll be able to look as bored and sophisticated as any Sophomore of them all. No doubt it is rather dreadful to feel insignificant; but I think it’s better than to feel as big and awkward as I did?as if I were sprawled all over Redmond. That’s how I felt?I suppose because I was a good two inches taller than any one else in the crowd. I wasn’t afraid a Soph might walk over me; I was afraid they’d take me for an elephant, or an overgrown sample of a potato-fed Islander.”

「来年まで待つのよ」プリシラが慰めた。

「そのころには、あの二年生たちのだれよりも、あきあきして世なれした顔もできるわ。小さな存在だって感じるのは、たしかにつらいけど、私みたいに、図体が大きくて、不格好だって気がするよりましよ・・・だって、大勢の中で、私だけ、背丈が二インチ(約五センチ)は高かったのよ、さすがに、二年生に踏みつぶされる心配はないけれど、像と間違えられるんじゃないか、とか、ジャガイモばかり食べて、でかくなりすぎたプリンスエドワード島民の見本だって思われやしないか、きがかりだったわ」

 

第11章

Late as it was Aunt Atossa was cutting potato sets in the Wright kitchen. She wore a faded old wrapper, and her gray hair was decidedly untidy. Aunt Atossa did not like being “caught in a kilter,” so she went out of her way to be disagreeable.

遅い時間というのに、アトッサおばは、ライト家の台所で、種イモにするジャガイモを切っていた。色のさめた古い部屋着をきて、白髪頭は、ぼさぼさだった。「無理して感じよくふるまう」のが嫌いで、わざと無愛想にするのだった。

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”・・・I’m in a hurry to get these spuds done tonight. I suppose you two LADIES never do anything like this. You’d be afraid of spoiling your hands.”

“I used to cut potato sets before we rented the farm,” smiled Anne.

“I do it yet,” laughed Diana. “I cut sets three days last week. Of course,” she added teasingly, “I did my hands up in lemon juice and kid gloves every night after it.”

「・・・今夜中に、急いでイモをかたづけちまうんでね。お嬢さんがたは、こんな仕事はしたことあるまいね。手が荒れるんで、いやなんだろ?」

「畑を貸しに出すまでは、私もよく種イモを切りました」アンはほほえんだ。

「私なんか、今でもしてるわ」ダイアナが笑った。「先週は三日も」それから茶目っ気たっぷりにつけ加えた。「もちろんそのあとは、毎晩、両手にレモンジュースを塗って、子ヤギの革の手袋をはめるのよ」

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「赤毛のアン」「アンの青春」「アンの愛情」の三冊から「ジャガイモ」の文字があるところを抜き出してみた(見つけ出せていないところもあるかも知れないが・・)

ジャガイモがアンやプリンスエドワード島に住む人にしっかりと根ざしていることがよく分かる。

とりわけ「アンの愛情」では、アンやダイアナが種イモを切って、家の仕事を手伝っていたことがえがかれている。
あの広い赤土のジャガイモ畑に植える種イモは、何百、何千個になるだろう。
きっとグリーンゲイブルズの納屋で、アンは何日も何日も種イモを切ったのだろうと想像すると、違った意味で「赤毛のアン』の世界が身近に感じられる。
そしてアンもダイアナもその仕事を全く嫌がっていなかったことが読み取れる。
カナダの人たちは、自分たちの生活と重ねあわせながら、微笑みもうかべて読んだに違いない。そこが「赤毛のアン』の魅力かもしれないと思った。