ドイツグリム紀行20(5日〜6日目)

フランクフルト

%e3%83%89%e3%82%a4%e3%83%84%e5%9c%b0%e5%9b%b3%ef%bc%92
ブレーメンからフランクフルトに戻ってきた。
フランクフルトはドイツに到着した時は通過しただけだったので、市内を見学していない。
コースでは日本に帰る最後にこの町を歩くことになっている。
あらためて地図を見ると、ブレーimg_7042メンの音楽隊に関係するヴェーザー川も、ローレライのライン川もドイツを縦断して北海に注ぎ込んでいることがよくわかった。

さて、グリム兄弟とフランクフルトはどんな関係があったのだろう。

グリム兄弟はフランクフルトの近くにあるハーナウで生まれた。(左の写真は私が訪れたハーナウにある兄弟の像)。
兄弟はカッセルに30年ほど住んだあと、カッセルから40km程度はなれたゲッティンゲンに移る。そしてゲッティンゲン大学で教鞭をとるようになる。
ヤーコブ52歳、ヴィルヘルム51歳の時(1837年)「ゲッティンゲン大学7教授罷免事件」がおきる。その様子を松本侑子さんの資料より引用すると、

「ゲッティンゲンで二人はたゆまぬ研究、学生への教育指導、図書館管理という多忙な生活に入るが、しかし時代の激変は、またも兄弟に襲いかかる。
このころ、絶対君主制を固持しようとする王侯貴族と、自由を求める富裕で教育のある市民階級との対立が激しくなってきた。学生運動が起き、労働者、職人、農民も、市民としての権利を要求して暴動や集会も開かれた。そうした流れを受けて、ゲッティンゲンのあるハノーファー王国では、国民の議会参加を認めた進歩的な憲法が制定される。それまでは君主の権力は絶対的なもので、臣民には、それに異議を唱える権利はないとされてきたが、新憲法のもとでは、支配者も法的な拘束を受けるようになった。しかし王が交代すると、新しい国王は、統治者に有利な旧い憲法に戻す宣言を出したのだ。・・・(略)・・・
慣習法としての法律を研究し学生たちに講じてきたヤーコブは、君主による横暴を看過することができなかった。
52歳のヤーコブと51歳のヴィルヘルム、そしてほかの5名の教授は、国王に反対する声明を提出した。それによって首謀者の一人とされたヤーコブは教授の地位と職を奪われ、さらに三日以内の国外退去処分を受ける。首謀者ではなかったヴィルヘルム、は国外退去はまぬがれたが、やはり教授職を解かれた。
 これがゲッティンゲン大学7教授罷免事件だ。ヤーコブら7教授を支援する人々の輪はドイツ各地に広がり、職を失った二人は、ベルリン大学、ミュンヘン大学からも教授として招かれた。ゲッティンゲン大学の学生たちもヤーコブを支持し、デモまで行って解雇処分への反対を表した。ハノーファー王国を去りカッセルへ帰っていくヤーコブを追って、学生たちは松明をかかげて行進し、ヘッセン国の国境まで見送ったのであった。グリム兄弟というと、日本では童話のイメージが強いが、ドイツではこの一件によって民主化を求める国民的な英雄としても歴史に名を残している。」

%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%af%e3%83%95%e3%83%ab%e3%83%88%e5%9b%bd%e6%b0%91%e8%ad%b0%e4%bc%9a%ef%bc%91

グリム兄弟はベルリン大学で教授として迎えらる。
そして1846年にフランクフルトで開かれた「ドイツ文学者会議」で、ヤーコブは満場一致で議長に選出されている。
また、1847年のフランクフルト国民会議(ドイツ憲法制定会議)でも代議員に選出されて、憲法草案を提示している。(左の写真はWikipediaの「フランクフルト国民会議」の記載より引用)

グリム兄弟の兄、ヤーコブにとってフランクフルトは重要な場所になっている。

私たちはそのような町フランクフルトを夕方に散策した。

img_4054

ここは聖パウルス教会。なんとフランクフルト憲法を審議した場所とか。ヤーコブがここにいたかもしれない。
レリーフはケネデイ大統領。「ここは自由が誕生した場所だ」と1963年にここでスピーチをしたそうだ。

img_4057

img_4059_2 img_4061_2

フランクフルトの町に夕闇が迫ってくる。 私たちは市内のレストランに入る。

img_7362img_4064

img_4068

img_4070

img_4078

ツアー最後の夕食なので、みんなゆっくりとお酒やジュースなどを飲みながら食事をし、おしゃべりを楽しむ。このツアーは食事が美味しいのでリピーターも増えそう。
最後の写真は「聖ニコラス教会」の夜景。

6日目の朝

img_7368

img_4088 img_4092

このホテルは建物は古いが、内装や調度品は歴史を感じさせながら、なおかつオシャレ。 img_4101

ガーデンテラスではサラリーマンらしい人が朝食を食べている。 少しはなれたテーブルではブレックファスト・ミーティングあるいはパワー・プレックファストのような朝食風景が見られた。スーツ、ワイシャツがピシッと決まった人たちのグループだ。

img_7369

朝食をすませ、私たちはフランクフルトの朝を散策しながら、「ゲーテハウス」に向かう。

左はゲーテ広場にあるゲーテ像。

グリム兄弟とゲーテの関係はどうだったのだろう。松本侑子さんの資料を見てみよう。

「1809年、弟のヴィルヘルムは、ワイマールにゲーテを訪問している。まだ一冊の本も出していない23歳のヴィルヘルムが、60歳のゲーテに会えたのは、恩師ザヴイニーがゲーテに宛てて、グリム兄弟が優秀であること、古代ドイツ文学を収集していることを伝えてくれたからだ。ゲーテはヴィルヘルムの取り組みを激励し、優しく対応してくれ、彼は大いに感激する。晩年のゲーテは職業面では老獪で煮ても焼いても食えない老人という観があるが、利害関係のない年若い文学青年には、警戒心を解いてざっくばらんに接したのであろうか。・・」

今日も良い天気だ。青空の中、ガイドさんの市内観光の説明を聞きながら、ゲーテハウスに向かう。