ザビエルと鶴亭

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ここは神戸市立博物館。

「鶴亭」の絵が特別展で展示されているので見に来た。
5月29日(日)までの展示。できるだけ早く、と思いながら結局は終わり間近に見に来るのはいつものこと。金曜日だったが、人もそれほど多くなかった。

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博物館ロビーに、上の写真のような今回の特別展のパネルが展示してある。
神戸市立博物館のホームページに、この特別展の紹介がある。
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その名は鶴亭(かくてい・1722~85)―長崎出身の黄檗僧、画家である彼は中国由来の美しく、おめでたい花鳥画(南蘋風(なんぴんふう)花鳥画)をかっこよくアレンジし、京都、大坂に初めてもたらして一大ブームを巻き起こしました。また、黄檗僧が得意とした水墨花木図も数多く手がけました。憧れの地・長崎からやってきた鶴亭は、唐(から)の香りをまとう羨望の的。かっこいい花鳥画=「花鳥画(かっちょいいが)」を生み出す鶴亭に、伊藤若冲も大きな刺激を受け、池大雅も深い交友を持つなど、京坂の画家に与えた影響ははかりしれません。
 本展は歿後230年を経て、鶴亭の画業と生涯に迫る初めての回顧展です。鮮やかな色彩と豊かな表情の鳥が魅力的な著色花鳥画、大胆かつ冴えわたる筆遣いの水墨花木図からなる、鶴亭の「花鳥画(かっちょいいが)」76件(うち初公開45件!)を展観します。あわせて、鶴亭が学んだ黄檗絵画や南蘋風花鳥画、同時代に活躍した池大雅、伊藤若冲、曾我蕭白や、鶴亭の弟子たちの作品もご紹介します。約120件の出品作品を通して、若冲、大雅も憧れた鶴亭の画業の全貌と生涯に迫ります。

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2016_1kakutei.html

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鶴亭(1722〜1785)、
若冲(1716〜1800)、
池大雅(1723〜1776)、
この3人が同時代の人達だったとは知らなかった。
徳川将軍で言えば、吉宗(1716〜1745)、家重(1745〜1760)、家治(1760〜1786)の頃になる。江戸時代の中頃、安定期の頃だと思う。

このポスターの鮮やかなブルーと牡丹のピンク、そして鶴の姿に惹かれて特別展に来た人は多いと思う。私もその一人。
残念なことにこの絵はない。
このポスターの絵は、上に紹介した神戸市立博物館のホームページをみれば、
「竹鶴図(たけつるず)」のタンチョウヅルと「牡丹綬帯鳥図(ぼたんじゅたいちょうず)」の牡丹を使ってデザインしてあるのだ。目の覚めるようなブルーの絵はなかった。グラフィックデザイナーの鶴亭への挑戦かもしれない。
それはそうと、これほどの水墨画、花鳥画を見ることは私は今までになかった。水墨画といえば雪舟とか、人気の若冲といった程度の知識しかなかったが、日本画の流れや魅力にふれることができた。
館内の照明を落としてあるのとガラス越しなので、図録にあるような細やかなところを詳しく見るのはむずかしい。単眼鏡をもって見ている人が何人かみうけた。私もこういう機会があったら家にある双眼鏡を持ってこようと思った。

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「鶴亭」もすばらしかったが、同時開催の常設展、「南蛮美術・古地図企画展 西洋との出会い」が、私にとっては必見のものだった。

教科書で見たザビエルがここに

ここに「フランシスコ・ザビエル」と「クアトロ・ラガッツィ」があったのだ。

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これは1階のショップで買ったクリアファイル。
社会科の教科書でお馴染みの「フランシスコ・ザビエル」の絵だ。
この絵が神戸市立博物館に収蔵されている。

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/402.html

詳しい解説は上記のホームページに。

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大きさは61.0cm✕48.7cm、重要文化財の貴重な逸品。
フランシスコ・ザビエルはこんな顔じゃなかったという声も最近聞かれるが、肖像画ではないのだからそれは許されるべきものだと思う。
左はポルトガルで見たフランシスコ・ザビエルの像。
確かにその姿はちがっているが、500年以上も前の歴史上の人物。
極東の日本と、ヨーロッパ最西端のポルトガルに同一人物の絵や像があるだけでもすごいことだ。
教科書で見るだけだった「フランシスコ・ザビエル」の肖像の本物がここにあるというだけでうれしくなる。
さらにもうひとつ、

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これもショップで買ったクリアファイル。 なんと「ポルトガル紀行」のブログで紹介した、若桑みどりさんの「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」の本の表紙にある南蛮船だ。

この南蛮船が描かれている屏風の現物、本物がここ神戸市立博物館にあったのだ。
ブログでこの本を紹介した時に、「狩野内膳 南蛮屏風」(神戸市立博物館)と出典を書いておいたが、本物をみることができるとは予想もしていなかった。
博物館の説明には、「スペイン、ポルトガルとの交易の様子を描いた南蛮屏風は16世紀末から17世紀半ばを中心に制作されました。狩野内膳(1570〜1616)の作品は、抜群の描写力と鮮やかな色彩で、90件以上確認されている南蛮屏風のなかでも傑出しています。」とある。
この南蛮船の他に、「クアトロ・ラガッツィ」の表紙見返しにある地図、テイセラ日本図(本にはテイシュイラとなっているが、博物館の資料はテイセラ)、A.オルテリウス編「世界の舞台」の世界地図も展示されていた。

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このほかにも、地球儀や古地図が展示されていた。地図は全てで10件もあり16世紀、1500年代の人々の世界観や日本への認識を知ることがてきて、大変興味深かった。

「鶴亭」の絵を見ることが目的だった神戸市立博物館の特別展だったが、たまたま企画展「南蛮美術・古地図企画展 西洋との出会い」とが同時開催だったのは、私にとっては願ってもない偶然だった。

「鶴亭」も「フランシスコ・ザビエル」どちらも5月29日まで。
まだ見たことのない人は、この機会に是非どうぞ。

 

 

 

 

ポルトガル紀行 23

クアトロ・ラガッツィ

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私がポルトガルに興味を持ち続けていたのは、この本を買っていたから。
奥付には2003年10月30日
第一刷発行
とある。
若桑みどり著 集英社、550ページにも及ぶ力作である。
13年前に買っているが、全部を読み終えたわけではない。ポルトガルに行く前にもう一度読み始めたが、未だ読み終えることのできない、私にとっては未読の大作。
このブログを書くために、必要なところを読み返している。ブログはポルトガルから帰ってきてしまったが、この本とのつきあいはまだしばらく続きそう。

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カバーがすばらしい。表の船の絵は
狩野内膳「南蛮屏風」左隻 船出(部分) 神戸市立博物館
とある。狩野内膳(かのうないぜん1570年〜1616年)は安土桃山時代から江戸時代初期の人。長崎にいたことがあるということから、実際に見た南蛮船がこの絵に生かされているのだろうと言われている。天正少年使節団が乗った船はポルトガルの船と言われているので、このような船だったのかもしれない。

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IMG_20160320_0005この本の見返しには、写真のような地図が付いている。
上の世界地図は「オルテリウス編 世界の舞台 世界図 1570年(神戸市立博物館)。 日本は文字通りに極東の国である。
日本地図は、「テイシェイラ「日本図」1595年」(神戸市立博物館) 。

天正少年使節地図

今と比べては、大変不完全な地図だが、このようにして人間の世界は広がってきたのだろう。
左の地図は「クアトロ・ラガッツィ」にある地図。天正少年使節団が通った道筋がわかる。
長崎−リスボンを船で航海し、ポルトガルからスペイン・イタリアを訪問している。右の地図を見れば、私たちが訪れたコインブラ、バターリャ、シントラ、リスボンの位置がよくわかる。

1582年に出発し、1590年に帰国。足掛け8年にもおよぶ旅は、日本の歴史的な出来事として語り継がれるだろう。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティーノの4少年。出発した当時の年齢は13〜14歳といわれている。
海の上で、そして異国で、ずっと一緒だった4人は、日本に帰ってからの道は同じではなかった。
「クアトロ・ラガッツィ」にはこんなふうに書かれている。
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(天草のコレジオで学んだ出身者のその後の動静についてのリストが書かれ、その後に次のような文章が続く)

 彼らはみなコレジオで教育を受け、マカオでさらに勉学し、日本のキリスト教会を支えるべく教育されみずからも勉学に励んだ者たちである。そして彼らの運命は、迫害の前に病死したふたりをのぞけば、ふたつしかなかった。
日本を亡命するか、または殉教である。このリストにない者は消息不明の者たちである。その多くは棄教者であった。
 マンショは42歳で病死した。マルティーノは国外追放となりマカオで死んだ。そしてジュリアンは潜伏し、長崎で殉教した。ミゲルはいつ死んだかわからない。彼は棄教者となった。4人の生涯は4枚の葉のように別れていった。(P489〜490)

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千々石ミゲルについては、最近墓石が見つかったとかで研究が進んでいるようだ。本も出版されているが、私にはそれを読み解く力量はない。

実際にポルトガルで、彼らが見たり聞いたりしとことと思われることに私もふれて、その感慨は深い。500年の長い歴史が不思議に身近に感じられる。彼らの運命は歴史に振り回されたのかもしれない。しかしその足跡はだれにも消すことはできない。

*「クアトロ・ラガッツィ」とはポルトガル語で「四人の少年たち」という意味。

金平糖、煙草、天麩羅

①天正少年使節団と縁の深いところをまとめてみる。

天正遣欧少年使節が祈りを捧げたシントラの王宮の礼拝堂、彼らの宿になったサン・ロッケ教会。

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彼らが訪れたり、船から見たであろうテージョ川の河口にあるジェロニモス修道院とベレンの塔。

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使節団が訪れたバターリャ修道院の未完の礼拝堂、そしてクリスマスを過ごしたというコインブラ大学。

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②ポルトガルに由来する日本の文化

煙草と漢字で書くが、その由来は「TABACO」。そして天麩羅の原型はこれ。

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忘れてはならない、これが金平糖のルーツ。煙草、天麩羅、金平糖と漢字で書いているがもとはポルトガルにあることが実感できた旅だった。

また、日本と縁の深いフランシスコ・ザビエルの肖像画やポルトガル総領事だったモラエスが住んでいた家を見ることもできた。
FADOでは日本に帰ってきてから、ちあきなおみさんの歌声にあらためて日本とポルトガルのつながりを考えることができた。

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ポルトガルでの自分達へのおみやげは靴とコルク製のパッグ。

コルク製のものがたくさんあるのに驚いた。扇子や傘もあった。
帽子もハット形だけでなくキャップ型もあり、バッグにいたっては多種多様なデザインがあった。
靴は雨の中を歩いた時に買った。もう靴の中まで水が入りたまらずに靴屋さんに入る。運動靴でも買おうかとおもったが、ちょっとおしゃれなデザインの靴があったので試してみた。靴のサイズが通じない。英語で〇〇cm、というがだめ。履いて感じの良いのを買うことにした。ホテルに帰ってみると、なんとスペイン製だった。スペインも革の文化の国だからラッキーと思う。

残った課題は「ジプシー」のこと。現地ガイドさんに聞こうかと思ったが聞く機会がなかった。日本に帰ってきて関西国際空港で添乗員さんに聞く。
「ロマのことですか。スペインに比べると人数は少ないです。そしてスペインのように目立っていません・・・・」もう少し詳しくと思ったら、なんと飛行機でパスポートを紛失したというツアーの人が出てきて、そちらの対応に・・・。

さて、パスポートをなくしたと言いに来た人は、どうなったのだろう。飛行機の中だから心配なとおもうのだが、、、、。旅にはいろんなことがおこる。

23回になった「ポルトガル紀行」もこのへんで中締め。機会があれば、また書くことにしょう。