スペイン「カルメン」紀行25

あたらめてカルメンについて

IMG_20151204_0001このツアーで松本侑子さんに質問したことがある。

「スペインで歌劇カルメンが上演される時は、スペイン語で上演されるのですか?」

松本侑子さんの返事は「フランス語です」。

その時に聞いたお話の内容が、「ヨーロッパ物語紀行」にこんなふうに書かれている。

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スペインの人に「スペインの物語といえば『カルメン』を知っています」などと口にすると、無知な東洋人だと秘かに軽蔑されるかもしれない。
 舞台はアンダルシアでも、フランス人がフランス語で書いたフランス文学だからだ。オペラにいたっては、台本を書いたR・アレヴィとH・メイヤック、作曲家ビゼーもすべてフランス人。ビゼーは一度もスペインに行かずに、スペイン的とされる旋律を作ったのだ。作者のメリメはスペインへ二度、旅をしているが、いずれにしてもこれは「フランダースの犬」と同じように外国人が書いた小説だ。
 もっと厄介なことに、ホセはバスク人、カルメンは流浪の民だ。しかもホセの母国語はバスク語、カルメンはロマーノ語で、主な登場人物は、スペイン語を話すスペイン人でさえないのだ。
・・・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・

スペイン人にしてみれば、侵略国フランスの役人メリメが、スペインとは言語も文化もちがうバスク人の山賊とロムの女の殺傷沙汰を、人から聞いて書いた外国文学が『カルメン』だ。スペインには、ほかに優れた古典、名作があるにもかかわらず、これがもっとも有名な物語として世界中に流布していることに対して、微妙な心情があることだろう。
 また、バスク人とロムは長らく差別されてきた人々だ。被差別者の男と女が不道徳で犯罪の匂いのする色恋沙汰をする設定そのものに、今の考え方かるすると、政治的な公平性(PC)の観点からの批評も生じるだろう。
 『カルメン』は、スペイン人、バスク人、ロムの三者それぞれを複雑な心境にさせる物語なのだ。どこの国にも、マイノリティとされる人々の問題はあるが、それが『カルメン』には集約的にあらわれているからだ。

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原作本の「カルメン」には文庫本では二種類の本がある。 IMG_20151119_0002IMG_20151204_0001 - バージョン 2

「カルメン」の第4章には、カルメンとは直接関係のない、作者が調べたことを読者に教えるような文章が10数ページ書かれている。

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「ボヘミヤン、ヒタノス、ジプシー、チゴイネルなどの名で知られ、ヨーロッパ全体に散在している御承知 の放浪民族が、今日なお多数に存在する国の一つはスペインである。多くは南部および東部の諸州、すな わちアンダルシア、エストレマドゥラおよびムルシア王国に住んで、というよりは、放浪生活を送ってい る。カタルーニャにも相当たくさんいる。このカタルーニャの連中はたびたび国境を越えてフランスへや って来る。南仏で市の立つ場所では、いたるところ、この連中を見かける・・・・・」
(岩波文庫より)

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現在であったら、本の編集者などが、「あとがき」としてこの記述についての解説を書いているだろうと思われる内容の文章が続いている。
残念ながら上の二冊の文庫本にはそのような解説はのっていない。

私がこのスペインへの旅行に行きたかった理由の一つが「ジプシー」のことだった。
10数年ぐらい前からだろうか、「ジプシーという言葉は使ってはいけない言葉だ」とか「ジプシーという言葉よりロマと言う言葉のほうがいい」とか「ロマと言う言葉は彼らの言葉で人間という意味だ」というような論調の評論を読んだことがあるからだ。
そう言われているのならそのほうがいいのだろう、というあまり自覚のない根拠で、「ジプシーよりもロマと言い換える方がいい」と思ってそうしてきた。

スペインへ行く機会に現地の様子を見てみたい、できたら何かスペインでの知識を得たい、そんな気持ちがあった。
松本侑子さんの本には、きっちりとそのあたりを押さえた記述があった。

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「メリメの書く「ボヘミア』とは、流浪の民、英語でいうジプシーだ。もっとも最近は、ジプシーという言葉は使われなくなっている。
 というのもこれはジプシー以外の人がつけた呼称であり、本人たちが呼びならわした名称ではないからだ。そもそもエジプト出身説は誤りで、古い時代にインドを出た人々だと今ではわかっている。また最近は放浪しているわけではなく定住者が増えている。さらにスペイン語ではヒターノ、ジプシーの話すロマーノ語ではロム(複数形はロマ)という言葉があるため、昨今は、ヒターノ、もしくはロム、ロマと称されることが多いようだ。

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ジプシーという言葉は、周りの人々の呼び名だったのだ。それは差別的な響きを伴い、差別の意図を持って使われてきたからその名前を拒否する人が出てくるのも当然だと思う。その結果ロマやロムと言う言葉を選び、使うような運動も起こってきたのだろう。このツアーを前後して何冊かの本、ビデオ見た。そこでわかったことは、

1.ジプシーという言葉は外から与えられた言葉で、その言葉を嫌う人たちは、ジプシーよりもロマを使うほうが良いと世界に訴えている。また逆に誇りを持ってジプシーということばを自分たちのミュージックグループ名にしたり、ジプシー音楽として広めている人達もいる。
2.ジプシーと言われて人たちは多様で、肌の色も髪の色も眼の色も宗教もひとくくりにできるものではない。私たちはこれまでの「ジプシー観」に規定されて見ていることが多い。
3.第二次世界大戦で、ナチスドイツは多くのジプシーの人達を虐殺している。その数はユダヤの人たちよりも多い言う説もある。ただジプシーの人たちはそのことを、ユダヤの人たちのように世界に訴えなかった。だから私のようにそのことを知らない人が多い。

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私が読んだ本で、手に入れやすくて新しい資料と作者の体験・経験を読みやすくまとめてあると感じたのが左の「ジプシーを訪ねて」(岩波新書 関口義人著)

ジプシーの研究は現在急速に進んでいる。起源についても様々な説があるようだがこの本でも詳しく取り上げられている。ただ現在進行形のものも多くあるので断定することは控えていると思う。たとえば起源についは、

「1990年代末から一気に進んだヒンディ、サンスクリットとロマニとの密接な関連性の研究は、ジプシーのインド起源を示唆する、というより、その言語ロマニが確実にアジア系のそれであること、もっと厳密には、南アジア系の言語であることを立証するにいたっている。無論、だからといって彼らがインド起源であるといえるのか、そうは言えない。しかし同様に、そうではないとは『なおさら』言えないのである」。

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 プログてお世話になっている風見鶏さんのお知り合いの人から映画「パプーシャの黒い瞳」を紹介してもらった。その映画上映を記念して日本で作られた本が左の「パプーシャ その詩の世界」(発行ムヴィオラ)。谷川俊太郎さんの寄稿やジプシーについての歴史的な論文ものせられている。(フィツォフスキー著「ポーランドにおけるジプシー 歴史と習俗」)

映画はビデオになっている。そのビデオも風見鶏さんのお知り合いを通じて見ることができた。

映画はモノクロで、1910年ごろから1971年ごろまでの実在したパプーシャという女性の人生がテーマになっている。
古いジプシーの人達の生活ぶりや周りの人達の様子が丁寧に描かれている。
文字を持たないジプシーの中で、パプーシャは文字を習い、自分の生活や自然を詩にあらわしていった。その詩がジプシーとジプシー以外の人達との垣根を越えるきっかけになることもあり、かえって閉ざすことにもなる。現在にも続く課題が提示されているように思える映画と思った。

スペインの日本人のガイドさんからもジプシーと言われる人たちの話も聞いた。その人達が個人的に経験したり、聞いたりした話なのでここでは控えておく。どなたもジプシーについて差別的な予断や偏見を持たせるような説明や言い方をされなかったことは日本人としてうれしかった。ただ一般的に言えるのは、「意識しないと見えない」ということだ。

岩波新書の「ジプシーを訪ねて」の著者関口義人さんは本の最後のほうでこんなふうに書かれている。

「本来私にとって、ジプシーの言語や起源の問題は、どちらでもいいことに思えるのだ。彼らが生きる厳しい現実を見つめていると、あらたな研究(いかなる分野であれ)がジプシーの現状の打破につながるのであれば、一層進んでほしいと願っているが、「ジプシー」自身をないがしろにした単なる研究のための研究に関してはよく吟味されるべきだと思っている。しかし、何もしなければ彼らの生活は現状のまま、ないし劣悪化の一途をたどることは間違いない。人権団体などの支援や経済援助などのさまざまな取り組みもあるが、ヨーロッパ自体の経済危機の煽りを受けて現在は停滞していることが大変に懸念される。
 本書で繰り返し述べてきたような、ジプシーを訪ね歩いたり、ジプシー関連書を読み漁ったりする作業は、まったくの個人的で風変わりな趣味だと思われるかもしれない。が、私は現代に生きる私たちがジプシーを知ることには、大きな意味があると思っている。ジプシーを見つめること、それは私たちが住む社会を見つめることでもある。・・・・」。

フラメンコ人口はスペインを上回るという日本。日本の地でフラメンコからスペイン、ジプシーのことを考えていくのはなかなか自分でも大変なことと思う。でも、このツアーがきっかけで少しは考えることは良かったと思う。
日本に帰ってから「アラビアのロレンス」のビデオをあらためて見たが、初めて映画を見た高校生の時にはまったく気づかなかった、イギリス軍将校やアメリカの新聞記者達のアラブの人たちへの上から目線が描かれていることに気がついたのも、収穫だと思った。

全くの個人的な経験を記録としてブログに書いた。多々のまちがいがあるかもしれないが、私も現在進行形なので、今後も考えていこうと思う。

最後にパプーシャの詩を引用し、このスペイン紀行の終わりとしたい。

       森よ、わが父よ

森よ、わが父よ、
黒い父よ、
あなたは私を育て、
あたなは私を捨てた。
あたなの葉は震え、
私も葉のように震える。
あなたが歌い、私も歌う。
あなたが笑い、私も笑う。
あなたは忘れなかったし、
私もあたなを覚えている。
おお、神様、私はどこへ行けばいい?
何をすればいい、どこから
おとぎ話と歌を取ればいい?
私は森へは行かない、
川にも出会わない。
森よ、わが父よ。
黒い父よ!

 

 

 

スペイン「カルメン」紀行12

闘牛場とカルメン

フラメンコのショーが終わって一夜明けた。今日はセビーリアの市内観光。

スペイン地図2

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出発前の散歩。朝の気温は16度。スペインは日本と同じ摂氏を使うのだと気付く。
自転車専用の道がある。ホテルの前の植え込みは手入れが行き届いている。

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セビーリア1

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スペインも秋のはずだが、色づいた葉はあまり目につかない。
さて、「カルメン」に登場する「闘牛場」がここ。闘牛士もメリメの「カルメン」とビゼーの「カルメン」とでは全く違っていると松本侑子さんの説明。

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この旅のガイド役ともなった松本侑子さんの本「ヨーロッパ物語紀行」を見てみよう。

「カルメンが思いを寄せる闘牛士は、正反対と言っていいほどちがっている。オペラの闘牛士は堂々としたマタドールぶりで、勇ましく力強い。バスの歌手がスパンコールのついたきらびやかなジャケットを着こなし、人気絶大なるスター闘牛士のほこりを雄々しく歌っている。
一方小説のルカーは闘牛の腕は今ひとつ。牛にはね上げられて負傷する。そんなふがいない男をカルメンは好きになり、ホセを捨てるのだ。
 彼女が男前の闘牛士に心変わりをするオペラの人間模様はわかりやすいが、意外と、原作のように、平凡で、どうしようもない男に惚れるカルメンこそ、かえって現実味はただよっていよう。
 小説とオペラの最大のちがいは、ホセとカルメンのあいだに流れる空気だろう。
オペラでは、経験をつんだベテランの歌手、どちらかというと恰幅のいい体型をした中年の有名歌手が、別れる、別れない、自分を捨てるならお前を殺す、じゃあ殺せと、太い声で熱唱する。どうしても中年男女の痴情のもつれのようになり色っぽくなってしまう。
 ところが原作は、もっと淡々としているのだ。恋の高揚も、嫉妬も、未練も書き込まれていない。そっ気ないほどである。声高に思いを歌い上げるのではなく、ひとりごとのような淡さ。簡潔ですがすがしさえただよっている。
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そもそも二人の年齢が、ぐっと若い。原作のカルメンは二十代。ホセも二十代後半と思われる。この小説は、若者の激しさが持ち味なのだ。恋の情欲にかられて死の破滅へ突き進んでいく二人には、無謀さとともに、若さがもたらす潔さも、どこかただよっている。原作の清冽さ、物足りないぐらいの簡潔さ、青い固さが、私は切なく美しく思える。神を畏れず、近代的な道徳観にも縛られないカルメンという女が、愚かさも狡さもひっくるめて愛しく感じられてならない。」(P133〜P134)

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上の写真は闘牛場前の道路をはさんで向かい側の川沿いにある「カルメンの像」。
原作のように若々しさと情熱さがあふれている像だ。

私たちはイザベル二世橋をわたってトリアナ地区に入っていく。

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イザベル二世橋のたもとに建つ「カルメン礼拝堂」。
ガイドさんの案内でしばらくこのトリアナ地区の散策を楽しむことにしよう。
トリナアは、ドン・ホセがカルメンに「故郷のお兄さん、おいしい揚げ物が好きでしたらトリアナのリリアス・パスチアの店で召し上がれ」と誘われたところ。
さて、どんな街なのだろう。

 

 

 

スペイン「カルメン」紀行11

フラメンコショー

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ここはフラメンコショーの舞台のある会場。わりと歴史の有りそうな会場だった。外国人へのショーがメインなのかもしれない。
この日の観客は、私達日本人と、中国人らしい団体、そしてヨーロッパからの団体だったからたぶんそうなのだろう。
ワンドリンク付き。
予約してあったので私たちは最前線の席でフラメンコを見ることができた。

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_MG_8072公演時間は1時間半。初めて見る本場のフラメンコは時間の忘れるほどの迫力だった。
素晴らしく早いカスタネットの指さばき、リズムを刻むステップの激しさ。その様子の一部をデジカメで取ったものをyoutubeにアップしておいた。
メインの舞台は撮影禁止だった。フィナーレのみ撮影が許されたので、ほとんどの観客がカメラをまわしていたと思う。

https://youtu.be/awDPMB2gTo0

さて、フラメンコの日本での人気は世界一らしい。
日本のフラメンコ人口はスペインのフラメンコ人口を上回るとガイドさんが言っていた。そのフラメンコの歴史はいつ頃にさかのぼるのだろう。
インターネットで調べてみると、18世紀末ごろに現在のフラメンコの原型が出来上がったらしい。
メリメは「カルメン」を完成させるまでに2回スペインの地を踏んでいるという。メリメ作「カルメン」は1845年の作品だから、現代のフラメンコとは違っているかもしれないが、フラメンコの元になる踊りを見ているに違いない。原作にも「カルメン」は踊りが上手だったらしいことが書かれている。
フラメンコについて調べていくと、奥が深い。
例えば、ウィキペディアには次のように書いてある。

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フラメンコ(Flamenco)は、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となっている。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしている。さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられる。
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「ヒターノ」「スペインジプシー」とよばれている人たちの歴史はどのようなものなのだろう。このことは日をあらためて、書いてみたい。

映画カルメン

 カルメンといえば左の写真のように真赤なバラをくわえた姿を思い起こすのがほとんどの人だと思う。(左の写真は2004年の映画「カルメン」のポスターより)

オペラや宝歌劇団でも上演される「カルメン」は、バラをドン・ホセに投げつけ、ドン・ホセはこっそりそのバラの花を胸に仕舞いこむ。

フラメンコショーの最後の方の出し物で、「カルメン」をフラメンコで演じていた。激しい踊りの中でカルメンが持っていたのは赤いバラ。

それではメリメ原作の「カルメン」でそのように描かれているのだろうか。

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杉捷夫訳の岩波文庫を見てみると、

「ーねぇ、大好きな兄さん、ショールにするんだから黒いレースを7オーヌほと編んでくださいな。ねぇ、私の大好きな編物屋さん!ーそれから口にくわえていたアカシアの花を手に移したと思うと、おやゆびではじいて、ちょうど私のみけんに投げつけたのです。鉄砲のたまがあたったようなぐあいでした。・・・・穴があればはいりたい気持ちとはこのことでしょうか。私は板のように堅くなって、じっと立っておりました。女が工場の中にはいってしまうと、アカシアの花が両足の間の地面に落ちているのに、気がつきました。魔がさしたとでもいうのでしょうか。仲間のものが気づかないうちに、それを拾い上げ、たいせつに上衣の中へしまいこんだのです。・・・」

メリメ作「カルメン」にはバラの花は出てこない。登場する花は、ジャスミンとアカシア。ではカルメンといえば赤いバラ、というイメージはどうしてできたのか?
それはオペラ「カルメン」の演出上で真赤なバラが登場してきたのではないかと想像される。

さて、カルメンにはメリメ作のものと、ビゼーが作曲した「カルメン」の二つがある。この二つについて松本侑子さんから詳しい解説があったので、それに触れながらこれからのブログに書いていこう。

フラメンコショーが終わった後は、タクシーに乗ってレストランへ。

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なんともステキなレストラン。
メインはイベリコ豚の肉料理だった。
さて明日は「カルメン」に登場する闘牛場などのセビーリアの市内見物。

 

 

 

スベイン「カルメン」紀行8

グワダルキビール川にかかるローマ橋

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グラナダからゴルドバまで約3時間のバス旅。 途中のドライブインで休憩。かつては駅舎だったようで、お土産物も売っていた。 そこでガイドさんに頼んで、地元の人がいつも飲んでいるコーヒーを注文した。
私好みの熱さで、コーヒーの香りも味もこれまでスペインで飲んだコーヒーで一番だった。やっぱり現地の名物は現地で味わうのが最高ということだ。

バス旅の途中で、松本侑子さんから原作「カルメン」とオペラ版「カルメン」の違いについての講義を聞く。

その講義の内容にもふれながら、まずゴルドバ ー世界遺産都市「コルドバ歴史地区」からはじめよう。
コルドバは「カルメン」の原作本に登場する街。

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この橋は「ローマ橋」、旧市街地に入るために渡る橋。
橋の向うにメスキータが見える。
川はグワダルキビール川という。イスラムが支配していた時に街の守りをしていた「カラオラの塔」の前で松本侑子さんの説明を聞く。
「カルメン」の原作は、「私」という考古学者が「ドン・ホセ」から「カルメン」の話を聞いたことがもとになって本になっている「額縁小説・枠物語」である、と松本侑子さんの説明。
その考古学者である「私」が「カルメン」に出会ったのがこのローマ橋。原作本から引用してみよう。

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コルドヴァでは、日の暮れ方になると、グアダルキヴィル川i右岸に沿ったどての上に無数の閑人が現れる。このどての上から、製革業で名高かったこの国の昔の名声を未だにとどめているなめし革工場の発散する異臭をかぐのであるが、その代わり、はなはだ見物がいのある光景を楽しむこともできる。夕暮れの鐘の鳴りわたる数分前、大勢の婦人がどての下の水際に集合する。・・・・鐘が鳴り渡るが早いか、夜になったものとみなされる。最後の鐘の響きが消えると、婦人たちは一人残らず、着物をぬいで、水の中に入るのである。それから叫ぶ、笑う、たいへんな騒ぎである。どての上から男どもはゆあみする女たちを眺める。・・・・・・
ある夕方、はやものの形も見えない頃、川岸の手すりによりかかって煙草を吹かしていると、一人の女が水際に降りるはしごをのぼって来て、わたしのそばに腰をおろした。女は髪にジャスミンの大きな花束をさしていたが、この花は、夕闇の漂う頃になると、むせるような香を放つ花である。・・・・・
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上の写真の白い花がジャスミン。アルハンブラ宮殿の庭に咲いていたもので、松本侑子さんの指摘で写真をとっていたことがここで役に立った。
コルドバが製革業で有名であったこと、カルメンが髪にさしていたのはジャスミンの花だったことはあとに関係するので、覚えておこう。

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グワダルキビール川は約100km先の大西洋に流れ込んでいる。セビーリアの街は川を遡ってくる新大陸から運び込まれた膨大な品々によって大いに発展したという。

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橋の上は、観光客目あてのパフォーマンス、アコーディオン演奏などの、いわゆる大道芸で賑わっていた。

さて、橋の岸にある城門をくぐって、世界遺産「メスキータ」のある旧市街地に入る。

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城門をくぐるとイスラム風の彫刻をほどこした建築物が目に入る。 街路樹が整然と植えられていて、その緑は、地中海に居るのだなあとあらためて思わせる。
街路樹には実がなっている。えっ、これはミカン? いいえ、地中海といえば、そう、オレンジの実がなっているのだ。
まだ色づいたばかりだが、もう少し日が経つとそれこそオレンジ色に輝くのだろうな。ただこの実は甘い種類のオレンジではなく、ジャムなどに使われているという。
街路樹の実といえば、御堂筋の銀杏、そろそろイチョウの葉も黄色に色づく頃かなと思いながら、メスキータに向かう。