コルカノン(アイルランド料理)

アイルランドのポテト料理・コルカノン

アイルランドで買ったレシピ本から今回はコルカノン。
この本でのコルカノンの紹介がおもしろい。

This has similarities with the British  bubble and squeak, but this dish is cooked from scratch, not with leftovers.

  • British bubble and squeak ・・・イギリスの牛肉とキャベツ・ジャガイモなどのいためもの(Eゲイト英和辞典)

イギリスの料理に似ているけれど、イギリスのように残り物を使って作るのではない、という意味のことが書いてあると私は読んだ。

レシピを原文のまま書き写すと、

Put the milk into a saucepan, add the onions and cook over a low heat for 5 minutes. Bring a saucepan of lightly salted water to the boil, add the cabbage, bring back to the boil and cook for 5 minutes, until just tender. Drain and add to the potatoes, mixing to combine.
Add the onion and milk mixture and half the butter. Beat the mixture, season well and serve with remaining butter dotted on top.

材料は

200ml milk
6 spring onions, trimmed and finely chopped    (日本にはないので細ねぎを使用)
450g shredded green cabbage (キャベツを細切りにする)
450g potatoes, peeled, cooked, drained and mashed.
55g of butter
salt and freshly ground black pepper

アイルランドのレシピ本を見ると、キャベツの量がとても多いと思った。
450グラムのキャベツというとかなりの量になると思う。
ネットでキャベツについて調べると、キャベツの葉一枚は50グラム〜60グラムで計算するようだ。そうすると450グラムだと、キャベツの葉が10枚近くになる。
そこで山下直子さんが紹介された「世界のじゃがいも料理」にあったコルカノンのレシピを参考にした。

材料 3〜4人分
じゃがいも(男爵薯系)大3個
キャベツの外葉(なるべく緑の濃いもの)3枚
細ねぎ・・2本
バター・・20グラム
牛乳・・・1/2カップ
塩・コショウ・・・適量

私は圧力鍋を使って、じゃがいもを茹で、皮を向いた。 圧力鍋は種類によって加熱時間がかわるが、私が持っているのはラゴスティーナというイタリア製。 シューッといってから10分ほど加熱し、自然にピストンが下がるのを待った。
そのあいだにキャベツの葉を茹でる。キャベツの葉は3枚で160グラムぐらいだった。450グラムだとこの3倍ぐらいになる。でもアイルランドの人はそれぐらい食べるのだろうか。

茹でたキャベツを細切りにし、細ねぎを小口切りにしておく。

皮を向いたジャガイモをもう一度鍋に入れて熱して水気を取る。 そこへバター(マーガリン)を加えてじゃがいもを潰しながら混ぜる。

温めた牛乳、キャベツの細切りを加えてまぜる。

ボウルに移し替え、塩・コショウで味付けをする。
細ねぎを散らす。

カレーライスの付け合せとした。 「おいしい。マヨネーズなしでこんなに味がでるのね」 とまずまずの評判だった。

山下直子さんが講座の中で映画「イン・アメリカ」を紹介されていたので、レンタルビデオを借りてきた。そこにハローウィンのときに隣人を夕食に招待する場面がある。そのときに出た料理の一つがコルカノン。
そしてデザートのケーキの中からコインが。
これはNHKの朝ドラ「マッサン」の場面で見たのと一緒だ!とびっくり。
マッサンはスコットランドでウィスキーの修行をしていたのだが、ケーキに指輪やコインなどを入れるという風習はアイルランドにもあったのかと思った。
調べていると、山下直子さんのブログにこの映画のことが紹介されていた。

http://naokoguide.com/blog-entry-3356.html

そこには映画の背景などが詳しく紹介されている。

アイルランドに旅行して1年近くたつが、山下直子さんの講座や、松本侑子先生企画のズームを使っての写真交換会など、こんなに深くアイルランドについて学べるとは思いもしていなかった。新型コロナウィルスのなかで、前向きに頑張っている人たちとつながることができて有意義な体験だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

牛とジャガイモと移民

山下直子さんのアイルランドカルチャー講座。
今回のテーマは「牛とジャガイモと移民」

アイルランドの国土の50パーンとが牧草地で、人口が490万人いる中で、牛が700万頭、羊が400万頭、馬が10万頭いるというのだから、酪農の国ということがよくわかる。

この写真はダブリンの南にあるウィックロー山脈のそばを通っているときに撮したもの。いろんな色の牛がのんびりと寝転んでいる。

山下直子さんのお話によると、こんなにたくさんいる牛の90%は国外に肉として輸出されているそうだ。
しかしアイルランドの人は昔から肉食だったそうだ。肉の消費量として、世界平均は6.5キログラム。日本もそれぐらい。しかしアイルランドの消費量は19キログラムというから日本のおよそ3倍の肉を食べていることになる。

夕食に出たお肉の塊。骨付きだ。見た瞬間周りの日本人は「おーっ、大きい」という感じの声を出した。 私も「これは全部食べ切れないかも・・・」と思う。

これがその結果。おいしいのだが、、、食べきれない・・・・・。

私達ツアーの団体は二階のレストランでの夕食。窓から中庭を見ると、アイルランドの人たちが楽しそうにテーブルを囲んで食事を待っている。ゆっくりと時間をかけて食べるのだろうなあ。

広い牧草地でのんびりと草をはんでいる牛たち。
アイルランドの牛は「グラスフッド牛(草を食べている牛のこと)として知られている。この牛がアイルランドにやってきたのは6000年前のことだそうだ。ケルト人がやってきたのは2500年前といわれるから、ケルトの人たちがやってくる前からアイルランドにいたわけだ。
日本に牛や馬が、中国大陸から朝鮮半島を経て入ってきたのは、弥生時代のことだと言われている。しかしそれもはっきりとした証拠がないそうだ。魏志倭人伝には「(倭国には)牛馬虎豹羊・・・はいない」、と書かれているそうだがこれも真偽を巡っては諸説あるそうだ。ただ弥生時代の地層から牛や馬の骨が発見されているから、いたことは確かだろう。それが自然にいたのか、家畜としていたのか、まだまだわからないそうだ。
 アイルランドでは紀元前から馬による競技が行われていたそうだから、牛や馬は日本にくらべるとずっと昔からいた事になる。わたしが全く知らなかったことだ。

山下直子さんの講義では「牛」のあとに「じゃがいも」の歴史があったが、ジャガイモのことは次回のプログに回して、「移民」のことを書いておこうと思う。

ジャガイモ飢饉以前からアイルランドからはたくさんの人が移民としてアイルランドを出ている。移民先はイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで、その数は1000万人になるという。
アメリカの歴代大統領で、ケネディはアイルランド系とよく知られているが、それ以外にレーガン、クリントン、オバマなど約半数はアイルランドに関係があるそうだ。

上の写真はアニー・ムーアという女の子。二人の弟をつれて船でアメリカに移民したという。そしてニューヨークのエリス島に移民局が開局され、移民でやってきた最初の人物が彼女だといわれている。

上の写真は私が2017年に松本侑子先生企画の「若草物語とあしながおじさんの旅」で、ニューヨークに行ったときのもの。自由の女神像の見学はなかったが、サキスフォンを吹いている男性がいたので写真をとった。そのときにエリス島が後ろにあった。左に自由の女神像が見える。右のお城のような屋根が見える島がエリス島。ここに移民局があり、今はそれが博物館として残っている。

上の地図のような位置関係で写真を撮った。

エリス島の移民局は、アメリカの海外からの移民受け入れの入り口となった。

私はエリス島の見学をしていないので、中の様子はわからない。家のある本を調べていると上のような挿絵を発見した。 登録室の様子だそうだ。健康診断を受け、「運賃はどうやって支払ったのか? 親戚のところにいけるか? 無政府主義者か?」などの質問を受け、許可を待ったと書かれていた。
1850年から1948年の約100年間で、多い順に移民の数をしめすと、(1)ドイツ 606万4653人、(2)ユダヤ人 500万人、(3)イタリア 475万2835人、(4)アイルランド 459万7429人、(5)ロシア 330万人、(6)ポーランド290万5859人、(7)チェコ 100万人、(8)ノルウェー 80万人、(9)ハンガリー 66万2068人、(10)フランス 62万4561人になっているそうだ。(「Hopes, Love and Dreams in NewYork」NHK出版 より) 
アイルランドは4番めに多い。この中にアニー・ムーアの家族がいたのだろう。移民が許可されても、アメリカでの生活は楽でなかったことは想像される。
アニー・ムーアもその中のひとりだったそうだ。

しかし現在では全世界に散らばったアイルランド人のネットワークは8000万人になるという。アイリッシュネットワークだ。音楽、ダンス、アイルランド語が広がっている。アイルランドの中での自国文化の再評価が始まっていると山下直子さんはいう。移民が負の歴史に終わるのではなく、財産とする、という価値観の転換が起こっているのだろう。ただ私としては、リバーダンスの公演が大阪であっあのだが、新型コロナウィルスのため行くことができなかった。それがとても残念だ。

 

 

 

 

 

 

愛蘭土紀行 22

ハミルトン アイルランドの生んだ天才数学者

 

トリニティ大学の図書館のひとつ、ロング・ルーム。
部屋の長さ約65メートル、蔵書が20万冊といわれている。
スター・ウォーズのエピソード2・クローンの攻撃に登場するジェダイ図書館のモデルとも言われている。
書架の柱付近には大理石の胸像がならんでいる。
その中に、アイルランドが生んだ天才数学者ハミルトン(1805〜1865)の胸像もあった。
ハミルトンはダブリンで生まれている。
ガイドさんの話を聞いていて、「大学でならったような気がするが・・・」よく覚えていないなあ・・・。
現地ガイドのナオコさんの話で「心は孤独な数学者」という本の紹介があった。ナオコさん自身も読まれたようで、数学者の考え方や生き方が興味深く紹介された。
日本に帰ってきて図書館で借りたのが左の本である。

ハミルトンはニュートンの再来ともいわれた天才で、四元数の発見者として知られている(1843年)。四元数は剛体の回転運動や、結晶構造の解析に役立ち、スペースシャトルの姿勢を制御する計算にも使われたそうだ。

この本には数学以外にもハミルトンの純情とロマンスが書かれているが、それはこれから読む人の楽しみとして、アイルランドの歴史が詳しく書かれている。その部分を引用してみよう。

「16世紀にイギリス王ヘンリー8世が、自らアイルランド国王を兼ねると宣言してから、イギリスによる蹂躙はすさまじい。ヘンリー8世の娘エリザベス1世は、植民地化を進め、17世紀のピューリタン革命では、チャールズ1世の首をはね、共和国を成立させ勢いに乗るクロムウェル軍が、アイルランドに上陸した。内外の反革命勢力がここに結集するのを恐れ、カトリックの大量虐殺を含む徹底弾圧を行った。カトリックの男はもちろん、僧侶、婦女子の頭までを棍棒で叩き割り、僧院を根こそぎ破壊した。そのうえ、軍資金回収のため、カトリックの土地や資産を大量に没収した・・・・略・・・・アイルランド人は以後、貧民層を形作ることとなった。聖戦の名を借りた強奪だった。19世紀中頃には、自作農所有の土地はほんの3%にすぎなかった。

 1801年に併合してからは、アイルランドを小作地化し、容赦ない年貢取り立てを実行したため、国民の7割を占める農民は飢饉のたびに飢えて死んだ。特に1845年から4年間にわたるジャガイモ不作の時は、大飢饉で、餓死者だけで100万人、アメリカやイギリスなどへの移住を加えると、アイルランドの総人口の2割を失った。ケネディ家もこの時にボストンへ移住した。アメリカへの移住者はフィニアン同盟を結成し、『土地は人民のものか、征服者のものか』と呼びかけ、土地解放と独立を目指す反英運動を支援することになる。
 実はこの期間、農民の常食たるジャガイモは、広がった胴枯れ病により凶作だったが、小麦はむしろ豊作で、乳製品と共に、不在地主の住むイギリスへ大量輸送されていたのだった。イギリス政府はこれを難民救済に振り向けるだけでよかったのに、それすらしなかったのである。

 農業ばかりでない。イギリス本国繁栄のため、工業発達を抑圧し、ゴールウェイをはじめとする西部の良港を封鎖するなどして、海外貿易を阻害した。また各種の差別的法律により、教育や仕事の機会まで奪い、アイルランドを無知無学化、無気力化し、自国の資本主義発展のためのみに存在する、貧民の島としたのである。19世紀に人口の減少した国は、世界中でアイルランドのみと言われている。これはイギリスとの併合が何を意味したかを物語っている。」

司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行1」にも「愛蘭土紀行2」にも何回もイギリスの侵略のことが書かれている。

「結局、クロムウェルは侵略し、カトリック教会をこわし、神父や修道女を殺し、土地を戦利品のようにうばい、カトリック教徒を小作人におとし、公民権をあたえず、また商工業に従事することが不可能なほどに制限した。この大侵略は宗教戦争なのか、あるいは利益がほしいというだけの侵略戦争なのか、結局、その両方を混合した感覚で見ねばわからない」(愛蘭土紀行2、P250)。

 

「愛蘭土紀行1」の表紙はダブリン・トリニティ・カレッジの図書館である。そこにはハミルトンの胸像が写っている(はずである)。

ハミルトンは1805年ダブリンで生まれている。早熟で5歳で英語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を読解する才能。10歳までにはイタリア語、フランス語、ドイツ語、アラビア語、サンスクリット語、ペルシア語が加わる。さらに10歳でユークリッドの『原論』を読み、12歳でニュートンの『プリンキピア』を読み、天文学に魅せられると言う。
四元数の発見について、「心は孤独な数学者」にはこのように書かれている。

「・・・それまであいまいだった複素数を、実数の対として公理論的に再構成することに成功する。彼は複素数が二次元のものであることに着目し、三次元への一般化を見出そうと苦心を重ねる。10年あまりの思索の後、三次元を超えて四次元へと導かれたが、ついに1843年10月16日、ハミルトンは、散歩でブルーム橋に差し掛かった時、四次元の概念に想達する。これはa✕bとb✕aが異なる、という点で革命的な代数系であった。彼自身はこの突然の閃きに深く感動し、ナイフでこの橋の上に、四元数の基本式を刻み込んだのである。」

この橋の見学は私達のツアーの行程にははいっていない。現在のその橋には、ハミルトン自身の刻んだものではないが、そのことを記した碑文があるそうだ。

アイルランドは作家、詩人、政治家だけではなく、ハミルトンのような大数学者を生み出した国でもあったのだ。

私達はトリニティ・カレッジの見学の後、スイフトやラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に関係する場所の見学となる。