日時計 その8

月刊たくさんのふしぎ
 ーコマ形日時計から水平型日時計ー

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日時計の本を調べていると、子ども向けの雑誌「月刊たくさんのふしぎ」に日時計特集があるのを見つけた。

絵本作家の安藤光雄さんのもの。安藤さんはこういった本を沢山出版している。

この日時計特集は、一見簡単で、よくわかるようにできているが、その実なかみは深い。

実際にハサミをつかいながら模型を作っていくのだから作業は楽しい。しかし理屈を考えていくと、、、。

 

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 地球の様々な場所での太陽の影を考えていく。緯度によって太陽の高さとその影はどのように変化していくかをイメージできるように工夫されている。

私も本の付録をコピーして作っていった。ここで紹介されているコマ形日時計は、昨年の9月18日のブログにも書いたが、今回はこの本を元に、もう少し詳しい説明を試みてみよう。

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 上の図は、9月8日のブログで紹介したキャノンのホームページにあったもの。
地球は1日24時間で自転をしている。地球の側から見れば24時間で360度太陽が動いているようにみえる。だから360÷24=15で、1時間に15度太陽が動き、その影が地表にできる。
緯度によって太陽の高度が違ってくるので、太陽の影を作る棒と時計盤の角度を考える必要が出てくる。それが上の図の右。

この本では、北極点に棒を立てた時の影の動きを考えている。
IMG_4330北極点に棒を立てたら、棒の周りを一周する太陽の影が観測できる。1時間毎に太陽の影は動き、24時間で一周する。それは日時計と全く同じと考えることができる。
地球上の各地ではどうなるかを考えてみよう。緯度の違いによって、太陽の当たる角度が違うので、影の長さも変わってくる。

IMG_4314 上の図の左は夏。北極や北半球に太陽光線がタップリとあたっている。右が冬。北極は白夜。この図では日本の位置で比べていないので、地球儀を置いてみる。

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左の地球儀は夏。日本上空の高い高度に太陽がある。右の地球儀は冬。太陽の高度も低く影も長いことが想像できる。

 日時計1本にはこのように書いてある。 「コマ型日時計は、地面に置くときに置き方を工夫するだけで、地球のどこでも、使うことができます。日時計の心棒を地球の自転の心棒の向きと同じにになるように置けばよいのです。そうすれば、北極に置いた時と同じように、その影は1時間に15度ずつ、規則正しく動いていきます。・・・まず、コマ形日時計の文字盤の12時( 正午)の線が、まっすぐ北を向くように置きます。それから日時計の心棒が、地面に対してその場所の緯度と同じ角度だけ傾くようにすればよいのです。」

(図の説明の文字と青色の矢印は私が書き入れている。)

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コマ形日時計を扱いにくいので、これを水平型の日時計に作り変える。 これはコマ形の文字盤を水平の文字盤に投影することでできる。

コマ形日時計が扱いにくいというのは、コマ形日時計の心棒が作る影が、季節によって変わるからである。
具体的にいうと、春分の日、秋分の日を境にして心棒が作る影が文字盤の裏から表に、表から裏に変わるからである。
その変わり目付近の日には、影が読み取りにくくなるからである。

 

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水平型日時計で使う影を作る日影板は左のようにつくる。

・コンパスで円をかく。直径は何センチでも良いが3〜4cmをこの本では使っている。
・円の中心を通る直線STを引く。
・自分の場所の緯度と等しくなるように直線SNを引く。
角NTS、角TOSは直角。

この三角形が、この土地で使う日時計の日影板となる。

 

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これはどういうことをしているかというと、左の写真の三角のものを作ったわけである。

三角形の直線OTに円盤を挟めばコマ形日時計になるというわけだ。
この円盤上に写った直線ONの影がその時の時刻を表す。その線を下の水平文字盤に投影したのが、水平型日時計。

 

緯度によってこの三角形の形が変わる。下の写真は60度、35度、30度のもの。

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次に水平型に文字盤を投影させることを考える。 

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投影の仕方は、 コマ形日時計の文字盤に当たる円盤を作る。 この円盤の半径は、日影板のOTと等しい。
上の写真のように、傾いた円盤を水平板に垂直になるように移動したと考える。
それをさらに平らに伸ばしたのが、左の図。
コマ形日時計の文字盤と水平型日時計の文字盤を同一平面上に置いたわけである。(注意 上・左の写真には水平型日時計の文字盤に線が入っているが、この段階ではまだ線が入っていない)

この本にある説明の図は、次のよう書かれている。

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 説明を読んでみよう。
「コマ形日時計のOTの線を伸ばし、日影板のTSと同じ長さのところにSの点をつける。これで文字盤の縦の長さが決まる。
横の長さは自由だが、ここでは約10cmにした。
コマ形日時計の線を伸ばし、文字盤のWEの線とぶつかったところに点を書き、これらの点とSを結びと、水平型日時計の目盛りができる。
水平型日時計の6時と18時の線は、図のようにSを通ってWEに平行になるように書けばよい。
 16時、17時の点が紙からはみ出そうになった時は、図のように別の四角い紙を使い、まず16、17、18の点を写す。今度はその紙を縦にして、図のように18の点と18の点を結ぶ線を書く。この線に平行に17、16から線を引くと17、16の点がきまる。」

後半の下線を引いてあるところは(実際の本にはアンダーラインはない)私が大切だと思うところ。

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この3枚の写真のように、補助の紙を使い、18時・17時・16時の点を写し取る。
つぎにこの補助の紙を、線WEの延長上に写し取った16・17・18が並ぶように回転して動かす。
そして補助の紙にある18と文字盤の18を結ぶ。(文字盤の18時の線は、Sを通ってWEの線に平行な線を引くことによって決まっている)
この18ー18の線に平行に、補助の紙上にある17と16を通る平行線を引き、文字盤上の17と16を決める。そしてその17とS、16とSを結ぶと、文字盤の17時と16時の線になるというわけである。

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 水平型日時計の文字盤を大きくすれば、上の図のように、16時と17時の線は引くことができる。しかし18時の線は無理である。この本のやり方は、そこをうまく解決する方法である。
この水平型日時計の文字盤の線は、コマ形日時計の文字盤のように15度きざみの線ではない。線だけでなく緯度によって文字盤の大きさは違ってくる。

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コマ形日時計と水平型日時計の仕組みを知るために作ってみたのが上の写真。
コマ形日時計の文字盤を水平面に投影したのが水平型日時計。 これを壁に投影すると壁型日時計になるのはわかると思う。 そして補助に使った紙というのは、日影板の大きさと全く同じ大きさのものであったこともこの写真でわかる。

月刊「たくさんのふしぎ」ー地球は日時計ーは、薄い冊子だが、中身は大変深いものである。コマ形日時計から水平型日時計への進化についてわかりやすく解説した優れた本だと思う。

 

 

 

カナダ・赤毛のアンツアー 33

カナダのジャガイモ生産のトップと言われているプリンス・エドワード島。ジャガイモはいつごろ、どこから伝わってきたのだろう。 そんな疑問がわいて何冊かの本を読んでみた。

まずは写真がとてもきれいな「たくさんのふしぎ」。ここには原産地の南アメリカでの様子が写真で紹介されている。

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「たくさんのふしぎ」と同じ著者の山本紀夫さんの本が多くあった。この「ジャガイモとインカ帝国」が一番専門的な本だった。

ジャガイモと人間の歴史は、紀元前一万年前頃にさかのぼる。
人類が南アメリカに渡り、アンデス地方に移動してきたのが約1万年前。
この頃の人類は狩猟を主にして生活してきた。そして食用に適しているさまざまな野生植物を採取してきた。
そのなかに現在のジャガイモの原生種があったと考えられている。
アンデスの人たちが数千年の時間をかけて、野生種から今のジャガイモに栽培化してきたのだ。

私の読んだ本をもとに、年表を作ってみた。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

1万年前  南アメリカに人類が到着

8000年前 ジャガイモの栽培化がはじまる。

1250年頃 クスコ王国成立

1438年  タワンティン・スウユ(インカ帝国の正式名)成立

(1492年 コロンブス アメリカに到着)

1497年  最初のヨーロッパ人がカナダ(ニューファンドランド沖)に到着

(1522年 マゼラン 世界一周)

1532年  インカ帝国、スペインに征服される。

1570年頃 ジャガイモがスペインに渡る。

1590年頃 イギリス・アイルランドにジャガイモが伝わる

1600年頃 フランスにジャガイモが伝わる。

1665年  フランス・パリにジャガイモがすがたをあらわす。

1618〜48 30年戦争(ドイツ国内の新旧の宗教対立に、皇帝・旧教徒にスペイン、新      教徒側にデンマーク・スウェーデン・フランスが参戦)

1641年頃 (江戸時代)オランダ人によって日本にジャガイモが伝わる。

1655〜58 ポーランド・スウェーデン戦争

1656〜58 ロシア・スウェーデン戦争

1672〜74 第三次英蘭戦争

1699年  イングランド、アイルランド全域でジャガイモが栽培される。

1672〜78 蘭仏戦争

1701〜14 スペイン継承戦争・ヨーロッパ全域に飢餓が広がる。
        ドイツにジャガイモが広がる。

1733〜35 ポーランド王位継承戦争

1736〜39 ロシア、オスマン朝と戦争

1740〜48 オーストリア継承戦争      
      この年の飢餓をきっかけにプロイセンのフレデリック大王はじゃがいも      の栽培を奨励。

1756〜63 七年戦争(オーストリアがフランス・ロシアの援助を得て、プロセインと      その同盟国のイギリスとの戦争)
      ジャガイモがプロイセン、ポーランドに広がる。

1768〜74 露土戦争(ロシア・トルコ)

1770年  フランスに食糧飢饉 これよりフランスにジャガイモが広がる。  

1778〜79 バイエルン継承戦争

1782〜87 天明の大飢饉 甲斐の国では九州より種イモをとりよせジャガイモを栽培     し、 飢餓食とする。

1795年  ナポレオン戦争   ジャガイモ、ロシアに広がる

1845年頃 アイルランドにジャガイモの伝染病ひろがり、大飢饉となる。
     (アイルランドからアメリカ・カナダへの移民が増える。ケネディ大統領      の祖先もこの時期に移民をしている)

1860年頃 イギリス労働者階級の象徴的な食べ物としてジャガイモが定着            ホット・ポテトの登場

1871年  明治政府は北海道開拓の指導者としてケプロンを招聘し、新しいジャガイ      モの品種を栽培。これ以後北海道のジャガイモ生産は飛躍的に伸びる。

 1885年  ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」の絵を描く 
      オランダにジャガイモが定着

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ジャガイモがヨーロッパに伝わった頃は、ヨーロッパの各地で長い期間戦争が続いていた。そして小氷期といわれる寒冷な時代。戦争と飢餓、この二つがジャガイモをヨーロッパ全土に広げたとも言えそうだ。日本の場合も、江戸時代の大飢饉を通して、東日本にジャガイモ、西日本にさつまいもが広がったようだ。

ジャガイモの全世界への広がりを見てみよう。下の地図は「たくさんのふしぎ」からとったもの。 

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地図を見ると、ヨーロッパと北アメリカの東部は以外に近く感じる。ヨーロッパからの移民たちがカナダにジャガイモを伝えたことが予想される。

カナダの歴史を調べようと本を見ていると、なんと家にあった松本侑子さんの本、「だれもしらない赤毛のアン」にカナダの歴史が要領よく書かれていた。

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その本を元に、簡単にカナダ・プリンスエドワード島の歴史を見てみよう。

ケルト伝説やバイキング伝説として紀元前から北アメリカへヨーロッパ人が来ていたという言い伝えがあるが、あくまでも歴史的な事実を元にすると、上の年表のように1497年である。
それまでは先住民族のミクマック族が約2000年前からプリンスエドワード島に暮らしている。

17世紀になると本格的にフランスからの移民が始まり、カナダはフランス領土となった。1663年フランス人は島に居留地を建設した。

フランス領のカナダにイギリスも入植してきて、経済的・宗教的にフランスとイギリスは対立関係に入っていった。
ヨーロッパの王位継承戦争を反映し、カナダでも戦争が起きる。
1756年からの七年戦争で、イギリス・プロイセン軍がフランスに勝利。
1763年のパリ講和条約によりカナダ・アメリカはイギリス領となる。
    プリンスエドワード島の州都がシャーロットタウンと命名される。

1776年 アメリカ合衆国建国。アメリカから大量にカナダに移民。
    カナダ領内にイギリス系住民が増加する。

1864年 プリンスエドワード島にてカナダ各地の植民地統合を話し合う会議が開かれ    る。

1867年  英領北アメリカ法によりカナダ連邦結成
    (自治が認められたが、外交権及び憲法改廃権は英国に帰属。これ以降、カ     ナダにある植民地は段階的にカナダ連邦加盟。この時プリンスエドワード     島は連邦に加盟しなかったが、1990年に加盟。)

1926年 バルフォア宣言により、英国から<外交権>を獲得
1931年 ウエストミンスター憲章により<カナダの独立>が承認
1982年 「1982年カナダ憲法」により、英国から<憲法改廃権>を完全移管。名実と    もに独立国家となる。

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「赤毛のアン」の作者モンゴメリさんの父方の初代モンゴメリは、1769年にイギリスのスコットランドからプリンスエドワード島植民地に移住した。
1775年に、母方のマクニール初代がスコットランド西部のアーガイル州地方からプリンスエドワード島に移ってきている。
1763年にカナダはイギリス領になっているので、かなり早い時期にイギリスから移住してきたことが分かる。この時期にはすでにジャガイモが生産されていたと考えられる。
松本侑子さんの本によると、イギリスから移住してきた人たちがジャガイモを伝えたそうだ。

アンデスの高地で寒冷な地域でも栽培できるジャガイモは、プリンスエドワード島の土壌と気候に適合し、最初に書いたようにカナダのジャガイモ生産の25%から30%を生産するようになった。

アンデスからイギリス・アイルランドに伝わってから、100年から150年かけて北アメリカ・カナダにジャガイモが伝わってきたようだ。「貧者のパン」といわれているじゃがいも、飢饉に飢えた人々、貧しい労働者、開拓者、カナダやアメリカに移住してきた人々、アフリカやアジアの多くの人々の命を育んできたことが分かる。