ハイジとドレミの歌 21

楽友協会でのコンサート

夕食を食べたレストラン。町中のしゃれたレストランという感じ。

デザートはザッハートルテのようなチョコレートのケーキ。
味はやっぱり本物の方に軍配が上がる。しかしこのザッハートルテはドイツでは人気があるようだ。
ホテルに戻り、少し休憩をとってからコンサートに向かう。

ここがウィーン楽友協会。
ウィキペディアの説明によると

「ウィーン楽友協会(ドイツ語: Wiener Musikverein ヴィーナー・ムジークフェライン)は1812年に設立されたオーストリア・ウィーンにあるクラシック音楽関係者による団体(ウィーン楽友協会(ドイツ語版))およびその本部の建物。団体の正式名称はDie Gesellschaft der Musikfreunde in Wien。日本では「楽友協会」と呼ばれることが多い。 大ホールは通称「黄金のホール」と呼ばれ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として知られる演奏会場である他、同じ建物に資料室や出版社、ベーゼンドルファー(ピアノメーカー)などが同居している。」

ウィーン・フィルハーモニーが毎年大晦日に、ニューイヤーコンサートをおこなっているところ。なんともきらびやかで豪華。
舞台が客席の直ぐ側にある。また演奏する楽団の横にも客席がある。

演奏中は撮影禁止なので、演奏前はあちこちでスマホで撮影している人が多い。
楽団の人たちの衣装も、モーツアルトの時代の衣装で、見ていても楽しい。
オペラの一節があったりして、音楽の堪能な人には魅力的なものだったと思う。
音響の素晴らしさから「黄金のホール」とよばれているらしい。
とにかくテレビで見ていたニューイヤーコンサートの会場にいることが感激だった。
いい席で音楽を聞き、衣装や楽器を見て、歌声にひたることのできた時間だった。

曲目を詳しく書いたパンフレットはなかったので、曲名についてはよくわからなかった。アンコール曲の曲名が、日本の演奏会によくあるようにホールに貼ってないかなあとおもったが、それもなかった。

演奏会が終わり外に出ると、楽友協会の向こうに見えるドームの上に金星らしい星が輝いていた。スマホで写真をとる。上の写真の青い点が金星(だと思う)。

歩いてホテルに戻る。円筒のようなところに部屋があるので、窓に映る部屋の映り込みがおもしろかった。
いよいよ明日は旅行の最終日。
みどころがたくさんある旅だ。

 

 

 

 

 

 

 

ハイジとドレミの歌 20

シュテファン大聖堂

モザイクの屋根が特徴。ウィキペディアによると。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シュテファン大聖堂(ドイツ語: Stephansdom)は、オーストリアの首都ウィーンにあるゴシック様式の大聖堂。ウィーン大司教区の司教座聖堂である。シュテファン寺院とも呼ばれる。 ウィーンのシンボルで、その観光名所のひとつである。この聖堂を含むリング (Ring) と呼ばれるウィーン歴史地区は2001年にユネスコの世界遺産に登録された。ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が行われ、また葬儀が行われた聖堂としても知られている。 オーストリア公ルドルフ4世の命によって建造されたこの聖堂は、1359年に65年がかりで南塔が完成。136.7メートル[1]の高さをもち、教会の塔としてはウルム大聖堂(161メートル)、ケルン大聖堂(157メートル)についで世界で3番目の高さがある(略)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

砂岩でできているそうだ。

 

なかも大変豪華。ゴシック建築の素晴らしがあふれている。

寄付するところがあったので、お金を入れる。キリスト教を信じていると思われる人たちの行動を見ていると、寄付するボックスが間違っていたみたい。失礼しました。

大聖堂の外に出てガイドさんの説明を聞く。 私は教会の建物に、シュテファン大聖堂の屋根のようにモザイクがあるのは初めて見たのでそのことを聞いた。 「よくわかるところに行きましょう」と、ガイドさんと一緒に移動したところがここ。

モザイクで描かれているのは「双頭の鷲」。これはハプスブルク家の象徴。
F 1 とかかれているのは、「フランツ一世」のイニシアル。
1831というのは、第二次世界大戦前、最後に葺き替えした年号。
フランツ一世の思い入れのある建物なのだろう。

 

周りの通りなどは、過去と現在と未来が行き交うような空間だった。
未来都市にあるようなガラス張りのビル。周りの歴史建築と合うのかな?という疑問が湧いてくるところだ。

これは「戦争とファシズムへの戒めの記念碑」
ガイドブックにはこんな説明があった。

「この像のあるアルベルティーナ広場に以前建っていたアパート郡は、第二次世界大戦で爆撃を受け、多くの住人が亡くなった。その後この場所に、ナチの支配と戦争の悲劇を忘れないため、この記念碑群が1989年に創設された。地面を這うユダヤ人の銅像の前には『暴力の門』があり、背後には戦争での破壊を表す像がある。」

ナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーはオーストリアで生まれた。オーストリアは第二次世界大戦のときにナチスに協力し、ユダヤ人の虐殺にも協力した。その痛烈な反省からこのような碑があると私は思う。そして世界的な観光地となったこの場所に、過去の戦争とファシズムへの反省としてのモニュメントが造られたことに感心した。 日本にそういう場所があるだろうか。ナガサキ、ヒロシマの原爆資料館などがあるが、加害者として反省と謝罪を表すものはあっただろうか。

古い町並みと現代の共存を目指して、いろんな工夫がなされているようだ。
街灯の後ろにある金属製の円柱の工作物はゴミ箱。街にマッチするゴミ箱が募集されたそうだ。その作品がこのゴミ箱。

夕食はここにあるレストランで食べる。それまでのわずかな時間は自由時間となった。しばし街の散策をして夕食時間を待つ。

 

 

 

 

 

ハイジとドレミの旅 19

夏の離宮 シェーンブルン宮殿

シェーンブルン宮殿(シェーンブルンきゅうでん、ドイツ語:Schloss Schönbrunn)は、オーストリアの首都ウィーンにある宮殿。ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。 現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。 皇帝マティアス(在位:1612年 – 1619年)が狩猟時に美しい(schön)泉(Brunn)を発見したためにシェーンブルンと命名したと伝えられている。(ウィキペディアより)

 

とにかく大きい。カメラにワンショットでおさまらない。
1441室あるとか、東京ドーム何個分などと説明があったが、確かに広い。
残念ながら宮殿内は撮影禁止。

写真を写せるのはここまで。ここから豪華な装飾のある部屋がたくさん並んでいた。

私が一番記憶に残っているのは暖炉。
どの部屋にも大きくて形のいい、そして豪華な作りの暖炉がある。
ガイドさんの説明によると「ほら、壁に隠しドアがあるでしょ」。
なるほどそういえば壁に目立たないような線が見える。これが隠しドアなんだそうだ。実は暖炉を燃やし続けるために、装飾された壁の向こうに暗くて暑い部屋があり、そこで暖炉のまきを燃やしつづけている人がいたそうだ。
そう、奴隷のような仕事をしている人がいたのだ。
当時は「壁の後ろで暖炉を燃やすような人間にはなるな」という軽蔑した意味での言い方があったそうだ。きらびやかで豪華なハプスブルク家の繁栄の裏には、そういう人たちの犠牲があったのだと感じた。

外に出ると、結婚式を上げてきたかのようなカップルが遠くに見えた。

違う方向にもまたウェディングドレスのような姿の人達が。
結婚式にはもってこいの建物なのかもしれない。

きれいに手入れされた庭園。春夏秋冬に合わせた庭造りが行われているのだろう。馬車も園内を走っている。

暑いのアイスクリームを買うことにした。
私達が並んでいると、親子連れや外国から来た人らしい人たちがならんできた。
やっぱりみんな暑いんだ。

さあ入口付近のお土産物屋さんに行こう。何か記念になるものがあるかもしれない。
それにしても空が青い。雲の形もこの宮殿にピッタリ合いそうな感じ。
次の目的地はシュテファン寺院だ。