分数の計算③

分数の計算の仕方についていろんな本が出でいる。
左の本は「ドラえもんの算数おもしろ攻略」。その中の分数の掛け算と割り算をあつかったもの。

結構丁寧な説明がしてあり、「分割分数」や「量分数」・「単位分数」・「商分数」などの説明がある。
この本の説明は主に数直線と比例関係を使って説明している。

たとえば「花咲かじいさん」の世界に行くために、「つづきスプレー」をまいてお話の続きを見ようとする場面がある。

会話で説明が続く。

しずか 数直線を見ると ❏ ✕ 1/4=2/5 という式もできるわ。この式だと ❏=2/5÷1/4 というわり算の式になるわね。

スネ夫 2/5÷1/4の式の意味は、2/5平方メートを1/4デシリットルでわることだよね。吹き付けられた面積を液体の量でわることできるの?

ドラ 式の意味は、1/4デシリットルで2/5平方メートルに吹き付けることができる。1デシリットルでは何平方メートルふきつけられますかということ。 液体1/4デシリットルで2/5平方メートル。これを言葉の式に当てはめると、
(1デシリットルで吹き付けられる面積)✕(液体の量)=(吹き付けられる面積)だから
(1デシリットルで吹き付けられる面積)=(吹き付けられる面積)÷(液体の量)となるので 2/5÷1/4 という式になるんだ。

左のドラえもんたちの会話を受けて

ジャイアン 分母も分子もわりきれる分数になおすんだな。

分母と分子に4をかけて
分子=2✕4
分母=5✕4÷4
(2✕4)/(5✕4÷4)=8/5

しずか 分数÷分数の計算は、わる分数の分母と分子の逆数をかければ?

スネ夫 (分子/分母)÷(分子/分母)=(分子/分母)✕(分母/分子)
ってことだね!

*引用した漫画のような意見のだしあいによって、
分数÷分数の計算は逆数を使えば簡単に計算できることが説明されている。

ドラえもんは次のように、これまでの考えてきたことを整理している。

 

「数は生きている』ではどのような説明をしているだろうか。

分数の割り算といえば「分母と分子をひっくり返してかけ算にすればよい」ということだけが記憶に残っている。なぜそうなるのか、という説明が本によっていろんな工夫をしていることがわかる。

この本では先生と二人の子どもの対話で説明されている。
まず「水3/5リットルという量はどうやってつくったらいい?」からはじまっている。
詳しい説明は省いて、結果を書けば、

一つは「1リットルの水を5等分してそのうち3つをとる」方法。
式で書けば 3/5リットル=1リットル÷5✕3

もう一つは「3リットルの水を5等分する」方法。式で書けば
3リットル÷5=3/5リットル
この式は1リットルを3倍してから5で割ったものと同じだから
3/5リットル=1リットル✕3÷5 となる。
分数には2つの意味があり、それらは✕と÷の入れ替えに対応している、ことをまずおさえている。

ここで次のような問題がだされる。「10リットルの水を一人に2/3リットルずつ分けたら、何人に分けられるか?」

三郎 ここに10リットル分のタイルを書きます。2/3リットルずつ分けるのですから、全部のタイルを3等分します。この1−タイルを3等分したうちの2つ分をとればそれぞれ2/3リットルです。これが全部で15個とれます。 10リットル÷2/3リットル=15 で、15人にわけられます。

先生 全部のタイルを3等分したら、そのタイルはいくつ分に分かれた?

三郎 10個のタイルを3等分したから、10✕3で30個です。この3は分母の3ですね。次にこの30個の中に2個ずつの組が、いくつできるかを求めるんだから、2で割ればよい。
   10÷2/3=10✕3÷2

先生 もう一息だ。さっきやったろう。分数の2つの意味を。

三郎 あっ、そうか。「3をかけて2で割る」のは「2で割って3をかける」のと同じだったから、
   10÷2/3=10✕3÷2=10÷2✕3=10✕3/2
で、「分数で割るときは、ひっくり返してかける」ことになります。あぁ、わかった。

明子 わたしも、学校では先生にいわれたとおりに計算していたけれど、計算の意味なんて考えてもみませんでした。わけも考えると数学もおもしろいんですね。

*こんなふうに対談の中で、計算の意味、式の変形などに気がつくように工夫をして、読者に考えさせようとしている。

分数の割り算を考える時に、「線分図」「数直線」「テープ図」「タイル」「水そう」「折り紙」「ペンキで壁ぬり」など、いろんな場面や教具を考え、工夫をしている。

そのなかで私の興味を引いたのが右の本。

分数の計算の説明に、水槽を使ったり、数直線を使ったり、あるいは線分図、折り紙といろいろと使って、「分数の割り算はひっくり返してかける」を説明しているが、それ以外にもありますよ、という内容の本。その方法はこれまでの説明にもチラッとでているのだが、全面に出して紹介しているのが興味深かった。

たとえば次のような問題を考える。

「2と2/3mのテープがあります。3/4mずつ切ると何本とれますか?」

この本の図の説明は私にはわかりにくかったので、自分がわかるテープ図を使って説明してみよう。

計算式は(2と2/3m)÷3/4m であることは図よりわかる。
帯分数を繁分数になおして、8/3÷3/4 として考える。
分母が3と4なので通分して32/12÷9/12として考えることができる。
図には1mを12等分し、32/12,9/12を線分上に記している。

32/12は、1/12が32個ある(12✕2+8)。
9/12は、1/12が9個ある。
ということはこの分数の計算は、32÷9の計算と同じだといえる。
32÷9=3と5/9

つまり、(2と2/3)÷3/4=8/3÷3/4=32/12÷9/12は
     (32÷9と同じなので)=3と5/9

これを逆数を使ってひっくり返して計算する方法を使ってみると、

8/3÷3/4=8/3✕4/3=(8✕4)/(3✕3)=32/9=(3と5/9)

同じ結果になる。
作者は「このように通分して計算する方法もある。この方法は余りの計算も楽である」という。

たとえば、上の問題で「何m余りますか?」と聞かれたらどう答える?

両方ともに答えは「3と5/9」。この時の単位は本で、「3本と5/9本」という意味であり、5/9mではないことに注意しよう。

逆数を使った計算では、3/4mの5/9という意味であるので、
3/4✕5/9=15/36=5/12 と計算し、余りは5/12mとなる。

通分を使った計算では、32÷9=3余り5 となることから、
5というのは1/12が5個あるということだから、余りは5/12mとなる。
通分した分母の数(ここでは12)がそのまま余りの分母に使える。

一番最初に紹介した「分数ものさし」の方法は、分数を通分して、単位となる分数の数を数えているのでこの方法に近いと思う。

これまでいろいろと分数に関わる本を読んで考えてきたが、
分数の割り算は「ひっくり返してかける」方法だけではない。問題によればかけ算のほうが早い場合もある。考え方も水槽や折り紙や数直線やテープ図やいろんな考え方を使うことができる。「分数ものさし」もその中の一つの方法だ。
 この方法だけ、というただ一つのやり方に固執することはない。
というのが私の結論のようだ。

 

金沢で外乗

金沢の内灘と千里浜での外乗

金沢の海辺を走るという外乗の案内があったので申し込んだ。

ここには内灘という海岸と、千里浜という海岸があり、そこを馬で走るという外乗だ。海辺を走るというのは魅力的なもので、いつか行ってみたいと思っていた。

サンダーバードに乗って金沢へ。

ここは金沢駅の構内。「あんやと」とか「あんと」というのは、金沢周辺での言葉で「ありがとうございます」という意味だとバスの運転手さんがおしえてくれた。
大阪弁の「おおきに」みたいなものだろう。

バスに乗って小一時間。海辺にある「クレイン金沢」にやってきた。

目の前に広がっているのが日本海。内灘だ。この日は暖かかったが、冬になると車がやってこれないほどの雪が積もるそうだ。

ここは障害のレッスン以外は屋内で行われている。

いいお天気だったが、馬にとってのコンディションはもうひとつのようだった。 私の乗った馬では、駆け足が数歩でただけ。 指導員さんも「今日は駆け足が出たらもうけもの、というぐらいです」と言っていたい。
というのは、週末のため家族連れなどが浜辺であそんでいて子どもたちの甲高い声があったり、浜辺の掃除のためかクレーン車のようなトラックが走っているからだ。
また海浜清掃で集められた色とりどりのゴミの山があちこちにちらばっている。 海や浜の上空ではタコのようのものが飛んでいる。「馬にとっては日常の空間でなくなっているので不安なようです」、と指導員さんは言っていた。

ホテルは金沢市内。階上のレストランから兼六園・金沢城公園が見える。

二日目はバスに乗って直接に千里浜に移動。馬も車に載せられて海岸に来た。

この浜は車が走ることができるので有名なところ。 そこを馬が走っているのは、車の運転手にとってもびっくりのようだ。

アクシデントがおきたので、1回目の走行で中止となり、2回目、3回目の走行はなくなった。

この馬はミニホースのトトロちゃん。みんなの人気者だ。お手ができるミニホースだけれど、体重は100Kgを超えているという!

外乗は、天候や馬の調子、施設の安全性、スタッフの対応など、考えることが多い。

さて来年に再びチャレンジしたいが、それまでにもっと練習しておこうとも思った。

右の写真は一日目の夕食のため金沢市内を歩いていた時にとったもの。月とハナミズキ。
金沢市内の街路樹は、ハナミズキが多かった。
ハナミズキが日本に広まったのは、日本がアメリカ(ワシントンDC)に桜(ソメイヨシノ)を贈ったお礼として送られてものがハナミズキだったからだといわれている。
ハナミズキはアメリカ原産のものだが、今は日本の各地に広がり、桜とともに春の花として知られている。金沢でハナミズキを見るとは予想もしていなかった。

 

 

 

 

金沢城公園の三等三角点

三角点を探る旅 37


兼六園のそばにある金沢城公園に三塔三角点があることがわかった。

兼六園見学を一人外れてこの3等三角点探しにでかけた。

兼六園の入口に面するように金沢城公園への橋がある。

金沢城には天守閣は残っていない。写真にあるのは五十間長屋。大阪城を見慣れている私には、全く違った印象のお城だ。
私が目指すのは辰巳櫓跡(たつみやぐらあと)。

地図と見比べるとどうも道から少し離れた木々の中にあるようだ。

あった、あった。三角点が見える。

三等と右から左へ書かれている。縦に三角と読み取れる。 三塔三角点だ。 地図を見る限り、金沢城にはここしか三角点がない。

他の三面を見るが、何が書かれているのかわからなかった。古いものなのだろう。
人の通る道から奥まったところに静かに鎮座している。
お城の多くは三角点や標準点がある。歴史的なもので移転することもないし、台地や山の頂上付近にあるので、三角点の置く場所としては最適なところだ。
この三角点は、海抜59.3 m のところに設置されている。

園内のあちこちに写真のようなマップが設置されているが、三角点を表示したものはない。大阪城もそうだった。私の記憶では、和歌山城には立て札があったことを覚えている。

おもしろいものがあった。第2次世界大戦中、陸軍が石垣を潰して作った弾薬庫。
米軍に見つからないように、と作ったそうだ。

ここはいろんな積み方をした石垣があるので有名なようだ。
石垣をめぐりのコースがあることが案内板にしるされていた。

近くにある兼六園に似合うようなきれいに整備された金沢城公園だった。
兼六園近くのアイスクリームショップで、金沢で人気の「金箔・銀箔のソフトクリーム」を買う。1個1000円なり。
バスの運転手さんに「いろんな国の人がいますね。」というと、
「日本人は一人もいないでしょう」と冗談を返してきた。
それぐらい外国からの観光客が多かった。
外国には三角点があるのかな、ふと疑問が湧いてきた。

 

 

分数の計算②

分数の歴史

分数の歴史はどこまで遡れるのだろう。 改めて考えてみると、私にはわからないので調べてみた。

参考になったのが上の二冊。 「岩波科学の本9 数は生きている」と「ちくま学芸文庫 初等数学史」である。
そこにアーメスのパピルスの説明があった。

「数は生きている」からの引用が上の写真。

「初等数学史」からの引用が上の写真。分数の具体例が書いてある。

上の写真はウィキペディアからの引用。 実物はこんな感じなのだろう。
33cm✕5mぐらいの巻物状だったらしい。

この「アーメスのパピルス」というのは1858年にテーベで発見されたもので、イギリス人の学者のリンドが手に入れて研究したため、「リンド・パピルス」ともよばれている。紀元前1700年ごろに書かれた数学書だそうだ。
紀元前1700年といえば日本ではまだコメも伝わっていない縄文時代だ。
今から約4000年!!前から分数は使われていたことがわかる。

エジプト人は単位分数の和が連続量を表す最終的な表し方であると考えていたらしい。今の分数の計算方法とは違っている。詳しいことは「数は生きている」を見てほしい。

もちろんエジプト人すべてがこの分数を使っていたということではない。ごく一部の専門家が知っていて、使っていたと思われる。

 

分数の文化圏と小数の文化圏

左の本「水道方式入門 小数・分数編」によると、「中国・古代バビロニアでは、小数が主として使われていました。
・・・中国においては、古代から一貫して小数のほうが流通していたのです。中国の文化圏に属する日本でも、したがって、小数が主に使用されてきました。・・・ところが、一方、古代ギリシアのようなところでは、小数は使われず、もっぱ分数のみが使用されていました。それを引き継いだ、古代ローマやヨーロッパが、分数を主に使っていたのはそのためでした。ヨーロッパが今日のような10進小数の便利さを主張したのは、やっと16世紀のシモン・ステヴィンであったのです。ヨーロッパでは、小数のことを10進分数(decimal fraction)というので、小数という独自の用語すらないことをおもいだしてください。」

へーっ、そうなんか。と目からウロコのような感じ。では分数はどのようにして使われていたのだろう。分数の基本となる互除法について次のような説明がある。

「互除法は、古代ギリシアで、実際に用いられた測定法だったのです。小さな都市国家に分かれ、貴族民主主義の発達していたギリシアの社会では、市場で2つの商品の量を比較する場合、法定単位で測るというようなことはありませんでした。
 Aという商人がa という長さの布を、Bという商人がb という長さの布を持ってきたりすると、片一方がもう一方のいくつ分持っているかを測り、それで余りが出れば、その余りで他方の布の長さを測り、それで余りが出れば、その余りで他方の布の長さを測り、・・・というように、対等に測り合って、代金の比率を求めたのでした。」

分数文化圏として、ギリシア、ローマ、ヨーロッパがあり、小数文化圏として中国・日本があることがわかった。私たち日本人は、文化として小数になじんでいるため、分数の考え方や使い方になかなかなじめないことが、歴史的によく分かる。

 

 1/3 を 三分の一と分母から読むのは日本だけ?

日本に分数が伝わったのは中国の「九章算術」という本によってらしい。
この本は奈良時代に伝わってきたようだ。ここには分数の問題もあったそうだ。
養老令には「三分之一」という言葉があったり、その他の法律にも「三分之二」「四分之三」などの言葉が記されているそうだ。
奈良時代・平安時代から分数の読み方として「分母を先に言う」という言い方が定着していたようだ。

岩波新書の「日本語(下)」に分数のことが書いてあった。

「・・・このように順序を乱して書く例は、実は日本語にもある。例の分数である。三分の二を2/3と書く。小学生のころ、うっかり分子を先に書いて分母をあとで書くと、先生に叱られたもので、これは、日本でこの分数を読むときに、「三分の二」というように、分母を先に分子をあとに言うせいである。英語では two thirds と言うから、分子を先に書いて、分母を後にしても差し支えない。
 これを思うと、日本もこういったものを、「二の三分」とでも言っておけば、そんな無理なことをしなくてもよかったんだと思う。・・・・」

明治維新になって、今の分数の書き方が日本の学校に入ってきた。そのときには、分数をどう読むか議論があったかもしれない。
たぶん長年の伝統から、分母を先に言って、下に書き、分子を上に書く、という方式になったのだろう。

インターネットでざっと調べてみると、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語は、two thirds のように分子を先に言い、後から分母を言う読み方をしている。分数の文化圏なのだろう。
ミャンマー語は日本と同じように、分母、分子の順に読んでいるようだ。
日本語のように分母を先に読んでいる言語は多数派でないような気がするが、これ以上のことはわからない。

日本が小数文化圏であるため、分数に馴染んでいないこと、そして中国式読み方と西洋式表記法のぶつかりあいが、ますます分数の学習を難しくさせているのかもしれない。

 

 

桂米左独演会 2018

久々の雨模様。
ここは繁昌亭。久々の桂米左さんの独演会。

雨が降っているのに、傘をさした人が次々に繁昌亭に入っていく。 満席のようだ。

米左さんの独演会に来るのは3回目。
米左さんは大阪市出身の落語家。ウィキペディアによると大阪市立豊崎中学校、都島工業高校出身だとか。
生粋の大阪人、浪速っ子だ。高校を卒業して桂米朝さんに入門したそうだ。

入り口でもらったパンフレットに米左さんの「ごあいさつ」がある。

「・・・独演会は三席するというのが米朝一門の形です。師匠米朝が長年この形でやっておりましたので弟子も独演会は三席というのを踏襲しております。
 ですが昔は独演会というと本当に独演で、助演も入れず一人で五席、六席とやっていたそうです。・・・けどはっきりと言います。一晩で五席、六席・・・ようしません、また迷惑かと思います。
 自身が三席で助演に空気を変えてもらうというのが一番いい形ではないかなと思います。
 今日は「天王寺詣り」「質屋蔵」「軒付け」の三席でお付き合いを願います。助演で空気を変えてもらうのが、米左が最も信頼している後輩、大名跡襲名後進境著しい桂文三さん、露払いは米團治門下の慶次朗さん。この夏には名前の通り慶事があるそうです。本日のご来場感謝でございます。最後までごゆっくりお楽しみください。」

「開口一番」の桂慶次朗さんの師匠は桂米團治さんで、桂米朝さんの息子。かつての小米朝さん。2008年に五代目桂米團治を襲名している。

 慶次朗さんの噺は「桃太郎」。
子どもを寝かしつけるためにお父さんが桃太郎の話しをしてやる。
子どもは話が終わっても目を大きく開いていて,一向に眠る気配がない。そして「おとうさん、桃太郎という話は世界中で一番良く出来た話なんだ」と言う。お父さんがえっ?という顔をすると、
「そもそも昔むかしあるところにという出だしは、日本どこでも通じるようになっていて、これは普遍的なんだ・・・」と、とうとうと桃太郎の道徳的な意義を説明するという話。

この話は私が子どもの時にラジオで聞いたことを覚えている。話を聞いて「へーっ、そんな意味があるのか・・・」と、子ども心に感心したことを思い出す。

天王寺詣り

この噺は笑福亭一門のお家芸の一つだそうで、米左さんも「うちの一門の噺ではありませんが……」というようなことを言っていた。
 大阪生まれの人、四天王寺さんを知っている人、四天王寺にお参りしたことがある人には「うん、うん。そう、そう」と頷きながら聞いてしまう話だ。
四天王寺の名所旧跡のガイドのような話がいっぱいで、知っている人にはたまらないと思うが、時代もかわり、「のぞきからくり」も今はない。私も遠い昔に一度だけ見たようなおぼろげな記憶があるだけ。

私はこの噺のサゲ・おちがよくわからなかった。
妻に聞いてみると、さっとネットで調べてくれた。その内容を私の理解でまとめてみる。
・ 噺の展開は、死んだ犬の供養のためについた「引導鐘(いんどうがね)」の場面。そのときに「ああ、無下性(無礙性、むげっしょう)にはどつけんもんでんなあ」と言って終わる。

・ 無下性(無礙性)というのは、仏教用語で「手加減しない、思い切り」という意味らしい。私はこういう言葉があることは知らなかった。
この噺の前半に、犬が近所の子どもに棒で叩かれて死んでしまうところがある。ここで『無礙性にはどつけんもんでんなあ』という説明がある。ここにつながることがわかった。

 私にはへぇー?というサゲだが、多くの人が笑っていた。無礙性という言葉を知っている人なんだなあと思う。
 落語はある意味タイムマシンの役割がある。昔の大阪の生活や言葉を教えてくれる。でも私にも何か説明がないとわからない噺があるのだなあと、思った次第。

お楽しみ

桂文三(かつらぶんざ)さんの「お楽しみ」は「動物園」として知られている噺。

ところで「桂文三」という名跡があることは知らなかった。調べてみると90年絶えていた由緒あるものらしい。五代目桂文三さんは五代目桂文枝さんのお弟子さんで、「桂つく枝」だった人。2009年に「桂文三」を襲名しているそうだ。
「ごあいさつ」に「最も信頼している後輩」とあるから、よほど仲が良いのだろう。

この「動物園」は、移動動物園で虎の皮をかぶってのアルバイトをする怠け者の噺。これもラジオで聞いて笑ったことを思い出す。ラジオは耳から聞いてその場面を想像するのだが、舞台で噺家さんが身振り手振りでその状況を説明するのを見るのも、また楽しかった。この噺はどこまでアドリブが許されるのだろう?と思うほど、自由奔放な芸だった。
最後の場面。サゲのところで「心配せんでもええ、園長の長谷川や」というところの長谷川は、文三さんの師匠の五代目桂文枝さんの本名から来ている。これも師匠あっての話だなあと、あとから笑ってしまう。

質屋蔵 軒付け

どちらも米左さんの話芸の真骨頂発揮の演目だった。はぎれのよい、滑舌の良さが噺の展開を面白くし、ぐいぐいの噺に引き込んでくれた。

「質屋蔵」では、「繻子の帯」が質屋への怨念につながっているところまでの展開が面白かった。六円の帯代のために苦労するおかみさん、そして苦労の挙句に病に倒れる。おかみさんの実家に舞い戻った妹が、病に倒れたおかみさんの看病をしてくれる。その妹へ形見にしたかった繻子の帯は質屋に入れたまま、そして「思えば恨めしいあの質屋」。ああここで質屋への怨念につながるのかと大きく頷いてしまう。
熊五郎のわびを入れる話、蔵の見張りでドタバタした出来事、そして帯と羽織の相撲と展開がおもしろい。最後に菅原道真の登場。太宰府へ流されたことと、質流れにかけたさげでおわる。

「軒付け」は江戸時代に大阪ではやったという浄瑠璃をテーマにしたもの。
軒付けというのは、浄瑠璃の練習を兼ねて家の前で語ることだそうだ。上手に語れば相応のもてなしがあるが、下手なら追い返される。
 ここで米左さんの邦楽囃子望月流名取の声がさえる。浄瑠璃の節回しが会場に広がるわけだ。大阪の伝統芸能の、いや日本の伝統芸能の文楽の世界が垣間見える。落語がさまざまな芸能を吸収していることがよくわかる。
 初めて聞く演目なのでどんな落ちがあるのかなあと思っていた。
おばあさんが「じょうずだね」というと、「適当なことを言うな」と怒る軒付けの仲間。おばあさんが言う。「食べている味噌の味がかわらない」と返事で終了。
 なるほど、下手な浄瑠璃は「味噌がくさる」という、前段のフリがここできいてくるわけだ。

独演会の翌日、図書館で左のような本を見つけた。

この本によると日本全国にいる落語家の数は約820人あまり。
江戸時代には落語家は200人を超えるぐらいだというから、800人というのはびっくりの数だ。

東京に約550人、関西に約270人と言われている。
女性の落語家も増えてきているそうだ。

落語の稽古は口伝で、台本のようなものはない。師匠や兄弟子から教わるが、ネタによっては別門の師匠のところに行き、習うこともあるそうだ。今回の独演会の「天王寺詣り」などがそうなのだろう。
お願いに行けば時間を作って教えてくれるそうだ。しかも無料で。それは自分たちもそうやって落語を教わってきたからだと言う。
20分、30分の噺、人情噺となると1時間にも及ぶ話もある。そういった噺を徹底的に暗記をし、振りを付け、話芸を磨くのにどれほどの時間をかけたのだろうと思う。慶次朗さん、文三さん、米左さん、客席を笑いに包み込む話芸の裏には、果てしない努力があるに違いない、とあらためて思った。