青島・蘇州の旅 17

蘇州大学 海外教育学院

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ここが外国語を学ぶ学生たちのセンターのようだ。「海外教育学院」とパネルが貼ってある。
今日の予定は、蘇州大学主催の記念レセプション、日本語学科の大学生たちの「日本語カラオケ」「日本語劇」の鑑賞。
時間があるので、日本語学科の大学生に大学を案内してもらった。

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本当に広いキャンパスだ。花の手入れもしっかりとなされている。最後の写真は 卒業式を前にして、自分たちの卒業写真のためのパフォーマンスの練習をしていると、案内の大学生が説明してくれた。

IMG_20160721_00012012年のデータによると、蘇州大学は
大学生約6万人、
そのうち留学生が1143人
教員・職員数が4890人、
多数の外国の大学との交流を行っていて、日本の大学では
関西学院大学、信州大学、東京学芸大学、金沢大学、電気通信大学、京都産業大学、福井大学、京都工芸繊維大学、昭和大学医学部、奈良女子大学、国士舘大学、兵庫県立大学等がある。

学生の多くは大学の寮で生活している。大学の寮は6人部屋で、院生なると4人部屋になるという。家庭教師などのアルバイト以外は自分の勉強に費やしているそうだ。
科挙の伝統がしっかりと現在の大学生にも生きているなあと思った。
上の写真は大学の購買部で買った蘇州大学のロゴの入ったB5版のノート。大学生がこのノートを愛用しているのかどうかはわからないけれど、記念で買った。

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上の写真はそのノートを買った購買部の店。
この店でノートと絵葉書を買った。絵葉書の中にこの購買部の写真が入っていた。
この購買部の店までが遠かった。下に車が走っている大きな陸橋を渡り、隣のキャンパスまで歩くこと20分?はあったと思う。雨が降っているので、余計に遠く感じたのかもしれない。大学生が丁寧に案内してくれたのがうれしかった。

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お昼には、日本語学科を卒業した人たちがたくさん集まった。 この機会に、多くの卒業生に集まってもらおうと、3年、4年の学生たちが頑張ったらしい。 その大学生たちが用意してくれたお弁当を食べながらの交流会となった。

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久しぶりにあった日本人講師にあって、卒業生はうれしそうな顔をしている。卒業してからの近況をみんな笑顔で話している。やっぱり笑顔がいい。
日本企業関係に勤めている人、大学の日本語の先生になった人、ツーリスト関係に務めている人、どの卒業生も大学で学んだ日本語を生かそうと努力している姿が見える。結婚して生まれた子どもの写真を日本人講師に見せている人もいた。

卒業して10年以上たつ卒業生のスピーチが心に残った。
仕事の関係で何回も日本に訪れているという。卒業の時に初めて日本を訪れた時は、自分たちの国に比べて日本がとても進んでいるように思え、日本に学ぶことが多いと思った。しかし最近になって日本を訪れると、自分の国がとても発展してきていることを実感するという。そして、日本と中国の友好のためにこれからも自分は頑張りたい、と笑顔で、誇りを持ってスピーチする卒業生たちに私たちは拍手をおくった。
草の根の日中友好、ここに生きていると思った。

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ここにあった自動販売機。
2.5元だから1元=18円とすると45円。安いなあ。大学生だからかなあ。
自動販売機費は点字はついていなかった。

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大学にあった消火栓。

火事の場合は「119番」らしい。
ここは日本と一緒だなあ。
警察は「110番」なのかなあと思って、学生に聞こうかなと思いながら忘れてしまった。
こんなところが旅行の後によくある。
ああ、あの時に聞いておけば、ということが。

昼食の後、実際に日本人講師が活動している場、学生たちが勉強している場所に向かう。

 

 

 

青島・蘇州の旅 16

蘇州城壁博物館

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今日も雨。バスに乗って蘇州大学に到着。バスの中から大学の門を撮す。

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緑の旗には、「日中友好 蘇州大学と交流する大阪府教職員の会」とかいてある。真ん中のマークは蘇州大学のロゴマークらしい。真ん中に見える二人の女の子が案内役をしてくれた蘇州大学日本語学科の学生さん。笑顔がかわいい。

学生たちは学校内の見学などを予定していたようだが、大雨のために予定を変更し、城壁博物館の見学を先にすることになった。

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大学の門を出ると、文字通り川のような運河。先日見た蘇州の環濠巡りの運河よりさらに大きい。雨に霞んで見えるのが蘇州城壁博物館。城壁にあった門を再現し、博物館にしている。

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これが街の入口となった、城門と城壁かあ?!。
こんなに大きいものとは思っていなかった。

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環濠、運河で囲まれた蘇州の街のようすがよくわかる。

IMG_6812この部分は運河が二重になっていたところ。運河と城壁と城門で守られた蘇州の街が左側にあったのだろう。

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いつの時代かは記録をしなかったのでよくわからないが、 人々が行き交っていたようすが想像できる。

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ジオラマで蘇州の町中での生活が再現されている。

呉音と漢音

地図で見ると旧市街地を囲む運河の大きさは、おおよそ2.5Km✕6Kmはありそう。(地図を見て概算したので、全く正確な数字ではないことを強調しておく)
蘇州の歴史を簡単に振り返ってみよう。

蘇州は古い歴史を持つ都市で、紀元前500年にさかのぼる。周囲1.5kmの小さな都を呉王の闔閭(こうりょ?)が、周囲16kmに拡張したと言われている。2500年以上も前のことになる。日本の弥生時代頃の話だ。
蘇州はもととは「姑蘇」という名称があり、「蘇州」という名がついたのは隋の時代(589年)で、蘇州という名前も1500年の歴史がある。

蘇州は過去に10度、大乱で消滅したかもしれない歴史を持つ。
元の時代の金兵の侵攻では三日三晩燃えたと伝えられる。
最後は清の時代の太平天国の乱(1851年)の頃である。
1941年から45年の間は、日本軍が占領していた。

さて日本と蘇州は漢字というところで、関係の深い歴史がある。
漢字辞典、漢和辞典の勉強をした時に、漢字のよみには「呉音」と「漢音」があると習ったことは覚えている。

日本には話し言葉はあったが、それを書き表す文字はなかった。話し言葉を書き表す方法として、中国の漢字を使ったわけだが、中国の漢字といっても時代によってその発音はちがっている。そして日本と中国とは海を隔てているため、日本に伝わってくるのも断続的で、地理的に近い対馬や九州の国々が交易などで利用しはじめ、それが日本全体に広がってきたのだろうと想像される。

最初に日本に漢字が伝わってきたのは中国の南北朝時代の頃(439年〜589年)のもので、南朝で使われている漢字、呉の地方のものである。それが後の漢字の音と区別されるために「呉音」と呼ばれるようになった。

呉音は、古くから日本語に溶け込んだ物の名前、仏教に関わりのある言葉に多い。
たとえば、
男は呉音では「ナン」、漢音では「ダン」
女は呉音では「ニョ」、漢音では「ジョ」
人は呉音では「ニン」、漢音では「ジン」
米は呉音では「マイ」、漢音では「ベイ」
京は呉音では「キャウ」、漢音では「ケイ」
なるほど、日本語になじみのある音が呉音にあることがわかる。

奈良時代に遣唐使や留学僧によって、長安から伝わってきたのが漢民族の標準語として受けとめられ、それが「漢音」と呼ばれるようになった。
こうして、日本語の中に呉音と漢音が共存することになったわけだ。

漢字の読みというところからも、日本と蘇州が深い関係にあったことがわかる。

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この博物館の展示場の入り口付近の天井には、古星図がえがかれていた。説明がなかったので、詳しいことは全くわからないが、日本の高松塚の星の壁画を連想した。

中国の星座の歴史は古く、3000年前にさかのぼるといわれている。

北極星を「天帝」として、ひとつの国家体制を形作っているそうだ。
蘇州にある「蘇州・石刻天文図」には1440の星が刻まれているそうだ。
また星座の数も多く、3世紀に整理された頃は300ほどの星座があり、現在の88星座と比べてみるとその数の多さにびっくりする。

古くから蘇州にいる人にとっては、この城壁博物館は過去の遺跡を再現したものではなく、全くの現代の建築物だが、私たちにとっては蘇州の歴史を概観するのには役に立った。

大学と運河の間には大きな道路がある。車の多い道路で、日本とは反対の右車線を走る車に注意しながら蘇州大学に戻る。

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蘇州大学ってどんな感じの大学ですか? 
北海道大学みたいなところだよ。
なるほど。広い。

 

 

 

青島・蘇州の旅 15

雨の蘇州見学 その4 松鶴楼(ソンホーロー)

松鶴楼めざすは松鶴楼というレストラン。 名前からして何か歴史がありそう。
蘇州の旧市街地のほぼ真ん中にある。

松鶴楼1左の写真が松鶴楼。
私のカメラには写っていなかったので、「上海ネットナビ」というホームページからとったもの。
松鶴楼(ソンホーロー)の歴史は古く、清の時代にさかのぼるという。1757年が創業で、乾隆帝が蘇州に訪れた時にこの松鶴楼でここの名物料理を食べたことが有名になっているそうだ。その名物料理とはどんなものだったのだろう。

http://www.shanghainavi.com/food/164/
夕食までにはまだ時間があったのでしばらくこの辺りを散歩した。

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近くにあったデパート。お客さんの姿があまり見えない。せっかくバーゲンをしているのに、店員さんが手持ち無沙汰な様子だった。

IMG_1352松鶴楼の前のお店では、映画のような中国服を着た二人の店員さんが、なにか出し物の用意をしているようだ。大道芸かな?と期待したが、準備が長くて私が見ているいる間にははじまらなかった。

IMG_1351喫茶店を探す。見つけたのが韓国系の喫茶店、COSTA COFFEE だった。

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IMG_1355中は日本でよくある喫茶店と同じ。
ひさびさ喫茶店でコーヒーを飲む。
地図を出して、このお店はどの辺りにあるのかを若い店員さんに聞く。英語で聞くと、意味はわかったようで指で示してくれた。お客さんにニコッとしてくれたらいいのになあ。

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最後の写真の料理がこの松鶴楼の名物料理。松鼠桂魚 (ソンシューグイユゥ)」 。

ネットで調べてみると、スズキに似た淡水魚の “ 甘酢あんかけ ” のような料理。尾びれを残し、背骨を取り、皮をクルリと外側にまく。白身にサイノメの切込みを入れて形をつくってこんがり揚げたものに甘酢あんをかけるという手間をかけた料理。
 松鼠というのは、中国語でリスということで、形がリスに似ているからということらしいが私にはよくわからない。 

IMG_1364この日には蘇州大学で日本語講師をしている人、していた人、また違う大学で日本語を教えている人が集まった。もちろんすべて日本人で、大阪の小中学校、高校で先生をしていた人たち。退職して、中国で日本語のネイティブとして日本語を教えている人たち。みんな元気そうだった。

左の写真は日本の高校の先生だった人。蘇州で写真のような服をあつらえて蘇州大学の教室に持って行くと、学生たちが着せてくれたそうだ。翌日大学に行くと会う人会う人が「ステキな服ですね」と声をかけてきてびっくりしたと話してくれた。学生たちが携帯でとった写真が1日で大学中に広まっていたということらしい。蘇州大学生の気質や情報化社会の様子が伝わってきておもしろい話だった。

 
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蘇州でのホテル、マリオットホテルの夜と朝の全景。
このマリオットホテルで「点字」を発見した。

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エレベーターの中のボタン。数字1,2,3,、、の下に点字の記号で1,2,3、と書かれている。数字は万国共通のようだ。

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こちらはアルファベットでENとCLと書いてあるが、その下の点字もアルファベットのENとCLを表している。アルファベットの表示も万国共通だ。

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左の写真は、上と下の表示ボタンの下向きの部分を拡大したもの。

この点字は、点字アルファベットのDOWNでもないし、もちろん日本語点字の「下」でもない。
なんて書いてあるのか読めない。中国語の点字で「下へ行くためのボタン」の意味を表しているのだろう。

点字は各国で使われていて、点字で表している文字はその国によって定められている。
日本語の点字が読めるからといって、世界中の点字が読めるわけではない。英語の文字を表す点字とフランス語の文字を表す点字は、同じ点の配置でも読みは違う。ここは中国なので、数字やアルファベットは万国共通の点字で表すことができるが、中国語の言葉を表す点字をここでは使っているのだろうと想像される。

点字ブロック1中国での障がいを持った人への教育はどうなっているのだろう。それがこの訪中でわかればと思っていた。
夕食の時に、大学で教えている先生に、中国の障がいを持った子どもたちへの教育を聞いてみた。大学ではほとんど取り組まれていないそうだ。障がいを持った子どもの大学入学に努力をしたり、障がいをもった大人が教員として指導することも、その先生はほとんど聞かないと言っていた。

点字ブロック2

中国では歩道の点字ブロックを見ることもあり、ある程度のバリアフリーの政策は進んでいる様子は伺えた。
また中国では点字の本は多く出版されているという情報も聞いていたが、私がこの日までに「点字」を見たのはこのマリオットホテルが初めて。
これまで見学した施設やトイレ表示には、私が見た限りは「点字」はなかった。
アメリカ資本のマリオットホテルだからこそ、視覚障害の人たちへの配慮ができているのかもしれない。

さて、明日は蘇州大学の訪問。日本語を学ぶ学生たちって、どんな子どもたちなのだろう。興味が湧いてくる。