青島・蘇州の旅 20

飛行機の中で1時間待ち

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やっと雨が止む。蘇州を離れる日に雨が止むなんて、、、。

マリオットホテルの朝食もこれが最後。
ずっと飛行機の旅になるので、今回も朝食は控えめに。
関空への直行便なので、上海浦東国際空港に向かう。バスで約2時間半の道のり。

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トイレ休憩。 ここはどういう場所なのだろう。
売店もトイレもあるが、私たち以外のバスは停車していない。
遠くに高層ビルが煙って見える。中国の広さを実感する。

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ここは上海浦東(シャンハイプードン)国際空港。
世界で一番大きい空港ではないか、という声も聞かれる(貨物取扱量は世界第3位)
私たちが乗る搭乗ゲートはD84。搭乗口が84番だから相当な数だ。
いったいいくら搭乗口があるのだろう。

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上海12時20分発、関空着が15時15分の予定。
飛行機に乗り込んで「あと2時間半で日本に帰れる」と思っていたら、機長からのアナウンス。
「梅雨前線の影響で日本までの上空の大気の状態が悪く、管制塔からの離陸のサインがでません。」
「えーっ!!」
「離陸の許可が出るまで、飛行機内でお待ちいただくことになります。こういったことはよくあることです。ただ1時間になるか、2時間になるか、それはわかりません」
「えーっ!!」

全日空の飛行機で、乗客の大半が日本人。状況が機長から説明されると納得。静かにテイクオフを待つ。
そういえば、ドイツからの飛行機もそうだった。あの時は滑走路の凍結で1時間以上も飛行機内でまった。

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帰りの全日空の飛行機では、テレビを見ることができたので何を見ようかとさがす。
フライトは2時間以上あるが、上映時間がそれほど長くなく、日本語字幕があるか、日本語吹き替えのもの、そして日本でもまだ封切られていないものを探す。

あった、これだ。

「ザ・ブリザード」(原題: The Finest Hours)2016年の作品。1952年に起きたアメリカ沿岸警備隊によるタンカーの救出を映画化したもの。実話というのがインパクトがあった。ホントにこんなことがあったのか?嵐で警備隊の羅針盤が吹っ飛んでも救出にいくことにびっくりした。ラストの自動車のヘッドライトの列が灯台のかわりになるという、お決まりの場面かも知れないが、エンターテイナーの王道をいくような映画だった。

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飛行機は1時間遅れで上海を出発。
フライトは問題もなく、1時間遅れのまま関空地到着。
青島・蘇州の旅も終わった。

「馬の骨」の語源は?

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家へのおみやげは「紹興酒」と写真の雨ガッパ。
蘇州の町を走っている自転車、バイクのほとんどが上のような雨ガッパを装着している。ヘルメットの上からもかぶれるフードがつき、前の荷物置き、足元をしっかりとカバーしてくれる。現地のガイドさんに聞くと、地元のスーパーに置いてあるということなので、帰るまでの間に買ってもらうことを頼んだ。値段は50元だった。中国での生活物資は日本より安いのかもしれない。ところでこの現地ガイドさんは蘇州大学日本語学科の卒業生。笑顔がステキな人だった。

さて青島・蘇州の旅もこれでおしまいだが、私が中国で聞いてみたいことが一つあった。それは「馬の骨」。

以前に「馬の骨」の語源をインターネット上でいくつか読んだことがある。
自分流に要約してみると、

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語源は、中国。
「役に立たない物の代表」として「一に鶏肋・二に馬骨」と言った。
「鶏肋(けいろく)」とは鶏の肋骨のことで、小さすぎて役に立たない事を意味し、
逆に「馬骨」とは、何の役にも立たず、その上に大きすぎて処分に困るということで、
役に立たず、だれにも必要とされない者を表すようになったという。
そして、「大人ではあるが、成長過程や職業がわからない」と言った意味にも使われるようになり、漢字の「骨」には「人柄(ひとがら)」という意味もあるために、「馬の骨」は現在のような意味に変化した。「馬」の他に身近にいた動物として「牛」も居たため、「牛の骨」といわれた事もあっという。

日本でこの「馬の骨」「牛の骨」という言葉が使われ始めたのは1600年代から1700年代で、江戸時代に現在のように「馬の骨」のほうが定着した、と書かれている資料もあるらしい。

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(写真は、「紅いコーリャン」の撮影ロケ地にいた観光用の馬たち。サラブレッドのような大型の馬ではない。)

これを読んで、私は「ほんとうかなあ、語源は中国?」と思った。いくつか疑問がわいた。それでは、中国では今でも「馬の骨」と言う言い方をしているのだろうか、ということが一番知りたくなった。
中国のことわざみたいなものの中に、「馬の骨」はあるのだろうか。
中国の辞書に「馬の骨」はのっているのだろうか。
中国の若者は、日本と同じ意味で「馬の骨」という言葉を使っているのだろうか。

中国の大学で日本語を教えている先生たちに聞いてみた。

先生の持っている電子辞書にはのっていないみたいだ。(日本語の中国語訳はあるが、中国語としてはのっていない)
中国に滞在している間に、「馬の骨」という言い方は聞いたことがない。
学生が「馬の骨」という言い方をしているのを聞いたことはない。

という返事だった。日本のようには一般的には使われていないようだ。
でも、中国の大きな辞書にはのっているのだろうか。
年配の人達の語彙に「馬の骨」はあるのだろうか。
まだまだ疑問がわいてくる。
大学で教えている先生にも、機会があれば調べてほしいことを伝えた。
いつか中国の人と話すことがあれば聞いてみたいものだ。

IMG_20160725_0003左は中国に行く前に知らなかった司馬遼太郎さんの本。
行く前に読んでいたら、、、また思ってしまう。
蘇州のことが書かれていた。
中国と日本とは2000年以上もつながりのある関係。

日本人講師の人の話では、学生たちは日本のアニメが大好きだそうだ。大学を案内してくれた学生も、日本人映画俳優が大好きと言っていた。
将来は、日系の会社に努めたい、できれば日本で働きたい、何か大学で学んだ日本語を生かして働きたいと思っているという。
そのモチベーションが、大学で日本語を学んで、卒業するときには日本語で卒業論文を書くまでに能力を伸ばす。それに関わる日本人講師の努力ももちろんある。
これからも草の根の友好が大切だと実感した、私にとって、とても貴重な旅だった。

 

 

 

 

 

青島・蘇州の旅 19

蘇州大学  日本語劇

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蘇州大学主催の交流20週年のレセプション。 紅い横断幕には日本流に言えば「熱烈歓迎・・・」と書かれているようだ。
副学長は女性で、その副学長の挨拶から始まり、20年前に日本語の教科書づくりに努力した人たちの話など、日本と蘇州大学との交流の歴史を感じさせる会だった。
大学で日本語を教えるための教科書を、日本と中国の協力で作ったことは特筆すべき事だと思う。この関係が日中友好の底流に流れていると思う。

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年に1回、大学生を日本に招待する取り組みも始まっている。今年の春に日本に招待された大学生たちの挨拶もあり、会場から大きな拍手が湧いた。 大学関係者の人たちは、日本語も堪能で、中国語が突然日本語に変わったりして、さすが日本語学科に関係する人たちだと思ったりもした。

レセブションを終えた後は、日本語劇を行う会場に移動する。

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「蘇州大学日本語学科第9回日本語劇公演」と大きな横看板が吊るされいる。
約10年前からこのような教育実践がなされていることに驚くとともに、これまでの日本人講師の努力にあらためてすごいことだと思う。
綺麗にドレスアップした大学生が、進行をすすめる。

初めに「俳句」の授賞式。

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なるほど、日本の文化である俳句を通して勉強しているのか。
テレビの「プレバト」の夏井先生の影響で、日本の中でも俳句の見直し・再評価、日本語自体への関心が高まっているけれど、教育的効果も十分にあるのだなあと思う。

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各学年が合唱と劇をおこなった。司会も歌も劇もすべて日本語。
服装も思いの外、質素。
これが逆だったら、と思うとよく勉強しているなあと思う。

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舞台のスクリーンに時々中国語のセリフが写される。 言葉が全て日本語だから、中国の学生には内容はわからないわけだ。文楽劇場で、台本が映しだされているのと同じことだなあ。

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舞台の上手、下手には効果音楽のための琴と二胡の演奏がされている。先ほど見た事を練習していた学生さんだ。

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中国の時代劇。衣装が興味深かった。中国のどの時代の服装なのだろう?
スクリーンに「日立」のロゴが投影されている。このプロジェクターは日立製らしいが、学生たちはこれが日本製だということを知っているのかなあ。あとで聞こうと思いながら、また忘れてしまった。

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日本の高校のような制服。
蘇州大学の制服ですか?
いいえ、学生たちがネットで買ったんです。
AKBをイメージして、服装をそろえたらしい。

歌う歌は、NHKの朝ドラの「あさが来た」の主題歌、「365日の紙飛行機」。IMG_20160730_0002

歌の最後に、学生たちが隠し持っていた紙飛行機を会場に飛ばした。
私の座席に飛んできたのが、上の写真の紙飛行機。
「飛んで行け〜 飛んでみよう〜」
と、日本語で書いてある。
会場に飛んだ飛行機のいくつかには、紙飛行機の中にもメッセージが書かれていたものがあったらしい。私が手にした紙飛行機には、残念ながらメッセージはなかった。

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日本語講師からの講評が最後にあった。劇の脚本から全てにわたって日本人講師の努力がこの公演の背後にあったことはよくわかる。
学生たちがとても真面目で、落ち着いている姿に私は驚いた。
AKBの衣装を真似た女子大生は、自分たちの公演の前も後も、静かに座っている。
日本のテレビなどで見る女子大生のような軽いノリのような素振りは一切見せない。
それは日本と中国の大学生気質のちがいなのかもしれない。
そのことに気づいた私は、思わず自分の姿勢を正した。
ここは学習の場、なのだ。

公演を終えた後、学生たちとの歓談の場があれば、もっと私が気づかされることがあったのにとおもうが、時間は9時をすぎていた。
蘇州での貴重な体験だった。

 

 

 

 

 

 

青島・蘇州の旅 18

蘇州大学 日本語学部

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IMG_1427さて、ここ「外国語学院」とかかれた建物の中で、日本語学科の学生たちの日本語カラオケの決勝戦が行われる。

建物の入口を入ると、傘が開いた状態でならんで置いてある。日本のように傘立てというものがない。閉じて壁に立てかけておくという習慣もないのかなあと思う。

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予選を勝ち抜いてきた学生たちが、日本語の歌唱力をアピールするわけだ。ここまでは大学関係者の審査だったが、最後は私たち日本から来たメンバーで構成する審査団。どんな歌を中国の学生は歌うのだろうと興味津々。
左の写真はその審査団。

パソコンを活用してのカラオケだった。

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中国はネット社会なので、多様な情報が、もちろん日本のアニメやテレビも、手軽に入手できる。
日本語の歌を、日本語で歌うわけだから相当に興味がないとできない、と思う一方、自分たちも英語の歌を意味もわからずに歌ってみたり、英語を知らないけれども耳で覚えた歌を口ずさんだりした経験があることを思い出すと、歌と文化と言語はつながるなあと思った。上の写真の女子大生は、ネットでセーラー服を買ったそうだ。

学生たちの歌はほとんどがアニメの歌で、残念ながら私にはなじみのない曲ばかりだった。最後に昨年度の優秀者が飛び入りで歌った歌が「なごり雪」で、さすがこの曲には日本人参加者は思わず声を出して歌った。

この日本語カラオケ大会にはスポンサーがついていて、日本企業が電子辞書や電気ポットなどを商品として提供していた。日本企業との交渉は、日本語学科の大学生がしたというから立派なものだ。

IMG_1430日本語カラオケの後は、日本語講師の研究室を訪れた。
入り口には、
「外国語学院 日文系 日本語学院」
「外国語学院 朝鮮語(韓国語)系」
という二つのパネルがあった。

IMG_1432研究室の入口にあった、大学生が書いたと思われる歓迎のホワイトボード。なんとなく微笑ましい。

IMG_1434今回の蘇州訪問の取り組みで、日本の小説が約3000冊集められてこの研究室に寄贈した。写真がその一部。

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源氏物語関係の本は、私が寄贈したもの。

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中国の琴を練習している日本語学科の大学生。このあと日本語劇で演奏するらしい。

IMG_1442 ここは茶室。畳の匂いもすがすがしい。 時間の関係で、全員が大学生のお点前をあじわうことはできなかったが、日本人講師の人たちのがんばりがつたわってくる。
文化や芸術によって、日中交流がなされていることがよくわかる。

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夕方のレセプション会場に向けて移動する。 大学は広いのでいくつも門があり、大学の横にも小さな運河がながれている。

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上の写真の大学の門のすぐ前にある喫茶店。
中国蘇州に来て、これまでみたこともない可愛いお店。
大学生が利用しているのだろう。
雨がやまないのが残念。レセプションも興味があるし、日本語劇も興味がある。
夕方を過ぎたが、まだ明るい。

 

 

青島・蘇州の旅 17

蘇州大学 海外教育学院

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ここが外国語を学ぶ学生たちのセンターのようだ。「海外教育学院」とパネルが貼ってある。
今日の予定は、蘇州大学主催の記念レセプション、日本語学科の大学生たちの「日本語カラオケ」「日本語劇」の鑑賞。
時間があるので、日本語学科の大学生に大学を案内してもらった。

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本当に広いキャンパスだ。花の手入れもしっかりとなされている。最後の写真は 卒業式を前にして、自分たちの卒業写真のためのパフォーマンスの練習をしていると、案内の大学生が説明してくれた。

IMG_20160721_00012012年のデータによると、蘇州大学は
大学生約6万人、
そのうち留学生が1143人
教員・職員数が4890人、
多数の外国の大学との交流を行っていて、日本の大学では
関西学院大学、信州大学、東京学芸大学、金沢大学、電気通信大学、京都産業大学、福井大学、京都工芸繊維大学、昭和大学医学部、奈良女子大学、国士舘大学、兵庫県立大学等がある。

学生の多くは大学の寮で生活している。大学の寮は6人部屋で、院生なると4人部屋になるという。家庭教師などのアルバイト以外は自分の勉強に費やしているそうだ。
科挙の伝統がしっかりと現在の大学生にも生きているなあと思った。
上の写真は大学の購買部で買った蘇州大学のロゴの入ったB5版のノート。大学生がこのノートを愛用しているのかどうかはわからないけれど、記念で買った。

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上の写真はそのノートを買った購買部の店。
この店でノートと絵葉書を買った。絵葉書の中にこの購買部の写真が入っていた。
この購買部の店までが遠かった。下に車が走っている大きな陸橋を渡り、隣のキャンパスまで歩くこと20分?はあったと思う。雨が降っているので、余計に遠く感じたのかもしれない。大学生が丁寧に案内してくれたのがうれしかった。

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お昼には、日本語学科を卒業した人たちがたくさん集まった。 この機会に、多くの卒業生に集まってもらおうと、3年、4年の学生たちが頑張ったらしい。 その大学生たちが用意してくれたお弁当を食べながらの交流会となった。

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久しぶりにあった日本人講師にあって、卒業生はうれしそうな顔をしている。卒業してからの近況をみんな笑顔で話している。やっぱり笑顔がいい。
日本企業関係に勤めている人、大学の日本語の先生になった人、ツーリスト関係に務めている人、どの卒業生も大学で学んだ日本語を生かそうと努力している姿が見える。結婚して生まれた子どもの写真を日本人講師に見せている人もいた。

卒業して10年以上たつ卒業生のスピーチが心に残った。
仕事の関係で何回も日本に訪れているという。卒業の時に初めて日本を訪れた時は、自分たちの国に比べて日本がとても進んでいるように思え、日本に学ぶことが多いと思った。しかし最近になって日本を訪れると、自分の国がとても発展してきていることを実感するという。そして、日本と中国の友好のためにこれからも自分は頑張りたい、と笑顔で、誇りを持ってスピーチする卒業生たちに私たちは拍手をおくった。
草の根の日中友好、ここに生きていると思った。

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ここにあった自動販売機。
2.5元だから1元=18円とすると45円。安いなあ。大学生だからかなあ。
自動販売機費は点字はついていなかった。

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大学にあった消火栓。

火事の場合は「119番」らしい。
ここは日本と一緒だなあ。
警察は「110番」なのかなあと思って、学生に聞こうかなと思いながら忘れてしまった。
こんなところが旅行の後によくある。
ああ、あの時に聞いておけば、ということが。

昼食の後、実際に日本人講師が活動している場、学生たちが勉強している場所に向かう。

 

 

 

青島・蘇州の旅 16

蘇州城壁博物館

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今日も雨。バスに乗って蘇州大学に到着。バスの中から大学の門を撮す。

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緑の旗には、「日中友好 蘇州大学と交流する大阪府教職員の会」とかいてある。真ん中のマークは蘇州大学のロゴマークらしい。真ん中に見える二人の女の子が案内役をしてくれた蘇州大学日本語学科の学生さん。笑顔がかわいい。

学生たちは学校内の見学などを予定していたようだが、大雨のために予定を変更し、城壁博物館の見学を先にすることになった。

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大学の門を出ると、文字通り川のような運河。先日見た蘇州の環濠巡りの運河よりさらに大きい。雨に霞んで見えるのが蘇州城壁博物館。城壁にあった門を再現し、博物館にしている。

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これが街の入口となった、城門と城壁かあ?!。
こんなに大きいものとは思っていなかった。

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環濠、運河で囲まれた蘇州の街のようすがよくわかる。

IMG_6812この部分は運河が二重になっていたところ。運河と城壁と城門で守られた蘇州の街が左側にあったのだろう。

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いつの時代かは記録をしなかったのでよくわからないが、 人々が行き交っていたようすが想像できる。

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ジオラマで蘇州の町中での生活が再現されている。

呉音と漢音

地図で見ると旧市街地を囲む運河の大きさは、おおよそ2.5Km✕6Kmはありそう。(地図を見て概算したので、全く正確な数字ではないことを強調しておく)
蘇州の歴史を簡単に振り返ってみよう。

蘇州は古い歴史を持つ都市で、紀元前500年にさかのぼる。周囲1.5kmの小さな都を呉王の闔閭(こうりょ?)が、周囲16kmに拡張したと言われている。2500年以上も前のことになる。日本の弥生時代頃の話だ。
蘇州はもととは「姑蘇」という名称があり、「蘇州」という名がついたのは隋の時代(589年)で、蘇州という名前も1500年の歴史がある。

蘇州は過去に10度、大乱で消滅したかもしれない歴史を持つ。
元の時代の金兵の侵攻では三日三晩燃えたと伝えられる。
最後は清の時代の太平天国の乱(1851年)の頃である。
1941年から45年の間は、日本軍が占領していた。

さて日本と蘇州は漢字というところで、関係の深い歴史がある。
漢字辞典、漢和辞典の勉強をした時に、漢字のよみには「呉音」と「漢音」があると習ったことは覚えている。

日本には話し言葉はあったが、それを書き表す文字はなかった。話し言葉を書き表す方法として、中国の漢字を使ったわけだが、中国の漢字といっても時代によってその発音はちがっている。そして日本と中国とは海を隔てているため、日本に伝わってくるのも断続的で、地理的に近い対馬や九州の国々が交易などで利用しはじめ、それが日本全体に広がってきたのだろうと想像される。

最初に日本に漢字が伝わってきたのは中国の南北朝時代の頃(439年〜589年)のもので、南朝で使われている漢字、呉の地方のものである。それが後の漢字の音と区別されるために「呉音」と呼ばれるようになった。

呉音は、古くから日本語に溶け込んだ物の名前、仏教に関わりのある言葉に多い。
たとえば、
男は呉音では「ナン」、漢音では「ダン」
女は呉音では「ニョ」、漢音では「ジョ」
人は呉音では「ニン」、漢音では「ジン」
米は呉音では「マイ」、漢音では「ベイ」
京は呉音では「キャウ」、漢音では「ケイ」
なるほど、日本語になじみのある音が呉音にあることがわかる。

奈良時代に遣唐使や留学僧によって、長安から伝わってきたのが漢民族の標準語として受けとめられ、それが「漢音」と呼ばれるようになった。
こうして、日本語の中に呉音と漢音が共存することになったわけだ。

漢字の読みというところからも、日本と蘇州が深い関係にあったことがわかる。

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この博物館の展示場の入り口付近の天井には、古星図がえがかれていた。説明がなかったので、詳しいことは全くわからないが、日本の高松塚の星の壁画を連想した。

中国の星座の歴史は古く、3000年前にさかのぼるといわれている。

北極星を「天帝」として、ひとつの国家体制を形作っているそうだ。
蘇州にある「蘇州・石刻天文図」には1440の星が刻まれているそうだ。
また星座の数も多く、3世紀に整理された頃は300ほどの星座があり、現在の88星座と比べてみるとその数の多さにびっくりする。

古くから蘇州にいる人にとっては、この城壁博物館は過去の遺跡を再現したものではなく、全くの現代の建築物だが、私たちにとっては蘇州の歴史を概観するのには役に立った。

大学と運河の間には大きな道路がある。車の多い道路で、日本とは反対の右車線を走る車に注意しながら蘇州大学に戻る。

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蘇州大学ってどんな感じの大学ですか? 
北海道大学みたいなところだよ。
なるほど。広い。