大阪環状線撮り歩き  大正駅

今回はJR環状線「大正駅」。とても暑い日だった。

「大正駅」といえば「京セラドーム」。以前は大阪ドームと言っていたのに、いつのまにか大阪の文字がなくなってしまった。 今日は何かイベントがあるようで、若い人たちの姿が見られた。

私たちは「京セラドーム」の方に行くのではなく、前回の「芦原橋」周辺に戻り、北津守にある渡船場から大正区にわたり、1日で「船、山、海」の写真を撮るという、講師先生の計画に基づいて歩く。
それにしても今日は暑い。天気予報では35度になるという。講師の先生も「水分補給をしっかりと」と何回もおっしゃる。

太陽の光が強いと、車のガラスへの映り込みもはっきりとする。

浪速区と大正区の境の木津川を特急「はるか」が通り過ぎる。

浪速区と大正区にかかる橋は「大浪橋」。橋のたもとには「わたし 勘助島」の石柱があった。江戸時代には、浪速区の「難波村」と「勘助島」を結ぶ渡し船があったそうだ。ここがその船着き場であったかどうかはわからない。
勘助島についてしらべてみると、1610年頃、木津勘助が堤防を築き、現在の大正区三軒屋付近を豊臣家より「勘助島」として与えられたそうだ。
木津勘助と木津川の関係は深く、多くの功績があるそうだ。地下鉄御堂筋線「大国町駅」のそばにある大国神社には「木津勘助の像」が建っている。そのことは以前に私のブログにも書いた。

http://ungaisoten.com/2016/01/12/恵比須大黒(今宮戎・大國主神社)/

「大阪動植物海洋専門学校」「お肌軟水の湯」そして「井岡ボクシングジム」。
へえーっと思わす言ってしまう看板もあって興味がわく。

近くの公園ではセミの抜け殻がいくつもあった。今年の夏は猛暑になりそうな予感。

この「お散歩フォト」の添乗員さんが、ツアー参加者のリクエストに答えてモデル役。ブランコの立ち乗りに挑戦。

この巨大な物はなんだ?
これは木津川にかかる水門。防波堤だ。防波堤を渡船から見たのが下の写真。

ここは「落合上(おちあいかみ)渡船場」。
渡し船で「大正区」に移動する。
大阪市には8つの渡船場があるが、そのうちのひとつ。運賃は無料。市民の足となっている。
他の渡船場は、
①安治川の天保山渡
②尻無川の甚平渡
③大正内港の千歳渡
木津川の
④落合上渡
⑤落合下渡

⑥千本松渡
⑦木津川渡
⑧木津川運河の船町渡
である。
これらは大阪市の公営渡船で、①から⑦までが大阪市建設局、⑧のみが大阪市港湾局の管理で運営されている。

 

そしてここは川を渡ったところにある「千島公園」、「昭和山」がある所。 時刻は午前11時半。暑さはうなぎのぼり。木々の葉の影も色濃くなる。 これで「川」「山」の二つクリア。続いて残っている「海」に向かう。
下の地図の1番が、京セラドームの撮影ポイント
2番が大浪橋から井岡ボクシングジム
3番がセミの抜け殻ポイント
4番がブランコ

大正警察、大正区役所前から西側に向かって歩いていくと大正内港。

河口にある木津川大橋が見える。その先は大阪湾になる。ここは夕日の撮影スポットらしい。

入道雲が夏の空だと主張している。梅雨明けは間近だろう。汗でぐっしょりになる。

地図の5番が落合上渡船場。
6番が千島公園
7番が大正内港

大正駅から南に、川(渡船場)、山(千島公園)、海(大正内港)の撮影はここで終了。私は大正区役所まえのバス停からバスに乗り、難波に向かった。

バス停で、講師の先生がソニーのカメラマンだったので、ミラーレスカメラのことを聞く。これからはミラーレスの時代になるだろうというのが講師の先生の話。ニコンがミラーレスカメラの開発に力を注いでいるという話もあった。うーむ、情報収集しなくては。さて次回は弁天町駅の予定。

 

 

大阪環状線撮り歩き  芦原橋駅

ここはJR環状線「芦原橋駅」。あいにくの雨。

駅前にあるのが、和太鼓に関心のある人ならほとんどの人が知っているという太鼓屋さんの「太鼓正(たいこまさ)」。
日本の神社にある和太鼓の制作、修理については欠かすことのできない所。

「雨の日の写真ですから、傘を入れて撮ってもおもしろいです」という講師先生のお話。さっそく傘と水たまりを入れて撮影。

「ここのかすうどんは美味しいです。でもお店があくのは昼からだから今はたべれませんね」と講師の先生。このお散歩フォトの下見であちこちのお店に入っているようだなあ。隣のお店は、焼きそば200円、天ぷら70円、これ今の値段?

ガード下には木工の小さな工場があった。何を作っているのだろう。

南海高野線の「芦原町駅」。岸里玉出駅から汐見橋駅までの線。今は無人駅。1912年大正元年に開業という古いもの。

カタツムリ発見。雨だから出てくるんだなあ。

高層住宅の色も鮮やかで、何かしら現代風。

ここは「浪速神社」。坐摩神社末社という文字があった。
坐摩神社(ざまじんじゃ)と読んでいるが、本来は「いかすりじんじゃ」と読むそうだ。
明治時代の忠魂碑や、昭和20年3月の大阪大空襲の慰霊碑などがあり、地元に密着した神社であることがよくわかる。この神社の夏祭りと、大晦日、新年に変わるときに、奉納和太鼓演奏があることも有名だ。

向こうに見えるのは、「リバティおおさか」。ここでの太鼓演奏を聴きに来たことを思い出す。

<

リバティおおさかのガラス窓に写っているのは、あべのハルカス。
最上階が雲に霞んでいるようにみえる。
右は道路の水たまりに写っている花。どちらも映り込みの写真。

リバティおおさか周辺には、太鼓をテーマにしたブロンズ像がいくつかあった。 いわゆる和太鼓だけではなく、沖縄のエーサーの太鼓、韓国・朝鮮のサムルノリで使う太鼓など、演奏の様子がわかるようになっている。

あまりにも雨が強くなってきたので、大国町までの予定を今宮駅で終了することになった。予定よりも30分早い。しかし次回の大正駅周辺ではその分多く回るそうだ。

今宮駅は環状線と南海線が乗り入れている。 難波まで行くことにした。
オーキャトに出て、地下道を通って高島屋に向かう。
雨の日の写真撮影は、カメラが濡れないようにすること、傘の扱いなど、色んな意味で勉強になった。

 

 

 

大阪環状線撮り歩き 新今宮駅

今回は新今宮駅周辺のスナップショット。
マルハンからジャンジャン横丁へ行き、そこから環状線の下をくぐって出てきたところが「動物園前一番街」の商店街。

今回のテーマは何にしょうかなあ?と考えている時間もなく、面白そうな風景がいっぱい目に入ってきた。 ということで、心のままに撮った写真が今回のブログ。

この商店街では『サイエンスカフェ」という取り組みをやっているらしい。 帰ってから調べてみると、2012年から年に何回か行っており、この5月13日土曜日に地震ををテーマにした第23回サイエンスカフェを行うらしい。
しらなかったなあ。そんな前からサイエンスカフェが行われていたなんて。

http://enmae12science.blog.fc2.com/

喫茶店が多いし、モーニングが350円〜380円で400円以下。安いなあ。

芝居小屋があるようだ。

時間はまだ午前中なのにアーケードの下の看板には電気がはいってお店の名前がはっきりとわかる。

飛田新地、鯛よし百番のあたりも散策。
講師先生のアドバイスで、写真は自粛してこの2枚だけ。

菜の花のなかをやって来たのは阪堺電車。

まんぷく食堂。卵焼き定食350円也。朝定食も安い。

ここは南海電車の萩ノ茶屋駅。古そうな掲示板があった。こんな内容だった。

「当萩之茶屋駅真相模様替え成る
皆さん、思い起こせば南海鉄道開通依頼今日に至るまで
此の間明治・大正・昭和・平成と四代に亘り愚痴一つ申さないで
黙々と沈黙を続けながら此の古い古い歴史ある萩之茶屋
駅も暫く皆様の温かいご協力に依り会社側と接衝の結果
実を結び新装模様替の運びと相成りました。是れも偏に
御乗車下さる皆様を初め更に平素より御協力賜ります
住民の皆様のお陰と深く感謝して居ります。何卒今後も
変わりなく宜しく御協力のお願い申し上げます。

平成四年一月一日  今池町駅・萩之茶屋駅対策協議会」

かつて今池町駅と萩之茶屋の二つがあったことがわかる。

これが新しい駅。「萩之茶屋」から「萩ノ茶屋」にかわっている。

鶴見橋商店街を横に見て、新今宮の方へ進む。 途中にある自転車が通りやすい歩道橋。赤いコートの女性はこの『お散歩フォト』担当のクラブツーリズムの添乗員さん。モデルとして登場。
そばにある「奴茶屋」はふぐ料理で有名な店。

新今宮駅に近い「いまみや小中一貫校」。大阪市立弘治小学校、今宮小学校、萩之茶屋小学校が合併して「新今宮小学校』となった。それが「今宮中学校」の施設内に設置されて、施設一体型小中一貫校となり、2年前の2015年4月に開校している。

環状線の下を通るトンネルを抜けて、「今宮戎駅」に出てきた。一番下の写真の右側の白いビルから少し見える神社が「今宮戎神社」。

えべっさんの時にあんなに賑やかだったのに、、、平日はこんなに静かだ。

今宮戎神社の社の千木を見ると、地面に垂直になっている。垂直になっている場合の多くは男神を祀っている。今宮戎神社のホームページを見ると、
「祭神は天照皇大神、事代主神、素盞嗚命、月読尊、稚日女尊の5柱。」とある。
事代主神が「えべっさん」とされているので、男神といっていいのかもしれない。

新世界、「通天閣本通」の前に出る。写真には写っていないが画面左には浪速警察署。この付近も寅さんの映画に使われているが、それはまたの機会に。

日本橋商店街足をすすめる。途中に日本中のインスタントラーメンを食べることができるお店もあったが、ここはやっぱり「五階百貨店」。電気に関係する道具ならなんでも揃うことで有名。知る人ぞ知る百貨店。五階建てではないのに「五階百貨店」とは此れ如何に。

なんばパークス、スイスホテル南海大阪の裏側で解散。
よく歩きました。
今回歩いたところは、大阪のDeepSpotの一つ、と言うのは講師先生の弁。
さてさて大阪環状線付近はおもしろい。

 

 

大阪環状線撮り歩き・天王寺駅

天王寺駅東口。
ここを出発地点にして、約2時間半の「おさんぽフォト」。
解散地点は「新今宮駅周辺」、新世界になるらしい。
講師の先生から、何かテーマを決めて、とお話がある。はてさて何をテーマにして撮ればいいのだろう。
前々回の時は看板をテーマにしたが、天王寺駅周辺では何がいいんだろう。と悩んでいると、
「形や色をきめて、目に入ったものを撮るのもいいです。心が動いたときにシャッターを押しましょう」とのアドバイスがあった。
それでは今回は色をテーマにしてみよう。と考えて「みどり」にしてみた。まず最初のみどりは「あべのハルカス」。みどりのガラスに青空と白い雲が映っているところを取ったのが上の写真。

みどりと言えば植物。天王寺周辺の歩道のあちこちに手作りの花壇があった。そのうちの一つが上の左。右の写真はトンネルを通して電車が走っているところを撮った。どこにみどりがあるかと言えば、拡大してみると、

真ん中の看板にみどりの文字が。「環境整備モデル基地」とある。みどり、というよりも青緑といったほうがいいかもしれないが、このへんは許容範囲で。

「資格センター」という看板があった。何の資格だろうと思って近づくと、「電験、電気工事士、エネルギー管理士(熱・電気)、公害防止管理者(大気・水質)」とあった。へーっ、こういう資格があるのだなあ、な感心してそばを通る。

みどりの看板というと、セブンイレブンだなあ。ビリヤードの看板も発見。
セブンイレブンだけじゃなかった。
ファミリーマートも、なか卯も、市バスもみどりだった。

阿倍野の地下街の入り口。「あべちか」の看板もみどり。

あべちかには今は珍しくなったみどりの公衆電話があった。こんな電話機がならんだ風景はめったにみられなくなった。

グリーンジャンボの宣伝、非常口の案内もみどりだった。

地下街を上に上がると「てんしば」のみどりをバックにした表示。天王寺公園もすっかり変わったなあ。ヨーロッパスタイルの公園がなつかしい。

美術館前から撮した通天閣。シャボン玉のように見えるのは、街灯の電球。

やってきました「新世界」。串かつの看板の地の色はみどりだった。

平日というのにたくさんの観光客。修学旅行生らしい高校生のグループもいたのにびっくり。 以前では考えられないような風景に目を丸くしてしまった。

もちろん外国人らしい観光客の団体もいっぱい。
かつての「新世界」「ジャンジャン横丁」の雰囲気は片隅においやられたような感じだった。

それがいいのか、悪いのか。
路地を一歩入れば、営業を止めて戸を締め切っている店もある。
光があるところには必ず影がある。ただそれに気づかないか、気づいても知らんふりをしているのか。新世界はそんなことを考えさせるところだ。

通天閣のごく近くにあったうどん屋さん。かなり歴史がありそう。おもてにある品書きを見て、講師の先生がおっしゃった。
「最近のうどん屋さんから、『すうどん』ということばがなくなりましたねえ」
なるほど、「すうどん」のかわりに「かけうどん」があった。これも時代の流れか。昔ながらの芝居小屋や映画館は健在だった。修学旅行の高校生の姿はなかった。

ちょっとカメラ勉強中です、というような写真。写り込んでいるのが、その映画館。

ここは「男はつらいよ第27作 浪速の恋の寅次郎」の映画に映っている場所。
もちろん映画にはハルカスはないが、真ん中のコンクリートの柱が目印。コンクリートに書かれた絵は映画とはちがっているが、マドンナ役の松坂慶子さんが朝にタクシーに乗った場所がここ。他にもこの映画ゆかりの場所があるが、それはいつか機会を見て紹介しよう。

 

 

大阪環状線撮り歩き・寺田町駅

今回は環状線「寺田町駅」から「天王寺駅」までを歩いた。

寺田町駅は、最近古い駅名の表示板が発見されて有名になった駅だ。それは1932年(昭和7年)の駅開設当時の物ではないかと言われている。残念ながら現物を確認せずにフィールドワークに出発。

講師の先生の言うには「お寺が多いです。寺田町だからでしょうかねえ」。四天王寺周辺には200ほどの寺院があるそうだ。地図の丸印以外にもお寺があったが、そのなかの幾つかを紹介する。

上の写真は融通念仏宗の浄長寺。周りはビル。建立当時はどんな様子だったのだろう。近くの公園には、保育所の園児さんたちが遊んでいた。

ここは久保神社。

写真の丸い石のあるところは「伊勢神宮遥拝所」。
この丸い石の穴の向こうに伊勢神宮があるそうだ。丸い石の穴に向かってお参りをすると、伊勢神宮にお参りしたことになるそうだ。なるほどねえ。そういえば西国33ヶ所のお寺の砂を集めて、その砂を踏んでまわれば33ヶ所をお参りしたことになる、というお寺を見たことがあるが、信仰のためにいろんな工夫があるのだなあと思う。

神社の屋根についている千木(ちぎ)で男神か女神かがわかると言う。千木が地面に対して垂直になっているのが男神というので、五条宮は男神。
でもこれで全ての神社がそうなのかというと、そうではない。
伊勢神宮は内宮の千木は地面に対して平行(女神)だが外宮は垂直になっている。外宮の主祭神は豊受大神という女神なのに千木の形式は男神になっている。長い歴史の中で様々な考え方や当時の価値観が反映しているのかもしれない。

これは樹齢500年のイチョウの木。
立て札には「公孫樹」という漢字が書かれていた。これでイチョウと読むのだそうだ。

500年前というと、関ヶ原の合戦のころ。この後、四天王寺、茶臼山と足を伸ばしたが、豊臣軍と徳川軍が戦った頃にこのイチョウの木が若木としてあったのかと思うと、長い歴史を見てきたのだなあと思う。
30年ほど前にイチョウの木の回復手術が行われ、セメントで覆われた部分が痛々しいが、春には若葉が芽吹き、秋には紅葉がすばらしいそうだ。
ここは季節を変えて来てみたいことろだ。
五条宮のイチョウは、江戸時代末には河内から大阪へ来る時の目印になったほどの巨木だったそうだが、今はビルの影になっている。

ここは四天王寺。工事中だった。 角度を変えると、四天王寺の五重塔と、あべのハルカスのツーショットが撮れた。韓国からの観光客がバス3台。韓国はキリスト教が多いと聞くが、仏教への関心もあるのだろうか。

これは「熊野権現礼拝石」(くまのごんげんらいはいせき)。
平安・鎌倉時代には熊野詣り(くまのまいり)が盛んだったそうだ。
熊野詣りの前に、ここから熊野の方向へ礼拝し、熊野までの安全を祈願して、熊野詣りに出発したという。
久保神社で見た「伊勢神宮遥拝所」と同じように、信仰が深かったことが想像できる。

四天王寺には転法輪石、引導石、伊勢神宮遥拝石、熊野権現礼拝石、の四石があるそうだ。
時間がなかったので、熊野権現礼拝石以外の石は見ることができなかった。機会を見つけて来てみたい。

境内ひるがえる「波阿彌陀佛」の大きな旗。不思議なデザインなので付近を見回すと説明書きがあった。

「聖徳太子は百済より大工(番匠)の技術を持ち込み、大工たちの間でも大工技術の始祖であると崇め奉られております。その七堂伽藍を創設されるとき大地の産物の命を絶ってしまうので、金槌(かなづち)、鋸(のこぎり)、錐(きり)などに仏性を入れて番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀佛」の名号を書かれ、大工の工事安全と無事建立を祈ったといわれております。実物は軸装で、宝物館に収蔵されており、工事作業の時に、この番匠器名号を旗に変えて作業中の安全祈願として掲揚しています」

なるほどねー。さすが聖徳太子。お寺を建立する時にも万物の命に心を配ったというのだから。
鋸、鉄木梃(かんなてこ)、墨指(すみさし)、のみ、釘貫(くぎぬき)、小刀、おの、鉋(かんな)、錐、犀槌(さいづち)、さしがね、鋏(はさみ)、槍鉋(やりがんな)、銑(せん)、鎌(かま)などがデザイン化されて「南無阿弥陀佛」の文字を作っている。日本仏法最初のお寺だけにいいものが残っている。

お骨仏のお寺で有名な一心寺。ディスプレイが改装された通天閣が見える。

大阪冬の陣では徳川家康の本陣となり、夏の陣では真田幸村の本陣となった茶臼山。 山頂は工事中で、周りの整備が進んでいた。

整備が進む茶臼山の朱塗りの橋を渡る和服の女性。おもわずだれもがカメラを構えてシャッターの音があちこちから。
最後の写真は慶沢園のポスター。なかなか洒落たコピーではありませんか。

今回は寺田町だけにお寺シリーズになってしまった。お寺以外にもスナップ写真を取ったので、次の機会でも紹介したい。