大阪環状線撮り歩き  福島駅

今回は環状線「福島駅」周辺。このお散歩フォトもいよいよ最終回。

福島駅構内にちょっとステキなポスターがお出迎え。

福島駅周辺にはいろんな施設が建っている。
フェスティバルホールが工事中のときには大活躍をしたザ・シンフォニーホールは、淀工の演奏会や、大晦日の久石譲の演奏会によく行った。
また、最近話題になっている将棋、その将棋会館もここ福島にある。
環状線の駅ごとの発車メロディーは円広志さんの「夢想花」。 あの「回って回って・・・」が環状線のイメージにぴったりだからだそうた。

ここ福島駅は、東海道本線支線(阪急貨物船)が平行しているので、こんなそばに「はるか」が走っている写真が取れる。

 

この商店街には「占いの店」が多いそうだ。
商店街の入口には「夢歩」と書いてある。夢歩⇒ユーホー⇒UFO というシャレだろうか。「夢歩」の文字がUFOらしきものの上にあるのもご愛嬌だ。

さて、今回のお散歩フォトでは、できるだけ標準レンズの35ミリで写真を取ることに心がけた。
標準レンズの35ミリというのは、人間の遠近感とほぼ同じように写真が取れるそうだ。それよりも焦点距離が小さくなると、遠近感が強調されると言う。
逆に望遠レンズになると、遠近感が消え、圧縮効果が効いてくるとそうだ。
そういったことで、基本に帰って標準レンズ35ミリを中心にして、お散歩フォトに出かけた。

福島駅のがーどにある柱には「七福神」がえがかれていた。通勤の人たちに福を授けているのかもしれない。

これは何? 実は環状線の車両。ビルのすき間から撮したもの。

かわいいお店があったのでシャッターを押したところへ自転車のおじさんが突入。
これも「お散歩フォト」のハプニングでおもしろい。

ここは上福島小学校の農園のようだ。「なにわの伝統野菜 ミュージアム」という立派なアーチが建っている。「なにわの伝統野菜」とは? 調べていると、「天王寺蕪(てんのうじかぶら)」「田辺大根(たなべだいこん)」「金時人参(きんときにんじん)」「大阪しろな」「毛馬胡瓜(けまきゅうり)」「玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)」「勝間南瓜(こつまなんきん)」「源八もの(げんぱちもの)」「難波葱(なんばねぎ)」などということだ。大阪市内の小学校では給食の材料として使われていると聞く。

入口横の石碑に書かれていることは、 「大和田街道・梅田街道
この街道は、北区西天満一丁目を起点とし、福島区、西淀川区を経由して尼崎に通じる明治期の物資流通道路であった。
起点から西進し、堂島、梅田、出入橋を経由し、かきつばたで有名な浦江の聖天の南を通り、珍しい神事が残る海老江の八坂神社のかたわら、国道2号沿いに北に進み、淀川を渡る。姫島神社を右にみて、大和田を通り、佃漁民ゆかりの地の佃を経由して尼崎市大物町に至る街道は、古くから阪神間を直結する重要路線の一つとして、西国往来の人や、尼崎、西宮、兵庫の商人など行き来する人が多かった」とある。

UFOと「占いの町」を横切るこの道は、古くて重要な街道だったのだ。

どちらも35mmで撮した写真。何が違う?
一歩近づいたか、一歩下がったかのちがい。
大きく写したい時は近づく、全体を広く入れたい時は下がる。これが写真を撮る時の基礎。望遠やズームに頼る前に、基礎をまず覚えなさい、というのが講師先生の言。

福島駅のそばにある将棋会館。藤井4段は? もちろんいるはずがない。

上の二枚の写真の違いは?
左の写真は画面左隅を道路の端に合わせようとしたもの。右はコーナーの角を意識せずに撮ったもの。左のほうがより遠近が出る、と講師先生のアドバイス。なるほど。

高さ173mの梅田スカイビル。映り込みが自称写真家の興味をそそる。

なんとも不思議な雰囲気の写真。これは写り込みではない。

これは35mmで撮ったもの。これはもちろん写り込み。

これは滝見小路の階段から撮ったもの。

ここは梅田スカイビルから梅田グランフロントにつながる地下道。現在工事中。
聞くところによると、トンネルがなくなるらしい。

現在「うめきたガーデン」として開放されているところに巨大マンションが立つという噂を聞いた。
巨大なビルが立つと今のような開放感はなくなるし、この長いトンネルもなくなってしまう。
トンネルの長さは205m。
私はこのトンネルを使って音の速さをはかる実験ができるなあと思っていた。
音速は秒速340m、トンネルの片方のはしで大きな太鼓をたたく。バチが太鼓に当たったのを見て、約1秒後に音が聞こえるはず。だれかそんな実験をもうしたのだろうか、、、。私が思いつくのだから、多分誰かがやっただろう。
上の写真はシャッタースピードが三分の一秒のもの。自転車を乗った人が完全にぼやけている。

お散歩フォトの最終地点は「お初天神」。

お初天神の周りには不思議な雰囲気の路地がある。
賑やかな表通り、境内、観光客。一歩はいるとそこは時間と次元がずれているような場所。現実と虚構の狭間にいるような気になった。

大阪環状線を巡るクラブツーリズムのお散歩フォトもこれが最終回。
私は途中からの参加だったけれど、おもしろいし、勉強になった。
しばらくは環状線の旅はないそうだ。
また再開されたら、参加してもいいなあと今は思っている。

 

 

大阪環状線撮り歩き  野田駅

ここは大阪環状線「野田駅」。昨日からの雨も上がり青空が見えるけれど、夕方からは雨予想の束の間の撮影タイム。

形が面白い建物、看板、お店をウォッチしながら福島駅まで歩いた。

三角の敷地に立っているビルが多い。どうしてだろう?

写真に取りたくなるようなお店や看板が多い。雰囲気のあるバー?、「自家酒造・居茶家屋」の看板や「ヨガに年齢ナシ」の表示、またレトロな絵が楽しい。

看板に書かれているのは「大阪市内唯一の製造メーカー直売」、何のお店?、実は仏壇・仏具のお店。

ここは制服専門店かな。玉川小学校、吉野小学校、大開小学校、海老江西小学校、海老江東小学校、鷺巣小学校、西淀中学校、春日で中学校、野田中学校、八坂中学校、下福島中学校、桜之宮高等学校、扇町商業高等学校、西商業高等学校、市岡商業高等学校、阿武野高等学校、西淀川高等学校、泉尾高等学校、市岡高等学校、鳳経理専門学校、阪神家政専門学校、淀之水高等学校、清風中学校、清風学園、清風南海学園、大阪体育大付属中、浪商学園、大阪体育大学、関西大学第一中学、関西大学第一高校、関西大学。すごいなあ30以上の学校名が並んでいる。中には以前の名称の学校も。さすが専門店。

元気で踊るような文字のお魚やさん。活きのよさが溢れている。

商店街につながる路地の明暗の面白さ。という講師の先生のお話でパチリ。
「インド・ネパール料理」があるらしいのだが、どこかわからず。

この地域はロボットや科学実験に関心のあるところらしい。さすが松下幸之助に関係する所。

コーヒー無料のお店もある。さすが大阪。

「フランス料理」「やきとり」のお店。三枚目は「和・洋・中華」と玄関テントにかいてある食道園。

住宅のガレージを改造したと思われるカフェ。野田〜福島にかけては楽しいお店がめにつく。

「古古食堂」?「ここ食堂」と読むのですか。なるほど。

これは珍しい。「貸本」とかいてある。今も貸本をしているのかなあ。

「八坂神社」の秋祭り。だんじりの準備に余念がない。

「映り込み」の写真。文字が反転しているのでわかるだろう。

50円の自動販売機! 100円は見たことがあるが、50円とは。

ここは淀川の河川敷。写真の右側に堤防があり、公園になった河川敷があり、淀川が流れている。

少し休憩とトイレタイム。ひとりで流し撮りの練習をしてみた。20分の1秒程度で撮っているが、ピンぼけ。歩きながらの思いつきなので、こんな結果になる。時間と根気と集中が大事。もっと練習しょう。

「福島駅」近くの浦江八坂神社の秋祭り。夜には人が大勢出て、賑やかな風景になるのだろう。

ちょっとびっくりしたガレージ。入庫・出庫が大変そう。

これは珍しい、旧仮名遣い?の看板。「じ」と「ぢ」。昔は「おそうぢ」と書いていたのかなあ。

「福島駅」で解散。12時半をすぎていた。iPhoneの万歩計は1万歩に近かった。2時間半も歩き続けるとこれぐらいになるんだ。
撮った写真も多くなった。これまでで一番多い写真になったと思う。

来月はこの「福島駅」を出発し、「大阪駅」をめざす。
お天気が持ってくれたのが、ありがたかった。

 

 

 

松下幸之助創業と起業の地

環状線お散歩フォトの続き

西九条駅を出発した「お散歩フォト」は、野田阪神で解散したが、最後に写真を撮ったところが、今回のブログの題にある「松下幸之助創業の地」の碑。

野田阪神駅付近から西野田工科高校の方に向かって歩いていくと、
商店街の喫茶店にこんな表示が。

ここは「大開公園」。幼稚園がそばにあるので、園児さんが遊び、保護者の人たちが談笑している。春になると「のだふじ」で、辺り一面が紫色になるのだろう。それが喫茶店のボスターに表れている。

松下幸之助さんの字なのだろう。

「自分には
自分に与えられた道がある 広い時もある
せまい時もある
のぼりもあれば くだりもある
思案にあまる時もあろう
しかし 心を定め
希望をもって歩むならば
必ず道はひらけてくる
深い喜びも
そこから生まれてくる

   松下幸之助」

 

この碑の説明を見ると、

  記念碑「松下幸之助 創業の地」由来
       松下幸之助氏:1894.11.27 〜 1989.4.27 和歌山県海草郡和佐村出身   この地大開は、松下電器産業株式会社の創業者 松下幸之助氏が大正7年(1918)3月7日、同社の前身「松下電器器具製作所」を創立した創業の地です。のちに経営の神様と呼ばれ世界中にその名を馳せた松下幸之助氏は23歳の若さで配線器具の製造・販売を始め、昭和8年(1933)に門真市に移転するまでの15年余をこの地で過ごし、事業の進展とともに逞しく大開から巣立っていきました。  松下幸之助氏は大開の人情や風土に育まれ、大開小学校の保護者会会長や大正14年(1925)には区会議員に当選するなど、文字どおり大開の一員として充実した日々を過ごしました。松下電器の業容の発展に伴い移転を余儀なくされたものの、終生本籍をおいていたことが物語るように大開きは同氏ときわめてゆかりの深い土地であります。

なるほど、ここは由緒ある場所だとわかる。

公園のそばにある西野田工科高校。そのフェンスに「創業の家 跡」という案内板がかけられている。高校の道路向かい側に、その「創業の家」があったそうだ。
今は全く別の人の家が建っている。なんとなくその時代の雰囲気を感じる・・・。

 

東成区・猪飼野にある「松下幸之助起業の地」

上の写真は、地下鉄「今里駅」の構内にある、付近を案内地図。 ここに「松下幸之助起業の地」と書かれた場所がある。
以前に行ったことがあるのだが、大開の「松下幸之助創業の地の碑」を見たので、きちっと写真に取っておこうと思い、出かけることにした。

1番出口から東成図書館、区民センター、ライフを目印にして少し歩くと、

幾つか案内板がかけられている。その地図に従って、住宅道路を進むと、

何か立て看板、案内板が見えてくる。

お寺の入口に「此付近 松下幸之助起業の地」と書かれた石碑が建っている。

そばの説明板には

此付近 松下幸之助起業の地

旧地名 大阪府東成郡鶴橋町大字猪飼野1399 1400番地
現地名 大阪市東成区玉津2丁目7および14

松下電器産業を興し「経営の神様」と称された故・松下幸之助氏(明治27年〜平成元年)は現・和歌山市の生まれ。
9歳で母のもとを離れて大阪に出、丁稚奉公を経て15歳で大阪電灯株式会社の配線工となりましたが、大正6年22歳の時、自ら考案した「松下式ソケット」を事業化するため会社を退職、この場所で独立の一歩を踏み出しました。
 4畳半と2畳の借家の小さな工場で、幸之助夫妻と義弟の井植歳男氏(後の三洋電機創業者)が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越えて、やがて世界的大企業とする基盤はここで培われたのです。 
 東成・生野(旧・猪飼野)は古代から先進的な技術者の集まった土地で、この地の「もの作り文化」は現代にいたるまで数々の独創的な企業を生み、大阪の経済発展に大きな役割を果たしてきました。
幸之助氏がここで業を興したのも、東成・生野の地に新しい産業を受け入れるだけの、多くの先人が耕した豊かな土壌があったからにほかなりません。

 本年は松下幸之助氏の生誕110年に当たります。
この偉大な企業家をこの地域の「もの作り文化」の象徴・わが町の誇りとして、起業の地に顕彰碑を建立いたしました。

            平成16年11月
                  「松下幸之助起業の地」顕彰会

 

インターネットなどで調べてみると、
碑文にあるように大正6年6月にこの猪飼野の地で、電球ソケットの製造・販売を開始している。経営が軌道に乗った1918年(大正7年)に、大開に住居兼工場を構え、「松下電器器具製作所」を創業したそうだ。

つまり、松下電器・パナソニックは、猪飼野で仕事を始め、大開で「松下電器器具製作所」を旗揚げしたことにより、現在に至っているのだ。

環状線お散歩フォトで、大開にある「松下幸之助創業の地」の「記念碑」をみたことから、猪飼野にある「松下幸之助起業の地」の記念碑に広がった。これもおもしろいことだなあ、と思うとともに、記念碑のようなものがあることが、地元に人たちにとって過去と現在をつなぎ、未来へ展望できるきっかけになるのだなあと考えることができたお散歩フォトだった。

 

大阪環状線撮り歩き  西九条駅

ここはJR環状線と阪神電車が交差する駅、またUSJへの乗り換えの駅で知られている「西九条駅」。 下水道科学館、松下幸之助ゆかりの地、そして「野田阪神駅」までの道を歩いた。

西九条駅の周辺には飲み屋さんや食べ物屋さんが多い。野田阪神までを歩きながらおもしろそうな看板のお店のスナップ写真をとる。

朝なのでどのお店も開いていない。
夕方にでもなれば照明がつき、シャッターがあき、また違った雰囲気になるのだろう。

安治川と淀川に挟まれた地域、水防碑が建っている。大きな被害があったのだろう。

遠くに見えているのが、前回見た安治川の防波堤。小さく写っている。

おもしろいものを発見。「初代船奉行所跡」とある。説明書きによると、
「大阪船奉行は元和6年(1620年)に、近世には難波津に代わって大坂の要津として,賑わっていた伝法・四貫島に設置され、徳川幕府最初の大坂船奉行所を四貫島村としました。公事屋敷が185軒あるという規模で、6軒や3軒で村がある時代の全国約200藩中で日本一の船奉行所になります。」

そんなすごいものが、西九条の四貫島にあったとは、全く知らなかった。

下はキュウリの花。こんな花が咲くんだなあ。

ここは千鳥橋。橋といっても下には川は流れていない。

河川敷の広場にある不思議な建物。これは一体なんだろう。
実はここはかつては川だったけれど、川の跡を利用しして高速道路のトンネルが走っているそうだ。そしてこの不思議な建物は、トンネルの非常用地上出口。
「阪神高速 地上出口 EXIT  淀川左岸線 正蓮寺川トンネル
 非常出口 非常口 E10 この建物は非常時の非常口で、平常時の使用を禁止しています。・・・略・・・」と書かれている。
高速道路のトンネルの非常口が河川敷にあるとは・・・初めて見た。

この付近は住宅の工事が進んでいる。

工事現場にあった「騒音計と振動計」。右の数字がおかしい?
実はこれはシャッタースピードを変えたから。
右の写真シャッタースピードは125分の1秒。左は30分の1秒。
赤いLEDは点滅しているので、早いシャッタースピードだと数字の一部しか写らないということだ。写真を撮ると、こういった勉強にもなる。

ここは「フローラルタウン南」という所。

広い公園と高層団地。かつてここは工場だったそうだ。工場の跡地に団地と公園がつくられていると、以前この付近にいた人が言っていた。

人工的な直線や曲線が目に入ってくる。

下水道科学館があった。無料で中を見学できる。いつか見学したい所。

金網の中にあるコンテナハウス。ボーイスカウトの事務所だった。

「正一位 互譲稲荷大明神」いい名前のお稲荷さんだ。

「被爆者慰霊 平和の碑」。大阪、西九条の地で、「被爆慰霊の碑」があるなんて。
大阪大空襲だろうか、なにかいわれがあるのだろう。合掌。

昭和の町並みが残っている。

ガード下のお店の看板がカラフルでおもしろい。

さあ、野田阪神に近づいてきた。

面白い看板のお店もでてくる。チャボというからニワトリかな?と思うと「茶暮」。
ブタがお店の前でお出迎えもなんか楽しい。金網のように固いお仕事のお店もある。

福島区海老江の住居表示の看板の色は紫。何か新鮮な感じ。この辺は「のだふじ」という藤の花で有名なところ。だから住居表示もフジ色を使っているのだろう。

今回のお散歩フォトは、「野田阪神」で解散。日は照らなかったが、さすが2時間半を歩き通すとつかれた。ご苦労様。

 

 

 

 

大阪環状線撮り歩き  弁天町駅

一番下の写真は、「交通科学博物館」の跡地。弁天町といえば「交通科学博物館」だった。食堂車がなつかしい。
2014年4月6日閉館。展示物の多くは梅小路蒸気機関車館の京都鉄道博物館へ移設されているそうだ。

今日も暑い。36度になりそう。まわりが白っぽく見える。

これはカメラの露出補正についての勉強。
左は露出補正なし(EV=0)
肉眼ではこんなふうに見えている。
右は露出補正を+3(EV=+3)の状態。
暗いところだからプラス補正をすると、モデルさんの青いシャツがはっきり見えてくる。あわてて撮ったので、ピントはブレブレ

同じ場所。露出補正を変えてみる。
最初はプラス補正、次は補正なし。
最後はマイナス補正。
より明るくするために露出をプラス方向にずらすか、反対に露出をマイナス側にして光の量を抑えるか、そこがカメラマンのどのように表現するかの考え方なのだろう。瞬時に決めるのは、難しい。

 

これは映り込み。「写っているものに焦点を合わしなさい」と講師の先生。

お好み焼きの「まいど」、味処「こんかな」、和洋酒家「うましうみ」、銭湯「寿温泉」。何かノスタルジックな看板とお店。

ここは安治川。大きなトラック、トレーラー、貨物船が並んでいる。

急に人が動き出した。旗で合図を送っている。コンテナ船がやってきたのだ。

タグボートが出発する。コンテナ船の太いロープをつなぎ、岸壁に固定する。

船尾側のロープがおわれば、船首に回る。

もう1本のロープをとりに急旋回するタグボート。
大きなエンジン音と黒煙が立ち上る。

船首、船尾2本づつのロープで船体を固定。乗降用のはしごを下ろして着岸の完了。

太いロープ4本をあやつることで岸壁にぴったり横づけ。

タンカーの横づけを見学した後、足を伸ばして移動。ここは「弁天埠頭前」。

関西汽船のビルは取り壊されていて、残っているのは加藤汽船のビル。さんふらわあ号や小豆島や高松や松山に行ったなあ、と思い出が頭をよぎる。
昔はビルの屋上に関西汽船と加藤汽船の大きな立て看板が立っていたのに、今はもう面影もない。1995年天保山、南港に移転し、今は廃墟同然になっていた。

残っている加藤汽船側からの写真。二階から船を見送ったんだったかなあ。
海側は防波堤・防潮堤で遮断されてしまい、海の様子は見ることはできなかった。

道路にある地図には「弁天埠頭」の文字があった。
バス停にも「弁天ふ頭」という駅が残っている。 なんとも苦い味が口に上ってくる。ここは安治川だったなあ、と苦笑い。

安治川のアーチ型の水門が見えるところ、波除に足を伸ばす。
「まだ残っているだろうか?」「確かめておこう」。見ておきたいところがあった。

あった。ここは「男はつらいよ27 浪花の恋の寅次郎」に出てくる場所。
幼くして生き別れた弟をさがすふみちゃん(松坂慶子)が寅さんと一緒に、弟が働く会社にやってきて、大村崑と話をしたところ。

映画ではこの小屋の右側にある建物の二階の事務所に、寅さんと松坂慶子さん演じるふみが階段を昇っていくのだが、その事務所のある建物は完全になくなっている。1981年の作品だからもう35年も前の映画。ここが残っているだけでも奇跡かもしれない。映画ではこの会社の対岸にある火力発電所が映っているが、今はその発電所も撤去されている。
「浪花の恋の寅次郎」は私にとって、大事にしたい作品。通天閣、昔の浪速警察署、石切さん、新世界・・・懐かしい風景がいっぱい出てくる。
この映画の最初に対馬にある和多都美神社がでてくる。私が対馬に行った時は、海の中に鳥居が立っていたのをおぼえているが、それが「浪花の恋の寅次郎」の最初のシーンに出てくるのに気づいたのもずっと後だった。対馬に行く前に、この映画を見ていたらもっとおもしろかったのに、と思うのはいつものことだ。
映像や記録に残すことは大事だなあ、でも暑い、背中は汗でびっしょり、早くクーラーの効いた喫茶店にでも入ろう。