第47回淀工グリーンコンサート

今年は創部60周年記念だった。

2019年1月19日と20日、4回の公演がフェスティバルホールであった。私が行ったのは、1月20日の日曜日、午後12時からの公演だった。

今年も丸谷先生がニコニコしながら走って舞台に登場。
無理しなくてもと、つい思ってしまう。
「翼をください」の手話は、今年も美しい手話だった。
私の座席が前から4番目ぐらいだったので、手話をする部員さんの表情がよくわかる。
練習量を誇る淀工だから、手話もみっちりと練習をしたのかもしれない。
座席は私が見ている限りは満席だった。補助席らしいのも出されていた。

はじめのうちは家族や、親戚の応援がてらの参加者が多かったと思うが、最近は中学校、高等学校の吹奏楽部、ブラスバンド部らしい参加者が目につくようになった。
今回は小学生の姿もあり、小学校から吹奏楽部やブラスバンド部があるようだ。ブラスバンドの存在感が着実に広がっている。

開演前のホールの様子。 満員御礼のようだ。

プログラムは以下の通り。

・オープニング
・翼をください
・カーペンターズ・フォーエバー
・アルメニアン・ダンス・パート1
・幻想曲 シルクロード・・・OBによる演奏
・1年生 フレッシュコーナー (曲あてクイズも)

 休憩

・Introduction to Soul Symphony (楽器紹介)
・交響詩「ローマの松」
・故郷(ふるさと)
・ザ・ヒットパレード

ほぼ例年どおりのプログラム。プログラムにはない演奏もあったが、曲名がよくわからなかったので、ここでは省略。
丸谷先生は「私はあまり変えたくないのです。子どもたちは変わっていきますからね」
とおっしゃる。

プログラムに2016年7月7日の朝日新聞の記事が挿入されていた。
1年生の矢野さん、森口くんのトランペットの練習の様子が記事になっている。
この二人も今日のグリーンコンサートでは3年生として登場している。最後の演奏会になるわけだ。

受付でもらったプログラムに、ホルンの中本侑希さん、トランペットの矢野晶子さん(上の記事の矢野さん)の文責になる一文が載せられている。

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感謝。「新たな挑戦」

 皆様のおかげで60週年を迎えた淀工吹奏楽部ですが、私たちの過ごす環境にも大きな変化が訪れています。今までの”当たり前”がそうではなくなり戸惑うことも多い中、それでも私たちは情熱を強く持ち、前に進んでいこうと思います。
 これまでのご支援に深く感謝しつつ、これからの淀工の「新たな挑戦」を暖かく見守っていただければ幸いです。

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練習量日本一を誇ってきた淀工がむかえる新たな挑戦とは、それはクラブ活動としての限界が示されたからかもしれない。府立高校では部活動を行わない日を週に一日設けるようにという指示がでているというニュースを見た。それは運動部がメインのようだが、ブラスバンド部にも影響してくるのかもしれない。

演奏はきらびやかで、迫力があった。
前の座席なので、部員の姿がはっきりと見える。
コントラバスの一音一音がはっきりと聞こえてくる。低音の魅力と迫力がよく分かる位置だったので、よけいに音に包まれるという感じだった。

3年生の演奏はさすがだった。一人ひとりが楽しみながら一生懸命に演奏しているのがよくわかった。打楽器の部員が本当に楽しそうに口を大きくあけて、歌を口ずさみながら、タンバリンを叩いている。ソロで演奏する部員の誇らしげな姿が、私の体もピシッとさせてくれる。

OBの演奏する「シルクロード」はNHKのTV番組を見ているようだった。私の直ぐ側にみえたコントラバスの演奏者は、楽譜を食い入るようにして見ながら演奏していた。その迫力はまたブラスバンドの新しい魅力を発見したみたいに思えた。

淀工の吹奏楽部は男子が女子よりも多い。 多くの学校では女子のほうが多いようだが、ここ最近の淀工は男子生徒の部員が多い。体力勝負になると男子が多いと得なのかもしれないと思ったりする。
左の写真はプログラムの裏表紙からのもの。

恒例の三三七拍子の応援、1年生部員のダンス、年々上手になる。丸谷先生は「そろってません」とおっしゃるが、中学校でダンスが体育で教えられるようになってからぐっと上手になったと思う。それ以前のコンサートでのダンスもみているが、それは確かに「そろっていません」でした。

・・・・・ 山の頂上は、人にその道の険しかったことを忘れさせます。
 その最後のステージに立って、君たちは何を感じているのでしょうか。
 いろんな苦しかったことは、今は懐かしい思い出ですね。  
・・・・・君たちの前途に幸多からんことを祈ります。

最後の「乾杯」はいつ聞いても感動する。
「苦しかったことが、今は懐かしい」
そんなふうに思える人生を生きてほしい・・・・多くの人たちのメッセージが伝わってくるような演奏であり、観客の人たちだった。

チコちゃんから「ぼーっと生きてるんじゃないよ!」と怒られないように、しっかりと生きていこう。高校生のエネルギーによって、私の背骨がしゃんとなったような気がした。

 

エッシャー展

ミラクル エッシャー展 in  ハルカス
 

あべのハルカスで「エッシャー展」が開かれている。
鑑賞に先立って、ハルカス大学の案内で知った特別講座があったので参加した。

資料場配布されなかったので、私のメモにたよって振り返ってみる。
メモもあとから読み返すと、知らない単語を書いているので、自分ながら理解不足にあきれてしまう(残念!)

印象に残った言葉を書いておこう。

①トロンプ・ルイユ・・・「だまし絵」のこと。現代で言う「トリックアート」のことで、エッシャーの「3次元では実際にありえない建物」を描いた作品など。このポスターの建物がそう。

②アナモルフォーズ(歪像画)・・・アナモルフォーシスとは、ゆがんだ画像を円筒などに投影したり角度を変えてみたりすることで正常な形が見えるようになるデザイン技法のひとつである。アナモルフォシスアナモルフォースアナモルフォーズとも。(ウィキペディアよりの引用)
「エッシャー展」にあったのか、なかったのか。会場は道頓堀のような多数の人でよくわからなかった。

③ダブルイメージとメタモルフォーゼ・・・左の絵(「空と水Ⅰ」)のように、鳥の絵と魚の絵が少しづつ入れ替わっていき、絵の一番上にあった鳥が、絵の一番下になると魚になっている。
メタモルフォーゼとは「変身」「変化」「転身」のことで、このエッシャーの絵が「メタモルフォーゼ」と「ダブルイメージ」の例である。

この絵は、下にかいてあるホームページからの引用。

https://www.artpedia.jp/escher/

「近代美術の百科事典」といホームページ。

④正則分割・・・「特定のパターンや法則性にのっとって、空間を1から数種類のモチーフでうめる。並進、回転、鏡映」と私のメモに書いてある。

上の写真がその例だろう。この「メタモルフォーゼⅡ」は必見の作品だと思う。 この写真は、「美術手帖」というホームページより引用している。ハルカスでの美術展開催の前、上野の森美術展での「エッシャー展」が紹介されている。

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/18049

この「メタモルフォーゼⅡ」は、ポスターの裏面に載せられている。長さ3.7mの絵は、実際に見ないとその迫力が伝わってこないでろう。

 

「メタモルフォーゼⅡ」について、エッシャー自身は次のように説明している。(左の「無限を求めて」より引用)

「これはたくさんの連続的な変容過程からなる絵物語なのです。Metamorphoseメタモルフォーゼという単語自体が出発点になっています。面の中で水平や垂直に置かれたこの単語が、OやMの文字を交点にして交わり、次第に黒と白の方形のモザイクへと変容し、それが次第にトカゲの形に展開していきます。もし比較のための音楽を持ち出せるのなら、そこまでは四分の二拍子のメロディで書かれているといえるかもしれません。
 ・・・リズムが変化します。白と黒に加えて、青い要素が加わり、四分の三拍子に移行しました。形はしだいに単純化して正六角形に変わります。ここで観念の連合作用が生じます。六角形の形が蜂の巣を連想させるやいなや、蜂の幼虫が個々の巣の中で動き始めます。一瞬のうちに個々の成虫が成就した蜂にまで発展して、やがて昆虫たちは戸外に飛び出していきます。
 私の蜂の寿命は短いのです。というのは、その黒いシルエットの部分がすぐにほかの機能、つまり白い魚の背景の役目につながっていくのです。さらに相互の間で融合しながら、その境界から黒い鳥が生まれてきます。それから、白い背景の中で遠くの方から赤い鳥の影が現れます。次第にそのサイズが大きくなって、まもなくその輪郭線が、仲間の黒い鳥の輪郭線と接触します。白のままで残っていた部分もまた鳥の形に発展し、3つのとりのモチーフがそれぞれ特有のかたちと色を保ちながら、今度は面全体を完全にリズミカルなパターンで埋めていくのです。・・・再び単純化がおこります。個々の鳥は菱形に変容していきます。これは第二の観念融合を導きます。3つの菱形からなる六角形が、造形的な効果を生み出し、遠近法的に立方体のように見えてくるのです。
立方体から家屋までほんの一歩にすぎません。そして家からは町がつくられます。地中海沿いにある南イタリアの典型的な小さな町で、よくアマルフィの海岸で見かけるようなサラセン用式の塔が懐中に立ち、岸との間を橋が結んでいます。
 ここで3つ目の観念連合が生じます。街と海が左側に横たわり、関心は塔に集中していきます。そしてチェス盤の上のルークや他の駒が現れるのです。
 こんなふうにして,Metamorphoseが描かれた帯状の紙面は長さ3フィートにも達し、物語を終えるときがやってきました。その機会はチェス盤の白と黒の方形が提供してくれます。最初にはそれは文字から現れてきたのですが、今やそこから同じ単語Metamorphozeに帰っていくのです。」

 この本人自身の解説を最初に知っていたら、実物を見る時にもっと詳しく見ていたのに、と思うのはいつものこと。これも残念。

 

会場の入口にあるのは「出会い」という作品を拡大したもの。
実際の大きさは、55.1cm ✕ 65.1cm というもの。

この作品についてエッシャー自身は次のように説明している。

「右側の白いオプティミスト(楽天主義者)と黒いペシミスト(悲観主義者)のパターンが、・・・背景の灰色の壁の中で、この人物像は中心部分に近づくほど相互の間のコントラストがはっきりしてきます。白と黒のそれぞれの代表が壁面から身体を離し、床の丸い穴に落ち込まないように注意しながら、空間の中をあるき出します。ぐるっと回ると、自然に前景で出会わざるを得ません。そのあいだ中ずっと最後まで、黒のペシミストは警戒気味に指を上げてきましたが、白のオプティミストのほうは陽気にその出会いを迎え、その結果、彼らは握手するという次第になるのです。」

なんとなく不気味に見えていた絵が、エッシャーの思いを読むと「なるほど、だから入り口にこの絵をもってきたのだな」と考えるようになった。

ポスターにある不思議な階段のある部屋の絵は「相対性」という題がついている。
この絵は映画「ナイトミュージアム エジプト王の秘密」に登場する。

写真はYouTubeからのもの。 映画では絵の中で登場人物が大活躍しているが、
絵の実物サイズは27.7cm ✕ 29.2cm。約30cm四方の小さな絵なのだ。
とても映画のようにこの絵の中に飛び込むことは出来ない。

しかしこの映画と同じ体験ができるサービスが「エッシャー展」にあった。
自分たちがこの絵の中で動き回る様子をスマホに撮ることができるのだ。
約30秒間のおもしろ動画がとれる。参加するのに列に並ばなくてはならないが、面白いのは確か。私はここで絵の中に入り、そのあとビデオを借りてみたが結構楽しめた。

「エッシャー展」も1月14日まで。残り少ない。まだ鑑賞していない人は是非どうぞ。ホンモノを見ておくチャンス。

 

 

 

歴史講談

上方講談 時代を駆け抜けた大阪ゆかりの物語

講談ー小中学校の頃にラジオで聞いたことがある。 落語や漫才、吉本の喜劇、歌舞伎、文楽、能などの芸能には興味があって、実際に見に行くことはあるが、「講談」、これは舞台で聞いたことがなかった。
機会があれば生の講談を聞いてみたいと思っていた。

11月24日に「たかつガーデン」で上のような事業があったので申し込んでみた。幸いにも抽選に当たり、聞きに行くことができた。

写真のような舞台が作られていた。

講談と落語、似ているようだがどこが違うのだろう。
「講談協会 オフィシャルヴェイブサイト」によると

「講談」と「落語」はどう違うの?
「講談」「落語」はことあるごとに比較されています。
その違いは一体どこにあるのでしょうか。簡単に言ってしまえば、「落語」が会話によって成り立つ芸であるのに対し、「講談」は話を読む芸という言い方ができます。勿論、読むといっても単なる朗読とは違い独特のしゃべ調子と小道具の使い方で展開される訳なのです。よく使われる小道具として有名なのが張り扇と釈台(机)です。
張り扇で釈台を叩きパパンという音を響かせて調子良く語ります。この小道具を巧みに使った芸こそ「講談」ならではのものです。
また、「講談」は「落語」と比較して歴史が古く、奈良、平安の頃にその原型が見られます。但し、一般に良く知られる「講談」の始まりは「太平記読み」とされています。食に困った浪人が老若男女を集めて「太平記」を面白おかしく読んで聞かせたというものです。
これが「講談」のルーツです。
                   http://kodankyokai.com/about.html

なるほど、講談のルーツは落語よりも古いのか。
写真にある小さな机が「釈台(しゃくだい)」といわれているもの。落語で使っている同じように見える小さな机は見台(けんだい)と言われているそうだ。

真田丸の攻防 玉田玉秀斎

玉田玉秀斎さんの講談は、そもそも講談とは、というところから説明があった。
集まっている人を見ると、私ぐらいの年齢の人、それ以上の人たちか。私は講談については全くの素人だが、何回も聞いている人がいるのだろうと思う。

玉秀斎さんは京都の大学の経済学の講義で、紀伊国屋文左衛門の講談をもとに、需要と供給の関係を説明する授業の手伝いをしているそうだ。
大学生にとって、講談も落語も雑談も区別がつかないくらい世界の違うものに映っているというイントロダクションだった。
出版社の講談社が、講談の本を印刷していた会社から出発していたこともわかり、なるほどだから「講談社」なのかと納得。
演目は「真田丸での真田幸村の活躍」をテーマにしたものだった。真田幸村の知恵が徳川家康軍を翻弄するというもので、さてこれからどう展開するというところで「丁度時間となりまして・・・・。」なるほど、さて次は?

五代友厚と活版印刷 旭堂南鷹

南鷹さんの講談は、大阪万博誘致の成功からはじまった。 東京オリンピックに講談がどう登場するか、というこれまでの野望が、今度は大阪万博に講談をどう登場させようか、という夢の登場になったというわけだ。
演目の「五代友厚」は、2016年のNHKの朝ドラ「あさが来た」で有名になった人。私も「あさが来た」で、大阪と五代友厚の関係を知った。今回は活版印刷と五代友厚の関係がわかっておもしろかった。東京よりも大阪で活版印刷がはじまったとは知らなかった。
「サラマプレス倶楽部 活版印刷アラカルト」というホームページに「古代友厚と大阪活版所」の記述があった。その中の一部を引用すると

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五代は「若き薩摩藩士」をひきいて江戸時代末期に英国に密航し、通称『薩摩辞書』の発行につよい関わりをもった。『薩摩辞書』の初版は上海で製造したが、再版を日本国内での製造をめざして大阪活版製造所を開設し、それを請けおった本木昌造一門に再版刊行を委託した。

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この史実がもとになった講談なのだろうと、帰ってから調べてみてわかった。

安倍晴明 旭堂小南陵

旭堂小南陵さんは女性の講談師。

左の写真は、小南陵さんのブログからとったもの。

小南陵さんは大阪市に講談用の劇場を作ろうとしている。その名は「此花千鳥亭」。落語などの寄席として人気のある「繁昌亭」の講談版というわけだ。写真の小屋は建設中の「此花千鳥亭」らしい。来年完成予定ということだ。完成したら一度行ってみたいと思う。

演目の「安倍晴明」はあの安倍晴明の子ども時代の活躍を描いたものだ。
少年時代は尾花丸(おばなまる)と呼ばれていたそうだ。京の帝の健康が優れず、天変地異もおこる不吉な時代。その災害を取り除くために、蘆屋道満との呪術対決がはじまった。その駆け引きを講談で演じるのだが、おもわず引き込まれてしまう小南陵さんの話術。歴史講談は本当に面白い。
さあ、これからどうなるのだろう。対決の結果は?というところで
「丁度時間となりました、、、」となる。
そうなるだろうなあと予想しながら聞くのもおもしろかった。

私は安倍晴明神社のお守りを持っている。カバンにお守りを持ちながら「安倍晴明」の講談を聞くのも一興だった。お守りの後ろには五芒星が描かれている。これもまた一興だ。

忠臣蔵大阪の義商 天野屋利兵衛 旭堂南左衛門

最後は旭堂南左衛門さんの忠臣蔵の中の天野屋利兵衛をテーマにしたもの。 歌舞伎で見たことがある。「天野屋利兵衛は男でござる」という名台詞で有名な演目。

天野屋利兵衛は赤穂浪士の討ち入りの手助けをするため、討ち入りに必要なものを集めて、提供したとして知られている。今回の演目もそれに従っていた。しかし史実かどうかは疑問だそうだ。赤穂浪士に関わっての話にはそういう事が多い。でも話としては史実がどうであったかどうかよりも、そのほうがおもしろいのは確かだ。

 

上の写真は旭堂南左衛門さんの公式ホームページによるもの。
上方講談の重鎮と言ってもいい人だと思う。
南左衛門さんの講談は、私が昔に聞いたあの講談の口調だった。
歯切れがよく、畳み掛けるような語り口、滑舌もとても良い。
話に引き込まれるというのはこういうことなのだろう。
「講釈師、見てきたような嘘を言い」なんていう言い方があるが、「嘘かなあ、嘘だろっ」と思いながらその話しぶりに引き込まれる、というのは面白いことだ。
落語と同じようにその話芸はすばらしいと思った。講談師にとっては落語のほうがずっとあとから出来た芸だから、「落語と同じように」という言い方は失礼かもしれない。繁昌亭でも講談があるようだから、行ってみたいと思った。

講談を聞いた帰りに、上六の近鉄百貨店に寄った。
地下で買い物をしたあと、地下鉄に向かう出口を探していると、なんと「五平餅」を売っていた。
NHKの朝ドラ「半分、青い」が放送されていたとき、あちこち五平餅を探したが、どこにも売っていなかったのに、ここにあるとは。
「『半分、青い』の時はもう大変でしたよ。」と店員さんが笑って言った。みんな「五平餅」を探していたのだろうなあ。
「クルミもはいってますよ。朝ドラのおじいさんがつくっていたようにね」とたっぷりとタレをぬってくれた。
 「五平餅」は私が期待していたようにおいしかった。
耳にも胃袋にも栄養のある一日だった。