映画「ドリーム HIDDEN FIGURES 」

左は映画のパンフレット。

日本での題名は「ドリーム」だが、原題は「HIDDEN FIGURES」

数字を意味するFIGURESと、
人を表すFIGURES。同じスペルが違う意味を表すというところに映画のタイトルの隠された意味がある。
そして「隠された数字」と「隠されていた人物」というのがこの映画の大きなテーマになっているのだ。

この映画はアカデミー賞3部門ノミネート(作品賞、主演女優賞、脚色賞)、全米興行チャート11週連続トップテン入り、「ラ・ラ・ランド」を超える大人気の映画だそうだ。

ただ日本でよく知られている俳優はケビン・コスナーぐらいなので、アメリカに比べると日本での扱いは大変地味だ。
しかし映画の内容は本当におもしろい。

主人公は数学の天才だった黒人の女性、キャサリン・G・ジョンソンは、10歳で高校へ入学、18歳で数学とフランス語の学位をとり、22歳のときに、人種差別を撤廃したウエスト・ヴァージニア大学の大学院に進んだ初めてのアフリカ系アメリカ人である。あとの二人、ドロシー・ヴォーン、メアリー・ジャクソンも数学や物理学にすばらしい才能を持つ黒人女性である。

パンフレットにある映画の内容を紹介してみる。

「1960年代初頭、アメリカが超大国の威信をかけて推進していた有人宇宙飛行計画を背景にした本作は、その”マーキュリー計画”において、黒人の女性数学者たちが多大な貢献を成し遂げた史実を描き出す。彼女たちは、当時まだ色濃く残っていた人種差別に直面し、職場でさまざまな苦難に見舞われるが、卓越した知性、たゆまない努力、不屈のガッツで次々とハードルを突破。そんな彼女たちの驚くべき道のりを、軽妙なユーモアにくるんで親しみやすく伝え、なおかつ心揺さぶるカタルシスもたらすサクセスストーリー(略)」

NASAの宇宙計画に従事していた黒人女性の数学者たち、何人いたのだろう。 映画の主人公達は3人、それぐらいの人数だったのだろうか?
上の写真は、カタログにある黒人女性がオフィスを移動している場面。30人近くがこのオフィスで働いている。原作本によると、70人以上の黒人女性が計算スタッフとして働いていたという。
コンピューターcomputerは、もともとの意味は計算する人、という意味だった。コペルニクスやガリレオの時代から、計算を専門にする人たちはいた。
この映画では、電子計算機というcomputerが登場する前の時代、人間がcomputerだった時の話だ。

この映画の主人公の3人。
ドロシー・ヴォーンは、黒人女性で組織されている西計算グループのリーダー。
キャサリン・ジョンソンは西計算グループから宇宙船の軌道計算のスタッフに移動。初めての黒人女性としてこのオフィスで働く。
メアリー・ジャクソンは黒人女性で初めてのエンジニアをめざしている。
この3人が黒人女性の社会的地位を高めていく努力と情熱が描かれている。

アメリカ初の人間をのせた宇宙ロケットに起きたトラブル。電子計算機computerの値が信頼できない事態に、呼び出されたのがキャサリン。
実話に基づくエピソードは、鳥肌が立つほど感動的だ。

映画のあらすじは、ネットで調べればわかることなのでここには書かない。
ただ3人が歴史を変え、時代の先端になって、黒人女性の未来を切り開いていった事実を描いた映画で、多くの人に見てもらいたいと思った。
アメリカで、観客動員数がラ・ラ・ランドを超えたというのは、家族連れで映画を見た人が多かったこと、学校からの映画鑑賞も多かったこと、貧しい労働者達がこの映画をこぞって見たことに理由があるらしい。
社会的弱者と云われる人たちに元気と勇気を与える映画なのだろう。

私はキャサリン・G・ジョンソンのことは、この映画を見る前から知っていた。
それはケーブルテレビで「タイムレス」という番組を見て知っていたからだ。第八話で、アポロ宇宙船が月着陸の時にコンピューターの故障がおき、それを修理する時に手助けをするのがキャサリン・G・ジョンソンだった。(実際、キャサリン・ジョンソンはアポロ宇宙船の月着陸のときにもNASAにいて仕事をしている。)
私はこのテレビ番組を見て、NASAで働くコンピューターを操作していた黒人の女性がいたこと、私は知らなかったけれどアメリカの黒人の人たちにとっては有名な女性がいることを初めて知った。(タイムレスはDVDになっていてレンタルできる)。

日本にも同じような女性がいる。

2015年12月7日、日本の金星探査衛星「あかつき」の金星周回軌道投入に成功した。
「あかつき」は2010年に金星周回軌道投入に失敗し、それから5年後に再投入されたわけだが、一度失敗した衛星が再挑戦で成功した例はこれまでにない、といわれていたほどハードルの高かったもの。
この軌道計算をしたのがJAXAの廣瀬史子主任研究員。2年半の間、何万ケースもの軌道計算をくり返し、今回の最適解を見出したという。この12月7日以前だと「あかつき」は金星に落下し、この日をのがすと金星にこれ以上接近できなくなるという、ベストタイミングだったという。写真はJAXAのホームページからで、記者会見で説明している廣瀬さん。

上の写真は原作となった本。
内容はずっしりとしたものだが、大変読みやすい文章だった。原文がそうだったのかもしれないし、訳も違和感なく読むことができた。この本の「おわりに」で、作者のマーゴット・リー・シェタリーはこのように書いている。

「NASAに数学者として勤務した黒人女性の話をすると、多くの人が次のような疑問を抱くようだ。どうして自分はこれまでこの物語を聞いたことがなかったのだろう? 本書のための調査を開始してから5年余りの間に、私は数え切れないほどこの質問を受けてきた。これだけ多くの女性たちが関わり、20世紀の決定的な瞬間に直結する歴史が、これほど長い間脚光を浴びずにきたことに、ほとんどの人が驚きを表した。この物語には、あらゆる人種、民族、性別、年齢、背景の人々の心に響く何かがあるように思う。これは希望の物語だ。我が国の歴史に残るきわめて残酷な現実ー合法化された人種隔離と人種差別ーの中にあっても、実力主義の勝利を証明し、才能と努力次第で誰もが高みをめざすことを許されるべきだと訴えている。」

ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーリスト第1位の本。
私は映画を見てこの本を読んだが、その順でよかったと思う。私が知らなかったアメリカの人種隔離と人種差別の歴史、そこでしたたかに闘い抜いてきた黒人女性達。
おすすめの映画と本。映画を見れなかった人は、レンタルでも見る価値があると思う。久々、映画を見て高揚感を持って映画館を出た映画だといえる。

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 20

四日目 ブロードウェイのミュージカル

私たちの乗った観光バス。ビルに写り込んでいるのをパチリ。

ロックフェラー・センターをバックに何かフィギアのようなものが。これは風船でできたバルーン人形。

左上の写真はロックフェラー・センター。走っているバスから撮影。5番街から6番街にかけてあるビル。259m、70階建て。夜の観光スポットでこのビルが再登場する。
右上の写真は、ニューヨークの二日間滞在した
NEW YORK MARIOTT MARQUIS 
(ニューヨーク マリオット マーキス)
マンハッタンのどまんなか。ブロードウェイのすぐそば。
まわりには沢山のシアターがあった。
人通りも大変多い。

このホテルのロビーは8階。1階はエレベータールームになっている。

写真の真ん中にあるボタンで自分の行きたい階を押すと、どのエレベーターに乗ればいいかをA〜Pまでのアルファベットで知らせてくれる。そのエレベーターを乗ればいいということで、初めての経験だった。

その案内図と操作方法が点字で説明されていた。

各フロアも同じ仕組みになっている。
(写真はKのエレベーターとボタン)

マリオットは点字が表記されていることで、私の印象に強く残っている。
中国で泊まったホテルでもマリオットホテルだけに点字表記があった。
このアメリカの旅で、点字を見たのはこのマリオットホテルだけだった。
道路の点字ブロックは、私の見た限りはどの街にもなかった。

夜はオプションでミュージカルに行く。私たちは松本侑子先生と一緒に「アラジン」を観劇。米倉涼子の「シカゴ」に行った人、「オペラ座の怪人」に行った人もいた。

ここはニュー・アムステルダム・シアター。これが本場のミュージカル劇場なんだ。クラシックで華やかで落ち着いている。

左からアラジンのTelly Leung、ジニーのMajor Attaway、そしてジャスミンのCountney Reed.(当日のパンフレットより)。 私たちの見た時はジャスミンはTia Altinayであった。
ジニーの踊りの激しいこと。ジニーがすごい、ということは見る前から聞いていたが、聞きしに勝るとはこのこと。「大丈夫?あんなにキレキレのダンスを長時間おどって、倒れない?」と心配するほど。これが本場のダンス、ミュージカルと納得するしかない。

松本先生の話によると、「日本でも見ましたが、歌もダンスも衣装も全く同じでした。今日の舞台を見ると、アメリカでは、役者は白人ではなくて、ほとんどがアラブ系に見える人たちで、原作に沿っていて、素晴らしいですね」

ミュージカルが終わって外に出ようとすると、出口(入口)にアラジンの魔法のランプが置かれていた。開始のときには見なかったから、終了の時に置いたのだろう。これこそが観劇記念の撮影ポイント。
沢山の人がカメラ、スマホをもって写真撮影の順番を待っている。だれもが魔法のランプと一緒に写真をとりたいのだなあ。

ニュー・アムステルダム劇場を出てホテルまで歩いて帰る。クリスマスや大晦日の心斎橋や道頓堀を歩いているような光と人の波。

ニューヨーク・マンハッタン、ブロードウェイの夜は更けていく。

 

 

大阪環状線撮り歩き  弁天町駅

一番下の写真は、「交通科学博物館」の跡地。弁天町といえば「交通科学博物館」だった。食堂車がなつかしい。
2014年4月6日閉館。展示物の多くは梅小路蒸気機関車館の京都鉄道博物館へ移設されているそうだ。

今日も暑い。36度になりそう。まわりが白っぽく見える。

これはカメラの露出補正についての勉強。
左は露出補正なし(EV=0)
肉眼ではこんなふうに見えている。
右は露出補正を+3(EV=+3)の状態。
暗いところだからプラス補正をすると、モデルさんの青いシャツがはっきり見えてくる。あわてて撮ったので、ピントはブレブレ

同じ場所。露出補正を変えてみる。
最初はプラス補正、次は補正なし。
最後はマイナス補正。
より明るくするために露出をプラス方向にずらすか、反対に露出をマイナス側にして光の量を抑えるか、そこがカメラマンのどのように表現するかの考え方なのだろう。瞬時に決めるのは、難しい。

 

これは映り込み。「写っているものに焦点を合わしなさい」と講師の先生。

お好み焼きの「まいど」、味処「こんかな」、和洋酒家「うましうみ」、銭湯「寿温泉」。何かノスタルジックな看板とお店。

ここは安治川。大きなトラック、トレーラー、貨物船が並んでいる。

急に人が動き出した。旗で合図を送っている。コンテナ船がやってきたのだ。

タグボートが出発する。コンテナ船の太いロープをつなぎ、岸壁に固定する。

船尾側のロープがおわれば、船首に回る。

もう1本のロープをとりに急旋回するタグボート。
大きなエンジン音と黒煙が立ち上る。

船首、船尾2本づつのロープで船体を固定。乗降用のはしごを下ろして着岸の完了。

太いロープ4本をあやつることで岸壁にぴったり横づけ。

タンカーの横づけを見学した後、足を伸ばして移動。ここは「弁天埠頭前」。

関西汽船のビルは取り壊されていて、残っているのは加藤汽船のビル。さんふらわあ号や小豆島や高松や松山に行ったなあ、と思い出が頭をよぎる。
昔はビルの屋上に関西汽船と加藤汽船の大きな立て看板が立っていたのに、今はもう面影もない。1995年天保山、南港に移転し、今は廃墟同然になっていた。

残っている加藤汽船側からの写真。二階から船を見送ったんだったかなあ。
海側は防波堤・防潮堤で遮断されてしまい、海の様子は見ることはできなかった。

道路にある地図には「弁天埠頭」の文字があった。
バス停にも「弁天ふ頭」という駅が残っている。 なんとも苦い味が口に上ってくる。ここは安治川だったなあ、と苦笑い。

安治川のアーチ型の水門が見えるところ、波除に足を伸ばす。
「まだ残っているだろうか?」「確かめておこう」。見ておきたいところがあった。

あった。ここは「男はつらいよ27 浪花の恋の寅次郎」に出てくる場所。
幼くして生き別れた弟をさがすふみちゃん(松坂慶子)が寅さんと一緒に、弟が働く会社にやってきて、大村崑と話をしたところ。

映画ではこの小屋の右側にある建物の二階の事務所に、寅さんと松坂慶子さん演じるふみが階段を昇っていくのだが、その事務所のある建物は完全になくなっている。1981年の作品だからもう35年も前の映画。ここが残っているだけでも奇跡かもしれない。映画ではこの会社の対岸にある火力発電所が映っているが、今はその発電所も撤去されている。
「浪花の恋の寅次郎」は私にとって、大事にしたい作品。通天閣、昔の浪速警察署、石切さん、新世界・・・懐かしい風景がいっぱい出てくる。
この映画の最初に対馬にある和多都美神社がでてくる。私が対馬に行った時は、海の中に鳥居が立っていたのをおぼえているが、それが「浪花の恋の寅次郎」の最初のシーンに出てくるのに気づいたのもずっと後だった。対馬に行く前に、この映画を見ていたらもっとおもしろかったのに、と思うのはいつものことだ。
映像や記録に残すことは大事だなあ、でも暑い、背中は汗でびっしょり、早くクーラーの効いた喫茶店にでも入ろう。

 

 

 

 

5月花形歌舞伎

松竹座で行われている「5月花形歌舞伎」を見に行った。

中村勘九郎・七之助兄弟、それに市川猿之助、という若手が出ているので楽しみだった。

午前の部も面白そうだったが、夜の部を選んだ。それは「怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)」があったからだ。この演目は以前に見た記憶がある。いったいいつだったのだろうと、番付の演目一覧を見てみると、なんと1991年(平成3年)7月、中座だったようだ。
中座といえば歴史のある劇場で、1661年開業という300年以上の歴史がある。1999年に閉館している。

私が見たのは先代の中村勘九郎が演じていたもので、もう26年前のことだったのだ。私が歌舞伎を見始めたころで、本当の水を使った場面や、早替わりを知ったのもこの演目だと思う。(上の中座の写真は、番付より)

今回の番付を見ると、「怪談乳房榎」には、長い説明がついている。

「三世實川延若より直伝されたる 十八世中村勘三郎から習い覚えし
三遊亭円朝原作
怪談乳房榎
中村勘九郎三役早替りにて
相勤め申し候」

番付のインタビュー記事からその部分を引用すると、

・・・「怪談乳房榎」は父(十八世)勘三郎から受け継いだ作品だ。
「それも父に教えてくださった(三世實川)延若のおじさまあってこそのもの。父は上演のたびに必ずおじさまの名を記していましたので、それもしっかり受け継いでいきます。(平性3年に)中座で上演した時の舞台は子供ながらに強烈に覚えています。それに負けないくらい血が騒ぐ舞台にしたいと思います。」
大阪ではその中座以来の上演となり、自身が初めて手がけたのは平成23年。平成26年には「平成中村座ニューヨーク公演」でも行い、国内ではこれが4回目となる。絵師の重信、その下男である正助、悪役のうわばみ三次の三役早替わりが眼目となっている。…………

左の写真は番付にあった、平成3年の時の舞台。
演じているのは先代の中村勘九郎。今の勘九郎のお父さん、中村勘三郎だ。
写真で見ると、やっぱり親子だなあ、よく似ている。

ニューヨーク公演の様子は、テレビでそのメイキングを含めて放映していたのを見たことがある。
それでなおさら、この演目を見てみたいと思ったわけだ。

その期待通り、面白かった。
居眠りをしている暇はない。

原作はあの三遊亭円朝。文七元結、牡丹燈籠も円朝の作品。
原作のあらすじは、ウィキペディアを引用すると、「絵師として活躍していた菱川重信の妻・お関に惚れてしまった磯貝浪江という浪人は、重信の弟子となってお関に近づき、関係を持たないと子供を殺すと脅迫し、お関と関係を持ってしまう。それだけでは飽き足らない浪江はお関を独占し、かつ重信が築いた莫大な財産を手に入れるため師を惨殺する。夫の死のショックで乳の出なくなったお関の元に、死んだ重信の亡霊が現れ、乳を出す不思議榎が松月院にあると教え、やがてその榎の乳で育った子・真与太郎は父を殺した浪江を討ち仇を取る。」というもの。

歌舞伎はそれとは少し変化がある。
浪江を手助けする「下男の正助」、「浪江をゆすろうとする、うわばみ三次」が登場する。また、亡霊の登場の仕方も違う。
歌舞伎「怪談乳房榎」は、原作通りに仇討ちでおわるが、醍醐味は「絵師重信」「下男正助」「うわばみ三次」を一人三役で演じ、しかも「早替わり」で3人が入れ替わるというもの。番付をその部分を引用すると、
「本作の魅力は、正助、三次、重信という性格の異なる三役を、早替わりという歌舞伎ならではの演出法を用いて演じ分けることにあります。中でも「花屋二階」の場面では、階段を用いて、三次と正助を一瞬で替わる件は大きな見どころ。これに続く「田島橋」での重信が殺される場面では、重信、正助、三次を鮮やかに替わります。そして、大詰めの「大滝」では、本水を使用したスペクタクルな演出を用いて、正助と三次を何度も早替わりで替わって演じます。」

早替わりは、姿形のよく似た何人かの役者さんが協力し、楽屋スタッフ総出で衣装や化粧の協力、勘九郎さん自身が座席の下にあると思われる地下の通り道を全速力で走っていることなど、文字通り全力で駆け回っていることのたまものだと思う。
早替わりの仕組みを探るよりも、歌舞伎役者の芸事を楽しむことが、歌舞伎見物の楽しみだと私は思った。
早替わり成功の秘訣は、勘九郎さんが、重信、正助、三次をきっちりと演じ分けているところにあると思う。観客である私たちが、登場人物の姿勢、声、動作をとおして、舞台の人物に感情移入できるからこそ、早替わりとして楽しめるのだろう。

勘九郎さんにかたよったブログになってしまったが、七之助さんの「野崎村」の「お光」は、絶品だったと思う。美しい七之助さん目あてのお客さんも、きっと多かったと思う。

猿之助さん演じる「磯貝浪江」は、悪役としての魅力があった。
初めての役だそうだが、これからのはまり役になるのではないか、と思えるほどぴったりだった。

「大滝」の前の幕間で、「水が飛んで来るので、ビニールでカバーしてください」という舞台番の弘吉は市川弘太郎さん。このおしゃべりがまた楽しかった。
「今日の勘九郎は元気です!」と何回かビニールで体をカバーするリハーサルを要請していたが、たしかに勘九郎さんは元気だった。座席10列目以上に水を飛ばしていた。花道でも濡れた着物を振って、水を飛ばしていた。お客さんもうれしそうに笑っている。USJのウオーターワールドの世界のようだった。

劇の終わり方も面白かった。あれっ?! と多くの人は思ったと思う。でもこれも演劇の終わり方、という一つのやり方。子殺し、師匠殺し、仇討ち、と重くて暗いムードをさっと切り替える。これも早替わりか。楽しい演目だった。

道頓堀は相変わらず賑やか。外国人観光客も多い。江戸時代もこんな賑わいだったのだろう。

私の目を引いたのは、アーケードのフラッグ。

今宮高校の書道部、ではない、書画部だそうだ。
母の日フェア、これもおもしろいなあ。さすが大阪だ、道頓堀だ。
この界隈が地元に息づいているのが伝わってくる。

勘九郎さん、七之助さん、猿之助さんをはじめ、若手の歌舞伎役者のみなさんも元気だ。高校生も元気にバナー作品をかいている。この元気が明日の活力に。
さあ、私も元気にがんばろう。

 

 

映画「赤毛のアン」

最新の映画「赤毛のアン」の上映が始まった。 私は「赤毛のアン」の翻訳者の松本侑子さんのブログでこの映画のことは知っていた。
日曜日にさっそく見てきた。大阪では3館でしか上映していなようなので、なんばパークスの映画館に行った。

この場面を見るだけで、「赤毛のアン」ファンの人達にとっては、物語のいつの時かわかるだろう。

そう、アンがマシューと一緒に馬車に乗ってグリーンゲーブルズに行くところ。
カナダ・プリンスエドワード島の自然の美しさが、これでもか~というぐらいに画面いっぱいに広がる。
私は松本侑子さんのツアーで、プリンスエドワード島に行ったが、「これも見た、あれも見た」、と自分が映画の中に入ったような感覚になった。

_MG_1501

これはプリンスエドワード島のツアーで私が写真に撮った「グリーンゲーブルズ」。映画の「グリーンゲーブルズ」は、これとはちがっていた。ちょっと残念な気もするが、リアリティを追求すればそれもそうだろう。下の写真がパンフレットからとった「グリーンゲーブルズ」。

私が一番気に入った場面がここの場面。

松本侑子さんがご自分のツイッターで、この映画「赤毛のアン」のことを何回か紹介されている。 そこにはこんなふうに説明がある。

***********************

この場面は『赤毛のアン』第24章でアンが、16世紀の詩人パーシーの「妖精の女王」を暗誦する場面。映画のアンは「さあ、ついておいで 小さな妖精たち」と原詩通りに語っています。『アン』に出てくる膨大な英米文学は『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』(松本侑子著・集英社)をご覧下さい。

***********************

「赤毛のアン」の原文では、詩の内容までは書かれていない。

***********************

We’re going to have six choruses and Dianna is to sing a solo. I’m in two dialogues – The Society for the Suppression of Gossip and The Fairy Queen.

・・・私たちは六曲、合唱するの。ダイアナはソロで歌うことになっているのよ。
私は対話劇(ダイアローグ)に二つでるの。「ゴシップ撲滅協会」と「妖精の女王」よ。・・・(松本侑子訳)

***********************

集英社文庫「赤毛のアン」(松本侑子訳)の解説から抜き出してみると、
「1878年以降、暗唱用の詩集に入れられ、学校で暗唱された。内容は妖精の女王マブと妖精たちが人間に近づいていたずらしたり、草むらで踊ったりする様子が詠われる。スコットランド等に伝わる妖精伝説にちなんでいる。」

このとき、アンが着ているドレスが例の「パフスリーブドレス」。
映画の字幕では「ちょうちん袖」となっているが、やはりパフスリーブのほうがいいと思い、妻に聞いてみた。「ちょうちん袖、とふつうに言っていたよ」という。

さて、この映画でもう一つ興味をひいたのが帽子。

写真はアンとダイアナが走っているところだが、ピクニックの場面ではほとんどの女の子が同じような帽子をかぶり、走る時は帽子を押さえて走っていた。へーっ、走る時は帽子を押さえていたんだ、と新発見した気分。帽子に紐がついていてそれを結ぶのかな、とかピンで落ちないようにするのかな、と思ったりしていたが、なんのことはない、手でおさえて走っていたんだ。

左の写真の帽子。これも松本侑子さんのツイッターによると、

「この帽子! 3人ともタモシャンター帽! スコットランドの伝統装束で(エジンバラの土産物屋で売ってます)、『赤毛のアン』ではスコットラント系カナダ人のアンがかぶってますよ。これも従来の翻訳では訳されていないので、集英社文庫『赤毛のアン』で読んで下さいね。映画がますます楽しみです。」

「赤毛のアン」の本では、
第19章にでてくる。

「正直なところ、アンは、微かに胸の痛みを覚えずにはいられなかった。自分は質素な黒のタモシャンター帽と、マリラお手製のまっすぐな袖の不格好な灰色のコートを着ているのにひきかえ、ダイアナは毛皮の帽子と小粋なジャケットなのだ。しかしすぐにアンは気をとり直した。私には想像力があるんだから、それで補えばいいんだわ」

巻末の解説を見ると、「上にボタンがついた、ベレー帽に似たウール製の大きなふちなし帽子。スコットランドの詩人、ロバート・バーンズ(1759〜96)による同名の詩「シャンターのタム」(タモシャンター)の主人公の農夫、タムがかぶっていたことに由来し、スコットランド人がかぶる(後略)」とある。

この映画の原題は「L.M Montgomery’s Anne of Green Gables」である。
「モンゴメリーのグリーンゲーブルズのアン」というように、原作の雰囲気がよく伝わってくる。
マリラがストーブをオーブンとして使ってケーキを焼いているところや、アンが乳搾りをし、ニワトリに餌をやるなど、原作で描かれている生活が丁寧に画面で表現されている。
私としては、続編が出たら、じゃがいもの種芋を切っているアンを登場させてほしいなあ、と思う。

「赤毛のアン」の映画は、30年ほど前の、ミーガン・フォローズの映画が有名。私もビデオで何回か見た。
ミーガン・フォローズのアンは、原作のアンよりも美人、というのが私の印象だったが、そのミーガン・フォローズさんが最近のテレビドラマの「クイーン・メアリー」で出ていたのでびっくりした。それはさておいて、どちらの映画もマリラとマシューがとてもいい。この二人を抜きにしては、アンの映画は作れないだろう。左が30年前の映画のマリラとマシュー。右が今上映中のマシューとマリラ。

主人公のアンを演じたエラ・バレンタインさんのことは、映画を見てくださいとしか言えない。原作に忠実に演じている。公式ブログもあるので、ご覧いただきたい。

今回の映画は原作の完全映画化ではない。映画用に脚色されているところもあったが、5月の季節にふさわしい映画だった。これからプリンスエドワード島を訪れる人、訪れたい人は必見の映画だと思う。

 

松本侑子さんのホームページ(ここからブログ、ツイッターにリンクできる)

http://office-matsumoto.world.coocan.jp/index.htm

*映画の写真はパンフレットより。
*ミーガン・フォローズさんの写真は「スクリーンプレイ 赤毛のアン」より。