The Breadwinner ブレッドウイナー

ブレッドウィナー、「一家の稼ぎ手」となったパヴァーナの物語。

この映画のポスターには次のような説明がある。
「2001年アメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタン、カブール。11歳のパヴァーナは、お話を作って聞かせるのがとても上手な女の子。しかしある日、父がタリバンに捕まり、パヴァーナたちの暮らしは一変、女性一人での外出が禁じられているため、パヴァーナは髪を切り「少年」になって、一家の稼ぎ手(プレッドウイナー)として町に出ます。パヴァーナが目にした新しい世界とは? 家族たちの運命は・・・・?

この映画のカタログに原作の紹介が載っている。 「原作者 デボラ・エリス  ・・・平和活動家として世界中を旅行し、戦争・貧困・病気・差別などによって困難を強いられている子どもたちを取材している。1997年と1999年の二度に渡ってパキスタンのアフガニスタン難民キャンプをおとずれ、たくさんの女性や子どもたちから聞き取り調査をして書いたのが、本作の原作となる「生きのびるために」、続編「さすらいの旅」「希望の学校」と合わせ、世界17カ国で翻訳、出版されている。・・・本の印税をCanadian Women for Womeh in Afganistan (アフガニスタン女性のためのカナダ女性)、ストリート・キッズ・インターナショナル、IBBY(国際児童図書評議会)のChildre in Crisis Fund (困難にある子どもたち基金)、ユニセフに寄付している。」

私はこの映画を見るまでに、アフガニスタンの現実を考えたことはなかった。
そこで生活している人たち、とりわけ子どもたち、そのなかの女の子たちのことは全くと行っていいほど考えたことはなかったし、映画の中にある事実は知らなかった。
「ボーッと生きてきた」自分に痛烈なパンチだった。

この映画のことは昨年新聞で知った。そこにアニメーションはアイルランドの「ブレンダンとケルズの秘密」を作った会社が担当した、と書いてあった。この「ブレンダンとケルズの秘密」の映画を子ども向けの本にしたのが右の本。私がアイルランドで買ってきた本だ。
これは見に行かなくては、とその時に思った。大阪での公開は1月からということで楽しみにしていたが、なかなか日がとれず、映画館もテアトル梅田だけだったのでずるずると2月になってしまった。上映時間も最初はお昼の12時ぐらいからだったのに、2月の2週になると夜の9時からになっていた。これは無理かなとあきらめかけていた。ネットで調べてみると、京都で昼に上映していることがわかった。

京都の出町柳駅のそばにある「出町座」だった。
すずさんが迎えてくれた。
はじめての映画館だったが、喫茶や本の紹介もあり、マニアにはたまらないだろうなあ、という雰囲気満点の映画館だった。土曜日の3時頃だったが、20人くらいの入りだった。この日の京都はコロナウィルスの影響か、外国人観光客の人や観光バスも少なく、鴨川も昔の京都らしい風情があるように感じられた。

怒りではなく言葉で伝えて、花は雷でなく雨でそだつからー

この映画では「物語」が重要な役割を果たしている。パヴァーナが弟や家族に話す物語は、映画のストーリーと並行しながら、困難の中に希望を見出す力があることを示している。映画の中にも紹介される「怒りではなく言葉で伝えて」「花は雷ではなく雨で育つから」、怒りに満ちたヘイトスピーチや爆弾やミサイルでは何も育たない、人の口から語られるれる民族の歴史から生まれる物語は、人の心を癒やし、力づけるのだと思う。詳しい映画のストーリーは書かないでおこう。
映画を自分の目で見て感じてほしい映画だから。

この映画で私の心をうったのは、パヴァーナの声だった。力強くて、優しくて、前を向いている声だった。カタログを見ると、声優はサーラ・チャウディリーというトロントに住むインド系カナダ人で、「レ・ミゼラブル」のトロント公演で、コゼットの子供時代を演じたという。この映画の声優を務めたのは12歳の時だという。
いずれDVDになったとき、ぜひもう一度見てみたい映画だ。
そしてこの映画の原作となった「生きのびるために」を是非読んでみたいと思った。

 

*新聞に紹介された映画「ブレッドウイナー」の記事。

 

第48回グリーンコンサート

淀川工科高校吹奏楽部 定期演奏会

今年も淀工のグリーンコンサートに行ってきた。会場はフェスティバルホール。

私は1階席の少し後ろの方。全体がよく見える位置だった。 会場はほぼ満席状態。小中学生の団体から孫の応援に来た様子の高齢の人まで、多種多彩だった。

プログラムは、

・オープニング
・カーペンターズ・フォーエバー
・大阪俗謡による幻想曲
・東京オリンピックマーチ
・日はまた昇る
・1年生フレッシュコーナー
    休憩
・大序曲「1812年」
・故郷(ふるさと)
・ザ・ヒットパレード

というもので、ほぼ昨年通りだった。

オープニングの「翼をください」は、会場の1階席後ろに並んだ合唱隊のハーモニーと舞台の手話という演出、歌声と手話の女生徒の立ち姿は会場の空気を澄み切ったものに変えた気がした。

吹奏楽部の人気は高く、東京や和歌山から家ごと大阪にやってきて入部する子がいるということが司会との田頭さんと部員との話ででてきたので、びっくり。たいしたものだ。
私が淀工のグリーンコンサートに来るようになったのは、もう15年以上前になると思う。知り合いの小学校の先生の教え子が淀工の吹奏楽部に入り、チケットの売上に協力することからだった。その時は確か守口の市民会館だったと思う。

最初のカーペンターズ・フォーエバーは例年のプログラムだが、トランペットとトロンボーンが15人ほど立って演奏するのだから、その迫力はすごい。

1年生が学生服とブレザーで入場してきたとき、「今年の1年生は大きいなあ」と思わずつぶやいてしまった。とにかく全体的に大きな子、背の高い子が多いという印象だった。

陽はまた昇る

初めて聞いた演奏があった。「陽はまた昇る」という曲だ。 プログラムにこんな説明があった。

作曲者の言葉(概要)
 2011年3月11日、日本の東北地方太平洋沖でマグニチュード9以上の巨大地震が発生しました。この地震と津波による犠牲者は15000人を超え、2千人以上の方々がまだ行方不明になっています。
 私には、日本の数多くの楽団に携わるたくさんの友人がいますが、その一人が被災者を支援するために作品を書くことを提案してくれました。私はすぐに賛同し、以前委嘱された金管バンドの作品を吹奏楽用にアレンジしました。そして日出ずる国の友人達に敬意を表して新しい題名をつけました。『陽はまた昇る』。
 私はこの作品の印税を日本赤十字社の緊急救援基金に寄付します。楽譜を販売するデ・ハスケ社もこの作品の販売収益を全て寄付します。しかも、このプロジェクトからの支援が即座に実現されるように、赤十字社への一括送金を約束してくれたことをうれしく思います。
 この「バンドエイド」プロジェクトを通じて、世界中の吹奏楽団が、この苦難のときに、吹奏楽を愛する人々がたくさんいる日本の人々を支援することができるように心から願っています。
                  フィリップ・スパーク
 
フィリップ・スバークという人は、インターネットで調べてみると、ウィキペディアには次のように書かれていた。

「フィリップ・スパークPhilip Sparke1951年12月29日 – )は、イギリス作曲家ブラスバンドおよび吹奏楽のための作品で知られる。」
 
250曲以上の吹奏楽の曲を作曲している人で、ブラスバンドの世界では、かなり有名な人のようだ。
「陽はまた昇る」は、5分ぐらいの曲で、もう少し聴いていたいなあと思っているうちに終わってしまった。
ユーチューブに「陽はまた昇る」の演奏がアップされている。
 

私はこのような取り組みが、ブラスバンドや吹奏楽という音楽の世界で行われていたことは全く知らなかった。この「陽はまた昇る」の演奏は日本の各地で行われているようで、これからも広がっていくだろうと思うし、広がってほしいと願う。
25年前の1月17日の阪神淡路大震災、9年前の東日本大震災、それ以外にも多くの地震や自然災害の起きているこの頃。たくさんの人がボランティアとして支援に行っている。私の行きつけの散髪屋さんのマスターも、災害支援ということで被災地の人たちの散髪に行っていると聞いてびっくりした。そうか、そういうふうな支援活動があるのだなあ。

二階席の前の方に、黒いカバーが掛かっている椅子が置かれている。
これは「大序曲『1812年』」のとき、応援賛助出演の吹奏楽部員が利用するところ。

『1812年』の最後は、『祝砲』に変わるものとしていろいろな工夫がされていたが、大迫力だった。
二階席や舞台上のトランペット・トロンボーンは力いっぱい、ありったけのエネルギー込めての演奏だったと思う。これでもか、これでもか、という心の声が聞こえてきそうな高校生のエネルギーが会場内いっぱいにひろがった。

「明日があるさ」「嵐メドレー」など楽しい舞台構成も高校生の若々しい姿がたのしかった。応援団長はいつも立派な体の男子生徒だが、吹奏楽部入部のとき、舞台で三三七拍子をやりたい人、と募集しているのかな?

最後の「乾杯」は今年も感動した。
今年は60人以上の3年生が舞台に並んだ。丸谷先生が「これだけ多いといろんなことがありました。しかし最後まで続けてくれました」という意味のことを言っていた。ありきたりの表現になってしまうが、「継続は力なり」という言葉通りだと思う。努力は必ず報われる、そんな世界であってほしい。

「最近の若いものは・・」「ゆとり世代はやっぱり・・・」なんて言う大人が相変わらず多いが、とんでもない。「最近の高齢者は・・・」「昭和生まれはやっぱり・・」と思うことのほうが多くなってきたと私は感じる。
さあ、丸谷先生が現役でがんばっている、私もぼーとしてられないなあ。

 

 

Celtic Concert ケルト音楽

アイルランドへの旅行が終わったあと、大阪でケルト音楽のコンサートがあった。

島之内教会でおこなわれるので、場所も楽しみだったし、アイリッシュハープやリコーダーの演奏があるので申し込んだ。

アイリッシュハープは、アイルランドの図書館での展示を見ただけだったので、実際の演奏にふれたかった。
アイリッシュダンスの食事会のときは、アイリッシュハープがなかった。あのときは下の写真のようにバンジョー、バイオリンとギターの演奏だった。

ここが島之内教会。クリスマスコンサートのポスターがはってあった。

キリスト教の教会の中でのアイリッシュミュージックというのは不思議な雰囲気だった。しかもたしかここはプロテスタントの教会だったはずだが。
上の写真はリコーダーの演奏、そして左の写真はアイリッシュホイッスルの演奏。
このような楽器を使った演奏をアイルランドで聞きたかったなあ。

やっぱりありました。アイリッシュパープの演奏が。
思っていたよりもがっしりとしたものだった。
左がアイルランドのトリニティ・カレッジの図書館で見た、アイルランドの古いアイリッシュハープ。
あらためて写真を見直すと、確かに伝統的な楽器だと思う。このようなハープを持って吟遊詩人は旅をし、演奏していたそうだが、写真のように大きくて重そうだが、どうして運んでいたのだろうか。でもこのコンサートのときは女性の演奏者が自分で持って入場してきたので、持ち運びはしやすいのかもしれない。

休憩前の最後の曲、She Moved through the Fair あの子は市場をかけめぐり
の紹介に「あなたがどんなに貧乏でも、両親は反対しないわ、もうすぐ結婚できるわね!」あの子は嬉しそうに市場ではしゃいで・・・それが彼女を見た最後の姿」
とある。とても気になる内容。あとで調べてみると、身分違いの若い男女の恋が描かれているが、それはアイルランドのカトリックとプロテスタントの対立であったり、民族の抗争であったり、アイルランドの複雑な歴史の中で生まれてきた歌のように思える。

日本に帰ってきても、アイルランド、ケルトの影響はまだまだ私の中に生きているように思える。TSUTAYAでケルティック・ウーマンのCDを借りてきて聞いている。