ジャガイモの花

ジャガイモに花が咲いた(5月3日見つける)

駐車場のそばの畑にジャガイモが植えられている。
花が咲いているではないか。

 

これぐらいの広さの畑なのだが、上の写真に赤い丸で囲んだところのジャガイモに花がついているの

花にも種類があるようだ。

畑のオーナーさんの話にきいてみると、オーナーさんの経験ではジャガイモに花が咲くが、全部のジャガイモiではないこと、また実がなることもあるが、めったにないということだ。
じゃがいもの花と実? おもしろそうなのでもう少しきいてみると、ジャガイモの実は青い小さなトマトのようだと言っていた。
少し調べてみようと思った。

以前に「赤毛のアン」を訪ねるカナダツアーに行った時、ブログにじゃがいもについて調べたことを書いたが、もう少し本を探してみると、左の「ジャガイモの花と実」というその名もズバリの本があった。

表紙には「ジャガイモの実」と「種」の写真もあり、私の関心に応えてくれるピッタリの本だった。
この本の表紙にあるジャガイモ畑は北海道の美瑛だそうだ。一度いってみたいものだ。

ジャガイモの原産地は南アメリカ大陸で、2000年以上前からジャガイモを畑に植え、栽培し、食料にしていたと考えられている。
コロンブスのアメリカ大陸「発見」を機会に全世界に広まっていったわけだが、歴史的な経過については以前のブログ(カナダ赤毛のアンツアー33)に書いた。

ジャガイモの実は左の図のような形をしているらしい。
この「ジャガイモの花と実」の本の表紙にはそこカラー写真がのせられている。
ネットで調べてみると、「ジャガイモの実」で検索すると結構いろんなジャガイモの実の写真が発見できる。

疑問になってくるのは、そのジャガイモの実には種があるのだろうか。

花が咲き、実ができるのなら、その実には種ができているだろうか。
種ができている実があるに違いないとおもう。種ができるのなら、その種からジャガイモが育つのだろうか?

といった疑問がわいてくるのは当然だと思う。

ところで、現在の私たちがジャガイモを育てるときは、種イモをつかう。種をまくのではない。そして私たちが食べている部分は根ではない。茎である。「地下茎(ちかけい)」という言葉を習ったのは、小学生だっただろうか。中学生だっただろうか。
とにかくジャガイモは茎、サツマイモは根っこを食べていると習った。

種イモから育ったジャガイモはクローンだから、性質は同じだと予想できる。性質が同じだと、病気や害虫によって大打撃を受けることがあることは歴史が証明している。アイルランドでは多数の人が死に、アメリカ大陸などへの移民となった。ケネディ家も、ロナルド・レーガンもアイルランドからの移民の子孫だと言われている。

さて、ジャガイモの実から取れた種は、品種改良に利用されているそうだ。

1930年頃に、南アメリカに野生のジャガイモを見つける探検隊がだされたそうた。ロシア、アメリカ、スウェーデン、ドイツ、イギリスなどが探検隊を出し、ロシアの探検隊は150種類もの野生のジャガイモを発見したと伝えられている。

上の図のように種から育ったジャガイモは、親のジャガイモと遺伝形質が違っているため、多様なジャガイモになっている。
野生のジャガイモは、現在の栽培種のジャガイモと違い、花にはたくさんの花粉があるので、さまざまな性質を持ったジャガイモがとれたそうだ。
多様なジャガイモから、病気に強いもの、害虫に強いもの、味の良いもの、多量にイモが取れるもの・・・というように改良がなされていくわけだ。

日本には1595年頃に伝わったといわれている。豊臣秀吉が死んだ頃の時代だ。 オランダ商戦が持ってきたので「ジャガタラいも」「ジャガイモ」と呼ばれるようになったという。 飢饉の時の食料として広まったといわれている。 本格的に日本中に広まって栽培されるようになったのは、明治になってからで、アメリカ人などが持ってきた新しいじゃがいもの品種によって、ということだ。

花が咲いたあと、実がなるかどうか、気にかけて見ていくことにしよう。

 

 

 

 

 

藍染め 2017年

今年は5月5日に藍の種をまき、9月30日に藍を刈った。 写真は藍を刈ったあと、葉が出てきたところ。約1週間ほど天日干しした。

65グラムほどの乾燥葉がとれた。

今回は手に入りやすい薬品で染めてみることにした。

ハイドロサルファイトナトリウムのかわりに衣服用漂白剤の「ハイドロハイター」をつかう。
炭酸ナトリウムとして「消石灰」を使うことにした。
「ハイドロハイター」は近くの大型薬局にあった。
「消石灰」は大型スーパーの肥料売り場で購入。
かなり安く買うことができた。

参考にした本は以前も使った「そだててあそぼう18 アイの絵本」(農文協)。絵本なのでよくわかる。

本によると、

乾燥葉・・・100グラム
水・・・2リットル
炭酸ナトリウム・・・15グラム
ハイドロサルファイトナトリウム
       ・・・15グラム

というのが基本になる。
これを比例計算して藍染をすることにした。

65グラムの乾燥葉なので、1.2リットルほどの水を入れて15分ほど煮る。

煮た藍の葉をタオルなどで濾過する。

1回目の濾過した液は廃棄する。
ここまでは準備段階。

15分煮て絞った藍の葉が主役。
ここに1リットル余りの水を入れて再び煮る。水の量は計算では1.1リットルぐらいだが、それよりは少し多めにしている。

沸騰し始めたら、消石灰を12グラム、ハイドロハイターを12グラム入れる。
必要な正確な分量はわからないが、炭酸ナトリウムとハイドロサルファイトナトリウムの分量と同じと仮定して量をきめた。
実際は1グラムぐらい多めに入れている。

タオルで溶液を濾過する。熱いのでやけどに注意。
右が染液を絞り出したあとの藍の葉。
この葉に水を1リットル余り加えて煮る。

沸騰し始めたら、消石灰と、ハイドロハイターを前回と同じ量を入れ、15分ほど煮詰める。 このことを全部で3回繰り返して、染液を集める。左の写真のように藍の青色が見えてくる。

上の写真左は、3回目の抽出のあとの藍の葉の様子。 3回かけて集めた染液に、白い綿の布を入れる。染液の温度は40度〜45度。下がれば温めることが必要。

5分漬けて空気中に広げる。黄色だった布がみるみると青に変化していく。
この作業を3回くりかえる。

左が3回染めたあとの様子。

きれいな藍色がでてきている。
真っ白だった布が、藍の染液につけると緑色になり、空気に触れるとみるみる青に代わっていくのは本当に不思議だ。
化学反応で説明できるのだが、そのことを知っていても感動する。
日本に藍染の技術が入ってきたのは5世紀ごろといわれている。その当時の人は非常に驚いたにちがいない。
正倉院にはいくつもの藍染めされた宝物があるそうだ。

水洗いしてベランダで干す。ショールも染めてみた。全く同じ染液に入れているのに、木綿のように鮮やかには染まらなかった。化学繊維が使われているのかもしれない。

これで完成としよう。
愛を使って染めても、使う生地によって染め上がりが変わってくるのもおもしろい。
種が取れたら、来年も実験してみよう。

注意:煮た藍の葉は、臭いがきついのでビニール袋に入れて生ゴミとして処分した。
   また染液は下水に流すように本では書かれている。
   私は庭の植物を植えていない部分の土にしみこませた。
   前回は手が藍で染まったので、ビニールの手袋を用意した。
   指が染まることはなかった。この手袋は必需品。
   やけどをしないように注意。染液の温度は高いことを忘れないこと。

 

 

 

堺の桜、名古屋の桜

一昨年も行った堺の環濠クルーズ。
前は桜の盛りも過ぎていたので、今年は満開の時期を狙って行った。
週末は雨模様?、という天気予報に一喜一憂しながら行ったが、雨の隙間を狙った桜見物となって楽しむことができた。

鯉のぼりも元気に泳いでいる。なかに「うなぎ」や「かつお」があるのも面白い。

両岸の桜はほぼ満開。 曇り空が残念だったけれど、暑すぎもせず、寒すぎもせず。花曇りの1時間だった。

風が吹くと花吹雪が。船内に「お~っ」と言う声が湧き上がる。

南海電車「堺駅」の東口にこのクルーズの出発点がある。
近くの橋には、ポルトガル人の像がある。このポルトガル人の像は、橋の上からは正面の顔が見えない。

クルーズの船からは正面の顔が拝める。これもこのクルーズの楽しみ。

環濠から堺港に船は出る。

高速道路の下をくぐる。
そこには「桁下満潮時15M」の文字。
東北での大震災、津波はこの高さ以上だった、というボランティアガイドさんの説明。
海風の冷たさ以上の冷たい空気が船の中に広がる。
あらためて自然災害の甚大さを感じた瞬間。

桜満開の環濠クルーズ。少し肌寒いときもあり、曇り空だったけれど満員御礼の約1時間の船旅。
次回は青空のときに来たいものだ。

つづいて名古屋城でのお花見。最後の春休みなのか、ここも大入り満員だった。

ここは名古屋市の地下鉄「市役所駅』入り口」。

駅の向こうに見えている緑の屋根と赤レンガ風の建物が名古屋市役所らしい。お城の門のような地下鉄駅に下る入り口。なんとなく風情がある。

名古屋城は本丸御殿の改修工事中で、現在まで完成した部分を観覧することができた。
来年度には完成し、一般公開されるそうだ。

本丸御殿とは、名古屋城のホームページの説明によると、
***************

  名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615)に建てられました。20年後、将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。
 名古屋市では、平成21年(2009)1月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月29日、入口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始しました。

*************************************

これが修復中の「本丸御殿」。なんとも綺羅びやかだ。御三家の一つ、尾張藩主の御殿だけある。

ミクロ単位で精密に復元されている襖絵や、木目も新しい柱を見るとその豪華さがわかる。

広場では和太鼓演奏があり、外国人観客も非常に多い。
名古屋城にはソメイヨシノ、ヤマザクラ、シダレザクラ、サトザクラなど、約1000本の桜があるそうだ。

これが天守閣。大阪城もそうだが、お城には桜がよく似合う。それは平和な時代だからだろう。戦国時代には桜がお城内に植えられていたのかどうか?

名古屋城、といえば私がすっと頭に浮かぶのは「金のシャチホコ」。

左の写真はレプリカだが、高さ約2.6メートル、重さ約1200キログラム、18金のウロコが120枚あまり貼ってあるそうだ。
オスのシャチの方が少し大きくて重いそうだ。

この金のシャチホコは大阪の造幣局で作られたはずだ。
私は金のシャチホコを積んだトラックが、国道26号線を走っていたのを見た記憶がある。しかしそれは本当だったのか今では定かではなくなってしまった。

午前中に雨が降ったので、桜の花びらが地面に敷き詰められるように落ちていた。それにしても不思議だったのは、場内で「スター・ウォーズ」展が開かれていたこと。名古屋城とスター・ウォーズと、どんな関係が?

名古屋城のお堀は空堀。そこに菜の花が咲き乱れ、桜のピンク、緑の葉、菜の花の黄色の彩りが春の深まりを感じさせていた。

大阪に帰ってこのブログを書いていると、名古屋城天守閣を元の木造建築に復元する計画があると新聞に載っていた。老朽化した現在の天守閣を、コンクリートで補強してもその寿命は40年あまり。そうなら木造のほうが長持ちするということらしいが、どれくらいの予算が必要なのだろう。天守閣の石垣は国の特別記念史跡だから、ハードルは高そう。
桜満開の季節、気持ちは初夏の太陽へと向かう。