日本語表記の歴史 1

ある時、友人から「ハングルには日本語の『ん』にはないようだ」ということを聞いた。私はハングルには詳しくはないので、ハングルというよりも「日本語の『ん』はいつ頃からあるのだろう?」という疑問が先にわいてきた。

図書館で調べてみると、日本語の歴史に関してたくさんの本があることにびっくりした。左の本がそのうちの一つ。
山口謠司(やまぐち ようじ)さんの本が多く見つかった。

・日本人が忘れてしまった日本語の謎 (日文選書)
・「ひらがな」の誕生 (KADOKAWA )
・日本語の奇跡ー「あいうえと」と「いろは」の発明 (新潮社)
・日本語にとってカタカナとは何か (河出書房新書)
・てんてんー日本語究極の謎にせまる (角川選書)
・んー日本語最後の謎に挑む (新潮社)

こんなにまとまって日本語の歴史について本を読んだことはなかった。

これらの本を読んで、空海(弘法大師)の果たした役割がよくわかる。また漢字が伝わるまで、現在日本とよばれているところに住んでいた人たちが、自分たちの考えや気持ちを伝えるための文字がなかったこと、そして伝わってきた漢字を使いながら現在の日本語へと発展させていった、時間をかけたすごい努力に感心した。

左の本の「仮名の発生」という章が大変興味を引いた。

私達は(私だけかもしれないが)、「いつ、どこで、だれが」ひらがな・カタカナを発明したのだろう?と簡単に思いがちで、クイズの答えのように「はい、西暦〇〇年、〇〇県のどこそこの〇〇という人が作ったんですよ!」と回答があるだろうと思う。

ところがそんな命題は成立しないと強調されるのが左の本の著者の今野真二さん。

「誰が作ったのかという問いそのものが、仮に誰という答えを得たとしても、それが正解であると証明できない問いであることはいうまでもなく、また答えの推測もできないような問いであることは明らかなことだ。いったいどういうことがわかれば答えられるのだろうか。この問いは修辞的な問いとしてしかなりたたないのではないだろうか。・・・略・・・言語は一定の社会集団に共有されて使われる。だから言語に関して誰かが何かを決めるということはまず考えない。この語は誰が作ったのか、この漢字は誰が作ったかは、いずれの問いにも何らかの条件下でなければ問い自体が有効ではないし、もちろん答えを得ることは難しい。」

こんな調子で私の安易な考えを蹴飛ばしていく。

カタカナが漢字の一部からできていることは、小学校のときにならった。ほとんどの人がそうだと思う。
でもそれがどうしてわかるのか。どんな証拠があるのか。
そんな当たり前と思っていたことを丁寧にこの本は説明している。

「ウ冠の漢字はたくさんあるのに、なぜ『宇』とわかるのかといえば、『干』(宇という字のウ冠の下の文字のこと)という字形の片仮名の「ウ」があるからだ。これでもわかりにくい言い方かもしれない。
片仮名の「ウ」が書かれていることが予想される箇所に「干」と書いてあることがあるので、「干」もカタカタの「ウ」であることがわかる、ということだ。
「干」は単独でも「ウ」という発音をもっているが、「漢字の部分を採ったもの」が片仮名だから、「干」は部分でならなければならない。となると、「宇」から採られた、ということになる。
片仮名の「ウ」は、10世紀から12世紀頃までは、いかにも「宇」から採りました、という漢字で、3画目は短く書かれている。しかし室町以降は3画目が長くなっていることが指摘されている。」

上の「宇」から「ウ」までの字形の変化をみると、その事がよく分かる。(この字形の変化は、「見て読んでよくわかる! 日本語の歴史① 古代から平安時代 書き残された古代の日本語(筑摩書房)」から引用した。

このような「ひらがな、カタカナの五十音図」と「元の漢字」の表は、国語の教科書などにものっていたような気がするが、一つ一つ元の漢字を特定していく調査と証拠がためのために、何人もの研究者の努力があったとは、今まで気が付かなかった。

いわゆる「五十音図」とよばれるものは、平安時代に遡ることができるそうだが、私の小学校の教室に貼ってあったあの「五十音図」の歴史は新しいそうだ。「カタカタの五十音図」は明治30年(1900年)の文部省小学校令から、「ひらがなの50音図」は戦後になってから、昭和22年(1947年)からだとは知らなかった。
時代をさかのぼってもう少し調べてみたい。

 

 

 

 

はやぶさ2 リュウグウに到着

朝日新聞6月27日(水)の夕刊の一面。
トップに「はやぶさ2 リュウグウ着」の見出し。

6月27日午前9時35分、はやぶさ2がリュウグウ上空20キロの軌道で並走していることが確認されたそうだ。
これから約1年半の観測(その中には3回の着陸と試料採取がふくまれる)をし、2019年の11月から12月のあいだに地球に向けてリュウグウを出発。
約1年の飛行の後、2020年11月から12月に戻ってくるという。

上の写真は、2010年7月末に相模原のJAXAに行ったときに私が撮った「はやぶさ」の写真。もちろん原寸大の模型だが、これぐらいの大きさだった。
はやぶさ2はほぼ同じくらいの大きさ。

上の写真は2014年11月29日に大阪市の科学館に行ったときに撮ってもの。ちょうど「はやぶさ2」の企画展が行われていて、実物大の「はやぶさ2」の模型が設置されていた。

この写真は相模原のJAXAにある「はやぶさ2」の実物大モデル。
「はやぶさ2」がサンプル・リターンして地球に戻ってきたときには、この模型が大人気になるに違いない。

上の相模原の「はやぶさ2」の写真は、左の冊子から引用した。

表紙は2018年1月18日に内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられた「イプシロンロケット3号」の発射の瞬間の写真。
イプシロンロケットも,日本産のロケットとして活躍が期待されている固体ロケット。

この冊子には「はやぶさ2」のミッションマネージャーの吉川真(よしかわ まこと)さんが文章を寄せている。
今後の「はやぶさ2」のミッションのスケジュールが書かれていたのでここに引用させていただく。

6月21日〜7月5日までに「小惑星到着 高度20Km」となっているが、ここまでのミッションが終了した。
新聞やテレビ報道でも言っていたが、ここからが本番。
2年後に地球に帰ってくるまでの活躍に目がはなせない。

「はやぶさ2」についての詳しい情報は下記のJAXAのホームページに有るので参照されたい。

http://www.jaxa.jp/projects/sat/hayabusa2/pdf/sat33_fs_20.pdf

 

 

 

「オプションB」の出番だ! 

この本は新聞の本の紹介で知った本。

本の扉に次のような内容紹介が載せられている。

「だれであれ、『バラ色』だけの人生はありえない。
フェイスブックのCOOシェリル・サンドバーグは、休暇先で最愛の夫を突然失った。
友人で著名心理学者のアダム・グラントが教えてくれたのは、人生を打ち砕く経験から回復するための、具体的なステップがあるということだった。
回復する力(レジリエンスは、自分で鍛える事ができる力なのだ。
 人生の喪失や困難への向き合い方、逆境の乗り越え方を・・略・・著者は説く。」

図書館に予約してから半年近く待った本。それほど多くの人が読んでいる。私の予約のあとにも二十人近くの人が予約待ちをしている。

レジリエンスという言葉はきいたことがあったが、「回復する力」とは知らなかった。それを知っただけでも大きな成果。

目次と各章のはじめの言葉があればそれを紹介する。

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はじめに

1.もう一度息をつく
  「続けなくては行けない/続けられない/続けるのだーサミュエル・ベケット」

2.部屋の中のゾウを追い出す
   絵と「部屋の中のゾウ:だれもが見て見ぬふりをしている部屋」

3,友情のプラチナルール
   
4.自分への思いやりと自信ー自分と向き合う

5.逆境をバネに成長するー未来の自分が私をつかんでくれる
  「冬のさなかにようやく気がついた。
   私のなかにゆるぎない夏があるのだと。」ーアルベール・カミュ

6.喜びをとりもどす

7.”レジリエント”な子どもを育てる

8.一緒に強くなる
  「私たちはたがいにつながり合う網の目にからめとられ、
   運命という1枚の衣に織り込まれている。
   何かがひとりに直接影響を与えれば、
   間接的にほかの全員にも影響がおよぶのである」
         ーマーティン・ルーサー・キング・ジュニア

9.仕事での失敗と学び

10.もう一度、愛し笑う

ともにレジリエンスを育もう

謝辞、原注

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上の二枚の図は第2章にあったもの。
悲しくて辛い思いの人にはどう声をかければいいのだろう。だれしもが悩む問題。
悲しい話題に触れないように、辛い思いにならないように話題を選び、言葉を選ぶ。
でもそれが一番いい方法なのだろうか。
当事者が「聞いてほしい」「話題にしてほしい」と思っても、ないことのようにスルーしてしまうことが多いだろう。それがいいと思って。
 ここではゾウという例えでその問題を考えている。

「悲劇に見舞われると、人間同士の血の通ったやりとりがまわりから消えてしまう。体(てい)のいいありきたりの言葉ですまされてしまうのだ。では、『すべては起こるべくして起こったのよ』などの陳腐な言葉の代わりに、なんと声をかければよいのだろう?」と心理療法士のティム・ローレンスは問いかける。「一番よいのは相手の気持を理解し、そのまま受け止めることである。『おつらいですね、いつもそばにいますよ』と、文字どおりいうのだ」・・・・・双方から手をのばさなくてはいけない。まずはお互い思いやりを持って素直に話してみよう。念じるだけではゾウを追い払うことはできない。でも代わりにこう伝えればいい。『わかる。あたなが苦しんでいるのはわかる。あなたのことを気にかけているよ』と。」

これは第9章「仕事での失敗と学び」にあった写真。 ニューヨークの町中に最近設置されている黒板だそうだ。
「失敗した行動」ではなく、「行動しそこねたことへの後悔が大半を占めているそうだ。著者シェリエル・サンドバーグは「私もこどものころ、母によく諭された。『後悔は、やったことではなく、やらなかったことに対して感じるものよ」と。
と書いている。
 上の黒板には、「スポーツをあまりしなかった」「愛していると言わなかった」「連絡をとりあわなかった」「心を打ち明けなかった」「大学にいかなかった」「やりたいことをやらなかった」「もっとハグしなかった」などが書かれている。

左の図は第3章「プラチナルール」にでてくる図。

ユダヤ教の聖書には「自分が扱ってほしいように他人を扱いなさい」という黄金律(ゴールデンルール)があるそうだ。

著者は言う。
「だれかが苦しんでいるときには、ゴールデンルールより、プラチナルールに従うほうがよい。『他人が扱ってほしいように、他人を扱いなさい』。苦しんでいる人が発するサインを読み取り、おもいやりと、できれば行動をもって応じよう」

図は著者を中心にした「嘆きの序列」。「リングのどこにいる人も、内側の円に助けを差し伸べ、外側の円に助けを求めていい。自分より悲劇に近い人には支援を与え、多い人からは支援を受けられるのだ」とこの本に書いてある。

アメリカの本らしく研究とデータをもとに解決方法が経験をもとに書かれている。
たとえばストレスの実験としては古典的で有名なものらしいが(私はまったく知らなかった)、ランダムな間隔で騒音が発生している中でパズルを解くというのがある。
参加者はミスを連発し、心拍数と血圧があがる(ここまで測定しているのがアメリカらしいと私はおもってしまう)。このとき一部のグループに「騒音が不快になったらこのボタンを押すと音が止まる」と逃げ道を教える。予想通りこのグルーブは落ち着き、ミスが少なくなった。驚くべきことは、「ボタンを押した参加者は誰一人いなかった」ことである。
参加者は「騒音を止められる」という意識が違いをもたらしたのだ。「自分で状況をコントロールできる」という意識がストレスに耐える力を高めたのだと言う。

こういった実験例や研究成果が具体的にしめされて、「苦しんでいる人には『ボタンが必要だ』と示されると、説得力が増す。
「日本の子どもの6人に1人が貧困状態にある」、というデータも紹介されていた。それは第7章の「レジリエントな子どもを育もう」というなかでだ。

私が以前に読んだ自己啓発本とはまったく違った視点から書かれていて、勉強になることがたくさんあると感じた。翻訳も読みやすく、原文ではどのように書かれているのだろうと思うこともあった。

日本人にはない発想もあるが、心に止めておきたい本だと思った。
オプションAがだめなら、オプションBがあるじゃないか。なんならオプションCも発動させようか、ちょっと元気になる本だ。

 

 

 

分数の計算④

私たちの分数感覚 → 1/2 は 0.5 か?

私たちの「分数に対する感覚」を気づかせてくれるのがこの本。

左の「数量的な見方考え方」の著者板倉さんは次のように書いている。

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「・・・私たちは、学校で教わる算数とは別に、<現実の事物の数量的な問題をうまく取り上げるいろんな知恵>を身につけていることにも注意しなくてはいけないのではないだろうか」

「私たちは日常的によく『半分』という言葉を口にする。それなら、この『半分』というのは 『1/2 のことであるから、0.5 のことだ』と言っていいのかというと、そうではないだろう。
 もともと、現実の事物を数量的にとらえるときには、誤差がつきものであり、近似的にならざるを得ないことが多いものだが、 1/2 と 0.5 では誤差の幅がかなり変わってくるからである。
実際の場面で 1/2 といったとき、(場合にもよるが)それは『1とも0とも言い難い、その中間ぐらいというほかない』とか『1/3 ほど少なくはなく、2/3 ほど多くない』といったことを意味するであろう。
ところが、これが 0.5 となるとだいぶ話がちがってくる。あるものが 0.5 だというのは、『 0.40.6 よりも 0.5 に近い』ということを意味することになるからである。
つまり、
 1/2 ・・・・・0.3 〜 0.7 (または 0.4 〜 0.6 )
 0.5 ・・・・・0.45 〜 0.55 
というような誤差の範囲を許容しているとみるのが普通なのである。

 『ボイルの法則』を発見した英国のボイル(1627〜1691)の論文では目盛の読みが小数ではなく分数になっている。それをみてもこんな感じで読まれていることがわかる。

 しかし、小学校の算数ではもちろんこんな事柄はとりあげない。私だって『こういう問題をとりあげろ』というつもりはない。私はただ『私たちの日常用いている<半分とか 1/2 >というのは、1/2 = 0.5 と単純におきかえられるものでないことが多い』ということを指摘したいのである。

私たちは日常生活の中で、誤差や近似値のことを考えて、1/2 といったり0.5 といったりして分数と小数の使い分けているのであって、普通の算数における 1/2 = 0.5 よりもかなり高度なことをやっているのである。ところがそういうことに心しないで、ただやみくもに「 1/2 = 0.5 」を押し通すと、私たちの日常生活の中での「便利で(高級な)数量的な言葉の使い方の原理」が破壊されることになりかねない。そのことに注意してほしいのである。

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なるほど、日常生活で使われている数字の意味や、感覚を大事にしたいということ、日常の生活と結びついている算数や数学の学習の大事さがわかるような気がした。
しかしボイルの法則で知られているボイルの論文で、目盛の読みが分数になっていたなんて全く知らなかった。知っている人もきっと少ないに違いない。
板倉さんは「分数の計算ができない大学生」が話題になったとき、こんなことを書いている。読んで驚く人もいると思うし、顔をしかめる人もいるかもしれない。でも私は読んでいて、こういう視点は自分にはないものだから、知っておいたほうがいいなと思ってのでここに書いておくことにした。

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・・・今では大部分の人々が「中産階級的なかなりの余裕」をもって生きていくことができるようになりました。私たちの生活はそんなに大きく変化してきてたのです。ですから、当然、学校教育の内容も全面的に変えなければならないはずなのです。それなのに、その現実の変化に応じた教育の改革が遅れているのです。
 いまの教育は、あたかも「明治維新後になっても、子どもたちに「論語」などの四書五経の教育をおしつけているようなものと言っていいでしょう。小学校の高学年以降の教育内容を見てご覧なさい。それらの教育内容は、上級学校への受験のために役立っても、社会に出てからどれだけ役立つというのでしょうか。数学教育関係者の中には、「いまの大学生たちの中には分数の出来ない者もかなりいる」と嘆いたりしている人々がいます。しかし、そういう大学生にとって分数の計算がどれだけ役立つというのでしょうか。いままで当たり前として教えてきたことが受け付けられなくなったからと言って、それを嘆いても仕方がないのです。

 もちろん、分数の計算だって、一部の人々には役立つことがあるし、必要です。だからこそ、ごく一部のエリートだけが教育を受けた時代には、分数の計算も教えられてきたのです。しかし、いまのように、ほとんど全員が高等学校に通い、半分の子どもが大学に進学する時代には、その時代の変化にもっとマッチした教育内容を準備する必要があるのです。

「分数が出来なければ理工系の教育ができない」などという人がいます。しかし私は、「今日の電気の時代を切り開くのにもっとも重要な役割を果たした電気学者ファラデーや電気の発明家エジソンだって、分数の計算ができなかったことは事実だ」と思っています。新しい時代を開くには、もっと創造的な教育が必要なのです。
・・・・・中略・・・・
教育の内容と方法を全面的に改革すれば、かつてなかったようなレベルに教育を高めていくことができるのです。

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「ロボットは東大に入学できるか」というプロジェクトを立ち上げ、研究を進めていた新井紀子さんは、学生に「どうして私たちの仕事を奪うかもしれない人工知能(AI)の研究をするのですか?」と問われたとき、こう答えたそうだ。

 「私が研究をやめても世界の企業や研究者はAIの研究をやめはしない。
そうならば、AIの可能性と限界をきちんと見極め、対策を取ろうではないか。
AIには弱点がある。それは彼らが「まるで意味がわかっていない」ということだ。

 数学の問題を解いても、雑談につきあってくれても、珍しい白血病を言い当てても、意味はわかっていない。逆に言えば、意味を理解しなくてもできる仕事は遠からずAIに奪われる。」

(2016年11月朝日新聞より ゴチックは私が強調のためにした)

「ぶんすうのがくしゅうをして、分数の計算がわかってうれしい、と喜びがわきあがってきた、そのことの意味」
「どうしてだろう?と胸がざわざわするような好奇心の意味」
そんな「わくわくとドキドキ」、分数の学習にもそういったものがあれば「分数嫌い」や「勉強嫌い」はなくなるかもしれない。
そこに人工知能にはない「人間としての意味」があるのかもしれない。
 「分数ものさし」からとんでもない範囲にひろがってしまった。ゆっくりと考えていこう。

最後の写真は5月1日に種まきをした「藍」。 10日もすると二葉がプランター一面に出てきた。こういったときは、6割ぐらいの発芽率というのかな? それともまいた種の三分の二の発芽率といったほうがいいのかな?
今年も藍染を目ざして藍を育てていこう。

 

 

分数の計算③

分数の計算の仕方についていろんな本が出でいる。
左の本は「ドラえもんの算数おもしろ攻略」。その中の分数の掛け算と割り算をあつかったもの。

結構丁寧な説明がしてあり、「分割分数」や「量分数」・「単位分数」・「商分数」などの説明がある。
この本の説明は主に数直線と比例関係を使って説明している。

たとえば「花咲かじいさん」の世界に行くために、「つづきスプレー」をまいてお話の続きを見ようとする場面がある。

会話で説明が続く。

しずか 数直線を見ると ❏ ✕ 1/4=2/5 という式もできるわ。この式だと ❏=2/5÷1/4 というわり算の式になるわね。

スネ夫 2/5÷1/4の式の意味は、2/5平方メートを1/4デシリットルでわることだよね。吹き付けられた面積を液体の量でわることできるの?

ドラ 式の意味は、1/4デシリットルで2/5平方メートルに吹き付けることができる。1デシリットルでは何平方メートルふきつけられますかということ。 液体1/4デシリットルで2/5平方メートル。これを言葉の式に当てはめると、
(1デシリットルで吹き付けられる面積)✕(液体の量)=(吹き付けられる面積)だから
(1デシリットルで吹き付けられる面積)=(吹き付けられる面積)÷(液体の量)となるので 2/5÷1/4 という式になるんだ。

左のドラえもんたちの会話を受けて

ジャイアン 分母も分子もわりきれる分数になおすんだな。

分母と分子に4をかけて
分子=2✕4
分母=5✕4÷4
(2✕4)/(5✕4÷4)=8/5

しずか 分数÷分数の計算は、わる分数の分母と分子の逆数をかければ?

スネ夫 (分子/分母)÷(分子/分母)=(分子/分母)✕(分母/分子)
ってことだね!

*引用した漫画のような意見のだしあいによって、
分数÷分数の計算は逆数を使えば簡単に計算できることが説明されている。

ドラえもんは次のように、これまでの考えてきたことを整理している。

 

「数は生きている』ではどのような説明をしているだろうか。

分数の割り算といえば「分母と分子をひっくり返してかけ算にすればよい」ということだけが記憶に残っている。なぜそうなるのか、という説明が本によっていろんな工夫をしていることがわかる。

この本では先生と二人の子どもの対話で説明されている。
まず「水3/5リットルという量はどうやってつくったらいい?」からはじまっている。
詳しい説明は省いて、結果を書けば、

一つは「1リットルの水を5等分してそのうち3つをとる」方法。
式で書けば 3/5リットル=1リットル÷5✕3

もう一つは「3リットルの水を5等分する」方法。式で書けば
3リットル÷5=3/5リットル
この式は1リットルを3倍してから5で割ったものと同じだから
3/5リットル=1リットル✕3÷5 となる。
分数には2つの意味があり、それらは✕と÷の入れ替えに対応している、ことをまずおさえている。

ここで次のような問題がだされる。「10リットルの水を一人に2/3リットルずつ分けたら、何人に分けられるか?」

三郎 ここに10リットル分のタイルを書きます。2/3リットルずつ分けるのですから、全部のタイルを3等分します。この1−タイルを3等分したうちの2つ分をとればそれぞれ2/3リットルです。これが全部で15個とれます。 10リットル÷2/3リットル=15 で、15人にわけられます。

先生 全部のタイルを3等分したら、そのタイルはいくつ分に分かれた?

三郎 10個のタイルを3等分したから、10✕3で30個です。この3は分母の3ですね。次にこの30個の中に2個ずつの組が、いくつできるかを求めるんだから、2で割ればよい。
   10÷2/3=10✕3÷2

先生 もう一息だ。さっきやったろう。分数の2つの意味を。

三郎 あっ、そうか。「3をかけて2で割る」のは「2で割って3をかける」のと同じだったから、
   10÷2/3=10✕3÷2=10÷2✕3=10✕3/2
で、「分数で割るときは、ひっくり返してかける」ことになります。あぁ、わかった。

明子 わたしも、学校では先生にいわれたとおりに計算していたけれど、計算の意味なんて考えてもみませんでした。わけも考えると数学もおもしろいんですね。

*こんなふうに対談の中で、計算の意味、式の変形などに気がつくように工夫をして、読者に考えさせようとしている。

分数の割り算を考える時に、「線分図」「数直線」「テープ図」「タイル」「水そう」「折り紙」「ペンキで壁ぬり」など、いろんな場面や教具を考え、工夫をしている。

そのなかで私の興味を引いたのが右の本。

分数の計算の説明に、水槽を使ったり、数直線を使ったり、あるいは線分図、折り紙といろいろと使って、「分数の割り算はひっくり返してかける」を説明しているが、それ以外にもありますよ、という内容の本。その方法はこれまでの説明にもチラッとでているのだが、全面に出して紹介しているのが興味深かった。

たとえば次のような問題を考える。

「2と2/3mのテープがあります。3/4mずつ切ると何本とれますか?」

この本の図の説明は私にはわかりにくかったので、自分がわかるテープ図を使って説明してみよう。

計算式は(2と2/3m)÷3/4m であることは図よりわかる。
帯分数を繁分数になおして、8/3÷3/4 として考える。
分母が3と4なので通分して32/12÷9/12として考えることができる。
図には1mを12等分し、32/12,9/12を線分上に記している。

32/12は、1/12が32個ある(12✕2+8)。
9/12は、1/12が9個ある。
ということはこの分数の計算は、32÷9の計算と同じだといえる。
32÷9=3と5/9

つまり、(2と2/3)÷3/4=8/3÷3/4=32/12÷9/12は
     (32÷9と同じなので)=3と5/9

これを逆数を使ってひっくり返して計算する方法を使ってみると、

8/3÷3/4=8/3✕4/3=(8✕4)/(3✕3)=32/9=(3と5/9)

同じ結果になる。
作者は「このように通分して計算する方法もある。この方法は余りの計算も楽である」という。

たとえば、上の問題で「何m余りますか?」と聞かれたらどう答える?

両方ともに答えは「3と5/9」。この時の単位は本で、「3本と5/9本」という意味であり、5/9mではないことに注意しよう。

逆数を使った計算では、3/4mの5/9という意味であるので、
3/4✕5/9=15/36=5/12 と計算し、余りは5/12mとなる。

通分を使った計算では、32÷9=3余り5 となることから、
5というのは1/12が5個あるということだから、余りは5/12mとなる。
通分した分母の数(ここでは12)がそのまま余りの分母に使える。

一番最初に紹介した「分数ものさし」の方法は、分数を通分して、単位となる分数の数を数えているのでこの方法に近いと思う。

これまでいろいろと分数に関わる本を読んで考えてきたが、
分数の割り算は「ひっくり返してかける」方法だけではない。問題によればかけ算のほうが早い場合もある。考え方も水槽や折り紙や数直線やテープ図やいろんな考え方を使うことができる。「分数ものさし」もその中の一つの方法だ。
 この方法だけ、というただ一つのやり方に固執することはない。
というのが私の結論のようだ。