最近読んだ本

ぼくらの七日間戦争

この本は2018年開催された(今年のこと)、『小学生がえらぶ! ”こどのの本”総選挙』において8位にランクインされている。
そして小学校6年生の得票だけを見るとなんと、堂々の1位を獲得している本だ。
図書館で借りたきた右の文庫本の奥付を見ると、
昭和60年4月10日初版発行
平成25年9月10日旧版101版発行
平成26年6月25日改版初版発行
となっている。
101版!! 驚きの数字だ。
初版が発行されてから33年が経過しても小学生が圧倒的に支持している本がこれ。
小学6年生が読んでいる本で1位というのだからすごい。
30年以上前に書かれた本なのにだ。

今年の夏に、同じ職場だった30代の女性と会ったとき、この本のことが話題になった。
「宗田理さんの本でしょ(彼女は『そうだ おさむ』と正しく言った)。私小学校のときに全部読みました。まだ買ってなかった本は友達に借りて」とうれしそうに話してくれた。
本のあらすじや内容紹介はしないでおこう。
まだ読んだことない人は読んだほうがいいと思う。特に子どもがいる人、子どもの前に立つ機会が多い人、子どもに関係する仕事をしている人。必読の本だと思う。
昔子どもだったはずの私のような大人が、忘れていたことに気づかされる、そんなことが多い内容だ。

Masato

この本は2017年10月25日第一刷の新しい本。 妻の友達で、1日に2、3冊の本を読んでいる読書家がいる。その人からもらった本。 このときまでこの作者(岩城けい)の本のことは全く知らなかった。読んでみて、それがとてもおもしろかった。

裏表紙の紹介を引用すると、

「スシ! スシ! スシ!」 いじめっ子エイダンがまた絡んでくるー。親の仕事の都合でオーストラリアに移った少年・真人。言葉や文化の壁に衝突しては、悔しい思いをする毎日だ。それでも少しずつ自分の居場所を見出し、ある日、感じる。 「ぼくは、ここにいてもいいんだ」と。ところがそれは、母親との断絶のはじまりだった・・・。異国での少年と家族の成長を描いた第32回坪田譲治文学賞受賞作。

私は以前に日本にやってきた外国人の子どもが学ぶ日本語教室の参観に行ったことがある。中国、韓国、ブラジル、アジアだけではないヨーロッパから来た子どもたちもいる。仕事の関係で日本にやってきた家族の子どもたちが増えているそうだ。
日本にやってきた外国人の子どもたちの努力について考える機会だったが、その逆の外国に行って生活する子どもの葛藤や頑張りについては考えたことはなかった。
子どもの自立を願うのは親として当たり前だろうが、外国で生きる小学生の自立への戦い、考えされられることが多い。

さよならオレンジ と ジャパン・トリップ

上の2冊、「さようなら、オレンジ」と「ジャパン・トリップ」はどちらも岩城けいさんの本。「Masato」を読んだあと続けて図書館で借りて読んだ。
「Masato」がおもしろかったからだが、あとがきに金原瑞人さんが書いていたことに惹かれたこともある。

「著者の前作『さようなら、オレンジ』は、アフリカから難民としてオーストラリアにやってきた女性サリマと、日本から言語学者の夫についてオーストラリアにやってきた女性『私』の成長と精神的な自立をスリリングに描いた作品で、故郷を喪失したサリマと、異郷に住んでいることを強烈に意識している「私』との出会いと触れ合い、そして理解と共感へという展開が素晴らしい。・・・・(略)・・・・。」

私はサリマが自分の生い立ちを英語で綴り、子ども通う学校に行き「語る」という場面が強く心に残った。文章にする、文字で自分の思いを書く、その力は人の心を動かすと改めて思った。

「ジャパン・トリップ」についても金原瑞人さんは書いている。
「第三作『ジャパン・トリップ』はオーストラリアの小学生のグループが一週間ほど日本にやってくるという話だが、ここでも小学生の視点からの印象的な文章がちりばめられている。ぜひ読んでみてほしい。」

この言葉につられて私は読んでみた。確かに読んでよかった。
新しいスタイルの文章だと思う。
文字の力、文学の力にあらためて信頼をおくことができた本だった。

 

 

 

日本語表記の歴史 4

カタカナの誕生

漢字が日本列島に伝わったのは西暦300年〜400年ぐらいと推測されている。

604年 十七条の憲法
652年 最も古いと思われる万葉仮名を難波宮跡から発見
712年 古事記 太安万侶
717年 遣唐使 吉備真備
783年 万葉集 大伴家持
804年 空海が遣唐使として中国へ

漢字が伝来して数百年のあいだ、漢字をそのまま中国語読みすることからはじまり、音仮名、訓仮名へと利用の仕方が発展してきた。
平安時代になってから、漢文を読む工夫から「カタカナ」が作られ、使われるようになったと言われている。

奈良時代の人たちは漢文を読むために工夫を重ねた。 私達が漢文の勉強で習った「✓」や「一」「二」などの「返り点」を想像すれば良いとおもう。
日本語で使う「こと」「を」など補うために、「ヲコト点」というものを漢字の四隅に打って、それがわかるように工夫された。
さらに日本語の活用や活用語尾をあらわすのには、「ヲコト点」という記号だけではたらず、万葉仮名をつかうようになった。 しかし万葉仮名では字数が多すぎて書ききれない。そこから万葉仮名の一部を用いて済ませてはどうか、そういう方法があみだされたようだ。

上の写真は「成実論」(828年)といわれる仏教論書で使わている「カタカナ」の一例である。

 

カタカナを使って漢文を読むことがすすみ、漢字を書くときにカタカナも使った文書が発見されるようになる。

つまり文章全体を「漢字とカタカナ混じりで書く」という形態がでてきたのである。これが「漢字カタカナ混じり文」の誕生である。

左の「平家物語」も「漢字カタカタ混じり文」で書かれている。漢字と「カタカナ」の相性は言いようで、この書き方は公文書などに引き継がれれいく。

 

 

 

824年 「東大寺諷誦文稿(とうだいじふじゅもんこう)」 
      カタカタが使われた最も古い例と言われている。
828年 「成実論」 ヲコト点、カタカナが使われている。
835年  空海亡くなる
851年 「金剛般若経讃述」書き込みにカタカナが使われている宣命書きがある。

800年代、9世紀を通じてこの方式が広がり、宗派や僧侶によって違っていた「カタカナ」の字体表記も統一化の方向へをすすんでいったと考えられている。
しかし「万葉仮名」のくずし方、取り出し方は時代や人によってさまざまだった。

「あいうえお」などをあらわす「カタカナ」や「ひらかな」にはいろいろな書き方があったようだ。
その状態は明治になるまで続き、1900年の「小学校令施行規則」によって、現在使っている形に統一された。

カタカナがどの漢字から変化してつくられていったかについても諸説ある。

上の写真は「金田一先生と日本語を学ぼう2 文字のいろいろ(岩崎書店)」から引用したもの。

この写真は「光村の国語 広がる! 漢字の世界2 漢字が日本にやってきた!(光村教育図書)」からの引用。
この2つの表を見比べると、
カタカナの「二」の元字として「二」と「仁」、「マ」の元字としては「末」と「万」、「ン」の元字などに違いがあり、「カタカナ」の元になったという漢字も、このように諸説いろいろあることがよくわかる。

*今回のブログにはこの2冊の本を引用しながら説明をしてみた。

 

 

日本語表記の歴史 3

音仮名(おんがな)と訓仮名(くんがな)

漢字が伝わってきた当初は、日本列島の人たちも中国語で漢字を読んでいたのだろうと想像される。 中国からの渡来人たちが漢字の読み方や使い方を指導したのだろう。また代々そうした人たちが漢字を使い、時の権力者と共に漢字の文化を発展させていったのだろう。
そして漢字を中国語のまま読み・理解する段階から、漢字の「音」を日本語(大和言葉)に当てはめて使う方法が工夫されるようになる。

 漢字は「音」と「意味」がセットになっている、という性質がある。 古代の日本に住む人達はそんな漢字の「音」を利用して、日本の言葉(大和言葉)を書き表わそうと考えたに違いない。 また、漢字の意味と対応する日本語を結びつけ、たとえば「山」という漢字を日本語の「やま」とむすびつけて、「山」を「やま」と読むようになってきた。 「人」には「ひと」、「木」には「き」という読みがあたえられるようになっていったのだろう。このように漢字の意味に対応する和語を「訓」とよぶ。

漢字の「音」を利用して日本語の発音をしめすのが「音仮名(おんがな)」。
たとえば「奈久母(ナクモ→鳴くも)」は漢字の音を利用して大和言葉の「鳴くも」を漢字を使って表した例。

音仮名の例

阿(あ),伊(い),宇(う),麻(ま),左(さ),知(ち),之(し)

これにたいして訓を用いて日本語の発音を示した「名雲(なくも→鳴くも)」は、「訓仮名(くんがな)」とよばれる。

訓仮名の例

裳(くもだにも),夏樫なつかし),名束敷(なつかしき),奈都(なつかしき

「音仮名」「訓仮名」という漢字を利用して大和言葉・和語をあらわそうとした努力は大変なものだったに違いない。

万葉仮名

これら「音仮名」「訓仮名」を総称して「万葉仮名」とよぶ。
「万葉集(783年)」が書かれる以前から、「音仮名」「訓仮名」の用法はあったが、「万葉集」に多く使われているため、「万葉仮名」という言い方のほうが定着したようだ。
 前回書いた「古事記(712年)」には、漢文だけでなく「音仮名の部分」と「訓仮名の部分」があるという。
「古事記」はすべて漢字で書かれているので、どこで切れるのかわかりにくい。後世の注釈書には、「こここらは音でよむ」「ここからここまでは訓でよむ」という注釈が付けられているそうだ」。

上の和歌は、漢字の音だけを利用して日本語の歌を表している。 万葉仮名という手法はもともと中国にあった方法だった。例えばサンスクリット語のnaraka(地獄の意味)は、中国では「奈落」とかかれる。Sakyaは「釈迦」。このように外国語を表すとき、同音もしくは類似音の漢字で表したのである。今でもパリを「巴黎」(日本では巴里)、ニューヨークを「紐約」(日本では紐育)と書き表している。この方法が日本に伝わったに違いない。(この解説は、ちくま新書「日本語全史」沖森卓也著」による)。
「音仮名」や「訓仮名」を利用して、漢字ではあるが、日本語を発音そのままに書く努力がすすめられた。その顕著な例が「万葉集」だと言える。

万葉仮名の一例。万葉集からのもの。和歌も万葉仮名でしか書きあらわすことができない時代があった。

この後、漢文を読む工夫から「カタカナ」の創造、和歌を書くために万葉仮名からより優雅な字体への変化を求めて「ひらかな」の創造とつながっていったようだ。