春鹿で利き酒

奈良で利き酒を、というお誘いがあったので参加した。 生憎の雨、
興福寺の中金堂も雨の中でひっそりと佇んでいる。観光客も大変少ない。
奈良公園の鹿は、雨の中をゆっくりと歩いている。観光客が通ると鹿せんべいがもらえるのかとよってくる。鹿は雨は平気なのだろうか。かたまって座っている鹿たちもいる。雨宿りをしているふうでもない。自然の中にいるのと同じなのだろう。

奈良ホテルから少し歩いたところにある「春鹿醸造元」の看板が上がったお店、そこが「今西清兵衛商店」。

お店の中では、利き酒を楽しむ人達がいる。

500円で5種類の日本酒の利き酒ができる。

①純米生原酒超辛口
②純米吟醸生酒 
 新酒 しぼりばな
③本醸造 極味
④本醸造原酒 季節限定品
 新種 新走り一番
⑤純米吟醸活性にごり 
 季節限定新酒 しろみき

この5種類のお酒が500円で飲めるなんて、日本酒の好きな人にはたまらない企画だろうなあ。しかも利き酒の後は、グラスプレゼントと言うからさすが蔵元。

利き酒の後には、ここで漬けた奈良漬けが楽しめた。
奈良の味を本当に楽しめる、という趣向。

外国人の人も利き酒に来ていた。「ライスワイン」という言葉が耳に入った。

なるほど、お米のワインか。外国にはそんなふうに知られているのかと思った。

私は日本酒はだめなほうで、お正月にお屠蘇で飲むぐらいだ。しかしせっかく来たのだから、体験気分で飲んでみた。
超辛口というのはこんな味か。
これは宴会で飲むお酒に似ている。
甘口だな、このお酒は。
と味の違いがあることはよくわかった。
気分が悪くなることもなく、また利き酒の後に雨の中を歩いたが、悪酔いをしたという感じもなかった。
奈良市内の真ん中に、酒蔵があり利き酒ができるなんて全く知らなかった。
機会があれば、誘われればまた来ても良いな、と思った。

*春鹿のホームページを貼り付けて置く。

http://www.harushika.com/shopping/

 

日本語表記の歴史 6

濁音と濁点

万葉仮名には、左のように濁音を表す漢字が使われていた。

「が」なら、「賀」・「何」・「河」・「我」などの漢字が、

「ぞ」なら、「俗」

「ぢ」なら、「治」・「地」・「遅」・「尼」

「ぼ」なら「煩」と、

なるほどそういう漢字を使って「これは濁音です」とわかるようになっていたのだなあと納得できる。

では、「ひらがな」「カタカナ」の濁音を表す「濁点」はいつから使われるようになったのだろう。(上の表は「光村の国語 広がる! 漢字の世界2 漢字が日本にやってきた!」から)

平安時代ー濁音専用の「かな文字」がなかった

「見て読んでよくわかる! 日本語の歴史①」に、濁音についての説明があつた。

「現代では濁音であることを示すために静音の『か』『さ』などのかな文字の右肩にふたつの「’’」(濁点)を打ち、『が』『ざ』などと書きますが、平安時代にはひらがなにもカタカナにも、濁音をあらわすための文字はありませんでした。学問的な書物には濁音であることをしめす記号がありましたが、文学作品や手紙などでは濁音の指示はありませんでした。また、濁音も静音と同じ口の形で発音され、語と語と結びつくと、もとは静音だったのが濁音に発音される(連濁)こともあるので、現代のように濁音と静音はまったく異なる音だと区別して、意識されてはいなかったのではないかとも考えられます。
 いずれにしても、平安時代の人は、文章の中で濁音の指示がなくても文脈に沿って理解し、不自由しなかったものと思われます。
 かな文字に濁点を打って濁音を示す方法が普通の文章で用いられるようになったのは、江戸時代以降のことでした。公式の文書では、濁点を打たないで書くことが、明治時代まで続きました。」

とある。

左は源氏物語の「桐壺」の冒頭の部分。

「い徒連(いつれ)の御時にか女御更衣あま多佐ふらひ給てける中にいとやむことな起きはにはあらぬ可すく連て時めき給ありけり・・・」と書かれている。(専修大学 斎藤研究室のホームページより引用)

http://mojilabo.com/viewer/

万葉仮名と平仮名が使われている。平仮名の濁点はないことがわかる。

平安時代の人たちは、濁音・濁点がなくても前後から判断していたことがここで推測できる。

 

「日本語全史」(ちくま新書 沖森卓也著)によると、

「濁点は、漢文訓読もしくは学問の世界から社会一般に広がっていった。右肩に濁点が固定するのは15世紀後半以降のことで、17世紀初頭になると、その位置がほぼ定着するようになった。ただし、濁点は片仮名書きにはかなり忠実に付されるものの、平仮名に置いてはまだあまり普及していなかった。(P147)」

下の写真は、「下学集(かがくしゅう)」の一部。1444年(文安1)に成立した国語辞書。(「見て読んでよくわかる! 日本語の歴史②」筑摩書房より)
壬生(ミブ)櫛筍(クシゲ)など、片仮名に濁点が打たれているのがわかる。

下の写真は、1821年に刊行された「雅語譯解」。
平仮名に濁点がうたれているのがわかる。(「図説日本語の歴史」今野真二著 河出書房新社 より)

こうして濁音をあらわす仮名として、濁点がつけられていったことがわかる。

上の写真の左は「大日本帝国憲法」の一部、右は「日本国憲法」の一部。どちらもインターネットより引用したもの。
明治時代は漢字と片仮名が使われ、全文を見ると濁点もない。
日本国憲法は平仮名が使われ、濁点もある。

現在のように、法令文書などにも濁点が使われるようになったのは昭和になってからだと言われている。(昭和21年6月17日船「官庁用語を平易にする標準」の策定からだとされている。)
私達の使っている、平仮名中心の文であり、濁点が平仮名でも片仮名でもどちらでも使うようになったのは比較的新しいことがわかった。

 

 

 

 

 

 

 

別府駅近くの一等水準点

水準点めぐり 19

別府駅近くに一等水準点のマークを見つけた。 地図を見ると、どうも学校のようだ。 学校だとすると、大分駅のように地図にあっても実際には見つからない、という可能性は低い。 さっそく行って見ることにした。

門柱には「別府市総合教育センター」という看板がついている。

入り口を入ってすぐに「二宮金次郎像」があった。 やっぱりここは学校だったようだ。
地図を見ると運動場の端の方、塀に近いところのようだ。
妻が運動場を横切っている年配の人にたずねると、「三角点ですか? マニアですね。この辺にありましたよ」と案内してくれた。

何かの倉庫近くにあったのが「一等水準点」だった。

ここは予想通り小学校で、子どもの人数が減少してきたので、統合され、今は教育センターになっているそうだ。
三角点アプリでは「四等三角点」がこの学校にあると表示されるので、そのことを聞くと一緒にさがしてくださった。

アプリ上で三角点が表示されているのが、実際は学校の校舎と隣接する住宅のあいだ付近。
住宅まで一緒にさがしてくださったが、個人の住宅となると中まで入って調べることはできない。
左の写真の家と家の隙間から見えるのが、学校のグラウンドの金網。
アプリの地図は少し古いのかもしれない。住宅の開発が進むと、大分駅周辺の三角点のように、地図にはあっても実際には見つからないということがおきる。

「この近くの〇〇学校にも、三角点だか水準点がありますよ」と教えてくれたが、残念ながら時間がない。

おやすみなのに出勤ですか?と聞く。何か催し物が行われているようで、どうも所長さんらしい。 
わざわざありがとうございます、とお礼を言って別府タワーに向かう。

大阪に帰ってから国土地理院のホームページを調べてみると、この水準点の写真が登録されていた。それが上の二枚の写真。
熊本地震の後の地面の変化を調べていたのだ。
こんなふうにして、水準点が利用されていることがよくわかるという、貴重な写真だ。学校の中にあるからこそ、大事にされているという例だと思う。