南総里見八犬伝を英語で・番外編

上の写真が原作の見開きである。 少し拡大してみよう。

原本を活字にしたのが右のもの。 こうして見比べると、漢字が多いが殆どの漢字にルビがうたれている。

句読点の使い方も今と違っている。読点になるところを句点が使われている。現在のような句読点の使われ方になったのは、明治になってからのようだ:

江戸時代は木版だったから、これを彫る職人は大変だったろうし、その技術はすごいとしか私は言えない。

さて、曲亭馬琴が高齢になって、目が見えなくなった時、息子や息子の妻が代筆をしたことはよく知られている。
曲亭馬琴が口述したことを毛筆で書き写すわけだが、その苦労は大変だったろうと想像できる。
左のような漢字ばっかりの文章を、曲亭馬琴が考えている漢字で書くわけだから、一字一字それを確かめ、確かめ筆で書く。一人で書く場合の何倍もの時間がかかったことは容易に想像できる。

曲亭馬琴の息子は38歳の若さで死んでしまう。
息子の妻は路(みち)といい、この時30歳だった。馬琴の視力低下がすすみ、路が35歳のときに口述筆記をはじめるようになった。

口述筆記をした路(みち)について知りたくなったので、最近の本を探してみた。

 

左の西條奈加の「曲亭の家」は、路の伝記のような内容である。 したたかに生きてきた路の様子が目に浮かんでくるように書かれている。
右の「大塚ひかりの『くそじじいとくそばばあの日本史』」は老人たちのパワフルな生き方が紹介されている。そのなかに曲亭馬琴と路のことが書かれている。

「文字を知らなかった路」とか「教えるのに苦労した曲亭馬琴はえらい」などというイメージが先行しているが、実はそうではない。そういうことがこの2冊からわかってくる。
ネットで調べてみると、放送大学(ラジオ)の「特別講義 人文科学11」で、「八犬伝を読むー文学史上の位置づけ」(平成16年度第1学期)という資料があった。
そのなかから路のことを抜き出してみる。

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もう1つ大切なのは、『八犬伝』のテキストに〈馬琴自身の物語〉を埋め込んでいる点です。執筆上の苦労や問題について、実に饒舌に舞台裏を語っているかに見えます。その最たるものが「回外剰筆」と名付けられた最後の1冊です。そこでは、お路に口述筆記をさせるのが如何に大変であったかを大袈裟に書き記しています。どうもそれが「江戸時代の漢字を知らない女に偏旁を教えながらの続稿は如何に大変だったか」と云う逸話として1人歩きしてしまったようです。岩波文庫本で云えば10冊目の22ページ5行目あたりなのですが、9輯巻46第177回半ばが、馬琴が筆記を断念したところで、其処からお路が書き継いだわけです。丁度この部分を含む自筆稿本が早稲田大学図書館に所蔵されており、多くの本や図録に図版として紹介されています。右半丁は筆もかすれ罫線からはみ出した目の見えない馬琴のにじり書きで、左の半丁はお路の整然とした文字が確かな筆運びで書かれています。何処から見ても「漢字を知らない女」の書いたものとは見えません。つまり『八犬伝』と云うテキストは、その執筆状況すらも物語化した文脈を孕んだテキストなのです。

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西條奈加の「曲亭の家」に、このあたりのことが書かれている。

「回外剰筆(かいがいじょうひつ)を書くことにした」と、馬琴は達した。
要はあとがきである。このあとがきが、また長い。最終巻たる巻53下のまるまる一冊を使って、執筆に当たった28年間の、馬琴と滝沢家の実情をかなり赤裸々に明かしている。
代筆を行ったお路も登場するのだが、案外なほどひどい言われようだ。
『一字毎に字を教え、一句毎に仮名遣いをおしゆるに、婦人(おうな)は普通の俗字たるも知るは稀(まれ)にて、漢字雅言(かんじがげん)を知らず、仮名遣いてにをはさえも辨(わきま)へず、偏(へん)つくりすらこころ得ざるに』
『お舅(とう)さま、不束か(ふつつか)は承知しておりますが、さすがにあまりに・・・』
この一文を書き取っているのも、もちろんお路である。たまりかねて途中で文句を挟むと、まあ、待て、と馬琴は身振りで留める。
『ここで大げさに落としておけば、後でもち上げた折にいっそう盛り上がるのだ。おまえの忍耐や努めようは、後文で叙するつもりであるからな』
あとがきすら、馬琴にとっては戯作なのである。・・・」

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自分の悪口を書き取っていくお路の心中はいかに、というところ。この「曲亭の家」を読んでいると、お路の不屈の精神が感じられる。

ところで、路は滝沢馬琴の弟子として曲亭琴童(きょくていきんどう)という名前ももっている。「曲亭の家」によると、「仮名読八犬伝」(挿絵を多くし仮名で読みやすくした本)を版元と協力しながらおよそ20年にわたって書き続けたという。
曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」を語る時、路の名前を忘れてはいけないと思う。
妻として、母として、女性として生きてきた路のことをもっと多くの人が知るべきだし、正当に評価していかなくてはいけない。そんなことを学んだ南総里見八犬伝であるし、Enjoy Simple English だった。

 

 

 

 

南総里見八犬伝を英語で1

8月のEnjoy Simple English は曲亭馬琴の名作「南総里見八犬伝」を4回にまとめたもの。
滝沢馬琴ともいわれるが、作家としては曲亭馬琴というのが正しい言い方だそうだ。それはたとえば夏目漱石の本名は夏目金之助だが、作家としては夏目漱石という言い方が正しい、というのと同じだという説明を読んだ。

南総里見八犬伝はそれは大作で、98巻106冊、28年がかりの長編と言われているもの。その長編大作を4週にわたって英語で内容を紹介している。

私も全巻を読んだことがないので、現代語に訳されているものを読みながら、紹介していきたい。

「里見八犬伝」の現代語訳は沢山出版されている。漫画もあるので、それで内容をざっとつかんで現代語訳の本を見ていくことにした。私がおもに参考にしたのは、左の「栗本薫の里見八犬伝」(講談社)。
全訳ではないが、前半の犬飼新兵衛の登場までが詳しく書かれていて、その後の展開も要領よくまとめられていると私には思えた。

さて物語の背景は室町時代、安房国(あわのくにー現在の千葉県あたり)での出来事。
「あわのくに」というと、私は四国の「阿波の国」を連想したが、歴史的にも関係がある。諸説あるそうだが、四国で粟(あわ)を栽培していたのが忌部氏。平安時代に肥沃な土地を求めて現在の千葉県付近にやってきた忌部氏の一部が移り住み、安房国(あわのくに)と名づけたという説がよく知られているそうだ。

Narration:   I am going to tell you a story from the Muromachi period.
At that time, Satomi Yoshizane was the leader of Awa Province.
Today, that area is part of Chiba Prefecture.
Yoshizane had one daughter and one son.
His 16-year-old daughter Fuse-hime was beautiful like a flower.

この物語の背景を説明しておいたほうがわかりやすいと思うので、簡単に書いておこう。

「伏姫が生まれる十数年前、安房国は2つに分かれていた。
北の滝田城の城主は、側室であった玉梓(たまずさ)と家来に裏切られて暗殺される。Enjoy Simple English に登場する里見義実(さとみよしざね)が民と力を合わせて滝田城を奪い返した。
義実は玉梓を処刑しようとしたが、玉梓の甘言にのせられて処刑を取り消す。しかしその時部下の金碗八郎(かなまりはちろう)が、玉梓こそが事件の元凶と訴える。義実もそれを受け入れて再び玉梓の処刑を決定する。
その時、玉梓は「一度は助けると言ったではないか。このうらみ忘れるものか」と里見家をたたり続けると呪いをかけて処刑される。

安房国の滝田城主となった義実に二人の子どもができる。そのうちのひとりが伏姫であった。」

Yoshizane;   My dear Fuse-hime, I’m so glad you have grown into a beautiful woman.
You were weak when you were samll.
One day, a mysterious old man saw you and said…

Olde man; This child was born under an unfortunate star.

Yoshizane; So he  gave you a special charm to protect you.
That’s your crystal-ball necklace.
The you suddenly became healthy.
Eight of the balls on your necklace have Cinese characters on them.
They are “jin,” “gi,” “rei,” “chi,” “chu,” “shin,” “ko,” and “rei.”
The characters show eight important characteristics of a person.

「長女の伏姫は三歳になってもものが言えなかった。役行者を祀った神社に祈願に出ると、役行者の化身と思われる老人から護身用の数珠をもらう。
老人は、伏姫には霊の祟りがついているが、それはのちには福に転ずることを伝える。その数珠が、crystal-ball necklace である。
最初のページの挿絵にその数珠がかかれている。

仁義礼智忠信孝悌(じん・ぎ・れい・ち・ちゅう・しん・こう・てい)の有名な言葉がここに登場する。

 

 

 

 

 

文楽 夏祭浪速鑑


久しぶりに文楽を見に行くことが出来た。
初日に行けるとは思っていなかった。

夏休み文楽特別講演。
第3部サマーレイトショーとしてその
演目は、
夏祭浪速鑑(なつまつりなにわのかがみ)
住吉鳥居前の段
釣船三婦内の段
長町裏の段

夏祭浪速鑑は歌舞伎でもみたことのある演目。人形浄瑠璃となるとどのようになるのだろうか、と興味があった。
そのストーリーは、国立文楽劇場のホームページより引用すると、

「・・・とりあえず、『夏祭』のあらすじをば。ちょっと訳ありで、玉島磯之丞とその恋人である傾城琴浦は、団七九郎兵衛の計らいをもって釣船三婦の家で過ごしていました。団七の義父・三河屋義平次は、金を目当てに、ウソをついて、その家から琴浦をかどわかします。しかし、磯之丞の父に恩義のある団七は、義平次を謀って、琴浦を取り戻します。どう考えても義平次が悪いのですが、騙されて金を取り損ねたとわかった義平次は、みなしごから育ててやったのに恩知らずな奴めが、などと団七をなじりまくるのです。そして、いよいよ我慢ならなくなった団七が義平次を殺してしまう、というストーリーであります。」

いわゆる舅殺しの物語。

主人公の団七は入れ墨をしている。それは歌舞伎から取り入れられたといわれている。 初演は文楽が先で、翌月には歌舞伎に移される。文化文政期の三代目中村歌右衛門が入れ墨を入れて演じたものが大評判となり、それが文楽にも移入されたそうだ。

上の写真はプログラムからの引用。「文楽人形の丸胴」の説明に、入れ墨の団七の丸胴が使われている。全身の入れ墨姿の団七が見得を切ると、それは迫力がある。
団七と舅の義平次との争いは、途中からお囃子のみで大夫の語りは一切ない。
緊張する殺陣が長い時間続く。
途中から人形使いの吉田玉男さんの姿が消えてしまう、義平次の吉田玉士さんの姿も消える。いわゆる人形が意思を持って動いているように見える瞬間だ。
「悪い人でも舅は親」というセリフで終わるが、この団七の行末はどうなるのだろうかと気になる演目。
歌舞伎でも見ているが、人形浄瑠璃のほうが私には印象深かった。
「女殺し油の地獄」では文楽を先に見て、そのあと歌舞伎で見たが、そのときもそう思った。
歌舞伎の役者さんの演技はそれは素晴らしいものだが、人形のほうが私には響いた。

劇場内には大きなマスクをした人形。

客席は中央寄りに座席が指定されているようで、定員の50%にしているように思える。歌舞伎と比べてみると、見に来る人は男性の方が多いように思える。歌舞伎には和服姿の女性も目につくが、文楽はおじさんの姿のほうが目につく。18時開演、20時終了だから外に出るとレストランは閉まっている。
シャツターをおろしている店も多い。

文楽に来た人の夕食はどうしたのだろう。先に食べてきているのかも知れない。中の食堂・喫茶は休憩所になっている。持参の食べ物はそこで食べるようになっている。

入り口のチケットは、歌舞伎の時と同じ様に自分でちぎって指定された箱に入れる。コロナの影響はまだまだ続く。しかし歌舞伎や文楽と伝統芸能が鑑賞できるようになってきたのはうれしい。

なんばの駅までの通路の壁に、文楽のポスターが何種類も貼ってある。

Welcome to the world of Bunraku

そう、文楽、この良きもの。大阪に生まれて文楽に親しめることの嬉しさを感じた日だった。