古事記を英語で読む2

伊邪那岐と伊邪那美 イザナキとイザナミ

The other gods told Izanaki and Izanami to make the land below the sky into something wonderful.
They gave the two gods a beautiful spear. Izanaki and Izanami took the spear and put it into the ocean that held the soft, unshaped Land.
They mixed the water and land around and around.
When they took the spear out, some of the water dripped down and created an island called Onogoro.
Izanaki and Izanami went down onto the island, got married and made many more islands.
First came Awaji Island, then Shikoku.
Oki, Kyushu, Iki, Tsusima, Sado and Honoshu were next. This is How the eight islands of Japan were created. 

 

天の沼矛(あまのぬぼこ)で海をかきまぜて、矛からポタポタとおちてできた島がオノコロ島というのは有名な話。
この島が現在のどの島に当たるのかは諸説あって確定されていない。淡路島周辺の島であったのではないか、というのが有力らしい。

淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、佐渡ヶ島、最後に大倭豊秋津島(おおやまとよあきつしま)とよばれる本州がうまれた。
島の大きさや大和朝廷のあった奈良からの距離を考えると、なんとなく不思議な順序だなあと思ってしまう。

After Izanaki and Izanami created the islands, they started to make many gods.
Together they created the gods of houses, water, wids and many more.
The two made 35 gods in total.
The last god was the god of fire.

35の神々の誕生。いったいどんな神たちなのだろうか。
橋本治さんの「古事記」からその部分を抜書きしてみると、

「まず伊邪那岐命のお生みになったのは、オオコトオシオの神という男性の神です。これは『これから大きなことをがんばって始めるぞ』ということを表す神で、『大事忍男』と記します。・・・次に伊邪那岐命がお生みになったのは、大切な家の土台を作る石と土の神でした。・・・門の神屋根の神大きな建物の神風に耐える住居の神・・・家の神々が生まれた後には、海の神、・・・河が海へと流れ入る河口にできる港のそのうちの河の方面を守る神海の方面を守る神、・・・港の河口には水面を静かにする神みずのあぶくをおさえる神、・・・波たちさわぐ水面の神潮のあぶくを生み出す神が生まれました。水の神はそのほかには、人々に生活の水をあたえる神が四柱生まれています。
水の神の次には、風の神、その次には木の神、その次には山の神野の神が生まれます。・・・人が暮らすための土地の神野山にたちこめる霧の神暗い谷間の神と、自然の中で人を迷わせる神が生まれ、船の神食物の神が生まれました。・・・
・・・たいへんなことが起こりました。火の神をお生みになった伊耶那美命(イザナミノミコト)が、火の神の炎に焼かれて、大やけどをしてしまったのです。」

数えていくと火の神をいれても35にはならない。
こうの史代さんのマンガに出てくる神々をかぞえても35にはならない。
里中満智子さんのマンガには神々の数は具体的には書かれていなかった。
伊耶那美命が亡くなるときに生まれた神々もいるので、その神々を加えて数えると今度は35をこえてしまう。

ネットで調べてみると、この35という数は、誰と誰と誰というふうには特定できていないようだ。
「國學院大學の古事記学センター」というホームページにその解説が載っていた。

http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/%E4%BC%8A%E8%80%B6%E9%82%A3%E7%BE%8E%E3%81%AE%E7%A5%9E%E9%81%BF%E3%82%8A/

本居宣長もその論者の一人なぐらいに、古くから論議されているようだ。
私にはとても「このように考える」なんて言えないので、ここは「古事記には35柱の神々が生まれたと書かれている」というところで理解しておこう。

さて、この火の神(火之夜芸速男神−ヒノヤギハヤオノカミ、またの名をヒノカガビコノカミ,またはヒノカグツチノカミ)の誕生によって伊耶那美命(イザナミノミコト)に生死の危機がやってくる。その時、伊邪那岐命(イザナキノミコト)は・・・次回に続く

 

 

 

春鹿で利き酒

奈良で利き酒を、というお誘いがあったので参加した。 生憎の雨、
興福寺の中金堂も雨の中でひっそりと佇んでいる。観光客も大変少ない。
奈良公園の鹿は、雨の中をゆっくりと歩いている。観光客が通ると鹿せんべいがもらえるのかとよってくる。鹿は雨は平気なのだろうか。かたまって座っている鹿たちもいる。雨宿りをしているふうでもない。自然の中にいるのと同じなのだろう。

奈良ホテルから少し歩いたところにある「春鹿醸造元」の看板が上がったお店、そこが「今西清兵衛商店」。

お店の中では、利き酒を楽しむ人達がいる。

500円で5種類の日本酒の利き酒ができる。

①純米生原酒超辛口
②純米吟醸生酒 
 新酒 しぼりばな
③本醸造 極味
④本醸造原酒 季節限定品
 新種 新走り一番
⑤純米吟醸活性にごり 
 季節限定新酒 しろみき

この5種類のお酒が500円で飲めるなんて、日本酒の好きな人にはたまらない企画だろうなあ。しかも利き酒の後は、グラスプレゼントと言うからさすが蔵元。

利き酒の後には、ここで漬けた奈良漬けが楽しめた。
奈良の味を本当に楽しめる、という趣向。

外国人の人も利き酒に来ていた。「ライスワイン」という言葉が耳に入った。

なるほど、お米のワインか。外国にはそんなふうに知られているのかと思った。

私は日本酒はだめなほうで、お正月にお屠蘇で飲むぐらいだ。しかしせっかく来たのだから、体験気分で飲んでみた。
超辛口というのはこんな味か。
これは宴会で飲むお酒に似ている。
甘口だな、このお酒は。
と味の違いがあることはよくわかった。
気分が悪くなることもなく、また利き酒の後に雨の中を歩いたが、悪酔いをしたという感じもなかった。
奈良市内の真ん中に、酒蔵があり利き酒ができるなんて全く知らなかった。
機会があれば、誘われればまた来ても良いな、と思った。

*春鹿のホームページを貼り付けて置く。

http://www.harushika.com/shopping/

 

日本語表記の歴史 6

濁音と濁点

万葉仮名には、左のように濁音を表す漢字が使われていた。

「が」なら、「賀」・「何」・「河」・「我」などの漢字が、

「ぞ」なら、「俗」

「ぢ」なら、「治」・「地」・「遅」・「尼」

「ぼ」なら「煩」と、

なるほどそういう漢字を使って「これは濁音です」とわかるようになっていたのだなあと納得できる。

では、「ひらがな」「カタカナ」の濁音を表す「濁点」はいつから使われるようになったのだろう。(上の表は「光村の国語 広がる! 漢字の世界2 漢字が日本にやってきた!」から)

平安時代ー濁音専用の「かな文字」がなかった

「見て読んでよくわかる! 日本語の歴史①」に、濁音についての説明があつた。

「現代では濁音であることを示すために静音の『か』『さ』などのかな文字の右肩にふたつの「’’」(濁点)を打ち、『が』『ざ』などと書きますが、平安時代にはひらがなにもカタカナにも、濁音をあらわすための文字はありませんでした。学問的な書物には濁音であることをしめす記号がありましたが、文学作品や手紙などでは濁音の指示はありませんでした。また、濁音も静音と同じ口の形で発音され、語と語と結びつくと、もとは静音だったのが濁音に発音される(連濁)こともあるので、現代のように濁音と静音はまったく異なる音だと区別して、意識されてはいなかったのではないかとも考えられます。
 いずれにしても、平安時代の人は、文章の中で濁音の指示がなくても文脈に沿って理解し、不自由しなかったものと思われます。
 かな文字に濁点を打って濁音を示す方法が普通の文章で用いられるようになったのは、江戸時代以降のことでした。公式の文書では、濁点を打たないで書くことが、明治時代まで続きました。」

とある。

左は源氏物語の「桐壺」の冒頭の部分。

「い徒連(いつれ)の御時にか女御更衣あま多佐ふらひ給てける中にいとやむことな起きはにはあらぬ可すく連て時めき給ありけり・・・」と書かれている。(専修大学 斎藤研究室のホームページより引用)

http://mojilabo.com/viewer/

万葉仮名と平仮名が使われている。平仮名の濁点はないことがわかる。

平安時代の人たちは、濁音・濁点がなくても前後から判断していたことがここで推測できる。

 

「日本語全史」(ちくま新書 沖森卓也著)によると、

「濁点は、漢文訓読もしくは学問の世界から社会一般に広がっていった。右肩に濁点が固定するのは15世紀後半以降のことで、17世紀初頭になると、その位置がほぼ定着するようになった。ただし、濁点は片仮名書きにはかなり忠実に付されるものの、平仮名に置いてはまだあまり普及していなかった。(P147)」

下の写真は、「下学集(かがくしゅう)」の一部。1444年(文安1)に成立した国語辞書。(「見て読んでよくわかる! 日本語の歴史②」筑摩書房より)
壬生(ミブ)櫛筍(クシゲ)など、片仮名に濁点が打たれているのがわかる。

下の写真は、1821年に刊行された「雅語譯解」。
平仮名に濁点がうたれているのがわかる。(「図説日本語の歴史」今野真二著 河出書房新社 より)

こうして濁音をあらわす仮名として、濁点がつけられていったことがわかる。

上の写真の左は「大日本帝国憲法」の一部、右は「日本国憲法」の一部。どちらもインターネットより引用したもの。
明治時代は漢字と片仮名が使われ、全文を見ると濁点もない。
日本国憲法は平仮名が使われ、濁点もある。

現在のように、法令文書などにも濁点が使われるようになったのは昭和になってからだと言われている。(昭和21年6月17日船「官庁用語を平易にする標準」の策定からだとされている。)
私達の使っている、平仮名中心の文であり、濁点が平仮名でも片仮名でもどちらでも使うようになったのは比較的新しいことがわかった。