京都のみたらし団子は5個

雨の八坂神社。雨ともいえど観光客は多い。 八代目儀兵衛で食事をしたあと八坂神社にお参りした。 ここにお参りに来るのは3年か4年ぶり。

雨の中でも参拝客は多い。 せっかくなのでおみくじを引くことにした。
ここのおみくじは、写真に写っているように、テントにおみくじの箱がおいてあり、そこで番号のついた棒を引き、その番号を係の人に伝えて(代金を添えて)、おみくじの札を出してもらうシステム。
前からなのか、最近のやり方なのかよくわからない。しかしこんな方法は私は初めてだった。

見よ! 第4番凶 ではないか!!
「山よりもこなたにとまるからす羽に 神のそのふははやくれにけり」
 夕べとなれば日の暮れるは常。また朝となれば日が昇るも常。明けぬ夜は無し。
    心穏やかに神に祈りて、静かに朝をまつべし。
 願望 叶う後慎まなければ破れることあり

久々の凶だった。
今宮戎でも凶ではなかった。
安倍晴明神社でも凶ではなかった。
今年は春から縁起がいいわい、と思っていたら京の八坂神社で凶か。
さて残るはあびこ観音だが。これも楽しみだ。

えべっさんつながりで、祇園えべっさんの「蛭子神社」にもお参りを。

以前にブログにも書いたが、大阪の今宮戎とここの蛭子神社=祇園えべっさんとは大いに関係がある。
八坂神社のホームページに次のような記載がある。

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祇園さんの蛭子社は「えべっさん」の原点

「商売繁昌で笹もってこい!」のかけ声でおなじみの「えびす信仰」は、日本各地に拡がっています。その「えべっさん」が、八坂神社の境内にいらっしゃるのをご存じですか? 全国的に名の知られた大阪の今宮戎神社のえべっさんは、八坂神社の氏子が今宮に移り住んだとき、祇園の「えべっさん」をその地にお祀りしたことに始まります。
そのご縁から、今宮戎神社からは毎年、祇園祭の折りには幣帛を、大晦日には鯛をご奉納いただきます。
八坂神社からは1月8日に、今宮戎神社の十日戎に先だっての献茶祭に神水を持参してお供えします。

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今宮戎神社のウィキペディアにも次のような記載がある。

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また、京都市東山区八坂神社は当社の起源を、八坂神社境内社の蛭子社(北向蛭子)を分祀し、八坂神社の氏子が今宮に移り住み、現在の地に祀ったことに始まるとしている。その縁起から、双方の神社は交流を続けている。1月8日の献茶祭では、八坂神社御神水奉納式が実施される。

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ところで私達が八代目儀兵衛の店を出て、八坂神社の門をくぐったが、これは正門じゃない、という話を聞いたことを思い出した。
そういえばこの門から本殿に歩いていったが、この道から到着した本殿は正面になかった。本殿は南を向いている。私達の入った門は西にある。
ということで、八坂神社の正門は南の門だったのだ。
京阪祇園四条駅から真っすぐにある西門が、八坂神社の正門だとつい思ってしまう。

ありました。 やっと発見した。
京都に来た目的は「八代目儀兵衛でランチを食べること」と「京都のみたらし団子の個数調べること」だ。

以前読んだ本で、地域によって違うものを調べているものがあった。
そこでずって気になっていたのが「みたらし団子」
大阪のみたらし団子は4個がふつう。しかし京都のみたらし団子は5個という。

八代目儀兵衛と同じで、これも何年か前から思っていたこと。京都に行く機会があれば調べてみようと。
写真のように5個だった。記念に2本買って店内でいただいた。

長年の希望がかなった京都での旅だった。

 

 

 

八代目儀兵衛

京のおこげ

ここは京都の八坂神社のそばにある京の米料亭『八代目儀兵衛』というお店。

以前に内祝いとしてここのお米のセットを頂いたことがある。
「八代目儀兵衛」という印象に残る屋号と、美味しい白ごはんがたきあがったので、いつか機会を見てこのお店で食べてみたいと思っていた。

ネットで見るとランチの予約がずっと埋まっていたので、そのままになっていた。

娘が友達とここで夕食を食べて期待通りに美味しかったと言うので、ランチのネット予約をしてもらった。それは昨年のことになる。2,3ヶ月まちは当たり前のようだ。

お昼のランチは11時から。15分ぐらい前に来るともう人が並んでいる。
お店の前には名前を書く用紙が置かれている。どうしょう?書いたほうがいいのかな?と思いながら用紙を見ると、もう名前が書かれていた。予約した人はお店の人が先に記入していたのだ。
10分前から名前の確認をし、いる人たちにメニューを配り注文を受けていた。

二階に案内される。カウンター席と、テーブル席が二つほど。一階はカウンター席だけだと思う。 窓から八坂神社がよく見える。
あいにくの雨だが、雨の京都も風情がある。

わたしたちが注文したのは「儀兵衛の銀シャリ三色御膳」。数量限定というのだから注文しなくては、という感じでお願いした。
店員さんの許可を得て写真をとる。
このランチの内容はお店の案内を見ると、「京のくみ上げ湯葉と季節のお造り、大海老とお野菜の揚げたての天ぷら、旬の焼き魚が並んだ贅沢な御膳です。」とある。

確かにご飯は美味しい。久々に美味しいお米のご飯を食べた。
難波や心斎橋にも、お米を売り物にしているお店が増えてきた。全部のお店のお米を食べてきたわけではないが、本当に八代目儀兵衛の白ごはんは美味しいと思った。

追加で卵を頼んで、卵かけご飯も食べてみた。 盛り上がった黄身で、見た目も満足。もちろん味も満足だった。 ここはおかわりが自由で、何回かおかわりのご注文は?と店員さんが来る。 私はもう十分とことわると、「おこげはいかがですか?」とおすすめされる。「おこげ?」それはメニューにも私の見たパンフにもなかったようで面白そうなので注文すると、たしかにおこげだった。上の写真の右がそれ。
パリパリと、あごの運動になる。おこげもここの隠れメニューだったのだ。

無水鍋でおこげチャレンジ

家に帰って「おこげのご飯」を作ってみようと思った。

八代目儀兵衛で買った2合のお米。
これを美味しく食べるためには、やっぱり無水鍋に限る(と思う)。

やるからには八代目儀兵衛のお米を使ってと、左の2合入りのお米を使った。

手順は無水鍋での炊き方を参考にした。

まずお米を手早く洗ってざるにあげておく。この時間は約30分。

30分後の米の重さを測る。これは水の量を決めるため。 洗ってザルに入れた米の量の1割増しから2割増しの水を入れる、というのがセオリー。 私は2割増しにした。

2割増しの水を入れ、蓋をして約1時間ほど水に浸しておく。
水に浸しあと、ご飯を炊く作業となる。
まず強火。重い蓋がコトコトといいだすまで。
コトコトと仕出したら弱火。普通は15分程度になっているが、今回は「おこげ」を作るのだから20分にした。
「無水鍋の本」には、焦げてくる匂いがしだす、と書いてある。しかしそれは私にはわかりにくい。だから20分という時間で切った。
そのあと10分程度蒸らす。
さて、おこげは?

炊きあがった白ごはんの底には、おこげの層が出来上がっている。

おこげの層をひっくり返えそうとすると、写真のようにきれいにはがれる。 たっぷりのおこげだ。味も八代目儀兵衛のおこげにまけないくらいだ。
あごが痛くなるぐらいにしっかりと熱が通り、おこげの醍醐味を家で味わうことができた。
お米は丁寧に準備をすると、本当に美味しいごはんになる。
ありがたいことだ。と感謝、感謝。

 

 

 

 

曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)

藤田美術館展

大変な行列が見えた。長蛇の列だ。

奈良国立博物館で「藤田美術館展」が開かれているのだ。

藤田美術館は大阪城の北にある。環状線京橋駅も近くにある。
ウィキペディアによると、

藤田美術館(ふじたびじゅつかん) は、大阪市都島区網島町にある、東洋古美術を中心とした大阪府の登録博物館である。常設展示は行っておらず、春と秋に3か月ずつ企画展の形でのみ開館するのが特徴である。運営は、公益財団法人藤田美術館。

2017年6月12日よりリニューアルのため長期休館し、2022年4月再開の予定である[1]

とある。また、近松門左衛門の「心中天の網島」の舞台となった大長寺がここにあったという。

その藤田美術館の所蔵する国宝が多数展示されているというので、ぜひ見に行こうと思った。同じことを思う人が多く、写真のような大行列となったのだ。

出品されているカタログを見ると、その中で国宝は、

1.曜変天目茶碗
2.柴門新月図
3.深窓秘抄
4.紫式部日記絵詞
5.玄奘三蔵絵
6.両部大経感得図
7.花蝶蒔絵挟軾
8.仏功徳蒔絵経箱
などがあった。
詳しくは、次のアドレスのホームページにのっている。

https://ima.goo.ne.jp/column/article/6878.html

そのなかでも、一番人気が「曜変天目茶碗」だ。

展示会場の入口階段には、その曜変天目茶碗の拡大図が置かれている。 拡大するほどにその文様の複雑さと華麗さが浮かび上がってくる。

左がその時の入場券。
曜変天目茶碗とは何なのか?
ウィキペディアによると、

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漆黒の器で内側には星のようにもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は状の青や青紫で、角度によって玉虫色に光彩が輝き移動する[1][2]。「器の中に宇宙が見える」とも評される。曜変天目茶碗は、現在の中国福建省南平市建陽区にあった建窯中国語版[3]で作られたとされる。現存するものは世界でわずか3点(または4点、後述)しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳である。日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられている[4]

南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか(器が割れ欠けている完全でない状態のものは発見されている)、大きな謎として残っている。・・・・略・・・

「曜変」とは「天目」という言葉と同じく日本で作られた言葉で、中国の文献には出てこない。南宋時代の作品だが、日本で曜変という言葉が使われた最も古い文献は室町時代の「能阿相伝集」である[注 1]

曜変とは、建盞[注 2]の見込み、すなわち内側の黒い釉薬の上に大小の星と呼ばれる斑点(結晶体)が群れをなして浮かび、その周囲に暈天のように、瑠璃色あるいは虹色の光彩が取り巻いているものを言う[注 3]。この茶碗の内側に光を当てるとその角度によって変化自在、七色の虹の輝きとなって跳ね返ってくる。これが曜変天目茶碗にそなわっていなければならない不可欠の条件である。

本来、「曜変」は「窯変(容変)」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指すが、そののような紋様・美しさから、「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになった。このような紋様が現れる理由は、未だに完全には解明されていない。また、この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは議論がわかれている。

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専門的な説明が続くが、とにかく世界に三つしかない茶碗、といわれると俄然興味が沸く。
今回見た藤田美術館の曜変天目茶碗は、高さ6.6センチ、口径12.1センチ、高台径3.8センチという大きさ。手にすっぽり収まる大きさだ。

再現方法がまだわからないというから、自分の目でしっかりと見ておこう。館の中に入って曜変天目茶碗にたどり着くまで、40分かかった。

この曜変天目茶碗も素晴らしかったし、紫式部日記絵巻などの絵も初めて見るものがたくさんあった。ヨーロッパやアメリカの美術館のように写真がどうして撮れないのだろう。写真に取れないからカタログなどの資料を買うしか手元で見直すことができない。自由に写真や模写のできる美術館は日本にはあまりにも少ないと思う。

仏具などの展示が多い中で、私の目を引いたのは馬の鞍やあぶみなどの展示だった。鎌倉時代のものらしいが、日本伝統の馬に関する道具の実物を見ることはあまりない。大阪の藤田美術館が開館するときには、ぜひとも訪れてみたいと思う。

国立博物館の傍では、中学生や高校生の修学旅行生らしい姿が多く見られた。
この子たちに時間があれば、国立博物館の見学を是非してほしい、と思った。