曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)

藤田美術館展

大変な行列が見えた。長蛇の列だ。

奈良国立博物館で「藤田美術館展」が開かれているのだ。

藤田美術館は大阪城の北にある。環状線京橋駅も近くにある。
ウィキペディアによると、

藤田美術館(ふじたびじゅつかん) は、大阪市都島区網島町にある、東洋古美術を中心とした大阪府の登録博物館である。常設展示は行っておらず、春と秋に3か月ずつ企画展の形でのみ開館するのが特徴である。運営は、公益財団法人藤田美術館。

2017年6月12日よりリニューアルのため長期休館し、2022年4月再開の予定である[1]

とある。また、近松門左衛門の「心中天の網島」の舞台となった大長寺がここにあったという。

その藤田美術館の所蔵する国宝が多数展示されているというので、ぜひ見に行こうと思った。同じことを思う人が多く、写真のような大行列となったのだ。

出品されているカタログを見ると、その中で国宝は、

1.曜変天目茶碗
2.柴門新月図
3.深窓秘抄
4.紫式部日記絵詞
5.玄奘三蔵絵
6.両部大経感得図
7.花蝶蒔絵挟軾
8.仏功徳蒔絵経箱
などがあった。
詳しくは、次のアドレスのホームページにのっている。

https://ima.goo.ne.jp/column/article/6878.html

そのなかでも、一番人気が「曜変天目茶碗」だ。

展示会場の入口階段には、その曜変天目茶碗の拡大図が置かれている。 拡大するほどにその文様の複雑さと華麗さが浮かび上がってくる。

左がその時の入場券。
曜変天目茶碗とは何なのか?
ウィキペディアによると、

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漆黒の器で内側には星のようにもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は状の青や青紫で、角度によって玉虫色に光彩が輝き移動する[1][2]。「器の中に宇宙が見える」とも評される。曜変天目茶碗は、現在の中国福建省南平市建陽区にあった建窯中国語版[3]で作られたとされる。現存するものは世界でわずか3点(または4点、後述)しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳である。日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられている[4]

南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか(器が割れ欠けている完全でない状態のものは発見されている)、大きな謎として残っている。・・・・略・・・

「曜変」とは「天目」という言葉と同じく日本で作られた言葉で、中国の文献には出てこない。南宋時代の作品だが、日本で曜変という言葉が使われた最も古い文献は室町時代の「能阿相伝集」である[注 1]

曜変とは、建盞[注 2]の見込み、すなわち内側の黒い釉薬の上に大小の星と呼ばれる斑点(結晶体)が群れをなして浮かび、その周囲に暈天のように、瑠璃色あるいは虹色の光彩が取り巻いているものを言う[注 3]。この茶碗の内側に光を当てるとその角度によって変化自在、七色の虹の輝きとなって跳ね返ってくる。これが曜変天目茶碗にそなわっていなければならない不可欠の条件である。

本来、「曜変」は「窯変(容変)」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指すが、そののような紋様・美しさから、「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになった。このような紋様が現れる理由は、未だに完全には解明されていない。また、この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは議論がわかれている。

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専門的な説明が続くが、とにかく世界に三つしかない茶碗、といわれると俄然興味が沸く。
今回見た藤田美術館の曜変天目茶碗は、高さ6.6センチ、口径12.1センチ、高台径3.8センチという大きさ。手にすっぽり収まる大きさだ。

再現方法がまだわからないというから、自分の目でしっかりと見ておこう。館の中に入って曜変天目茶碗にたどり着くまで、40分かかった。

この曜変天目茶碗も素晴らしかったし、紫式部日記絵巻などの絵も初めて見るものがたくさんあった。ヨーロッパやアメリカの美術館のように写真がどうして撮れないのだろう。写真に取れないからカタログなどの資料を買うしか手元で見直すことができない。自由に写真や模写のできる美術館は日本にはあまりにも少ないと思う。

仏具などの展示が多い中で、私の目を引いたのは馬の鞍やあぶみなどの展示だった。鎌倉時代のものらしいが、日本伝統の馬に関する道具の実物を見ることはあまりない。大阪の藤田美術館が開館するときには、ぜひとも訪れてみたいと思う。

国立博物館の傍では、中学生や高校生の修学旅行生らしい姿が多く見られた。
この子たちに時間があれば、国立博物館の見学を是非してほしい、と思った。

 

 

 

 

興福寺 東金堂と中金堂②

中金堂の東にあるから東金堂と呼ばれているそうだ。
5度の被災、再建を繰り返し、現在の建物は応永22年(1415)に再建された。室町時代のものだ。正面25.6メートル、側面14.1メートルの大きさ。
中金堂の大きさが36.2メートル ✕ 23メートルだから、東金堂の大きさは中金堂の一回りも、二回りも小さい。しかしその佇まいは風情がある。

ここに安置されているのは、銅造薬師如来坐像と銅造日光・月光菩薩像だ。
薬師如来坐像は15世紀初期・室町時代のもの、日光・月光菩薩像は7世紀末白鳳時代のもの。600年代に銅を使って仏像を作る技術があったことにおどろく。
日光・月光菩薩像は3メートルほどの大きな菩薩像。写真が写せないのでパンフレットの写真を添付しておく。
日光菩薩は「にっこうぼさつ」とよぶ。月光菩薩は「がっこうぼさつ」とよぶ。私が金堂内を見学している時に「げっこうぼさつぞう」という声が聞こえたが、それは間違い。日本人でも間違ってよんでいる人がなんと多いことか。(チコちゃんにしかられますよ)

東金堂においてあった英語のパンフレットにも、Gakko Bosatsu , Nikko Bosastu とローマ字で書いてある。
周りには中金堂と同じように、四天王が安置されている。

同じ四天王でも中金堂の四天王と、東金堂の四天王とでは違って見える。
上の写真左が中金堂の四天王で、鎌倉時代の作と言われている。
右の四天王は東金堂の四天王で、9世紀平安時代のものと言われている。

四天王に囲まれているように見える仏像群が、十二神将立像。
13世紀鎌倉時代のものと言われている。作られた当時は鮮やかな色に彩色されていたそうだ。十二神将立像といえば、私の中では「新薬師寺の十二神将立像」を思い出す。

http://www.shinyakushiji.or.jp/junisinsho/

上の写真は「新薬師寺」のホームページからの引用。
私のお気に入りは「伐折羅大将(バザラたいしょう)」。
東金堂の十二神将立像でいえば、写真下側、右から二人目の像がそれ。
出来上がった当時は、それは美しかったに違いない。

写真は東金堂から中金堂を見たところ。

古くから残っているものと、新しく再建された2つの金堂。
もともとは中金堂の西側には西金堂という金堂があったそうだ。
西、中、東と3つの金堂があったそうだ。それは壮麗で壮観な眺めであったにちがいないと思う。興福寺というのは巨大な寺院だったのだ。現在ではその敷地のほとんどは奈良公園となっている。

さて、次は国立博物館の見学に行こう。

 

 

 

興福寺 東金堂と中金堂①

せっかく奈良に来たのだからと思い、新しく建て直されたという興福寺の中金堂をたずねた。

パンフレットによると、六回の焼失・再建のあと,亨保2年(1717)に焼失、文政2年(1819)に「仮堂」として再建されていたが、老朽化のため平成12年(2000)に解体し・・復元」「平成30年(2018)10月に落慶」とある。

東西36.6メートル、南北23メートル、高さ(最高値)21.2メートルと、創設当時の大きさが再現されているそうだ。

屋根にあるのは、鴟尾(しび)と言われるもの。水害を防ぐ魔除けと考えられている。高さ2.03メートル、青銅製で一基につき1.1トンの重さがあるそうだ。

中金堂の直下には66個の礎石が整然と並んでいるそうだ。その66個のうち64個が天平時代のものだというからすごい。再建のたびに、創設時のものを使ってきたわけだ。

屋根を支えるのは長さ10メートルもある66本の巨大な柱。
現在の日本では調達できず、中央アフリカ産のケヤキが使われている。国際的な金堂なのだ。

 

なかに祀られているのは、釈迦如来坐像、薬王菩薩・薬上菩薩立像、四天王像、逗子入り吉祥天狗像、大黒天立像などである。釈迦如来坐像は五代目のもので、薬王菩薩・薬上菩薩立像は鎌倉時代に作られたものとパンフレットにあった。
写真撮影が禁止されているので、パンフレットにある写真を紹介しておく。
釈迦如来坐像は283.9センチメートルだから約3メートル。
薬王菩薩・薬上菩薩立像も約3メートルもある大きな仏像。大きな中金堂にふさわしい仏像だと思った。

鎌倉時代に作られたという四天王像もあり、これらも2メートル近くあり、興味深かった。

英語のパンフレットがあった。
中金堂は英語では The Central Golden Hall とかかれている。
仏像の配置も英語でかかれている。
四隅にある仏像は四天王。増長天、広目天、持国天、多聞天とローマ字でかかれている。釈迦如来坐像はShaya Nyorai とかかれている。

この写真は中金堂の前の広い敷地から東側を見たところ。
左に東金堂、右に五重塔が見える。これからこの東金堂に向かうことにする。