錫器 ハルカスで体験

ハルカスで錫器の制作体験があった。

錫器といえば大阪の伝統産業。もらったパンフレットの説明によると、

「錫器の歴史は古く、紀元前1500年前のエジプト王朝の古代都市で錫の壺が発掘されている。
我が国へは約1300年前、遣隋使・遣唐使によって中国から渡来し、宝庫として名高い奈良の正倉院に数点が今の保存されています。
今も、鋳型に鋳込みロクロで挽く、昔ながらの製作方法で一つ一つ丹念に作られています。・・・・」(製造元 大阪錫器株式会社)

錫の盃やタンブラーで飲むと、お酒の味が格別だ、という話はよく聞く話だ。
本当だろうか、試してみたいが高価なのでなかなか購入まではいかなかった。

体験でタンブラーなどが作れることがわかったので、試してみようと思った。

いろんな模様が打てるような金槌が用意されていた。

写真のようにトントンと金槌で錫器に模様を打ち付けていく。
左手で無地の錫器を動かしながら、右手で模様の入った金槌を打ち付けるわけだが、思ったよりむずかしい。
隙間を開けずに打つことができない。バラバラな打ち方になって、隙間が空いてしまう。また一列が終わって下の列に模様を打ち込むときがまたむつかしい。
職人技とよく言うが、確かにそうだ。何年もの練習と修練がないと、まっすぐ、隙間なく、同じ力で金槌で打つことは簡単なことではないことがよくわかった。

一緒に来た孫にも手伝ってもらった。

トントントン、トントントン、リズミカルに打つのは簡単なことではなかった。

錫は英語ではTin、原子番号50の元素で、元素記号はSn、そう習ったことがあったなあ。
錫は銅との合金である青銅で有名。
青銅器は錫がなかったら存在しなかっただろう。
現在では鉛との合金であるはんだが有名。錫の年間使用量の45%ははんだである。はんだが発明されなかったら、電気製品もできなかっただろう。それほど重要な元素だ。
日本では飲食器として重宝されてきた。神社での瓶子(へいし、お神酒徳利のこと)、水玉、高杯などの神具に使われているそうだ。わたしたちにとっては酒器としてつかわれている方が有名だ。最近にはビアマグやタンプラーなども作られている。
今回の体験でも、ぐい呑、タンプラー、お皿、バングルなどがあった。

器の裏側も忘れずに模様をつけた。
仕上げは大阪錫器の職人さんにやってもらった。
家でビールやハイボールを飲むと、確かに美味しい。角が取れたのどごしだ。
学問的にはその理由は説明できないそうだ。人間の下の微妙なところだろうか。
これから夏のビールがますます美味しくなりそうだ。

 

 

 

枕草子を英語で②

「枕草子」の全体像をつかんでおこうと考えていたら、図書館の本にコミックがあった。上の左の本が、学校図書の「コミックストーリー/わたしたちの古典「枕草子」」。
右の本が学研の「まんがで読む枕草子」という本。
どちらも中宮定子に仕えるところを中心に展開されている。まんがなのでとても読みやすい。おかげで「枕草子」の主な段の内容を知ることができた。

Enjoy Simple English の2回目を紹介することにしよう。

Things that make people worry

講談社の少年少女古典文学館4の大庭みな子著による「枕草子」では、第70段 「気がかりなもの」
として現代語訳されている。
(日栄社の「イラスト古典全訳 枕草子」橋本 武著)では、第66段となっている)

原文は

おぼつかなきもの。 

十二年の山ごもりの法師の女親(めおや)。しらぬ所に、闇なるに行きたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがに並みゐたる。 

今いできたるものの、心もしらぬに、やむごとなき物持たせて人のもとにやりたるに、遅くかへる。ものもまだ言はぬちごの、そりくつがへり、人にもいだかれずなきたる。 

英語訳は

 Things that make people worry: A mother worries about her son who has been a monk on the holy mountain of Hieizan for 12 years.
 When you go somewhere you don’t know and night falls. Servants aren’t allowed to use any lights because they shouldn’t be seen.
————(略)

 比叡山に12年間修行するお坊さんの母親ー大庭みな子訳によると「当時出家して比叡山延暦寺で修行する法師は、12年間ここにこもって修行しなければならない。その間は、山を下ることが許されなかったのである」と注に書かれていた。
なるほど、母親としてはそれは「気にかかる」だろうと思う。
 次のWhenから始まる文は、先の話とは全く違う話。清少納言の文が短いのはこういうことなのだ。
大庭みな子訳によると、「知らない家を闇夜に訪ね、『明るすぎる』と言われて、火も灯さず並んで座っている時の心もとなさ」とある。ちょっと私にはその状況が理解できなかった。
橋本武訳(イラスト古典全訳枕草子)を見ると、
「知らない所に闇の夜に行ったのに、『目立っては具合が悪いから・・・」と言って、明かりを灯さないで、そのくせ、じっとして並んで座っているの」とある。
英訳の方はこちらのほうが近いようだ。

 古典といえども日本語。少しは分かるだろう、と思っていたがなかなかそうはいかない。私にとっては全く違う言葉のように感じてしまう。古典の現代語訳も難しい。

 

Things that are opposite

たとしへなきもの。
夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と。
人の笑ふと腹立つと。老いたると若きと。白きと黒きと。
思ふ人とにくむ人と。
同じ人ながらも、心ざしあるをりと変はりたるをりは、
まことにこと人とぞおぼゆる。
火と水と。肥えたる人痩せたる人。髪長き人と短き人と。

 大庭みな子訳の「枕草子」では71段。橋本武役では68段となっている。
英訳と大庭みな子訳にはないが、橋本武訳ではこのあとに夜烏の話がのせられている。写本によって段の編成が違うのがわかる。

真ん中にある、「同じ人ながらも心ざしあるをりとかはりたるをりは、誠に異人(ことひと)とぞおぼゆる」の英訳は、

Even when they are the same person, it changes how they treat you. When they have different feelings about you, you might think, “They can’t be the same person.”

なるほど、よくわかる。

 

Things that are rare

ありがたきもの

舅(しゅうと)に褒めらるる婿。また、姑に思はるる婦の君。毛のよく抜くる銀(しろかね)の毛抜き。主謗らぬ(そしらぬ)従者。 つゆの癖なき。かたち、心、有様すぐれ、世に経るほど、いささかの疵(きず)なき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかの隙(ひま)なく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ、難けれ。 物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けども、必ずこそきたなげになるめれ。 男、女をば言はじ、女どちも、契り(ちぎり)深くてかたらふ人の、末まで仲よきこと、難し。

 大庭みな子訳の「枕草子」では75段、橋本武訳の「枕草子」では71段になっている。前回紹介した角川ソフィア文庫の「枕草子」は第72段となっている。

 中程にある「物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けども、必ずこそきたなげになるめれ。」の英訳は、

To copy a story or poem without dropping a single drop of ink on the original book.  You try  really carefully not to do that when the original book is important.  But most of the time, you do.

 本を読みたいときは写本をしていたことがわかるところ。
現在のような印刷もコピー機もない時代、写本しかなかった。写本する時の苦労がよくわかる。写本のときに写し間違えたり、自分流に書き換えたり、順を変えることもあったのだろう。意図的でなかったとしても、それが次々に写されていくうちに原文と変わった写本がいくつも出てくることは予想される。

そんなふうにして、「枕草子」も4種類の写本本が現在に伝わったのだろうと思う。
しかし何人もの人たちの手間ひまかけた努力が、現代に「枕草子」を伝えたのだと思うと、すごいことだと思う。だから「手書き文字」が大切にされなければならないのだろう。

 

 

令和ー手書き文字と活字体

新しい元号が「令和」となってから、「令」という字について考えてみた。
上の写真はテレビの画面で、元号が「令和」となったと発表された時の画面。
菅官房長官のもっている「令和」と、テレビのテロップの「令和」の文字が違っている。あれ? どっちが正しいんだ?
と考えた人が多かったようで、ネットでもこの種の話題が沢山取り上げられている。

もともとは「手書き文字」

私は以前に「教科書体と明朝体」について調べたことをブログに書いたことがある。
基本は「手書き文字」と活字で印刷された文字を区別して考えることだ。

左の本は「手書きのための漢字辞典 明治書院 財前 謙編著」。
この本の「はしがき」には次のように書かれている。

「文字は本来、手で書くものであった。しかし、近代以降は印刷がその中心の座を占め、パソコンや携帯の普及とともに、手で文字を書く機会が少なくなってきている。そのため、いざ漢字を書くとなると、不安を覚えることも多い。またその際、規範を辞典など印字に求めがちだが、一般的によく用いられている明朝体は、筆写の楷書とは大きな相違がある。印字と手書きの相違を明らかにし、自信を持って漢字が書けるように、手書きの規範をしめした。・・・後略・・・・」

さらに「印刷の発達と漢字」の項には、
「・・・ところで、「康煕字典」やその流れをくむ漢和辞典などが、いわゆる「字引」として活用されることはあっても、手習いによって文字を覚えていた時代には、印刷文字と異なる部分があっても手書きによる文字の伝統が継承されていた。例えば糸へんは、活字体が「糸」であっても「」と書くのが伝統であった。
ところが戦後の「当用漢字表」は規制としての性格が強く、学校教育においては明朝体で示された当用漢字の書体、あるいは当用漢字の字体を筆写風にデザインした教科書体(教育活字)をそのまま書くように指導がなされた。
そのため、活字のとおりに書くことがおこなわれるようになり、長く継承してきた手書きの伝統が軽視される傾向がある。・・後略・・・・」

教科書体とは

教科書体とは、「小学校学習指導要領(国語)」の「別表 学年別漢字配当表」にある印刷文字で、書くことを意識して作成された活字の書体。小学校の検定教科書はすべてこの教科書体で印刷されているが、中学校以上の教科書は明朝体で印刷されている。下の一覧表はその「別表」の最初の部分である。

この別表で「令」を探してみると、4年生にあった。「令」という漢字は4年生で習うわけだ。
左の教科書体でわかるように「明朝体」の「令」とは違っている。学校では「今」という字に「マ」という字体で学習している。だからテレビで見た「令和」の文字を見て、「え〜、これでええの?」とか「こんな字は習っていない」という声がでるのも当然なわけだ。

活字の字体に引きずられている「手書き文字

左の本は文化庁が編集した「常用漢字表の字体・字形に関する指針ー文が審議会国語分科会報告(平成28年2月29日)」という本で、字体に関して基準となる考え方をまとめて本。「字体・字形」については一番新しいものだ。

この指針がでたときに、新聞で大きく取り上げられたが覚えている人はどれくらいいるだろうか。
そこに「令」についての記事がある。
「社会生活で使う漢字の目安を示した常用漢字表では、手書き文字は漢字の骨組みにあたる字体があっていれば、「とめる」「はねる」「はらう」など、細部にこだわらなくてもよいとされている。しかし一般にはあまり知られていない。そのため、金融機関の窓口などで「鈴」の「令」の下の部分を「マ」と書くと書き直しを求められたり・・・」
ちょっとびっくりするようなことが実際にあったのだ。自分の名前なのに書き直しをさされるとは。それは活字の字体にひきずられた結果なのだ。

文化庁が編集したこの本は、子どもたちに文字を教える立場の人には必読だと思う。
この本にはQ&Aがあり、明快に書かれている。

Q1 学校で教わった漢字の形と新聞や本で見る漢字の形が違っている
ことがあります。どちらがただしいのですか。

A それぞれに正しい形です。学校で教わった手書きの文字の形と印刷された文字の形には、表し方にそれぞれの特徴や習慣があるため、違いが見られることがあるのです。
 学校では、手書き(筆写)の楷書を中心に学びます。楷書は、文字を崩さず、一点一画をきちんと書く書き方です。小学校の教科書では、主に教科書体とよばれる印刷文字が使われていますが、教科書体は児童生徒が漢字を書くときの参考になるよう、基本的に手書きの楷書の習慣に倣って作られています。
一方、ほとんどの新聞や書籍では、明朝体という印刷文字が使われています。・・・後略(このあと明朝体の歴史など詳しく書かれている)・・・・。

Q&Aは78件もあり、読むだけで勉強になる。
さて、この「常用漢字表の字体・字形に関する指針」の後半には、「字形比較表」がのせられていて、常用漢字の活字体と手書き文字が示されている。
そこの「令」の部分を抜き出したのが下にある通り。

最初のテレビの画面に写っている「令」の字は「活字体」と「手書き文字」の2種類で、どちらも正しい文字なのだ。
わからない漢字を辞書で調べて、そのとおりに書こうとしてしまうことが多い。どちらが長い、はねる? はねない? 止める? はらう? ということの判断を明朝体の漢字にたよりがちなのが今の時代だ。
新しい元号の「令和」という漢字は、もう一度「手書き文字」の大切さを認識すること、再確認する機会になったといえる。