都七福神めぐり5

次にお参りしたのが「ゑびす神社」。パンフレットには次のように書かれている。
「南座横の大和大路を南へ5分ほど歩くと、「京のゑびっさん」として京都の人々から親しまれているゑびす神社があります。 鎌倉時代初期に建仁寺の鎮守社として創建されたもので、「商売繁盛」の守り神として1月の十日ゑびすは沢山の人たちで賑わいます。 また、栄西禅師が無事中国から帰朝し、お祀りになったという故事から「旅ゑびす」ともいわれ、交通安全の神としても信仰を集めています。」

ビニル越しにお神楽が奉納されているのが見える。
大阪の今宮戎ではお神楽の舞を境内から見ることはできなかった。
今宮戎と比べると少し小ぶりの境内だが、その分アットホームな感じがする神社だ。
ここで七福神にゆかりのあるお守りを買うことにした。

この日は1月10日を過ぎているので、それほど大入り満員という感じではなかったけれど、十日ゑびすは大混雑だっただろうなあと予想できる。

本殿左横に「横参り」という掲示があった。 ネットで調べてみると、下の写真のように板壁がある。
私達が行ったときには、そこには白い布がかぶしてあり、
「新型コロナ対策のため、本殿横の横参りを 中止させていただきます」とかかれた掲示板が置かれていた。

横参りというのは、下の写真によると「ゑびす様のお肩をたたくお参りです。
ノックをされるように優しくお願いいたします」という注意書きが書かれている。

ゑびす様は耳が遠いので、「お参りに来ましたよ」と肩をたたいてお知らせするというお参りの仕方だそうだ。
大阪の今宮戎の本殿裏にある「ドラ」と同じようなものだと思う。
布が貼られていない写真はネットの
https://bqspot.com/kansai/kyoto/7782

より引用したもの。

えびす神という神様の由来はなかなか奥が深い。
京都では「ゑびす神社」、大阪の「今宮戎」、書き表し方もちがう。

ウィキペディアによると、
「えびすは日本の神で、現在では七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドまたは中国由来)の福の神である。古くから漁業の神でもあり、後に留守神、さらには商いの神ともされた。夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須、恵美寿などとも表記し、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称される。・・・
「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。
少数であるが、えびすを少彦名神(すくなひこなのかみ)や彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)とすることもある。
また、外来の神とされることもあり、「えびす」を「戎」や「夷」と書くことは、中央政府が地方の民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、「戎」や「夷」と書いたのと同様で、異邦の者を意味する。
このように多種多様の側面があるため、えびすを祀る神社でも祭神が異なることがある。」

「えびす」にかかわる伝説は多そうだ。私は小野不由美さんのゴーストハントシリーズ「海からくるもの」で蛭子伝説とえびす信仰の関係を知ったことを思い出した。

「ゑびす神社」でお参りを済ませた私達がつぎにむかったのが「六道の辻」。
えびす伝説を考えていた私にとっては、ちょっとゾクッとする感覚。

 

 

 

都七福神めぐり4

午後に最初に訪れたのは、「西国第19番札所 革堂 行願寺」。
「革堂」は「こうどう」とも「かくどう」とも呼ばれているそうだ。
市バス「河原町丸太町」の停留所が最寄りのバス停。

もらったパンフレットには、
「平安初期、行円上人によって開かれたもので、観音霊場、西国33箇所の19番札所です。 開基当時、一条通にあったものを、「天下泰平福寿円満」を祈る太閤秀吉により、現所に移築されました。 本尊である寿老神を御真言を、一日三回唱えると福寿吉運が授かると言われており、長寿を願うたくさんの善男善女が初詣や月参りにおとずれています。」とある。

「革堂観音」と書かれた大きな提灯がぶらさがっている。

ここが寿老神が祀られている寿老神堂。

ご本尊の寿老神の姿を見ることができないので、ウィキペディアにあった七福神の像の写真を引用する。右から布袋尊、福禄寿神、寿老神となる。
寿老神は鹿を連れているのが特徴。

革堂行願寺のホームページに、由来が書いてあった。

「霊麀山行願寺と号する天台宗の寺院で、西国三十三所観音霊場の第十九番札所です。
寛弘元年(1004)に行円上人によって、一条小川(上京区)に創建されました。子を孕んだ母鹿を射止めてしまったことを悔いた上人が、常にその皮をまとって鹿を憐れみ、人々から皮聖と呼ばれていたことから、革堂と呼ばれるようになりました。
以後、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の災火により寺地を転々とし、宝永五年(1708)の大火の後、当地に移されました。
現在の本堂は、文化十二年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝えられる本尊千手観音像を安置しています。
境内には、都七福神巡りの一つになっている寿老人神堂をはじめ、愛染堂、鎮宅霊符神堂、加茂明神塔などがあります。」

寿老神はどういう神様なのだろう。パンフレットによると、
「中国の老子が天に昇ってなったという仙人の姿。三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、人々の難を払う団扇を持っていたことから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありといわれています。」と書かれている。

さあ、次は10日が賑やかだっただろうなと想像する「ゑびす神社」に向かう。

 

 

 

 

 

 

都七福神めぐり3

昼食は南禅寺前にある「順正」。
京都の湯豆腐は有名だ。そして湯豆腐発症の地は南禅寺前だという説がある。
京都に行ったら食べてみたかった料理だ。
ツアーの案内に湯豆腐があったからこのツアーを申し込んだともいえる。

お庭が美しい。
ここには順正書院という建物がある。江戸時代に医学学問所として建てられたもので、現在は京懐石の客室となっている。
もちろん私達はここを利用したのではない。

こんな風情のある料亭で湯豆腐がいただけるなんて、このツアーに参加してよかったなあと思う瞬間。

京都の湯豆腐、どんな歴史があるのだろう。「順正」のホームページを見ると、

順正のゆどうふ
とうふは、中国より奈良時代に遣唐使により伝えられ、寺院の精進料理に用いられました。 室町時代になると、門前より出て庶民の食べ物となり、町にとうふ売りも現われ、茶店では田楽にして供されます。 江戸時代の京案内書花洛名勝図会には『丹後屋の湯豆腐は、いにしえよりの名物にして旅人かならずこれを賞味し…』と記され、この頃には南禅寺のゆどうふが名物であったことが分かります。 順正では、こだわりの国産大豆を使った味わい豊かなおとうふと、旨味を十二分に引き出す、特製のゆどうふのたれでお召し上がりいただきます。とうふ自体の甘みと余韻に残る大豆の苦味。ひと味もふた味も違う、順正名物ゆどうふをご堪能ください。

とある。

そして京都の水が良いから豆腐が美味しい、という説があることを付け加えておこう。

豆腐田楽もおいしかった。赤米、野菜の天麩羅がだされ、もうお腹がいっぱい。
最後に豆乳プリン。
まさしく豆腐づくし。

順正を出るとすぐ左に「大本山南禅寺」の門が見える。
南禅寺前の駐車場にはほとんど車が止まっていない。観光バスは私達のバスが1台だけ。新型コロナ・オミクロン株の急激な感染拡大が原因だろう。
私達もソーシャルディスタンスに注意しながら次の目的地に向かう。