桜珈琲(さくらコーヒー)

堺で知る人ぞ知る名店(と、私は思う)の「桜珈琲(さくらコーヒー)」が美原に新しく店を出した。新しい店なので、車のナビではピンポイントで特定できなかった。

鳳(おおとり)にある本店に、時々行くことがあるが、この美原店は8店目だとか。
鳳本店によく似た建物のレイアウト。ホームページにその一覧がある。

http://www.sakura-coffee.jp

車を止めて中に入ろうとすると、駐車場の警備員さんが、夜になると桜珈琲のパネルに灯りがついて綺麗ですよ、と言ってくれた。オープンの日なのに知っているということは、この店と関わりの深い人なんだろうなと思った。

桜珈琲の特徴だろうか。中庭があり、桜が植えられている。もう葉桜だ。

大きな窓の向こうに見えるのは「黒姫山古墳」か?。今度来る時に確かめてみよう。近くに「みはら歴史博物館」がある。
広い空間が感じられて、立地もいい。

モーニングが午後2時まであるというのがうれしい。 手前がマフィン、後ろは二種類のトーストのモーニング。ヨーグルトがついているのが気に入っている。

私のプログのプロフィールにも引用しているが、

「人生には三つのものがあればいい
     希望と
       勇気と
         サムマネー 」

これはチャールズ・チャップリンが言った言葉。
含蓄のある言葉だ。

アドラー心理学のアドラーも「少しの勇気が人生を変える」と言っていた。
こんなセンスがこの店の雰囲気を良くしているのだと思う。

上品なお菓子、ケーキがたくさん並んでいた。 もちろんパンの販売も種類が豊富。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
店員さんの自然な声が、また来ようという気にさせる。

駐車場で警備員さんに「おいしかったよ!」と声をかけると、体の大きな警備員さんはニッコリと笑って手を振ってくれた。

 

 

堺の桜、名古屋の桜

一昨年も行った堺の環濠クルーズ。
前は桜の盛りも過ぎていたので、今年は満開の時期を狙って行った。
週末は雨模様?、という天気予報に一喜一憂しながら行ったが、雨の隙間を狙った桜見物となって楽しむことができた。

鯉のぼりも元気に泳いでいる。なかに「うなぎ」や「かつお」があるのも面白い。

両岸の桜はほぼ満開。 曇り空が残念だったけれど、暑すぎもせず、寒すぎもせず。花曇りの1時間だった。

風が吹くと花吹雪が。船内に「お~っ」と言う声が湧き上がる。

南海電車「堺駅」の東口にこのクルーズの出発点がある。
近くの橋には、ポルトガル人の像がある。このポルトガル人の像は、橋の上からは正面の顔が見えない。

クルーズの船からは正面の顔が拝める。これもこのクルーズの楽しみ。

環濠から堺港に船は出る。

高速道路の下をくぐる。
そこには「桁下満潮時15M」の文字。
東北での大震災、津波はこの高さ以上だった、というボランティアガイドさんの説明。
海風の冷たさ以上の冷たい空気が船の中に広がる。
あらためて自然災害の甚大さを感じた瞬間。

桜満開の環濠クルーズ。少し肌寒いときもあり、曇り空だったけれど満員御礼の約1時間の船旅。
次回は青空のときに来たいものだ。

つづいて名古屋城でのお花見。最後の春休みなのか、ここも大入り満員だった。

ここは名古屋市の地下鉄「市役所駅』入り口」。

駅の向こうに見えている緑の屋根と赤レンガ風の建物が名古屋市役所らしい。お城の門のような地下鉄駅に下る入り口。なんとなく風情がある。

名古屋城は本丸御殿の改修工事中で、現在まで完成した部分を観覧することができた。
来年度には完成し、一般公開されるそうだ。

本丸御殿とは、名古屋城のホームページの説明によると、
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  名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615)に建てられました。20年後、将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。
 名古屋市では、平成21年(2009)1月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月29日、入口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始しました。

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これが修復中の「本丸御殿」。なんとも綺羅びやかだ。御三家の一つ、尾張藩主の御殿だけある。

ミクロ単位で精密に復元されている襖絵や、木目も新しい柱を見るとその豪華さがわかる。

広場では和太鼓演奏があり、外国人観客も非常に多い。
名古屋城にはソメイヨシノ、ヤマザクラ、シダレザクラ、サトザクラなど、約1000本の桜があるそうだ。

これが天守閣。大阪城もそうだが、お城には桜がよく似合う。それは平和な時代だからだろう。戦国時代には桜がお城内に植えられていたのかどうか?

名古屋城、といえば私がすっと頭に浮かぶのは「金のシャチホコ」。

左の写真はレプリカだが、高さ約2.6メートル、重さ約1200キログラム、18金のウロコが120枚あまり貼ってあるそうだ。
オスのシャチの方が少し大きくて重いそうだ。

この金のシャチホコは大阪の造幣局で作られたはずだ。
私は金のシャチホコを積んだトラックが、国道26号線を走っていたのを見た記憶がある。しかしそれは本当だったのか今では定かではなくなってしまった。

午前中に雨が降ったので、桜の花びらが地面に敷き詰められるように落ちていた。それにしても不思議だったのは、場内で「スター・ウォーズ」展が開かれていたこと。名古屋城とスター・ウォーズと、どんな関係が?

名古屋城のお堀は空堀。そこに菜の花が咲き乱れ、桜のピンク、緑の葉、菜の花の黄色の彩りが春の深まりを感じさせていた。

大阪に帰ってこのブログを書いていると、名古屋城天守閣を元の木造建築に復元する計画があると新聞に載っていた。老朽化した現在の天守閣を、コンクリートで補強してもその寿命は40年あまり。そうなら木造のほうが長持ちするということらしいが、どれくらいの予算が必要なのだろう。天守閣の石垣は国の特別記念史跡だから、ハードルは高そう。
桜満開の季節、気持ちは初夏の太陽へと向かう。

 

 

 

 

 

 

エビス祭りとえべっさん

 

ここは「萩原神社」。
地元では萩原天神として知られるところ。
ここに萩原戎神社がある。
ポスターには餅まきの様子が載せられている。

萩原神社のホームページを見ると、下のようなエビス祭の説明があった。

  • 戎まつりは西日本が主であるが、その神さまは蛭子命(ヒルコノミコト)又は一言主命(ヒトコトヌシノミコト)が祀られています。
  • また関西では商売の神さまと言う信仰が強いですが、地方に行けば漁業の神さまの信仰が強いようです。
  • 当社では商売繁盛、家内安全の願いが主です。主なイベントとして、福笹や縁起物の授与はじめ「餅まき」「福引き」が行われ2日間で 約1.5万人の参拝が有ります。

戎神社の鳥居の前に2体、社殿の横の灯籠前にも2体のえびす像。なんともにこやかな顔でお出迎え。萩原神社のように、歴史の中で地域の神社が合祀されて、境内に幾つもの社がある神社は多い。

さて、地域の戎神社を訪問した後、恒例の今宮戎に出かけた。

南海高野線の「今宮戎駅」。今宮エビスは「戎」という漢字を使う。この駅はかつては「今宮恵比寿駅」と言われていたが、「えべっさん」に合わせて「今宮戎駅」と改称されている。
そのプラットフォームからの光景にびっくり。超大入り満員。
「今日は宵宮のはず。しかも時刻はお昼時。こんなにも沢山の人が……」としばし声も出ず。入場制限で、駅からの最短距離では入場できず、東にグルっと回る列に並ぶ。
超大入り満員でも、参拝者は慣れたもので、静かに慌てず、鳥居をくぐれる順を待つ。

鳥居前まで進むと、奉納の一団がやってきた。「木津卸売市場」という旗が見える。商売の神様へのお参りというわけだろう。

参列者の中から
「あれ、学校の名前がある…」
という声が聞こえた。
鳥居の一番直ぐそばのちょうちんに「恵美小学校」という名前がかかれている。
地元の小学校の名前だ。

「木津市場」といい、ここの「えべっさん」がいかに地元と密着しているかがわかる。

本殿裏のドラを「たのんまっせ」と力いっぱい叩く。

恒例のおみくじ。
なんと今年も「凶」。
過去3年連続の「凶」のおみくじ。

「ゆくもつらし
 ゆかぬもつらし・・・・」
と運勢の歌が書かれている。

「ゆくにもゆかれず
 いるにもいられず
 とゆう大切な時に今遇っている
 心を鎮めて・・・」
と解説がある。

人生の岐路に立っているのかなあ。うなずきながらおみくじ掛けにしばる。


難波高島屋に向かって歩く。
たくさんの出店。今年は「鶏の皮」を使った食べ物が目についた。これも酉年をねらったものかと思う。
さていつもの楽しみのお店。「バショウせんべい」と「堺の包丁」。
あれ?、バショウせんべいのおじさんがいない?
バショウせんべいのお店はあったが、違うお店だ。どうしたのだろう。
「堺包丁」のおじさんは元気だった。
ドイツ人らしい外国人客に「メイドイン ジャーマン ナイフ ベリーグッド」と言っている。
国際化だなあと感心する。
でもバショウせんべいのおじさんはどうしたのだろう? 今宮戎の後は我孫子観音と言っていたなあ。我孫子観音のお参りの時に見てみよう。
曇り空になって、雨粒が少し降ってくる。
急ぎ足で高島屋へ入る。
さて、今年はどんな年になるのだろう。

 

 

 

見えない、見えにくいってどういうこと?

IMG_20160406_0002図書館で、左のような案内を見つけた。

大人のための
「触って」「聞いて」
楽しむ、「わかる!」体験

とある。
内容としては、
◯見えない・見えにくいってどういうこと?
◯点で描く絵って? 点に「触る」体験
◯伝える・伝わる「読み」の体験
◯「点訳」・「音訳」ボランティアについて

とあった。以前から点字に興味があったので、この体験講座に行ってみることにした。

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場所は「堺市立健康福祉プラザ」にある「視覚・聴覚障害者センタ−」。このセンターは福祉プラザの二階にある。

建物はJRの「百舌鳥」と「上野芝」の中間ぐらい。
大仙公園の西はし、近くに履中陵古墳がある。
駐車場が完備しているので車で行くことができた。
上野芝はかつてよく行った場所だが、すっかり変わっていた。

私たちの参加する体験講座は三階にある大研修室で行われた。

私自身はこのような視覚障害に関わっての研修会に参加するのはほぼ初めてといっていい。私を含めて七人の参加で、私以外はみな女性だった。講師の人たちもすべて女性だった。

私が体験したことを簡単に紹介する。詳しい内容はぜひとも自分で体験を。

体験その1 体内時間

目をつむって10秒を数えてだれが一番正解に近いか、というゲームをした経験がある人は多いだろう。ここは48秒からはじまった。
私は正解から20秒近く長かった。
続いて1分18秒。一番最初に手を上げた人と最後の人の間には30秒近くの差が出てきた。
最後に15秒。これはほぼみんな接近していた、と講師の人は言う。
ここでは、「一人ひとりの体内時計が違う」こと、そして「時間が長いほどその誤差が大きくなる」ということ。
つまり目の不自由な人にとって「ちよっとここでまっていて」という曖昧な表現は、時間が長ければ長いほど不安を与えるということを体験する内容だった。

体験その2 逆さま言葉

続いての体験は、講師の人が「逆さまに言った言葉」を読み取るもの。
たとえば、「ずんれとくたんこ」。
「うん?、えっ?」と思っているうちに正解を出す人が。
「コンタクトレンズ」
人間の獲得する情報は80%は視覚によると言う説明が。
「さんいちよんろく」
これも「えっ?、なに?」と思っていたら、
「ろくよんいちさん」「6413」という数字のこと。
数字も反対に読まれると、とっさにはわからない。
耳からだけの情報は、言う方も聞く方も訓練がいることを実感。

体験その3 視野狭窄メガネ

このメガネを掛けると、視野狭窄を体験できるというもの。
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上の写真は私が家に帰ったから作ったもの。
写真のように片方しか見えず、しかも見える方の視野は極端に狭まって見える。ごく一部しか見えない。ここで二人ペアでのゲームをする。
一人がある単語を違う言葉で説明する。
たとえば「キャベツ」なら、「野菜」「春」「緑」「せんぎり」など。
上の視野狭窄のメガネを掛けた人がその言葉から連想するものを言う。「キャベツ」という正解が出からOKの合図。合図が出たらメガネを掛けたまま部屋を出て、廊下の机の上の並べてある解答用紙のなかから、自分のものを探しだす。というもの。
視野の狭い状態で書かれた文字を読み取ることは思った以上に難しい。しかも紙には大きな字で書いてあったり、小さな字て端に書かれてあったり、字もぐねぐねと曲がっていたり、おまけに「きゃべつ」「キャベッツ」などと間違いやすいものが紛れていたりと、悪戦苦闘する人もいる。
「声をかけられて声のする方を向いて、自分の視野に入った時は認識できても、その人が突然座ったりすると、もうどこにいるかわからなくなる」
「受付用紙に自分の名前を書くことができるのを見て、あら目が見えないと言っていたのに見えるのね、と不審がられる人もいる」
という説明を聞いて、自分が見える通りに人も見えているという思い込みに気付かされた。

体験その4 アイマスク体験

アイマスク体験というのはよく体験講座でおこなわれているもので知っている人も多いと思う。
私が学んだのは、視覚障害の人でなにか困った様子をしているのを見て、声をかける時は、離れたところから近づきながら「何かお困りですか」などと声をかける方がいいということ。
突然自分の目の前で、知らない声が話しかけてきたという違和感や恐怖感を取り除くため。なるほどと思う。

体験その5 ブラックボックスの中は

両手が入るブラックボックスがある。その中に一つの物体が入っている。触ってみて入っているものをできるだけ詳しくことばで説明する。そしてその説明をメモに書いておく。
ブラックボックスに他の物をいれて複数にして、違う人がメモを聞きながら複数入っている物から、最初に入っていたものをあてる、と言うゲーム。

テレビで見るようなどっきりものかな?と思っていたら、私が触ったものは何か小さな人形か複雑な形のものなのでびっくり。触っていても見たことがないようなものなのでうまく説明できない。全体の大きさ、でっぱりぐあい、凹んでいるところなどを説明しても、実際のものが何かわかっていないので説明も自信がなくなってくる。

私が触ったものは、鯉のぼりの上に金太郎が立っているような小さな人形だった。見たらすぐにわかるが、手の感触でそれを説明するのは本当にむずかしい。

体験その6 点字に触ってみる

アイマスクをして、実際に使われている点字に触れてみるというもの。

触ってみると、「こんなにちいさいものか?!」とおどろく。
目が見えず、指先だけに神経を集中していると、頭がくらくらしてくる。

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上の二枚の資料は点字一覧表の一部。
初めて知ったことは、「点字は裏返した状態で書く」ということ。
「右から左へ」「裏返して」ということはまったくしらなかった。
裏から紙を押して凹みをつくり、ひっくり返すと表に凸の文字が浮かび上がるのだ。そうすると左から右へと、私たちが活字を読むように点字が読めるようになる、なるほどなあ、点字を目にする機会は多くなったが、点字を打つところは想像したことがなかった。

体験その7 ロガトム表を読んでみよう

電話交換士さんが発声練習に使う「ロガトム表」をつかって、よく聞く、よく話すことを体験するというもの。

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ロガトム表には全く意味のない二つの言葉がならんでいる。

たとえばAには、
べーぽー
とーびゅー
ちゅーぺー
つーじゃー
しょーぱー
ぎーすー

の6文字が並んでいる。

これを参加者が順に読んで、それを聞き取って紙に書いていく。
正しく聞き取れてものはいくつあるか調べてみるというもの。

このことで、

「正しく聞き取る」だけでなく、「正しく聞き取りやすいように発音すること」の大切さに気づというものだった。

人にわかってもらうように話す、発音することのむずかしいこと。
人の前で話す機会の多い人には、このロガトム表の存在を知ってほしいと思った。

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午前10時から、お昼休みをはさんで、午後3時までの体験講座だった。
この体験講座の最後には、「点訳」「音訳」の紹介があった。

視覚障害者の人にとって大切な点字、そして「音訳」された本や資料。その多くがボランティアによって支えられている。
何か自分でできるものはあるかなあ、と考えさせられた体験講座だった。

 

 

 

 

千利休屋敷跡

「さかい利晶の杜」1周年

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左の写真は千利休屋敷跡。

「さかい利晶の杜」のすぐそばにある。

「さかい利晶の杜」ができる前の様子が、読売新聞に書かれていた。(2014年10月5日)

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幹線道路から外れた一角に、その屋敷跡はある。
堺市の阪堺電軌・宿院停留場近くに広がる敷地。豊臣秀吉に茶頭として仕え、わび茶を大成した千利休が、かつて暮らしていたとされる。

 「茶道の流派を超えた、聖地のようなところですね」と京都市上京区の茶道資料館の橘倫子学芸員は話す。屋敷での詳しい暮らしぶりは伝わっていないが、柵で囲まれたスペースには、茶の湯に使ったという「椿の井」と呼ばれる井戸があり、今も水が湧き出る。

 ただ、住宅街に溶け込むひっそりとしたたたずまいに、通り過ぎる人も多い。

  •   NPO法人・堺観光ボランティア協会の川上浩理事長(68)は「案内をして『利休がいたのと同じ空間に今、立たれているんですよ』と話すと、驚いて感動されることもあります」と言うが、「ガイドが一緒じゃないと中には入れませんし、一人でぶらりと来ても楽しめないですよね」と笑う。

           ◇ 

そんな場所が今、変わろうとしている。屋敷跡の西側に来春、市の文化観光施設がオープンするからだ。
 利休の茶の湯と、与謝野晶子をテーマにした「さかい利晶のもり」。3階建てで、京都にある国宝の茶室「待庵」も再現する。待庵は昨年公開された映画「利休にたずねよ」にも登場。亭主と客が対峙たいじする様子が描かれた。そんな、「緊張感の中で生まれるコミュニケーション」を感じてもらおうという仕掛けだ。

  • 建設が進む「さかい利晶の杜」。堺観光への期待もかかる

 屋敷跡も、所有する茶道裏千家淡交会総本部が一般公開する計画があるという。堺の歴史に詳しい太成学院大非常勤講師の中井正弘さん(73)は「和・敬・清・寂を重んじた利休の生き方や、心の持ちようは今の人たちにも響くはず」と期待する。

・・・・(略)・・・・
 
  ◆千利休屋敷跡

 井戸の屋根は、京都・大徳寺山門の古い部材を用いて建てられたとされる。江戸後期には、酒造業を営んでいた加賀田太郎兵衛が利休をしのんで建てた「懐旧庵」があったという。

 利休は1522年に、堺の豪商の長男として誕生。17歳から茶の湯を学び、のちに武野紹鴎に師事して佗茶を大成した。(以下略)

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「幹線道路から外れた一角」「ひっそりしたたたずまい」と書かれていた場所は、今はすっかり様相が変わっている。
屋敷の塀も復元され、前の道路も立派な敷石がひかれた道路になっている。
「さかい利晶の杜」のすぐ隣りにあるので、「さかい利晶の杜」を訪れた後は、「千利休屋敷跡」を見学しようという流れになっていると思った。 

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私が訪れた時は、ボランティアさんの方が、丁寧に説明してくれた。

堺観光ガイドには次のような説明がある。

「千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。平成27年のリニューアル後は、敷地内も見学できるようになりました。」

http://www.sakai-tcb.or.jp/spot/spot.php?id=92

ボランティアの方に聞いてみると、以前は金網のフェンスで中は見ることができるが、今のようには入れなかったという。それが「さかい利晶の杜」の建設と共に整備されたそうだ。

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千利休屋敷跡で、井戸や井戸からの水を引いた手洗い場をみると、まわりの空間が千利休がいた時代に戻されていくような感じになる。
静けさの中に歴史を感じるところ。こういった歴史を感じさせる空間と場所は現代には必要だと思った。

利晶の杜1周年

 

「さかい利晶の杜」のホームページを久々に見てみると、開館1周年の文字が。
早いものだ。でも、「さかい利晶の杜」はしっかりと堺市民の心に根付いたと思う。
さて、次は機会を見て茶の湯体験をしてみたいものだ。