アナレンマ2

ここはM-Cみはら歴史博物館の裏側にある「みはらふるさと公園」。
写真は「アナレンマ」を利用した「正午日時計」。
柱の足元の影に注意。三本の柱にくくりつけられた紐に支えられた円形の金属板の影が見える。近寄ってみよう。

5円玉のように真ん中が空いた影が、地面に写っている。

5円玉のような影が動いて、目盛りのある柱に移動してくる。しかし目盛りの面が地面に垂直なため、その影は広がり、うすくなり、円形の丸い穴は全くといっていいほどわからない。

上の写真は違う日にとった写真だが、こんな感じ。
なんとなく楕円の黒い影があるのがわかると思う。この黒い影が、空中に設置されている真ん中に穴の空いた円形のプレートの影。

柱に斜めに投影されるため、その影が見えにくくなっているのだろう。
ではその付近に角度をつけて紙をおいてみよう。

写真のように、円形の影と真ん中に穴の空いた様子がよくわかる。
斜めに投影されているために、このようにはっきりと見えないのだ。

時間とともに真ん中に穴の空いた影が動いていることがわかる。
これで正午になった時がわかるという仕組みなのだ。

柱に刻まれた目盛りを見ると、12月21日頃が一番高い位置にある。
太陽高度は低いが、真ん中に穴の空いた金属のプレートと、この柱との距離が近づくため、はっきりとした円形の影と真ん中に穴の空いた様子がわかるかもしれない。

今年いっぱい、時間をかけて観察する必要があるようだ。

 

 

 

 

児童公園の三等三角点

三角点を探る旅 42

三等三角点があることがわかった。

近くに郵便局と広い大きなグラウンドがある。 ここは北引野児童公園というところ。

公園の道路側の端に三角点があった。

 

三角点の基本の形のとおりに、まわりに保護用の石が設置されている。
「国」という字が読み取れる。「国土地理院」の「国」と思われる。

「三等三角点」の「三等」が読み取れる。たぶん「三等」の文字の下に、縦に「三角点」とかかれているのだろう。

これは「基準点」の「基」と思われる。

この面には何が書かれているのかはわからなかった。

三等三角点について、国土地理院は次のように説明している。

三等三角点 設置間隔は約4km。 全国に約3万2000点。 柱石の一辺は15cm、破壊や破損に備えて、柱石の直下には盤石も埋設されている。 現在の技術水準では、2万5千分1地形図を作成するための位置の基準は3等以上の三角点で充足される。 

ちなみに四等三角点の大きさは1辺が12cm。

これまでの写真と比べてみると、確かに三等三角点は少し大きく見える。

公園の中の三等三角点、地図でしらべてみると「大饗(おわい)三等三角点 標高34.44m」ということだ。

この三角点はどれくらいの時間、公園で遊んでいる子どもたちを見守り続けてきたのだろう。

 

 

 

 

黒姫山古墳

ここは「黒姫山古墳」
堀に沿って歩くことができる、自然な形で残されている古墳だ。

写真にある道路拡張があったが、この古墳は破壊からまぬがれた。

解説があったので、読んでみると、
「黒姫山古墳は、百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間に位置する堺市美原区黒山に所在する前方後円墳です。5世紀の中頃の築造と考えられ、平地に立地し、前方部を西に向けています。全長114m,後円部径64m、高さ11m,前方部幅65m,高さ11,6mの二段築成で、幅15〜20mの壕をめぐらせています。・・・・」
とある。

全国一の鉄製の甲冑の出土量

「古墳は、戦後すぐに発掘調査が行われ、24領の鉄製の甲冑(よろいかぶと)が前方部の石室で発見されました。この数は、日本にある古墳からの出土量としては、全国一です。第2位の野中古墳が11領なので、それと比べても2倍以上の鎧兜が出土したことになります。・・・略
黒姫山古墳に埋葬された人物は、強力な軍事力を持っていたと考えられます。また、鉄が朝鮮半島から入ってきていたとかんがえられるため、外交的な力をも持っていた人物と考えられます。これらのことから、この古墳に埋葬されているのは、当時この地域で勢力を持っていたとされる豪族、丹比(たじひ)氏の首長と考えられています。」

これは石室の復元模型。この石室の中に鎧いや甲が埋葬されていたらしい。

両側には埴輪が復元され並べられている。

この黒姫山古墳から歩いて数分のところに、出土品をメインにした「みはら歴史博物館」がある。しずかな博物館でゆっくりと見学することができた。もちろん無料で。

黒姫山古墳と「みはら歴史博物館」のあいだにあるのが、以前紹介した「桜珈琲」。
博物館の受付の人の話によると、黒姫山古墳を見学する人が車で来たとき、その車を桜珈琲の駐車場に停めることができるという条件で、堺市が桜珈琲に建築を許した、という経過があるそうだ。
なるほど、黒姫山古墳が丁寧に保存され、その博物館もあるというのは、堺市の歴史にかける意気込みなのだろう。