ポルトガル紀行 20

ポルトガル6日目
       モラエスの家

リスボン地図1

この地図はガイドさんからもらったもの。 ガイド仲間の人が作った手書き地図。
縮尺等はわからないが、市内の雰囲気がわかるので、ガイドブックと合わせてみると、わからない場所でもなんとか行けそうな感じがしてくる。
グルベンキアン美術館そばの地下鉄に乗る。前日買ったフリーチケットがここでは力を発揮する。大阪の地下鉄やJRのように入り口にある自動読取機にタッチする。読み取り時間は日本のものと少し違う感じ。
行き先は下の地図にある「モラエスの実家」。

リスボンの地図2

モラエスという人は、徳島に行った時に知った歴史上の人物。 私のこのブログの「水準点めぐり7」と「三角点を探る旅 その14」で紹介した人物で「日本ポルトガル総領事」だった人。下の写真は徳島市立新町小学校のそばにあるモラエス像。

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小学校のそばに像があったり、眉山の頂上にモラエス記念館があるなど、徳島とモラエスの深い関係をこの時に知った。リスボンに家が残っているとわかったので、是非見たいと思った。

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司馬遼太郎さんの「南蛮のみち2」には、モラエスのことが書かれていたので、それほど有名な人なのかとあらためて思った。(本の写真は徳島の眉山にあった記念館での写真)。

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「ポルトガル海軍は、作家も生んだのである。
 二十一歳て海軍兵学校を卒業したモラエスは、植民地勤務が長く、健康を害したり、海上勤務にもどったり、たまたま戦闘にも参加したりして若い時代をすごし、三十五歳のとき(明治二十七年)はじめて日本に来航した。 1897年、現役海軍中佐として広東(カントン)総領事をつとめていたとき、日本文化の紹介書である”Dai-Nippon”(「大日本」)をリスボンで刊行し、一躍文名があらわれた。この本は明治の日本人の心についてのべた面映ゆいほどの賛美の書であった。
 私は、モラエスの作品は『おヨネと小春』(花野富蔵訳・昭和十一年・昭森社)をもっているにすぎない。しかしこの一冊で、恋か冒険をする以外にない「哀愁病」(モラエス自身のこと)にかかっていた作家の心がややうかがえるような気もする。壮年のころのモラエスは愛の病者だったし、晩年、愛する者をうしなったモラエスは、かれ自身の序文のことばを次はぎに使うとすれば、「夢と追慕」に生きた。よく知られているように、モラエスは晩年のすべてを徳島で送った。 徳島に流寓したのは、そこが、愛人だった小春、夫人だったおヨネという、亡きひとびとの故郷だったからである。
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 モラエスの死も、あっけなかった。かれは徳島市伊賀町三丁目の茅屋にひとり住んでいたが、昭和四年(1929)七月、ブランデーを多量に飲み、縁側から土間の三和土に転落し、頭を打ったままそのまま逝った。七十五歳であった。

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 海の人であったモラエスは、マカオ駐在の海軍少佐時代、航海家として十六世紀的な大事業をやっている。マカオの港に半ば朽ちて放置されていた旧式木造砲艦「テージョ」号を、本国の命令でリスボンまで回航したことである。成功は万に一つといわれていたが、かれは荒天を避け、水漏れをふせぎ、腐ってしまった機関をなだめつつ、港から港へ這うようにして動かしつづけ、ついにテージョ川の河口のベレンの塔の見える錨地まで連れもどした。」

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こうして「南蛮のみち2」を読んでいくと、テージョ川とベレンの塔は、リスボン、いやポルトガルと日本の関係からは、切り離すことのできない場所のようだ。

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さて、私たちはそのモラレスの家をめざして、地下鉄をおりてケーブルカーを探すことになった。上の地図のように坂道電車が走っているはず、あった。

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写真左上が坂道電車のなか。
お客さんが来ないので運転手さんに英語でモラエスの家はこの上にあるのかと聞く。地図を見せるといろいろと説明してくれているが、よくわからない。ちなみに運転手さんは女性。
写真右の運転席の左に黄色い面が見える機械が、チケットをピタッとあてる機械。

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ケーブルカーは全面落書き?だらけ。

これも芸術のパフォーマンスなのかよくわからない。
坂道電車を降りて、モラエスの家をさがすがよくわからない。ガイドさんの手書きの地図やガイドブックの写真と照らし合わせながら、街角の家並みと比べて歩きまわること20〜30分。
わからない。
ケーブルカーの駅にもどってやり直してみよう。地図をよく見ると、ケーブルカーの駅のすぐそばに階段の絵がかいてある。階段を降りればいいのかもしれない、と思って周りを見ると、なんと駅の左側に階段があった。これだな。

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家の壁にも沢山の落書き?アート? あった、日本語が書いてある。

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「葡国海軍士官にして作家たりし
 ヴェンセスラウ・ジョゼ・デ・ソーザ・モラエス
 (1854−1925)が生まれ育ちたる  
 はこの家なり
 長き歳月を愛する日本に過ごしたるかれは
 祖国に思いを馳せつつかの地に死せり       
             日本国 宇留野清華書」

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ガラス戸の向こうを覗いてみると階段らしきものが見える。 二階がモラエスの住居だったようだが、ガイドさんもいないので外から眺めるだけ。
雨のせいか、人通りは全く無い。
日本人の観光客も私たち以外には、だれも姿を見なかった。
外国で亡くなった有名人の実家、外側と碑のようなパネルが残っているだけでも意義があるのかもしれない。
モラエスさんの像や碑は日本では、徳島と神戸にある。
ポルトガルでは、リスボンのジェロニモス修道院のそばにある海洋博物館にモラエスさんが使った机などが展示されているそうだ。時間がなかったので、そこに行くことはできなかった。

さて、雨も本降り。まだまだ市内観光をしたいので、旧市街の幅の狭い坂道を下っていくことにした。
狭い道の両側には、野菜を売っている店や食べ物やさんの店がある。
商品の仕入にこんな急な坂道を毎日昇ったり降りたりするのも大変だなあと思いながら歩く。
かなり年配の女性が杖を付きながら坂道を登ってくる。
生活道路なのだ。
傘を持ってすべらないように緊張して歩いていたので、写真も取っていなかった。
あとで地図を見なおしてみると、「アマリア・ロドリゲスの生まれたとされる家」というのがあった。ああ、もう少し丁寧に地図と町を見ておくのだった。
旅行はいつも日本に帰ってきてから後悔することが多い。

さて坂道をくだってたどりついたところが「ロッシオ広場」。

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リスボン市内の真ん中にある広場。 中央に立つ像は「ドン・ペドロ四世」。のちに初代のブラジルの国王になった人。ブラジルもポルトガルの植民地だったのだとあらためて思う。 「ロッシオ」(あるいは「ロシオ」)というのは、ポルトガル語で「公共の広場」という意味だそうだ。

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広場に面して立派な劇場がある。「ドナ・マリア二世国立劇場」。
小学生の子どもたちが歩いている。社会見学?集団下校?
妻があとで「障害を持っている子には一人おとながついていたね」と言う。私は写真を撮っていながら気が付かなかった。

さて、これからおみやげものを中心に町を歩くことにする。
しかし、雨がやまないなあ。

 

 

 

ポルトガル紀行 19

ポルトガル6日目
       グルベンキアン美術館

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リスボンは今日は雨だった。

ガイドさんに聞くと、タクシーのほうが便利だろうということなので、タクシーを探す。
私たちの行く方向が、市内方面と反対なので車の流れが少ない方になる。ぶらぶら歩いてタクシーを探しながら、結局は写真に写っている大きなビル、ホテルの入口付近でタクシーが止まっているのを見つけた。
目的地は、「グルベンキアン美術館」。グルベンキアンとうまく発音できないので、事前に書いておいた紙を運転手さんに見せる。

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タクシーの運転手さんが案内してくれたのは、この建物。前の庭には雨なのに、置物のような鳥がいる。そのまま入っても、何かレセプション会場のような雰囲気で、美術館の入口という感じではない。一旦外に出て周りを見ると、妻がこっちと指差す。

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タクシーから降りたところから、向かって左にあった建物が美術館だった。

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受付前のロビーにはみごとな彫刻があった。私がわかったのは、ロダンの「カレーの市民」。手に触れるぐらいのところに置いてある。
高校生らしい子どもたちが、入口付近にいる。先生たちが受付で何か手続きをしている。社会見学なのだろう。歴史的建造物や美術館の見学など、行くたびに小学生や中学生、高校生のグループに合う。学校教育も実物にふれ、歴史的に自分たちの国を見ていくことがだいじにされているのだろう。ここはクロークがあり、コートや傘を預かってくれた。

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最初に目に入ったのは、見事なエジプトのレリーフ。
12月に見た「クレオパトラとエジプトの王妃展」での「ティイのレリーフ』を思い出す。グルベキアン美術展には私のわかる説明がなかったので、このレリーフがどんな歴史的背景がわからなかったのが残念だった。(ティイのことを書いた私のブログは、このブログの一番トップにある「検索」の欄に「クレオパトラ」と書いて検索するとそこにつながるはず。)

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IMG_9027 日本の伝統工芸品もあった。
煙草盆などの螺鈿細工や印籠も。解説には「Inros 」と書いてあった。

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ターナーの「輸送船の難破」(The Wreck of a Transport Ship by TURNER )

ターナー難破船

ターナーの「難破船」といえば右の絵が有名(写真はネットより引用)。1805年の作品として知られている。
私たちが見た上の絵は1810年の作品と紹介されていた。
難破船といえばルーブル美術館で見たジェリコーの「メデューズ号の筏」が有名だが、難破船というテーマは当時の画家にとっては魅力があったのかもしれない。

IMG_9039マネの「シャボン玉を吹く少年」(Boy Blowing Bubbles by MANET )

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ルノアールの「クロード・モネ夫人の肖像」
        (Portrait of Madame Claude Monet by RENOIR )

美術の教科書や画集では見たことがあったような作品の本物がここにはあった。

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ここグルベンキアン美術館のグルベンキアンとは人の名前。

「地球の歩き方」にはこんな説明があった。

「グルベンキアンはイスタンブール生まれのアルメニア人で、石油王として財を成し、晩年はリスボンで暮らした。死後その膨大な美術品のコレクションはグルベンキアン財団としてポルトガルに寄付された。
 美術館、オーケストラ、バレエ団などを所有するほか、さまざまな文化事業に貢献する。
 グルベンキアン財団の敷地に1969年にこの美術館が建てられた。
西洋から東洋までの幅広い美術品を所有していることで有名。」

このガイドを読んで、フリーの時間には是非行きたいところと出発前から考えていた。

日本ではめったに見ることのできない物があるに違いないと思っていたが、そのとおりだった。

IMG_8997常設展以外に二つの特別展が開かれていた。 それぞれ別料金だったので、私たちはそのうちの馬の絵の展示されていた方だけを見た。

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馬の絵だけではなく肖像画なども多く展示されていて、こちらでは学芸員らしい人が、年配の人達のグループに解説しながら絵を見ていた。
参観者のノートみたいなものがあったので、日本語で日付と名前を書いた。ページを繰ってみると漢字らしき文字はなかった。

常設展も特別展も静かで、美術品を楽しむという雰囲気が漂っていた。

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地下には展示場の他に、アートショップや喫茶室があった。お昼に近づいていたので、地下の喫茶でコーヒーとパンとケーキを買って食べることにした。
中庭を見ると、まだ雨が降っている。小降りになっているが、止む気配はない。

さて、午後は地下鉄を使って市内見学をする予定。

 

 

ポルトガル紀行 18

ポルトガル5日目
        FADO(ファド)

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スペインにはフラメンコ、ポルトガルにはファド、とそれぞれの国に欠かすことのできない音楽がある。ポルトガルに旅行するというと、「機会があればファドは是非」といわれることが多い。
私自身、ファドというのははじめての音楽だった。

「地球の歩き方」にはこんな説明がある。

「かつて南米のブラジル、アフリカやアジアなど世界各地に進出したポルトガルは、植民地から収奪した資源を本国に送り込んだ。それとともに外国人や異国文化がボルトガルに流入する。リスボンの下町で歌いだされたファドだが、もともとポルトガルにあったという説から、イスラム起源やアフリカ伝来の説まで、その起源には諸説がある。
 有力な説の一つは、ブラジルでアフリカ人奴隷が親しんでいた官能的な音楽舞踊が、リスボンで下町に広まったというもの。それに他の音楽の要素が加わり、しだいに打楽器の要素が失われ、歌の部分が強調されるようになる。

ファドの形式は19世紀に確立され、しだいに庶民の間に広まってきた。そして現代まで受け継がれている。」

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私たちが行ったのは「ティンパネス」というお店。そしてこれがステージ。
基本はファディスタとよばれる歌い手、ギターラ(ポルトガル・ギター、6組の複弦で全12弦のギター)、そしてヴィオラ(一般のクラシック・ギター)の3人。打楽器などはない。
シンプルな構成になっている。

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私たちは食事付きのファドショーだったが、飲み物だけで参加の外国人グループや家族で食事に来ていたポルトガルの人たちのグループもあった。

メニューはワイン付き。カルド・ベルデ(じゃがいもと青菜のスープ)、仔牛肉、アイスクリーム、コーヒー、パンだった。
相席の人がお肉はだめ、といってたらしく、その人には魚料理が提供された。
食事をしながら、ワインを飲みながらのショーだった。

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経験豊かそうな女性、男性と二人の歌い手が交代して歌ってくれる。
ギターのチューニングや音程合わせが丁寧にやられている。
途中で、フォークダンスのようなショーやグループでの歌。そしてギターだけの演奏とつづく。
最後にメインのファデスタが黒い衣装、で歌いあげる。

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ファドを聞く前に、ガイドさんからバスのなかでいくつかの解説を聴いた。 一つは司馬遼太郎さんの「街道をゆくシリーズ』にファドのことがのっているということ。 もう一つは、ちあきなおみさんがファドを歌っているということ。 日本に帰ってきてから、調べてみた。 YouTubeにちあきなおみさんのファドがあったので、下に紹介しておく。

https://www.youtube.com/watch?v=DpbkYQn1eDM

ちあきなおみさんの歌は、ファドの雰囲気はよく伝わっていると、私なりに思う。

ポルトガルでのファドショーの最後の女性ファデスタは、津軽海峡・冬景色を歌う石川さゆりさんを思い出した。切々と感情を歌い上げる節回しは、日本の演歌と何かしら共通点があるようにも聞こえた。

ファドといえばアマリア・ロドリゲス。
アマリア・ロドリゲスの紹介と音楽がのせられているブログがあったので、下記にURLを書いておく。

http://blogs.yahoo.co.jp/maskball2002/66719976.html

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司馬遼太郎さんの「南蛮のみち2」にアマリア・ロドリゲスのことがかかれているので、その一部を引用する。

「アマリア・ロドリゲスは、仄聞するところでは、リスボンの庶民街であるアルファマの洗濯女だったという。(物の本では、波止場でオレンジを売りながら船乗りたちのためにうたっていたという。)アルファマの丘は、丘そのものが集落である。石段で上下するが、ところどころに泉がある。その泉に女たちが集まって洗濯する。
そういう場合、たれかがうたう。アマリア・ロドリゲスは洗濯をしながら仲間たちを楽しませつつ、自分の手の動きにもリズムをつけていた。やがて専門の歌手になった。
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やがで部屋いっぱいに声量が満ちた。声は強靭に、はるかにのびてゆくかと思うと、にわかに鼻音のなかに縮まり、そのうち、水色に色づいたシャポン玉のように丸い詩情がほかほかとうまれ、軽やかに空中に飛翔し、そのことに油断していると、ふたたびたかだかとした烈しさに変わり、また胸をかきむしるような悲しみになってゆく。さらには、泣き寝入りする幼女の夢の中でささやくような調子にかわっている、というふうで、聴きているうちに、単なる声ではなくなってくる。そこに女性のゆたかな肉体がひろがり、さまざに色づく心が戦慄し、ときに凝縮し、不意に肉体がつまさき立ってみえざるものへはげしく両腕をふりつづける。歌詞はわからないが、海へ出て行った夫や恋人のまぼろしまで浮かんできそうである。ポルトガルの女たちの宿命をうたっている。

IMG_8981ヴァスコ・ダ・ガマ以来、男たちは海へ出て行ったし、いまもゆく。女たちは陸に残され、男たちが残して行った子供を育て、行商をし、ときに泉へゆき、汚れものを岩角に打ちつけて洗い、濯ぐ。ポルトガルの女たちは何世紀もさびしさに耐えてきたが、ついにたれが生んだともなしに、ファドがうまれた。もっともその成立は存外あたらしく、19世紀ぐらいだという。」

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私たちの見たファドショーは、ステージだけではなく、客席の中に入って歌ってもくれた。
その情感は日本人と共通するものがあるかのように、迫ってくる。
ただ残念なことに、歌詞がわからない。曲の解説があれば、もっと想像しながら、ファドの世界に入っていけたかもしれない。

合間にCDをもって販売に回ってくるが、ポルトガル語がよめないので歌手の名前や曲のタイトルがわからない。
買って帰っても、日本で曲の内容を確かめることもできないと思い、買うことはあきらめた。

ステージが終わったら、時計を見ると10時をとっくにすぎていた。今日のような観光客相手のショーでなければ、ファドはこれからますます盛り上がるそうだ。

観光客の日本人にとっては、10時をすぎるとそろそろ休憩がほしくなるころ。
バスに乗って、ホテル「ドン・ペドロ・パレス」に向かう。
ツアーでの観光は今日まで。明日1日は全くのフリータイム。
ただお天気だけが心配だ。