ハイジとドレミの歌 番外編

トラップ一家のその後

サウンド・オブ・ミュージックのトラップ一家は映画の人ではない。 実際にオーストリアからアメリカに亡命している。

旅行中、松本侑子さんはアメリカに亡命したあとのトラップ一家の様子を紹介された。
左がアメリカでのトラップ一家のようすを教えてくれる本だ。「サウンド・オブ・ミュージック」という題で2冊の本が出版されている。1冊目が映画で私達が知っている内容のもの。2冊目が左の本で「アメリカ編」となっている。図書館で借りてきて現在読んでいるところ。

1938年にオーストリアはドイツに併合される。トラップ一家が渡米したのはこのとき。映画でその場面があった。翌年1939年に第二次世界大戦がはじまっている。アメリカに渡った一家の様子が、マリアの手によって書かれたのがこの本。マリアはアメリカに来たことをきっかけに英語を学んだ。そしてこの本はマリアが学んだ英語で書かれている。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、ドイツナチスの非道さを知ったが、オーストリアが戦争後10年間連合軍によって占領されていたことは、今回の旅行で初めて知ったことだ。
アメリカにいたトラップ一家は、「トラップ・ファミリー・オーストリア救援隊」を組織し慈善活動をしていたそうだ。そのことをこの本で知った。

オーストリアで買った星座盤

上の写真が自然史博物館で買った星座盤。 この星座盤を買うとき、私は棚に並んでいる星座盤の一番正面にあるものを持っていくと、レジの人は多分こう言っていたと思う。
「これは中がわかるようにしてある展示品だから、ちゃんとシールされた商品にとりかえましょう」
と言いながら新しい星座盤を持ってきてくれた。
裏には使い方が書いてある。広げてみると太陽系の星などが説明されていた。
なにぶん全部ドイツ語で書いてあるのでよくわからないが、最座名でわかるところもある。

北極星の位置を見ると、日本に比べるとかなり高度が高い。これは緯度が高いからだ。世界中の星座盤を比べてみたいものだが、今まで行った国で星座盤を見たことがなかった。やはり自然史博物館のような建物に行かないと見つからないのだろうか、と思う。

飛行機から見た富士山

今回は東京に行くときも大阪に帰るときも富士山がよく見えた。
上の写真が大阪から東京に向かうときに見えた富士山。
下の写真が東京から大阪に帰るときに見えた富士山。
東海道線に乗ったとき、富士山が見えたらいいことがある、なんて中学校の修学旅行のときに言っていたが、今は飛行機から富士山を見る時代だ。
行きも帰りも富士山を見ることができたということは、私にとってはとってもいい旅になったと、富士山も言ってるのだろう。

 

 

 

ハイジとドレミの歌 25

ハイジとトラップ一家から「馬の博物館」へ

スイスからフランスへ約2時間の飛行。
そしてパリから羽田への直行便で約12時間の飛行。

案内掲示板に日本語表記がでるのは、日本行きの飛行機だからだろうか。
23時25分発。深夜便だ。

日本行きの飛行機にフランス人らしき親子が乗っていた。2歳ぐらいの女の子が12時間の飛行機に。お父さんに怒られ、お母さんになだめられての旅。よく頑張った。
羽田についたのは7月8日(日)の午後7時近かった。トラブルもなく、予定通りの飛行だった。
荷物は宅急便で家に送り(雨のため最大1周間遅れるかもしれない、と言われた)、私達は空港内にあるホテルに泊まった。

ホテルは中華街の傍にあった。 どうして一泊したかというと、訪ねたい場所があったからだ。

横浜駅からJRに乗り、「根岸駅」までやってきた。ここからバスに乗る。

「根岸競馬記念館 馬の博物館」だ。

人間と馬の歴史が展示されている。 馬の博物館は日本でもここだけ、と言われているそうだ。世界の馬についての資料や、スーホーの白い馬にかかわる展示など見るだけで勉強になる。私達の目的はこの展示ではない。

以前にこのブログで紹介したが、高田郁さんのトークショーで、取材のためにこの「馬の博物館」へ来たという話があった。機会があればその「馬の博物館」に行ってみたいと思っていたので、スイス・オーストリアの帰りによることができた。
高田さんは、20分で見学を終えるつもりが4時間いたという。江戸時代の道具を触ったり、かついでみたりと熱心に取材されたそうだ。
次の作品に馬のことを書くので、とトークショーで話されていたが、どんなふうに作品に反映するのだろうと、興味津々だった。
実際にこの「馬の博物館」に来てみたが、ここで4時間?? というのが私の実感。高田さんの取材はどこに注目して、何を熱心に調査したのだろう。ますますその作品が楽しみになった。

博物館の受付の人に高田さんのことを話すと、関西の人で、お母さんが高田さんの「みおつくし料理帖」のファンであることがわかった。「高田さんが取材に来たそうですよ。次作にはここでの取材が反映した作品になるそうですよ」と話すと「母に話します」と大変喜んでいた。

ここには厩舎もある。体験もできるのだろうか?
夏の企画として、馬の絵をかいたり、自由研究相談や紙芝居、折り紙の馬、などの楽しいプログラムが紹介されていた。

帰りの時間が近づいてきたので、バス・JRと乗り継いで羽田空港に向かう。 珍しく機体の色が黒い。スターフライヤーだ。この飛行機に乗るのは初めてだ。乗り心地もデザイン同様に良かった。

7月3日(火)に出発した旅もここで終了。
まだまだ紹介したい写真もあるが、ひとまず中締。

 

 

 

ハイジとドレミの歌 24

ベルヴェデーレ宮殿

 

ベルヴェデーレ宮殿とは? 今回もウィキペディアよりの参照。

「もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、当時の代表的な建築家であるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント(Johann Lukas von Hildebrandt)に、夏の離宮として造らせたものである[1]。1714から1716年にかけて下宮(Unteres Belvedere)、1720から1723年にかけて上宮(Oberes Belvedere)が建設された。プリンツ・オイゲンの死後1752年に、ハプスブルク家のマリア・テレジアに売却された。現在はオーストリア絵画館になっている。オーストリアで2番目に大きな美術館である。」

そう、美術館なのだ。

教科書で見た覚えがあるナポレオン像。 ジャック・ルイ・ダビッド作「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」。なんでも5枚同じような絵があることを知ってびっくり。そのうちの1枚はベルサイユ宮殿にもあるらしい。

数ある名作の中で、ここベルヴェデーレ宮殿の宝といえば、クリムトの「接吻」だろう。国外には出すことはないといわれている作品。まさに至宝だ。

左は「ユディトはホロフェルネス」。神戸の展示会で見た覚えがあるが、実物だったのかレプリカだったのか?

ネットで検索してみると、グスタフ・クリムトは世紀末ウイーンを代表する帝政オーストラリアの画家だそうだ。(1862年7月14日〜1918年2月6日)
またその画風は、

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『接吻』に代表される、いわゆる「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出している。

クリムトは、同時代の多くの芸術家同様、日本や東アジアの文化の影響を強く受けている。日本文化への深い傾倒は、甲冑や能面などの美術工芸品を含むプライベートコレクションからも明らかで、1900年分離派会館で開かれたジャポニズム展は、分離派とジャポニズムの接近を象徴するイベントであった。特に浮世絵や琳派の影響は、クリムトの諸作品の基調あるいは細部の随所に顕著に見て取れる。
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日本の影響がある、というだけで親しみがわき、じっと見入ってしまうのはちょっと安易かな?と思いながらも、やっぱり見てしまう。

上の作品は「フリッツアー・リードラー」。

この絵はだれのかわからない。説明を聞いていたが、日本に帰ってネットで調べれば思い出すだろうとおもっていた。 日本に帰ってインターネットで調べてみるが、現時点ではわからないまま。メモしておくんだった。

窓から見える庭もきれい。しかしこの庭を埋め尽くす国民が集まってことがあるとはしらなかった。それは、

美しい庭の見える大理石の間の床に金属板が埋め込まれている。 ガイドさんの説明によると、第二次世界大戦でドイツが降伏した時(1945年)、オーストリアはそれから10年間連合国に占領されたそうだ。 私はそういう歴史的事実を知らなかった。

オーストリアはイギリス・アメリカ・フランス・ソ連の四カ国によって分割統治された。そして10年後の1955年に、永世中立宣言を行い独立を回復した。
そのとき、このベルヴェデーレ宮殿で独立宣言が国民に向かってなされたそうだ。
宮殿の庭を埋め尽くしていた国民は大歓声をあげたと言う。

その記念碑が上の写真の金属板。オーストリア国家条約がかかれているようだが、ドイツ語が読めないのでこれ以上のことはわからない。

ベルヴェデーレ宮殿は、美術館になっているが、歴史の証人として存在している。
ハプスブルク家の繁栄、ヒットラーが生まれた国、そして美術と芸術の観光地となっても、戦争の悲劇と独立の喜びが刻まれているのだ。

家族連れの観光客がいる。小さな子どもたちが階段で遊んでいる。
平和を大切にしたいとあらためて思う。

さあ、ハイジとドレミの歌の旅もこのベルヴェデーレ宮殿が最後の場所となった。
ここから空港に向かう。
さらば、ベルヴェデーレ宮殿。