スペイン「カルメン」紀行25

あたらめてカルメンについて

IMG_20151204_0001このツアーで松本侑子さんに質問したことがある。

「スペインで歌劇カルメンが上演される時は、スペイン語で上演されるのですか?」

松本侑子さんの返事は「フランス語です」。

その時に聞いたお話の内容が、「ヨーロッパ物語紀行」にこんなふうに書かれている。

**************

スペインの人に「スペインの物語といえば『カルメン』を知っています」などと口にすると、無知な東洋人だと秘かに軽蔑されるかもしれない。
 舞台はアンダルシアでも、フランス人がフランス語で書いたフランス文学だからだ。オペラにいたっては、台本を書いたR・アレヴィとH・メイヤック、作曲家ビゼーもすべてフランス人。ビゼーは一度もスペインに行かずに、スペイン的とされる旋律を作ったのだ。作者のメリメはスペインへ二度、旅をしているが、いずれにしてもこれは「フランダースの犬」と同じように外国人が書いた小説だ。
 もっと厄介なことに、ホセはバスク人、カルメンは流浪の民だ。しかもホセの母国語はバスク語、カルメンはロマーノ語で、主な登場人物は、スペイン語を話すスペイン人でさえないのだ。
・・・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・

スペイン人にしてみれば、侵略国フランスの役人メリメが、スペインとは言語も文化もちがうバスク人の山賊とロムの女の殺傷沙汰を、人から聞いて書いた外国文学が『カルメン』だ。スペインには、ほかに優れた古典、名作があるにもかかわらず、これがもっとも有名な物語として世界中に流布していることに対して、微妙な心情があることだろう。
 また、バスク人とロムは長らく差別されてきた人々だ。被差別者の男と女が不道徳で犯罪の匂いのする色恋沙汰をする設定そのものに、今の考え方かるすると、政治的な公平性(PC)の観点からの批評も生じるだろう。
 『カルメン』は、スペイン人、バスク人、ロムの三者それぞれを複雑な心境にさせる物語なのだ。どこの国にも、マイノリティとされる人々の問題はあるが、それが『カルメン』には集約的にあらわれているからだ。

**********************************

原作本の「カルメン」には文庫本では二種類の本がある。 IMG_20151119_0002IMG_20151204_0001 - バージョン 2

「カルメン」の第4章には、カルメンとは直接関係のない、作者が調べたことを読者に教えるような文章が10数ページ書かれている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ボヘミヤン、ヒタノス、ジプシー、チゴイネルなどの名で知られ、ヨーロッパ全体に散在している御承知 の放浪民族が、今日なお多数に存在する国の一つはスペインである。多くは南部および東部の諸州、すな わちアンダルシア、エストレマドゥラおよびムルシア王国に住んで、というよりは、放浪生活を送ってい る。カタルーニャにも相当たくさんいる。このカタルーニャの連中はたびたび国境を越えてフランスへや って来る。南仏で市の立つ場所では、いたるところ、この連中を見かける・・・・・」
(岩波文庫より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現在であったら、本の編集者などが、「あとがき」としてこの記述についての解説を書いているだろうと思われる内容の文章が続いている。
残念ながら上の二冊の文庫本にはそのような解説はのっていない。

私がこのスペインへの旅行に行きたかった理由の一つが「ジプシー」のことだった。
10数年ぐらい前からだろうか、「ジプシーという言葉は使ってはいけない言葉だ」とか「ジプシーという言葉よりロマと言う言葉のほうがいい」とか「ロマと言う言葉は彼らの言葉で人間という意味だ」というような論調の評論を読んだことがあるからだ。
そう言われているのならそのほうがいいのだろう、というあまり自覚のない根拠で、「ジプシーよりもロマと言い換える方がいい」と思ってそうしてきた。

スペインへ行く機会に現地の様子を見てみたい、できたら何かスペインでの知識を得たい、そんな気持ちがあった。
松本侑子さんの本には、きっちりとそのあたりを押さえた記述があった。

****************************

「メリメの書く「ボヘミア』とは、流浪の民、英語でいうジプシーだ。もっとも最近は、ジプシーという言葉は使われなくなっている。
 というのもこれはジプシー以外の人がつけた呼称であり、本人たちが呼びならわした名称ではないからだ。そもそもエジプト出身説は誤りで、古い時代にインドを出た人々だと今ではわかっている。また最近は放浪しているわけではなく定住者が増えている。さらにスペイン語ではヒターノ、ジプシーの話すロマーノ語ではロム(複数形はロマ)という言葉があるため、昨今は、ヒターノ、もしくはロム、ロマと称されることが多いようだ。

***************************

ジプシーという言葉は、周りの人々の呼び名だったのだ。それは差別的な響きを伴い、差別の意図を持って使われてきたからその名前を拒否する人が出てくるのも当然だと思う。その結果ロマやロムと言う言葉を選び、使うような運動も起こってきたのだろう。このツアーを前後して何冊かの本、ビデオ見た。そこでわかったことは、

1.ジプシーという言葉は外から与えられた言葉で、その言葉を嫌う人たちは、ジプシーよりもロマを使うほうが良いと世界に訴えている。また逆に誇りを持ってジプシーということばを自分たちのミュージックグループ名にしたり、ジプシー音楽として広めている人達もいる。
2.ジプシーと言われて人たちは多様で、肌の色も髪の色も眼の色も宗教もひとくくりにできるものではない。私たちはこれまでの「ジプシー観」に規定されて見ていることが多い。
3.第二次世界大戦で、ナチスドイツは多くのジプシーの人達を虐殺している。その数はユダヤの人たちよりも多い言う説もある。ただジプシーの人たちはそのことを、ユダヤの人たちのように世界に訴えなかった。だから私のようにそのことを知らない人が多い。

IMG_20151227_0001

私が読んだ本で、手に入れやすくて新しい資料と作者の体験・経験を読みやすくまとめてあると感じたのが左の「ジプシーを訪ねて」(岩波新書 関口義人著)

ジプシーの研究は現在急速に進んでいる。起源についても様々な説があるようだがこの本でも詳しく取り上げられている。ただ現在進行形のものも多くあるので断定することは控えていると思う。たとえば起源についは、

「1990年代末から一気に進んだヒンディ、サンスクリットとロマニとの密接な関連性の研究は、ジプシーのインド起源を示唆する、というより、その言語ロマニが確実にアジア系のそれであること、もっと厳密には、南アジア系の言語であることを立証するにいたっている。無論、だからといって彼らがインド起源であるといえるのか、そうは言えない。しかし同様に、そうではないとは『なおさら』言えないのである」。

IMG_20151227_0002

 プログてお世話になっている風見鶏さんのお知り合いの人から映画「パプーシャの黒い瞳」を紹介してもらった。その映画上映を記念して日本で作られた本が左の「パプーシャ その詩の世界」(発行ムヴィオラ)。谷川俊太郎さんの寄稿やジプシーについての歴史的な論文ものせられている。(フィツォフスキー著「ポーランドにおけるジプシー 歴史と習俗」)

映画はビデオになっている。そのビデオも風見鶏さんのお知り合いを通じて見ることができた。

映画はモノクロで、1910年ごろから1971年ごろまでの実在したパプーシャという女性の人生がテーマになっている。
古いジプシーの人達の生活ぶりや周りの人達の様子が丁寧に描かれている。
文字を持たないジプシーの中で、パプーシャは文字を習い、自分の生活や自然を詩にあらわしていった。その詩がジプシーとジプシー以外の人達との垣根を越えるきっかけになることもあり、かえって閉ざすことにもなる。現在にも続く課題が提示されているように思える映画と思った。

スペインの日本人のガイドさんからもジプシーと言われる人たちの話も聞いた。その人達が個人的に経験したり、聞いたりした話なのでここでは控えておく。どなたもジプシーについて差別的な予断や偏見を持たせるような説明や言い方をされなかったことは日本人としてうれしかった。ただ一般的に言えるのは、「意識しないと見えない」ということだ。

岩波新書の「ジプシーを訪ねて」の著者関口義人さんは本の最後のほうでこんなふうに書かれている。

「本来私にとって、ジプシーの言語や起源の問題は、どちらでもいいことに思えるのだ。彼らが生きる厳しい現実を見つめていると、あらたな研究(いかなる分野であれ)がジプシーの現状の打破につながるのであれば、一層進んでほしいと願っているが、「ジプシー」自身をないがしろにした単なる研究のための研究に関してはよく吟味されるべきだと思っている。しかし、何もしなければ彼らの生活は現状のまま、ないし劣悪化の一途をたどることは間違いない。人権団体などの支援や経済援助などのさまざまな取り組みもあるが、ヨーロッパ自体の経済危機の煽りを受けて現在は停滞していることが大変に懸念される。
 本書で繰り返し述べてきたような、ジプシーを訪ね歩いたり、ジプシー関連書を読み漁ったりする作業は、まったくの個人的で風変わりな趣味だと思われるかもしれない。が、私は現代に生きる私たちがジプシーを知ることには、大きな意味があると思っている。ジプシーを見つめること、それは私たちが住む社会を見つめることでもある。・・・・」。

フラメンコ人口はスペインを上回るという日本。日本の地でフラメンコからスペイン、ジプシーのことを考えていくのはなかなか自分でも大変なことと思う。でも、このツアーがきっかけで少しは考えることは良かったと思う。
日本に帰ってから「アラビアのロレンス」のビデオをあらためて見たが、初めて映画を見た高校生の時にはまったく気づかなかった、イギリス軍将校やアメリカの新聞記者達のアラブの人たちへの上から目線が描かれていることに気がついたのも、収穫だと思った。

全くの個人的な経験を記録としてブログに書いた。多々のまちがいがあるかもしれないが、私も現在進行形なので、今後も考えていこうと思う。

最後にパプーシャの詩を引用し、このスペイン紀行の終わりとしたい。

       森よ、わが父よ

森よ、わが父よ、
黒い父よ、
あなたは私を育て、
あたなは私を捨てた。
あたなの葉は震え、
私も葉のように震える。
あなたが歌い、私も歌う。
あなたが笑い、私も笑う。
あなたは忘れなかったし、
私もあたなを覚えている。
おお、神様、私はどこへ行けばいい?
何をすればいい、どこから
おとぎ話と歌を取ればいい?
私は森へは行かない、
川にも出会わない。
森よ、わが父よ。
黒い父よ!

 

 

 

スペイン「カルメン」紀行24

パリ、そして日本へ

_MG_8657

_MG_8658

IMG_5537

ここはパリの「オペラ座」。
ACDEMIE NATIONALE DE MUSIQE
の文字が見える。

オペラ座の周りは賑やか。
夕方になると正面の階段付近に沢山の人が集まってくる。
待ち合わせの場所に最適なんだろう。
階段には多くの若者が座っている。

私達がパリにいた間、オペラ座では、夕方になるとだれかがパフォーマンスなのだろうか、歌を歌っていたり楽器の演奏をしていて、その歌声や楽器の音色がオペラ座の周りにただよっていた。

オペラ座の周りにはお店がいっぱいあり、日本でいうスーパーマーケットやデパートがいくつも出店していた。

IMG_5668 IMG_5666 IMG_5667

パリの街のゴミの収集。 スペインと同じように大きなゴミ用のコンテナが歩道にある。パッカー車を見ると、興味津々。

IMG_5665

デパートに入る。 エスカレーターは人が右側に立っている。
大阪と同じだ。

添乗員さんに聞くと、ヨーロッパでは右側に立つほうが多いと思う、という返事だった。

ヨーロッパでは大阪方式が主流なのだと思うと、自然に笑みが出る。

デパートでは食料品売場を見つけることはできなかった。このことはパリのデパートだけなのか、それがヨーロッパでは一般的なのか、それを質問することを忘れていた。

IMG_5670

私達が止まっていたホテル近くのスーパーマーケットには、お寿司が売っていた。お値段は?
11.49€
と書いてある。

1ユーロが130円とすると、1494円。

やっぱり高いなあ。

IMG_5671

日も沈んで、夕闇があたりを覆うようになってきた。

ホテルとオペラ座のあいだにあったスターバックスに入ろうと思ったら、
日本と同じで、満員。スターバックスもパリでは人気なんだ。中で座って飲むことをあきらめて、買ったコーヒーを飲みながら、ぶらぶらと歩いてホテルに帰ることにした。

IMG_5682

さあ、エールフランスで日本へ戻ろう。 旅というのは、終わりに近づくとこれまでの旅程がうそのように短く思えるものだ。
20時にホテルを出発し、10月26日月曜日23時25分のエールフランス274便で羽田に向かう。飛行時間は12時間の予定。
日本には10月27日火曜日19時25分到着予定。

10月25日まではヨーロッパはサマータイムだった。26日からは通常に戻り日本との時差はマイナス8時間。23時25分発ということは日本時間で27日午前7時25分。飛行時間が12時間だから、日本到着の時間は27日午後7時25分となるわけだ。

IMG_5683

シートについているディスプレイに昼夜境界線を映しだしてみた。
日本は午後4時ぐらいか。
あと3時間半ほどで日本に着く。
左の写真のように、日本は夜に向かっていっている。

帰りの飛行機で見た映画。
日本の映画では、
・エイプリル・フール・・・これも戸田恵梨香の映画。映画のラストで少年は宇宙に帰っていったのだろうか?どこまでがエイプリル・フールか、最後にニヤリ。
・王妃の館・・・水谷豊が相棒と同じ右京と言う名前で出演。ホテルのダブルブッキングで経営危機を逃れようとする話。挿話されているルイ15世の生い立ちが現実と虚構を融合させていく、、、ルイ14世もお城もちよっとものたりないなあ、、。
海外の映画は(日本語の吹き替え映画)
・100年目の恋・・・ある事件で不死になった女性の話。SFとしてはおもしろいが突っ込みどころ満載。女優さんの美しさに最後まで見てしまった。
・キングスマン・・・世界を悪の手から守るスパイもの。あまりのバトルの激しさと私にはグロテスクに思える描写にちよっと引き気味。

映画を見て、食事をとっているうちに、眠ることもあまりなく、12時間がたってしまった。

ほぼ予定通りに日本に帰ってきた。気流も良かったようだ。
トランク二つは羽田から宅配便で自宅に送ることにした。大阪まで二日間の猶予が必要ですといわれたが、こうすれば新幹線への移動や列車の中でゆっくりすることができる。京浜急行に乗って、品川駅へ。品川駅から新幹線に乗る。この時間ならのぞみ自由席で座って大阪に帰ることができた。新幹線の中の日本製のビールはやっぱりおいしかった。
新大阪に11時過ぎに到着。さあ地下鉄に乗ろう。最終にならなくてよかった。

このツアーを企画した松本侑子さん、ケイライントラベルのスタッフの皆さん、お疲れさまでした。天気に恵まれ、良い旅になりました。
ツアーでご一緒した皆さん、楽しい旅の思い出をありがとうございました。
怪我も病気もなくてホントによかった。

 

 

 

スペイン「カルメン」紀行23

ルーブル美術館3

IMG_5638

私達のツアーにはこのルーブル美術館見学のオプションが二つあった。 一つは半日コース、もう一つが私達が選んだ1日コース。これには昼食が付いている。

私達が予約してあったレストランは、カフェ・リシュリー/アンジェリーナ。

レストランの前には何人もの人が順番待ちをしていたが私たちは予約してあるので、列を横目に見て店内に入る。人気の店のようで、窓からは中庭のガラスのピラミッドが正面に見えるロケーションの良いレストラン。

IMG_5640

IMG_5613

 

お昼時なのに、美術館への入館の人の列が見える。
レストランの中はいろんな国の人が来ているようだ。スタッフの人の肌の色も多様だった。メインの魚料理、パンもある。でも飲み物は別途注文。

IMG_5642

そしてこれが有名なモンブラン。 IMG_5644

1日コースの費用の中に昼食代も入っているので、昼食だけをここですると費用がいくらかかるのかわからない。
たまたま私達の席の隣に日本人のカップルが後からやってきた。キッシュとモンブランと紅茶・コーヒーをたのんで60数ユーロを払っていた。ということは一人4000円ぐらい?

IMG_5645

アンジェリーナのモンブランはとても有名らしい。
私達がモンブランを食べていると、親子風のヨーロッパの女性が私達のモンブランを見て「あれ、あれ」と言う感じでしゃべっていた。
ガイドさんと別れるときにチップのことを聞いておいた。
予約してある料理と追加のお茶代を含めた全体の額の10〜15%ということだった。
支払いは、請求書が置かれたのでみるとそこにはチップの記載がないので、お釣りが出るぐらいの紙幣を渡し、かえってきたお釣りから適当に小銭を置くことにした。
カードで払っている人もいたが、その人達はチップをどうしているのだろうなあ、と思いながらレストランを出る。

昼食の後は任天堂のガイドをたよりにしながらの自由見学。
プシュケさがしで苦労したことは前回に書いたとおり。

ルーブル美術館で日本人の高校生を発見。

IMG_5660

日本大学のどこかの付属の高校生らしい。
ルーブル美術館に来る地下鉄の中で見た高校生はこの子たちだったのだ。
いいなあ、高校の修学旅行でフランス、ルーブル美術館。見ているとなんとなく女子高校生の方がしっかりしてそう、、、。

夕方にホテルに集合し、日本に帰る飛行機にのるので、ホテルに戻りながらパリの街を散策することにした。

IMG_5662

カルティエで腕時計を見てみよう。
入り口は閉まっていて、人が来ると開けてくれる。
中に入りショーケースを見ていると、戸を開けてくれた男性が二階にあがるような仕草をしている。
階段を上がってみると、「さあ,いらっしゃい。何にしますか」という表情で経験豊かな女性の店員さんが英語でお出迎え。
娘がほしがっている腕時計の色、形、デザインを言うとカタログを出してきて、パソコンで調べてくれる。でもほしかったデザインのものが見当たらない。
それに近いものを見せてくれる。

How much ?

8000€

百万円か、、、ちよっと高い、予想以上に高い、かなり高い、高すぎる。

ほしいデザインと色でないので、と笑顔で言ってお店を出る。ちょっとした冒険。

IMG_5663ユニクロ発見。

ジュンク堂書店も発見。日本帰ってから、ジュンク堂に入って写真をとっておいたらよかったのに、と思う。

ルーブル美術館からオペラ座に向かって歩いていると、たくさんのお店がならんでいた。そのなかに数十人の人が列を作ってお店が開くのをまっている。
並んでいる人たちは若いカップル、家族連れ、年配の人と多様だ。何のお店?と近寄って見てみると、「アンジェリーナ」とかかれていた。ルーブル美術館で昼食を食べたあの「アンジェリーナ」だった。
へーっ、やっぱり有名なお店なんだ。そんな有名なお店のルーブル美術館店でお昼を食べたなんて、いい経験だったなあとうれしくなった。

もう少しパリの街を探検してみよう。

 

スペイン「カルメン」紀行22

ルーブル美術館2

IMG_9199

これは社会科の教科書に載っていたことを覚えている。
ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」。
大きさが259cm X 325cm 1830年の制作。
3mを超える大きさなんて、想像していたよりもずっと大きい。

IMG_5596

これも有名な絵。「ナポレオン一世の戴冠式」。作者はジャック=ルイ・ダヴィッド 1805年〜1807年の制作。
629cm✕926cm 10m近い大作も大作。
テレビでこの絵の解説を見たことがあるが、こんなに大きいとは。
びっくりするばかり。

IMG_9196

これも大作。「メデューズ号の筏」、テオドール・ジェリコーの絵。
1818年〜1819年の作品で、大きさは 491cm✕716cm 。
実物大の絵画といわれている。

この「メデューズ号の筏」は、フランス海軍のフリゲート艦「メデューズ号」が難破し、147人の人々が漂流したが救出された人は15人しかいなかったという事件に基づいている。この絵も美術の教科書で見たような記憶がある。

このメデューズ号の難破の原因の一つとして、その当時に灯台がなかったからだと言われている。そのことは日本に帰ってきてから読んだ本でわかったが、その本には興味深いことがのっているので、後日紹介したい。

IMG_5648 IMG_9217

とにかく巨大な画がつづく。
第2次世界大戦のとき、ナチスの略奪からのがれるために、ルーブル美術館の名画・名作が短時間のうちに梱包され移動し隠されたという。これまでに紹介したミロのヴィーナスもサモトラケのニケもモナリザもその中に入っていた。ではこんな大作はどうしたのだろう?

IMG_5627

もちろん大きな作品だけではなく、こんな小さな作品も展示されている。

ヤン・フェルメール(1632〜1675)の「レースを編む女」

このルーブル美術館にあるフェルメールの作品は2点のみ。
1つはこの「レースを編む女」もう一つは「天文学者」だが、私達が行った時にはどこかの美術館に貸し出されていたようで見つけられなかった。
私は日本でのフェルメール展に行ったことはあるが、こんなに間近で見ることができ、写真もとることができるなんて、さすがはルーブル美術館。

IMG_5629

話に聞いていた名画を模写している人。

小学校か中学校の図工や美術の時間に、フランスのルーブル美術館では名画の直ぐそばで模写することができる、という話を聞いたことを覚えている。

本当にあったんだ、先生の言ったとおりだ…と何か感慨深い。ガイドさんの話では、専門的な知識があり時間や日数の許可を得ていればこの写真のように模写することができるそうだ。やっぱり専門的という敷居があるのだ。
日本に帰ってきてから調べてみるとかなり敷居は高そう。ルーブルで模写をした人の苦労話がブログにあったので紹介しておく。

http://www.osamu-obi.com/blog/2011/07/post-112.html

IMG_5581 IMG_5579

この他に写真のような金銀宝石のアクセサリー、立派な調度品、武具などあったがとても午前の限られた時間では回りきれない。
そろそろお昼の時間。レストランは予約してあるが、どんなところだろう。

 

 

 

スペイン「カルメン」紀行21

ルーブル美術館1

IMG_9101

ルーブル美術館へは地下鉄に乗って行った。 ちょうどこの旅の企画をしたケイライントラベルの添乗員さんが声をかけてくれて、案内してくれたからだ。この人はカナダの時にも大変お世話になった人。
パリの地下鉄はスリで有名と何回も注意される。
なんでも入口付近は危険ということで、できるだけ中にはいるようにと。でも満員電車なのでなかなかそういうわけにはいかないこともある。そんな時はしっかりとカバンをガード。

そんな地下鉄に制服を着た日本人の女子高校生らしい子がのっていた。私達と一緒にいた添乗員さんが声をかける。
「日本から?修学旅行?」
「はい」としっかりした返事。
そばには案内のフランス人らしい女性がついていて、英語で「次の駅よ」と言っていた(と思う)。女子高校生は通路を挟んで座っている男子高校生に(この時に男子高校生もいてるんだと気がついた、、、)「次よ」という表情で合図をしている。

IMG_9106

IMG_5614

IMG_9140

IMG_9146

ルーブル美術館は見たかったところ。このツアーでは、フランスに来たことのある人たちはもうルーブルは見たから今回はモネの美術館、あるいはショッピングなどと幾つものグループに分かれての自由行動になっていた。

それにしても多くの入館者。全体の65%は外国人、つまり私達のような観光客という。私たちは予約してあったのでガイドさんの案内で、長く並んだ列の横をすいすいと通り抜けて美術館の中へ。人が多い、中が広い、大きい、沢山の美術品、とビックなことばかり。1回の入館ではとうてい網羅しきれないことが十分にわかる。ルーブル美術館についても何冊のも写真集や、ネットでも詳しく紹介されているのでここでは私が気に入ったところだけを記録しておく。
まずは「ミロのヴィーナス」。後ろからも見ることができるのがうれしい。

IMG_9187

IMG_9186

次は「モナリザ」。こんなに近くで見れるなんて。「思ったより小さい」とか「思ったより大きい」とかいろんな意見がある。私は以前に徳島県鳴門市にある大塚国際美術館でモナリザのレプリカを見ていたが、ルーブルの本物は大きく見えた。
左の写真は、このモナリザを展示してある壁面の裏側。展示室の真ん中に壁が作られ表に「モナリザ」が展示されていて、裏の壁面にも絵が飾られていた。ガイドさんが説明してくれたが、誰の作品か忘れてしまった…。

IMG_9157

IMG_9153

IMG_5572うーん、圧倒的な迫力。「サモトラケのニケ」。紀元前220〜前185年の作品といわれている。像の 高さ3.28m、翼も入れて2.75m。ギリシャのサモトラケ島で1863年に発見された。ニケとは勝利を告げる女神だそうだ。白い大理石だがその彫刻の見事さ。

IMG_5609

IMG_9211

これは「ハンムラビ法典」。
社会科で習ったもの。資料集には写真があったのかもしれないが、石でできているとはこの時まで知らなかった。
紀元前1760年頃のもので玄武岩でできている。バビロニアのスーサにて1902年に発見されたもの。
楔形文字で書かれている、というか彫られている。
法令集が刻まれているそうだ。

IMG_9228

_MG_8665IMG_9231

この像は私が見たかったもののうちの一つ。
「アモルの接吻で蘇るプシュケ」
アントニオ・カノーヴァ(1757年〜1822年)作。
高さ1.55m、横1.68m、奥行き1.01m 大理石

この像を探すのには苦労した。お昼を食べた後の自由観覧の時に探すが場所がわからない。パンフレットと任天堂のオーディオガイドを使うけれど、ルーブル美術館の全体概要を知っていないので迷って迷って。3人ぐらいの係員の人に声をかけて聞くがなかなか要領が得ない。パンフの写真を見せて尋ねると指で方向を示してくれるが、でもわからない。足を棒のようにして歩きまわり、やっと見つけた。

この「アモルの接吻で蘇るプシュケ」について詳しく解説したホームページがある。

http://musee.louvre.fr/oal/psycheJP/psycheJP_acc_ja_JP.html

一部引用をさせてもらうと。

「翼をつけた青年が、気を失った乙女が横たわっている岩の上に今降り立ったところです。これはラテン語でクピドとも呼ばれる愛の神アモルです。翼や、矢筒をもっているのことから識別できます。乙女の名はプシュケ、アモルの母である美の女神、ヴィーナスは、プシュケに冥界から瓶を持ち帰り、そしてその瓶を決して開けないようにと厳しく戒めます。

しかし、好奇心旺盛なプシュケは、瓶を開けてしまい、瓶から立ち昇る耐え難い臭気を吸って仮死状態に陥ってしまいます。気絶したまま横たわるプシュケを見たアモルは、プシュケの元に駆けつけ、矢の先でそっと触れて、まだ生きているのを確かめ ます。カノーヴァが捉えたのはまさに、この瞬間で、アモルは愛するプシュケを優しく抱き上げ、彼女の顔に自分の顔を近づけます。プシュケは身をゆっくりと後にそらし、けだるい動作で、恋人の首に手を回します。

カノーヴァは、古代ローマの作家、アプレイウスの『変容』に書かれた伝説をもとにこの像を作りました。そこには、神々が話し合いの結果、アモルとプシュケの結婚に合意し、プシュケに「魂の女神」という地位と永遠の命を与えたと書かれています」

IMG_9230これが石でできているのか、と思わずに入られないような出来栄え。
人間の肌のように見えるし、触るとその柔らかさが実感できるような質感。
200年前の芸術作品。
こんな素晴らしい作品が、こんな目の前で見ることができ、写真を撮ることができるなんて、ルーブル美術館は本当にすばらしいところだ。

次回は絵画について書いてみたい。
絵も目が開きっぱなしになるほどの魅力的なものがいっぱいだった。