Celtic Concert ケルト音楽

アイルランドへの旅行が終わったあと、大阪でケルト音楽のコンサートがあった。

島之内教会でおこなわれるので、場所も楽しみだったし、アイリッシュハープやリコーダーの演奏があるので申し込んだ。

アイリッシュハープは、アイルランドの図書館での展示を見ただけだったので、実際の演奏にふれたかった。
アイリッシュダンスの食事会のときは、アイリッシュハープがなかった。あのときは下の写真のようにバンジョー、バイオリンとギターの演奏だった。

ここが島之内教会。クリスマスコンサートのポスターがはってあった。

キリスト教の教会の中でのアイリッシュミュージックというのは不思議な雰囲気だった。しかもたしかここはプロテスタントの教会だったはずだが。
上の写真はリコーダーの演奏、そして左の写真はアイリッシュホイッスルの演奏。
このような楽器を使った演奏をアイルランドで聞きたかったなあ。

やっぱりありました。アイリッシュパープの演奏が。
思っていたよりもがっしりとしたものだった。
左がアイルランドのトリニティ・カレッジの図書館で見た、アイルランドの古いアイリッシュハープ。
あらためて写真を見直すと、確かに伝統的な楽器だと思う。このようなハープを持って吟遊詩人は旅をし、演奏していたそうだが、写真のように大きくて重そうだが、どうして運んでいたのだろうか。でもこのコンサートのときは女性の演奏者が自分で持って入場してきたので、持ち運びはしやすいのかもしれない。

休憩前の最後の曲、She Moved through the Fair あの子は市場をかけめぐり
の紹介に「あなたがどんなに貧乏でも、両親は反対しないわ、もうすぐ結婚できるわね!」あの子は嬉しそうに市場ではしゃいで・・・それが彼女を見た最後の姿」
とある。とても気になる内容。あとで調べてみると、身分違いの若い男女の恋が描かれているが、それはアイルランドのカトリックとプロテスタントの対立であったり、民族の抗争であったり、アイルランドの複雑な歴史の中で生まれてきた歌のように思える。

日本に帰ってきても、アイルランド、ケルトの影響はまだまだ私の中に生きているように思える。TSUTAYAでケルティック・ウーマンのCDを借りてきて聞いている。

 

 

 

愛蘭土紀行 28

日本に向けて出発・アイリッシュウイスキー

8時20分にロビー集合・出発。

11時20分、エールフランス航空でパリに向かってダブリンを出発。
2時間25分の旅。パリには14時45分に到着。

パリで日本行きの便を待つ。出発は17時40分の予定。

出発までの時間利用して、免税店で自分へのお土産物を買うことにした。

私は「愛蘭土紀行1」(司馬遼太郎)にある「ウイスキーのEを飲む」という章があるのを思い出した。そうだ、アイリッシュウイスキーを買おう。

この「ウイスキーのEを飲む」という章はとてもおもしろくて、そもそもウイスキーの発祥はアイルランド説が有力というのが記憶に残っていた。

「・・・わたしが見たかぎり、岩波の『英和大辞典』のその項が素人に親切なように思われた。

 whisky の綴りの方が一般的であるが、商品名としてイギリスではスコットランド産が whisky  アイルランド産が whiskey  アメリカでは輸入品が whisky  国産品が whiskey  と綴り分けられることがある。

この綴りに関するかぎり、アイルランド文化は英国英語に影響せず、むしろアメリカ英語のほうに、たった一語ながら ー 人を酔わせるほどの強烈さで ー 影響を与えたといえる。
 Eのあるウィスキーは、味というか、舌ひびきが濃いようにおもわれたが、同行者はみなこの味のとりこになった。(P264〜265)」

 家に帰って、以前買ったホワイトホースと見比べてみると、写真のように

 WHITE HORSE   BLENDED  SCOCH WHISKY    と書いてあった。

 空港で買ったアイリッシュウイスキーは、

 BLACK BUSH IRISH  WHISKEY とEのあるウイスキーだった。

飲んでみると、確かにとりこになりそうな味だった。これからウイスキーを買うときは、Eのあるウイスキーにしようと思った。

12時間余りの飛行時間。機内食が2回出た。羽田についたのが翌日のお昼。12時45分ごろ。

旅の間、お世話になったケイライン・トラベルの旗。

誰が作ったのかを聞くのを忘れていたが、手作りの刺繍のきれいな旗だ。

ナルニア国物語をベースにして、アイルランドの文化と歴史を学ぶ旅だった。
日本との関係の深い、「ガリバー旅行記」を書いたスイフト ー 本屋さんでの体験が、アイルランドの人情に触れた時だった ー や、ラフカディオ・ハーンの育った家を見ることができたし、オスカー・ワイルドのカラーの像にタッチしたのも楽しかった。アイリッシュウイスキーの美味しさを知ることもできて、大変有益だった。

写真はアイルランドのポスト。 左は北アイルランド、つまりイギリス領の郵便ポスト。 右はアイルランド共和国の郵便ポスト。 独立とともにイギリスの赤はすべて(たとえば2階建てバスも)緑に塗り替えられたという歴史があるそうだ。

イギリスのEU分離問題がアイルランド島にどのような影響を及ぼすのだろう。
旅は終わったが、アイルランドへの関心はまだまだ続きそうだ。

 

 

 

 

愛蘭土紀行 27

アイリッシュ・ダンス

夕食の会場に向かう途中にダニエル・オコンネルの像があった。上の写真の左。司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行1」にオコンネルのことが書かれている。

「かれが生まれた1775年のころは、すでに英国国教会が前前世紀に成立していて、アイルランドにおけるカトリック教徒がーつまりは庶民がーもっともみじめな時代だった。(P197〜)」。このあとアイルランドの悲惨な歴史が書かれている。たたえば「カトリック刑罰法」「結婚への制約」「カトリックはあらたに土地を購入できない」「収入の1/10を自分の教会でない英国国教会に税として収めなくてはならない」など「しめあげるようにしぼりとられた(P199)」。

「オコンネルが25歳のとき、イギリスはアイルランドを併合した(1800)。
ダブリンで法律家としていたオコンネルは、むろん併合に反対だった。ただかれは暴力的手段を嫌い、あくまでも”併合法を撤回せよ”とさけんだ。・・・・略・・・・
1843年8月15日、オコンネルは、
『タラの丘へ!』
と叫んで、ひとびとをその田園の丘陵の丘にあつめた。歴史的な大集会だった。
(P201〜P202)」

「タラの丘」とはブログ「愛蘭土紀行その17」で書いた、あの「タラ」である。
「タラ」というものが、アイルランド人にとってとても大切なものであることがわかる。スカーレット・オハラが「タラへ帰ろう」と思わず声が出たのもこういった歴史的な背景があるからだろう。

ダニエル・オコンネルの像の頭には、鳩がとまっていた。鳩にとってもここが安心な場所なのだろう。

ここは「アイリッシュダンス」を見ながら、夕食が食べられるレストラン。

ケルティック・ナイトショーが楽しめる場所。アイルランドの人のために、というよりも私達のような外国人の観光客向けの大きなレストランだった。

アイリッシュダンスの歴史を調べるとまたもやイギリスの圧政が登場する。ウィキペディアによると、

「16世紀にイギリスからゲール語を禁止され、踊る事も禁止されて、窓を通して外から見られた時に、上半身を動かさず下半身でリズムを刻むダンスが誕生した おそらくアイリッシュ・ダンスの伝統は、アイルランド伝統音楽との密接な関係の中で発展したものと思われる。誕生はキリスト教が伝わる前で、後に、大陸のダンス形式、とりわけカドリーユから強い影響を受けた。遅くとも1900年代の初めには、旅回りのダンス・マスター(ダンシング・マスター)がアイルランド中に教えて回っていた。」

ここに書かれているように上半身を動かさずにタップを踏むダンスとして有名だと思う。日本で知られいるダンスの団体では「トリニティ・アイリッシュ・ダンス」が有名だが最近は来ていない。ガイドさんの話によると中国で爆発的なブームになり、現在は中国各地をまわっているらしい。中国は広いからなあ、日本にはなかなか来ないだろうなあ、と思っていたら来年2020年6月に日本公演があるとネットで紹介されていた。大阪公演があれば、ぜひ見に行きたいものだ。

http://trinity-japantour.com/

私達は少し奥の席にいたので、写真がわかりにくいかもしれない。民族衣装を来た男女のダンスは迫力があり、アイルランドの音楽も楽しかった。
会場の半数以上はアメリカ人だった。私達のような日本人の団体は2組ほどきていたようだ。

食事もおいしく、アイルランドの最後の夜を楽しむことができた。
アイリッシュ・ダンスのように、伝統に息づく文化は、虐げられたり苦しんできた歴史を背景にしたとき、現在に伝えられている意義は大きいと思った。
そういった文化と歴史を学ぶことができるのが、このツアーだと思う。

さあ、いよいよ明日は日本に向けて出発だ。