愛蘭土紀行 その9

ジャイアンツ・コーズウェー

ダンルース城の近くにあるジャイアンツ・コーズウェーに向かう。

巨大な柱状節理の石柱が並んでいる。上の写真では神殿のような石柱の下に小さく人の姿が見える。高さ12メートルをこえるものもあるらしい。

柱のてっぺんを歩く。六角形、五角形、八角形と様々な形が見える。
これらの柱状節理はどうしてできたのだろう。ガイドさんの話によるとそれは今から約6000万年前!、というからおどろきだ。

ウィキペディアによると、「高い流動性を持つ溶解した玄武岩が、チョーク質の岩層に貫入し、広大な溶岩台地を形成した。溶岩は急速に冷却したので、収縮作用が起こった。収縮は垂直方向には溶岩流の厚みを減らすだけで割れ目は形成しなかったが、水平方向では、ひび割れを生じた。広範囲に起こった割れ目は地質学では柱状節理と呼ばれ、現在見られる奇観をけいせいした」とある。

日本では福井県の東尋坊、兵庫県豊岡市に玄武洞がある。
しかしこのジャイアンツ・コーズウェーの広大さには及ばないと思う。
(左の図は ミロスラフ・サセック作、「This is Ireland 」より)

 

赤毛の女の子を見つけた。
「赤毛のアン」のアンはこんな感じなのかもしれない。
アイルランドの人に赤毛が多い、ということはない。私達の観光で赤毛の人を見たのは写真にうっている子どもぐらいである。

さて、このジャイアンツ・コーズウェーにはおもしろい伝説がある。
アイルランドの巨人フィン・マックールとスコットランドの巨人ベナンドナーが、どちらが強いか戦うため、互いに石柱を海に埋め立てて近づこうとした(それがジャイアンツ・コーズウェーになったという)。フィンはベナンドナーの足音が大きいのにびっくりして怖気づいて家に帰る。フィンの奥さんは彼に赤ちゃんの格好をして寝るように言う。そこへやってきたベナンドナーはフィンはいるかとたずねると、フィン奥さんは「今はいない。赤ん坊が寝ているだけ」と答える。
ゆりかごで寝ている赤ん坊を見たベナンドナーは「赤ちゃんがこんなにでかいなら、フィンはどんなにでっかいんだ」とびっくりしてスコットランドに帰ってしまった、という話をガイドさんが説明してくれた。日本に帰ってから調べてみると、巨人の名前や二人のやりとり、奥さんの機転のきかせ方にはいろんなバリエーションがあるようだ。共通するのはジャイアンツ・コーズウェーは巨人たちが作ったというところか? ジャイアンツ・コーズウェーを見たら、人間わざとは思えないのは確かだ。

 

本日の観光はここで終了。
ホテルに戻って今日の夕食。

アイルランドといえばギネスビール。
毎日ギネスビールを飲んだが、其の土地土地によって味が違うように感じる。日本でも黒ビールやギネスを飲む機会があるが、やっぱりアイルランドで飲むギネスビールはおいしい。
ギネスビールの創業者は、アーサー・ギネス。彼の名前からギネスビールの名前がきているようだ。
彼は1759年に当時使われていなかったダブリンにあるセント・ジェームズ・ゲート醸造所を年45ポンドの対価で向こう9000年間!の契約で借り受けたというからおもしろい。日本でのギネスビールの販売権はサッポロビールだったが、今はキリンビールになっている。

さて、アイルランドの昼は長い。夕食の時間なのにまだ空はあかるい。
白夜とまではいかないのかもしれないが、緯度の高い国はこんなだ。

 

 

 

 

愛蘭土紀行 その8

ダンルース城

 

ナルニア国物語のケア・パラベル城のモデルではないかといわれている、このダンルース城について、現地ガイドのナオコさんが書いているブログが大変参考になる。

http://naokoguide.com/blog-entry-3046.html

そこから一部引用させていただく。

「C.S.ルイスは1901年、3歳の夏に、お母さんに連れられて兄と共にダンルース城近くの海辺の町、キャッスルロック(Castlerock)を訪れています。その後も2度の夏をそこで過ごしているので、おそらくその時にダンルース城を訪れたのではないかと思われます。
しかし、大好きだったお母さんとは、たったの9歳で死別。その後のルイスの人生に大きな影を落とすことになります。
ダンルース城を含むアイルランド北海岸は、お母さんとの限られた思い出がいっぱい詰まった、特別な場所だったのかもしれませんね。」

「ちなみに、ナルニアの城、ケア・パラヴェル(Cair Paravel)の「ケア(Cair)」とは、「要塞」とか「城」を表すアイルランド語。
ケルトを意識して『ナルニア』を読み返したら、いろいろは発見がありそう。」

「ダンルース城の歴史にもちょっと触れておきますね。
城の発祥は13世紀にさかのぼりますが、現在の建物は1500年頃、マッキラン(McQuillan)一族が建てたもの。1550年頃には海の向こうのスコットランドから勢力を伸ばしてきたマクドネル(MacDonnell)一族の手に落ち、彼らのアイルランド支配の拠点となります。1600年代初めなると、小さな城下町にまで発展したそう。
実際に、ここからスコットランドは海の向こうに肉眼で見えるほど近く、40~50キロ程でしょうか。当時、緊急時にのろし火をたいてスコットランドの親族に合図を送ると、ガレー船をこいで援軍が駆けつけた…というのもうなずけます。」

 

中には資料が展示されている建物があり、昔の様子が想像できる。

上の左の写真は、台所ではないかといわれているところ。右の写真のようにして食事を楽しんでいたのだろう。

ダンルース城はナルニア国物語のケア・パラヴェルのモデルではないかと言われている。
ナルニア国物語では、ケア・パラヴェルはこんなふうに説明されている。

「・・・何キロも先の方に、海が見えた。海のかなたに空が広がり、群雲が沈む夕日を受けてバラ色に染まっていた。ナルニアの国土がちょうど海と出会うところー大きな川の河口にあたる場所ーに小さな丘があり、キラキラと輝くものがみえた。輝いて見えたのは城で、西日を受けた窓という窓に光が反射したせいなのだが、ピーターの目には海辺に大きな星が降りたように見えた。
『見るがよい』アスランが言った。
『あれが4つの王座を持つケア・パラヴェルだ。・・』」
(ナルニア国物語2 ライオンと魔女と衣装だんす)

 そしてそれから1300年後(ナルニアにとっての時間)、四人は再びナルニアによびもどされる。そこて四人が見たのは廃墟となった城だった。

『いいかい』ピーターがあらたまった口調で言った。『そろそろ、みんな、頭を働かせてもいい頃じゃないか?」
『どういうこと?』エドマンドが言った。
『ここがどういう場所か、だれも気づいていないのかな?』
『続けて、続けて』ルーシーが言った。『さっきからずっと、この場所には何かすごい秘密があるような気がしてたのよ』
『話して、ピーター』エドマンドが言った。『みんな聞いているよ』
『この場所はほかでもない。ケア・パラヴェルの廃墟なんだ』
(ナルニア国物語4 カスピアン王子)光文社文庫 土屋京子訳

ピーターたち四人が見たケア・パラヴェルは、今私達が見ているダンルース城のようだったのかもしれない。

上の絵は「This is Ireland 」という絵本からの引用。(作 ミロスラフ・サセック、ブルース・インターアクションズ出版)

周りは緑の牧草地。白く見えているのは、羊、羊、羊、羊・・・・
いったい何頭いるのだろう。
外務省のホームページを見ると、世界で一番羊を飼っているのが中国。約1億6000万頭以上らしい。イギリスは約3400万頭と書いてある。アイルランドもそれくらいはいるだろう。
といってもここはイギリス領の北アイルランドだから、上の数字には私達が見た羊が入っているのかもしれない。

さあ、これからはバスに乗ってそばにあるらしいジャイアンツ・コーズウェーに向かう。

 

 

愛蘭土紀行 その7

タイタニック・ベルファスト

バスから見えるのは巨大なガラス張りの建物。
タイタニック号の悲劇から100年後の2012年に、写真のような斬新なデザインの展示館「タイタニック・ベルファスト」ができた。

真ん中のガラス張りのところを拡大してみると、映画のタイタニックのワンシーンを思い出させるような場面が見えた。

タイタニック号は
全長約270m、
全幅約28m、
高さ53m、
総トン数46328トと言われている。
タイタニックの実際の大きさを想像させるために設計されたビルなのかもしれない。1階は軽食とお土産物屋さんのショップが有った。
海外からの観光客がいっぱいだったが日本人はいなかった。

タイタニック号の大きさがわかるような、実物大の掲示もあった。
鎖はこんなに大きかったのか、とびっくりもする。

タイタニック号が造られたところ。両側に電信柱のように並んでいるが、そのあいだにタイタニック号が入っていたそうだ。遠くに大きな客船が見えるが、そんな感じだったのかもしれない。
タイタニックの姉妹船として、オリンピック、プリタニカの2隻があり、タイタニックと合わせて3隻体制が考えられていたようだ。
1912年4月14日の深夜、氷山に接触して沈没。乗員乗客合わせて1500人以上が亡くなったと言われている。その慰霊碑がシティホールにあったわけだ。

バスに乗って昼食のためのレストランに行く。 こじんまりとして、温かい雰囲気のレストランだった。

トラディショナル・アイリッシュ・シチュー、アイルランドのパン、バニラ・パンナコッタ、コーヒーというメニュー。 日本人の私達には丁度いいくらいの分量だった。

暖炉には本物の火が。そばにある黒いものは泥炭。
泥炭に触ったのは初めてだった。軽いものなんだなあ・・・、アイルランドには泥炭が多いと言われているが、本当に泥炭が燃えているの見るのは初めてだ。
後で調べてみると、泥炭は火力発電所で使われているそうだ。
青い陶磁器が暖炉の上の棚に飾られている。
松本侑子さんが「これは・・・・」と話されていたが、しっかりと聞いていなかった。残念。ポルトガルで見た陶磁器のように思えた。

このあとは、ケア・パラペル城のモデルと言われる、ダンルース城に向かう。