奈良市内散策 2

菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)

ここは菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)、通称十三鐘(じゅうさんかね)。
門の横の掲示板には次のように書かれていた。

「本院はふつう、奈良時代の高僧玄昉僧正(?〜746)の創建と伝えられるが、実際はむしろ玄昉の菩提を弔う一院として造営されたものであろう。本尊は阿弥陀如来坐像(鎌倉時代、重要文化財)で 別に稚児観音(ちごかんのん)立像が安置される。鐘楼に掛かる梵鐘は永享8年(1436)の鋳造で、かつて昼夜12時(一時は今の2時間)に加えて、早朝勤行時(明けの七ッと六ッの間)にも打鐘されたところから、当院は「十三鐘」の通称でも親しまれている。
 なお、大御堂前にはには、春日神鹿をあやまって殺傷した少年三作(さんさく)を石子詰(いしこづめ)の刑に処したと伝承される塚がある。元禄時代、近松門左衛門がこの伝説に取材して、浄瑠璃「十三鐘」を草したことは有名である」

  鹿を殺すと死刑になるという話は、桂米朝さんの落語「鹿政談」で聞いたことがある。落語では「犬を殺した」ということになって無実になるのだが、少年三作のようなことは実際にあったのかもしれない。「石子詰め」という伝説は長く伝わっているようで、文楽の「妹背山女庭訓」にも使われている。時代が違うと命に対する考えも違うのだろう。

菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)から「一の鳥居」に向かう。

  鹿に挨拶をするおじさんがいた。
「いつものことなんですか?」と尋ねると、
「そう、そう」と言いながら立ち去っていく。鹿たちもそのおじさんの後をついていく。奈良ではの風景だ。

 一の鳥居をくぐってすぐ右側に「影向の松(ようごうのまつ)」がある。
「御神木 影向之松」という立て札が立っているが朽ち果てていて判読がほとんどできない。
ウィキペディアによると、

影向の松(ようごうのまつ)は、・・・・参道右側に生育しているクロマツである。延慶2年(1309年)の春日権現験記にも記された古い巨木であったが、1995年(平成7年)に枯れたため現在は巨大な切り株の横に後継樹の若木が植えられている。
・・・・松は特に芸能の神の依代であり、この影向の松は能舞台の鏡板に描かれている老松の絵のルーツとされている。」

 私が写真を取ろうと近づくと、若い男性が三脚を用意して写真を撮っていた。
「この松は能舞台の松のルーツらしいですよ」と言うと、
「私もそのことを知ったので写真を撮りに来たのです」と返事が帰ってきたのでびっくりした。
 一の鳥居から博物館への道はよく通ったことがあったが、「影向の松」とか「能舞台の松の原点」とか全く知らなかった。あの朽ちた立て札「御神木 影向の松」を新しくできないものかと思った。
 猿沢の池に戻るために道路に出ると、信号が青なのに停車した車の列。
なんだろうと先を見ると、鹿がこの道路を横切っていた。さすが奈良の地だ。