魔改造の夜 その6

技術者養成学校6

第6回目の講師は、「大阪大学基礎工学研究科教授」の石黒 浩さん。
石黒さんはアンドロイドで有名な人だ。自分自身にそっくりなアンドロイドを作ったり、桂米朝さんのアンドロイドを作ったりしている。
私も桂米朝さんのアンドロイドはなんば高島屋で見ている。

テーマは「『クマちゃん瓦割り』から学ぶ 生き物より生きているロボット」なんだが、最初から石黒先生は「クマちゃんの瓦割りを見たけど、改造の目的がわからない」とおっしゃる。「改造とはもともと大事にしているものをより拡張する、のならわかるが、頭だけを残すんだったらそれは部品提供にすぎない」とも。
さて番組進行上と苦笑いしながら石黒先生のだしたお題が「生き物より生きているロボット」。

石黒先生は「生き物らしい要素」として
①動くこと
②身を守ること
③人間が働きかけると反応する
④体を動かしても音がしない
とあげる。これをもとにして「生き物より生きているロボット」を学生たちの課題とした。

このとき、参考に出されたのが「ユースレスボックス」。
人工知能の父といわれているマービン・ミンスキーが考えたものと伝えられている。
左の写真のように、スイッチがあり、スイッチを押すと箱が開き、中から指のようなものが出てきてそのスイッチをもとに戻す動きをする。スイッチオンにしたらスイッチオフにしてくるというもの。

石黒先生の出された課題は、
・スイッチをオンにするとスイッチをオフにするる「役に立たない箱」を作ってください。
・その際、最も生き物らしくなるような動作を作ってください。生き物を作ることが目的です。

学生たちは与えられた課題を自分なりに考えて作ってきた。そこからいくつかを紹介すると、(写真と文章とは同期していない)

①箱から出てくるのはカニの手。
製作した学生からは、音がおおきにのが難点と反省点が出された。
石黒先生からは、
音が気になるなら、音の出ないモーターもあるが、磯辺の音を出すとか逆の利用方法もある。
エサを取るとか、石をどけるとか、カニの生命感や世界観を考えると違う発想が出てくるかも。

②ネコが隠れていて、周りを見てスイッチをオフにする箱。
石黒先生からは、
センサーによる顔認識だが、生き物は顔認識ができないとだめなのか、ということにも発展する。顔認識できないネコは生き物じゃない? 
顔認識を前提にした生き物ロボットを作ることはできるが、今回はできるだけ単純なものでいかに生命感を出すかを考えてほしかった、一番単純な生き物をテーマにすると、生き物らしさが見えてくるかもしれない。

③人がいなくなったのを確認してからスイッチオフにしてくるもの、
④スイッチが横向きに付いてるもの(そのほうが中に入っているものにとって、見やすいから)で何種類かのランダムな動きをする、などなど。
石黒先生からは、
人がいなくなったらエサを食べるのは、生き物の特徴ですね。
でも1時間そこに人が立っていたらどう動きますか。何回かくりかえすと生き物は慣れてきて人がいてもエサを食べるかもしれない。そうすると人がいてもスイッチをオフにする動きを考えてもよい。変化があると、それは生き物らしくなるかもしれない。横向きにスイッチを置くのはいいアイデア。その動きをネコらしくするなら、ちょっとつっついてみてからオフにしてみたりするなど、ネコの気分が感じられると生命感がでるかも。気分と同調した動き、動作を工夫するのもいいだろう。
 突っ込みの多い石黒先生の批評だが、しかし学生たちにはすばらしい経験・体験になったにちがいない。褒めるだけでは進歩はない、次の課題を見えるようにする。
一流の科学者とその卵たちの授業のように思えた。

この他にも学生たちの作ったロボットはあったけれどここまでとして、石黒先生は言う。「義手や義足を使っている人は人間ではない、という人はいないだろう。しかしかつては手や足が不自由な人を人間扱いしていない時代はあった。今は技術の進歩でそういう時代ではなくなった。だから(これが発展していけば)機械にも命が宿る可能性があると思いませんか。機械に生命感を感じる可能性がありませんか。」

左の写真は科学雑誌サイエンスの表紙。特集「現在生きている100人の天才」より)

私はこの話の展開でチューリングテストのことを思い出した。
石黒先生は著書「人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか」(講談社)で次のように書かれている。
「チューリングテストは機械(人工知能)に人間と同様の知能があるかどうかを見極めるテストである。キーボードとモニターを通して会話をし、その受け答えによって相手が人間か機械かを判断するもので、人間と区別がつかなければ(機械だと見破られなければ)その機械は「チューリングテストをパスした」ことになる。数学者であり現在のコンピュータの基礎となるチューリングマシンを構想したアラン・チューリングが、1950年の論文「計算機と知能」において提唱したのでこう呼ばれている。
 ただ人間と騙せればよいだけなら、テストをパスする人工知能はすぐに作られるだろう。しかし、何が人間と機械を分けるのかを説明できなければ、すなわち理論的に人間を定義できなければ、最終的にそれが人間か機械かを判断することは不可能である。
 そもそも僕は、チューリングテストが前提としているもの自体、古くさいと思うのである。一般的な意味では、これは「人間と機械を区別するためのテスト」であり、「機械が人間として扱われる」という可能性を十分にテストするものではない。
 しかし、それが「人間として扱われるものとそれ以外のものを区別する」テストだと定義されたなら、人間を完全に理解しモデル化できれば、同時にチューリングテストのゴールも定まることになる。そのとき、材料、すなわち肉体の材質は、もはや問われることはない。」
こうして石黒先生の意識は、無機質で造られたロボットが人間として認めることができる世界へ進んでいく。
人間とは、生命とは、生きているとはという「根源的な問い」につながっていく第6回技術者養成学校となった。