鶉野飛行場跡と紫電改3

姫路海軍航空隊と書かれた入り口の石柱が左に、衛兵詰所が右にある。 真ん中にある濃い茶色の平屋の建物は、面会所(コンクリート製の退避壕の説明にあったもの)のデザインをモデルにしたトイレ。

何もない原っぱのような敷地が広がっている。 現在は神戸大学農学部が管理していて、春にはここは牧草地の絨毯になっているそうだ。牛の放牧場として使われているらしい。
戦争当時には数多くの管理棟のような建物、兵舎、組立工場が並んでいたに違いない。

私達は機銃座に向かう。

この直径10mの円の中心に機関銃が置かれていた。
説明文によると、「設置されていた機銃は3連の25ミリ連装機銃」で「1分間に230発の弾を5000mまで発射できた」そうだ。

コンクリート製の円盤の地下には、上の写真のような連装機銃を支える支柱の周りにトンネルが掘られ、連装機銃を操作する兵隊が待機した。そして弾薬を入口と反対にある階段から連装機銃まで運び上げていた。1分間に250発発射するためには、その弾薬を地下から地上に運び上げる作業はとても大変だったに違いない。
5000m上空を飛ぶ戦闘機に弾丸をあてることはできるのだろうか。
ガイドさんの話では、この機銃座の近くに住んでいた古老の話では、射撃音は聞いていたが撃ち落としたところは見たことはない、そうだ。それはそうかもしれない。
連装機銃とはどんなものだったのか、このツアーの後半で別の連装機銃を見る機会があったので、その時に紹介できると思う。

 

ここは映画(実写版)「火垂るの墓」のロケに使われたところ。兄清太が妹節子を荷車に乗せて運ぶ場面でこの場所が使われたそうだ。 地元の人達が多数ボランティアで協力したとガイドさんが言っていた。

ここにはロープが張られていて、中に入ることはできない。 神戸大学の管理地になっているので、私達は中を歩くことはできなかった。
左のような立て札がこのロケ地のそばに立っていた。
神戸大学農学部附属食資源教育センターという名前が書かれていた。
ガイドさんの話によるといろんな食品改良の研究や実験が行われているそうだ。
この立て札のずっと奥に、牛舎や牛の姿が見られた。