鶉野飛行場跡と紫電改2

数多く残る防空壕

飛行場`跡までに数多くの防空壕などの戦争遺跡があった。
上の写真は爆弾庫(陸軍では火薬庫といったそうだ)。

奥行き8m50cm、幅3m。 ここには高射砲弾、800キロ、250キロ、50キロ爆弾、戦闘機に装備した機銃弾や燃料が貯蔵されていたと言う。コンクリートの厚みは、壁は70cm、天井は1mあり、1トン爆弾にも耐える構造だと説明に書かれている。 戦後、この中に何人もの被災者が暮らしていたそうだ。冷たいコンクリートの中は寒かったと思う。

写真は素掘りの防空壕。解説によると、 「昭和20年3月19日、はじめてアメリカ軍戦闘機の攻撃があり、急遽兵員の避難のために崩落しにくい土質の場所に防空壕を掘りました。法華口駅から姫路海軍航空隊の衛兵詰所までの道で敵戦闘機の攻撃にあった際、すぐに避難できるように素掘りの防空壕は道沿いに四箇所つくられました。この防空壕は、通気性を考慮して、コの字型に掘られています。」
昭和20年3月末といえば、戦争はあと数ヶ月で終わる時期。ギリギリの戦いをしていたのだなあと想像する。

上の写真は途中で見た素掘りの防空壕。 テレビや映画で防空壕を見たことがあるが、実際に使われていた防空壕を見たのははじめてだった。 ツアーのメンバー中には、子どものころにお寺にあった防空壕で遊んだという人がいたが、私の子ども時代にはまわりに防空壕の跡はなかった。

上の写真は基地の入口近くにあったコンクリート製の防空壕。解説によると、 「コンクリートで作られた強固な退避壕で、この前に衛兵詰所と面会所がありました。 空襲時に詰め所勤務の兵隊と面会者の退避に使われていました。 内部構造は爆風を和らげるため複雑になっており、換気口も設けられています。壕内には30名ほどが入れます。」

このコンクリート製の防空壕をすぎると、

 

「姫路海軍航空隊」と書かれた看板が門柱にかかっている。 向かって右には衛兵詰所がある。これは復元された門と衛兵詰所で戦争当時のものではない。

さあ、海軍航空隊の基地の中に入ってみよう。